外伝 サウディードの「預かりもの」③

 サウディードの主であるメイザンのもとには、日々、研究員からの報告のみならず”預かりもの”たちの動向が伝えられる。報告を上げてくるのは決まってクリスだった。メイザン以外の人間にはあまり知られていないことだが、クリスの主要な役目は、このサウディード内で人々を監視することにあった。

 生まれた時からこの都市に住む少女は、都市内のありとあらゆる場所を熟知しているし、誰も警戒したりしない。それに彼女には、祖先の血から受け継いだ特別な力がある。

 そのクリスから、アルウィンがオーサに殴られて負傷した、という報告を受け取ったのは、翌日のことだった。

 「――それで? 怪我の状態は」

 「肋骨が折れてたそうですよ。まったく無茶するんだから」

しばらくは安静にしていないといけない。退屈しないようにと、特別に図書館からの本の貸し出しが許可された。アルウィンが書いてきた借りたい本のリストは今、クリスの手元にある。

 「彼は、ずっと本を?」

 「ええ。サウディードに来てから大抵の時間はそうですね。ミグリア方言、エレグ語、マジャール語、ハザル語… なぜか言語学と民俗学の本ばっかりです。あとは、地理と歴史が少し」

 「クローナは、地方から人の集まる交易都市だからな。」

メイザンは、作業用の大きな机の上で指を組む。

 「…しかし、なぜそれほどの数の言語を学んでいるのだろう」

 「そういえば、先生に会いたいとか言ってましたよ。渡したいものがあるとか何とか」

 「ふむ」

メイザンは、丸眼鏡を押し上げた。「彼は今、動けないのだったな。どれ、たまには散歩でもしてみるか。」




 ベッドの上で本を呼んでいたアルウィンは、扉をノックする音に気づいて顔を上げた。

 「どうぞ」

入ってきたのは、クリスだった。

 「今いいかしら。メイザン先生の面会よ」

 「え」

クリスに続いて入ってきたメイザンの姿を見て、少年は、慌てて読んでいた本を片付ける。

 「すいません、散らかっていて…」

 「なに、気にするな。見舞いと謝罪をかねてな」

言いながら、メイザンは部屋の中に視線を走らせる。クリスの言ったとおり、語学と民俗学の本が何冊か、枕元に置かれている。持ち物は、最初にここに来たとき以来、増えた形跡がない。

 「まずは、すまなかった。うちの守備隊長がやり過ぎてしまったと」

 「…いえ」

少年は、首を振る。

 「こちらが未熟だったせいですから。お気になさらずに――」

 「”傷は痛むのかね?”」

唐突に言葉が変わった。アルウィンは、きょとんとしてメイザンを見る。

 「”クリスからは、全治一ヶ月と聞いている”」

マジャール語。少年は瞬時に悟った。

 「”そんなにかかりません。しばらく痛みが続くかもしれないとは言われましたが”」

同じ言葉で返す。メイザンはさらに言葉を変える。

 「”何か食べたいものは?クリスに持ってこさせる”」

今度はハザル語だ。少年は笑みを浮かべて、すぐに切り返す。

 「”ありがとうございます。でも、今は特に。一日じゅう床にいて動いていないので、お腹が空かないんです”」

白髪の老学者は、感嘆の溜息を漏らした。

 「…成程。確かに君は、幾つかの言葉に通じていると見える」

しかも、この若さで。メイザンはアルウィンのベッドの傍らの椅子に腰をおろす。

 「どこで覚えた? 誰かに教えられたのかね」

 「ほとんどは、独学です。気がついたら分かるようになっていた言葉もあります。町に商人が沢山来るから…」

 「語学に興味が?」

 「異なる人々と話すなら、やっぱり最初は言葉じゃないですか?」

 「ふむ」

学者気質、というわけでもない――。言葉そのものの研究より、その言葉を話す「民族」や「部族」に興味がある、ということか。メイザンは顎に手を当てた。

 「ところで、わしに何か渡したいものがあるとか」

 「あ、そうだ」

ベッドから起き上がりかけて、動けないことを思い出し、少年は申し訳なさそうにクリスに目をやった。

 「…そこの長持ちの中に細長い包みがあるんだけど」

 「取るわ」

少女は、無愛想に長持ちを開く。ほとんど何も入っていないから、探すまでもない。

 「これ?」

 「そう」

見た目のわりに、ずいぶんと重い。クリスから受け取ったメイザンは、ちょっと眉を寄せた。

 「これは…」

 「”ファンダウルス”と呼ばれている剣です。代々クローナに伝わっていました。シドレク様からは、先生が興味を持つかもしれないと言って返されました。研究しても構いません。預かっていただけませんか」

布をほどくと、中から年代物の黒味を帯びた鞘が表れる。銀色に輝く持ち手に飾りなどは一切なく、絶妙な曲線が優美さを演出している。

 メイザンは、思わず息を呑んだ。ひと目見て、それが国宝級の価値を持つものだと直感したからだ。

 「王は何と?」

 「特に何も。サウディードの院長なら興味を持つだろう、とだけ。」

代々伝わってきたものなら家宝と言っても差し支えないはずなのに、そっけない言い方だ。彼は、その剣のほうを見ようともしない。

 「…分かった。これは預からせてもらおう。それとアルウィン」

 「はい?」

 「語学に興味があるなら、語学研究棟への立ち入りを許可しよう。少数民族の言葉を研究して辞書を作っている部門もあるぞ。変わった少数民族も何人か居る」

 「ちょっ…先生!」

クリスが抗議の声を上げようとするのを、老学者は片手を上げて制する。

 「あとで、許可状を作っておこう」

 一瞬、少年の黒い瞳が不思議そうにメイザンを見つめた。思いがけない好意―― この場所で出会うはずのなかったもの。敵意を向けられるよりも明らかに、彼は戸惑っていた。メイザンの言っていることが冗談ではないと判断するまで、数秒かかった。

 「…ありがとうございます。」

そう言って、アルウィンは視線を手元に落とした。

 小柄で、取り立てて目立つ容姿でもなく、普段は何者でもないただの子供に過ぎない。けれどその瞳には時折、何か抗い難いような強い輝きが宿ることに、メイザンは早くも気づいていた。




 語学研究棟と呼ばれているのは、図書館から近い場所にあり、褐色の屋根を持つ二階建ての比較的新しい建物だった。

 あとから建てられたのだろう。普通の町中では目立たないはずの外見が逆に、古い建物ばかりのこのサウディードの中では違和感を覚えさせる。入り口にはそっけない「語学研究棟」の文字。ここも入り口には兵が立っており、一般人は立ち入り禁止になっているが、アルウィンが許可状を見せるとすんなり通してくれた。

 一階は語学の講義を行う、研究者の育成施設。二階は辞書の作成や言語の歴史を研究する研究者たちの部屋。中にいる人々の外見は国際色豊かで、歩いているだけで様々な言葉が耳に入ってくる。

 部屋を覗いて回っていると、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。

 「さっそく様子見ってわけ?」

振り返ると、クリスが仁王立ちしている。

 「言っておきますけど、いくらメイザン先生の許可があるからって、ヘンな真似したらただじゃおかないんですからね!」

 「”あら――クリス?”」

彼女の声に気づいたのか、部屋の中から一人の女性が姿を現した。白い肌に、クリスと同じ色の深い藍色の髪。よく似た顔立ち。一目で、家族だと分かる。

 「”何騒いでるのかと思ったら。その子が言ってたお友達?”」

 「”だからー、友達とかじゃないの!”」

それは、アルウィンの耳にしたことのない言葉だった。不思議な響きを持つ、水滴が飛び跳ねるような音をもつ言葉――。

 少年がぽかんとしているのに気づいて、藍色の髪の女性はにっこり微笑んで、中央語で言った。

 「はじめまして。私はクリスティーナの母のアリーシャ。リーシャでいいわ。アルウィンくん…だったかしら?」

 「あ、はい」

 「よろしくね」

差し出された手に応じるアルウィンを見て、クリスは苦々しい顔つきだ。

 「…あの、さっきの言葉は?」

 「ルグルブ語よ。知らない?」

 「はい」

 「クリスの話だと、色んな言葉を知ってるってことだったけど…そうねえ、私たちの住んでいるのは西の果てだし、あまり知られていないのも当然かしらね」

リーシャは、ちょっと首を傾げる。

 「ルグルブ語に興味があるなら、少し教えてあげましようか。」

 「いいんですか」

 「ちょっとー、母さん…」

 「あら、いいじゃない。院長の許可をもらって来てるんでしょ?」

ふわりと笑う。「いらっしゃいな。」

 不満そうなクリスをよそに、クリスの母親はアルウィンを奥に誘った。


 そこには、初めて知るものが山ほどあった。

 リーシャに教えてもらったのは、ルグルブのこと、今まで存在すら知らなかった少数部族やその言葉。何気なく使っていたフラニア語とエレグ語は縁戚関係にあることや、書き文字のない言語の辞書の作り方など。

 研究者たちは、元が様々な地方から集まってきた人々なだけに、アルウィンが敵視されることも比較的少なかった。もとより、共通語以外の言葉を話せる者はそう多く無い。自分たちのお国言葉で話しかけられれば、それだけで初期の印象は格段に良くなる。




 一ヶ月後、報告にやってきたクリスは、むすっとした顔でメイザンに告げた。

 「全部で六つです、あの子が喋れるの。ミグリア方言、フラニア語、エレグ語、マジャール語、ハザル語、ヴェラム語。他もいくつかは、断片的に知ってる言葉がありそうです」

部屋の真ん中を占めるオークの机で書類に埋もれていたメイザンは、ちょっと顔を上げた。

 「では、中央語を入れて現在は七つか。ルグルブ語も学び始めたとか?」

 「母が余計なこと吹き込むから…。あたしにも教えてくれとか言うんですよ。何様かしら」

 「そう嫌わんでもいいじゃないか」

 「だって。見てると何かイラッとするんですもの」

クリスは、おさげを揺らしながら頬を膨らます。

 「いつ”視”ても勉強ばっかり。つまんないわ」

それはルグルブの民が持つ、特別な力による”遠視”という力によるものだった。所持品に触れることで、持ち主の現在地や今していることを遠くに居ながらにして見るという力。”預かりもの”たちの行動は、そのようにして密かに監視されてきた。だが、彼女の入念な監視にも関わらずアルウィンは、真面目すぎるほど真面目な日常生活を送っているようだった。

 「勤勉な性格なのだな。それだけでは無いのかもしれんが」

言いながら、メイザンは内心驚いていた。たとえ幾つかが縁戚関係にある良く似た言語だったとしても、七つもの言語を操れるような者は、この研究院でも数えるほどしか居ない。


 報告はクリス以外の者たちからも上がってきていた。勉強熱心なだけでなく、妙に人を安心させる雰囲気がある。いつしか昔からした研究者のように出入りするようになっている――。

 しかも、単に言語だけでなく、その民族、その部族特有の習慣や好みまで知ったうえで理解しようとしている。その興味と熱心さは本職の学者に劣らない。

 「適性を見て欲しい」と王の言った理由を、メイザンは察しはじめていた。アルウィンがこの学術都市に送られてきた理由も。


 ――ただ、気になることは、もう一つあった。

 ここのところ、王は何故か古い伝承や記録の類を頻繁にサウディードに要求していた。王立の研究院である以上、王室からの要求には真っ先に応えなくてはならないが、それにしても急な話だ。建国当時の古文書など、国内でいくらも残っていない。一番充実しているのは、王都にあるという、王族しか立ち入りを許可されていない”書庫”のはずだ。そこにもないもの、となれば、今から発掘でもしてくるしかない。


 理由には察しがついていた。クローナの、”白銀の王家”のことだ。

 アルウィンから預かった剣は、今もメイザンの部屋に隠されている。それがそこにあることを、メイザンは他の誰にも言っていない。クリスにも口止めした。”ファンダウルス”という名を聞いたとき、それが古いアストゥールの言葉であることはすぐにピンと来た。

 狼の牙ファンダウルス、だ。

 その名に相応しく、刃は見事なハザル人の技で鍛えられている。今では滅多に長剣を鍛えることのないハザル人がそんなものを作るとしたら、特別な誰か個人のためにしかあり得ない。

 王は、これまで公に伝えられてきた王国の歴史を疑い始めているのかもしれない。

 クローナと対立した、そもそもの理由。はるか昔から続く確執の根本原因とも言うべき、「もう一つの王家」の起源を。




 季節は変わり、秋は過ぎ去ろうとしている。今年の冬は例年になく寒くなるという話で、既に北のほうでは氷が張り始めている。滅多に雪の降らないこの辺りでも、今年は積もるかもしれなかった。

 メイザンの元を退出したクリスは、図書館に向かっていた。

 アルウィンは定位置にいる。しかも最近では友達が出来たらしく、今日も席の向かいには人が座っている。アルウィンと同じ色の長衣を身につけた少年、ランディ・ローエン。東方騎士団長ローエンの末息子。生まれつき体が弱く騎士にもなれそうにないというので、ここに送り込まれて、それっきりだ。

 この都市には、送り込まれたきり実家からも忘れ去られ、適当に学業を修めながら死ぬまでここに暮らす者も少なからず居る。彼の場合は少し違うが、将来に望みがないという点においては同じだった。


 談笑していたランディは、ふとクリスが向かってくるのに気づいて話をやめた。

 「お目付け役が来たようだ。じゃな、アル。また後で」

 「うん」

そそくさと立ち去るランディと入れ替わりに、クリスがテーブルの脇に立つ。

 「ふーん、”アル”なんて呼ばれてるんだ。ずいぶん親しげですこと」

この頃は、アルウィンもクリスの意地悪な物言いには慣れてきた。最初の頃の緊張した表情は緩み、さっきのような時など、少しは笑顔も見せる。何故かそれが、クリスにはひどく腹立たしいのだった。

 「騎士団長の息子があれじゃ、父親も情けないわね」

 「……。」

否定も肯定もしない。無駄だと思っていることには、反論しないのだ。それもまた、彼女の苛立ちの原因となっていた。

 「あんたね。少しは反論したら?」

 「だって、…ランディが反論しないと意味がないでしょ」

 「もう!」

何かもう一言くらい言ってやろうとしたクリスは、アルウィンの手元の本に気づく

 ――”ルグルブの歴史 人魚伝説”

子供向けの絵本だが、全編、ルグルブ語で書かれている。

 「あんた…本気でそれ、読んでるの?」

 「うん。面白いよ」

 「……。」

クリスは、額に手を当てた。リーシャのせいで、この少年はそのうち本当にルグルブ語を覚えてしまいそうだ。そうなったら、ルグルブ語で交わされる親子の会話の中身も筒抜けになってしまう。

 「ルグルブの女性って、物から持ち主の今の居場所を探し当てる力を持ってるんだって? 本当?」

 「一応ね。人によって差はあるけど」

 「クリスは?」

そうだった、気に入らないことはもう一つあった。――いつのまにかクリスに対して、「さん」がとれていることだった。リーシャが、そう呼んでいい、などと言ったたのも原因なのだが。

 「…教えてあげない。」

 「人によっては、未来を予言する力も持つ…か。不思議だな、そんな人たちがいるなんて」

 「あら、信じないつもり?」

 「そういうんじゃないけど…」

アルウィンは、本を閉じて遠い目をする。

 「世界はほんとに広いんだな。まだまだ知らないことが、たくさんある」

 「そんなに知りたいことが多いなら、あんた学者目指したら?」

 「学者?」

きょとん、とした顔だ。

 「ここの研究員とか。そのほうが今よりは自由は多いわよ。どうせ出してもらえないんでしょ?」

クリスにしてみれば、何気ない一言だった。

 この学術都市の中で一生を終える者は実際に居る。さっきのランディも、おそらくはその類だ。クローナが二度と王国に反逆しないための担保として人質となったのだとすれば、帰してもらえる日がくるとは思えなかった。


 ふいに押し黙る、空白の時間があった。

 「…考えてみるよ」

何故か押し殺した声で呟いて、少年は立ち上がった。表情を隠し、一呼吸置く。

 「――ところで、なにか用だった?」

ほんの一瞬で、声は普段の調子に戻っている。

 「ああ、そうそう。メイザン先生からのお呼び。」

ここのところ、メイザンは頻繁にアルウィンを呼び出していた。週に二回ほどだが、理由は聞いていない。忙しいメイザンが何故そうも時間を割いてまで、この”預かりもの”の少年に構いたがるのか、クリスは不思議でならなかった。多くの言語を操れるのは、確かに珍しいが、それ以上の何とも思えなかったのだ。


 …その時は。

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