外伝 サウディードの「預かりもの」②

 クリスはアルウィンを連れて、サウディードの中の主要な施設を回りながら、淡々とそれらを紹介していった。

 最初に案内された場所は居住棟。同じ建物の反対側には、職員たちの住む区画もある。そこから入り口までの間に続くのが研究棟、娯楽棟、図書館など。それらのどこにも、見張りの兵がそれとなく居る。

 ここにはアルウィンのような、牢につないでおくことも出来ない人質や、訳ありの良家の子女も「預け」られている。内部で何か間違いがあっては困るし、逃亡などされては信用問題だ。

 ここが、学術「要塞」都市、とも呼ばれる所以だ。

 一度入れば、二度と出られないかもしれない知的な監獄。外部からは隔絶された、閉ざされた世界だ。

 「図書館に閉館時間はないわ。一般に公開されてる図書なら閲覧は自由。ただし借り出しは出来ないから。」

少年は、入り口から吹き抜けの三階までを埋め尽くす書架を見上げたままぽかんとしている。ここは国内最大の図書館なのだ。古今東西、ありとあらゆる言葉の書物が揃う。

 「…ぼーっとしてないで。次行くわよ、クローナさん」

 「あ、はい」

慌てて我に返る。

 「あの、クリスさん」

 「気安く呼ばないで」

少女は、きっとして振り返る。「あたしは、クリスティナよ」

 「…クリスティナさん。おれのことは、アルウィンでいいです」

 「そういうわけにいかないでしょ。友達でもないんだし」

 「…でも」

”クローナ”の名は、ここでは刺激的すぎる。既に知っている者も多いにせよ、自分から名乗ることも、人に呼ばせることもためらう。

 しょんぼりしている少年を見て、クリスはため息をついた。

 「ああ、何か見てるとほんとイラっとする! いいわ。何か適当に呼び方は考える。次は食堂。遅れないようについてきてよね!」

 「…うん」

少女は、最初から攻撃的だった。当然と言えば当然なのかもしれないが。




 サウディードには、二種類の人間がいた。

 アルウィンと同じ色のトーガを着ているのが”預かりもの”と呼ばれる、訳ありの外部者。それ以外は、研究員か、または別の仕事をしている職員。

 都市の中には、学術にたずさわる人々が外に出ることなく快適に暮らしていけるようにと、ありとあらゆる町の機能が備えられている。食堂、理髪店、売店。葬儀社から結婚式場まで何でも揃っている。専属の守備隊もあり、それがこの都市の内外を厳しく見張っているのだった。ひとつの都市で、小さな国くらいの防衛力がありそうに見えた。

 それだけ、ここがアストゥールにとって重要な機関だということでもある。下手な牢獄よりははるかに「安全」な場所だ。


 関係者意外に立ち入りを禁じられた区域を除けば、広い町の中を歩きまわるのは自由だった。

 ただ、どこを歩いても、やはりよそ者であることに変わりはない。

 サウディードには、同じ年頃の子供はクリスも入れて数人だけ。しかも人の噂というのは早いものだから、すぐさまアルウィンが半年前の戦争によって捕らえられた「人質」だということは知れ渡り、まるで腫れ物扱いのような雰囲気が漂っていた。

 自然、図書館でぼんやりすることが多くなった。

 ニ階の窓際、柱と柱の間の小さなテーブルが彼の定位置だった。そこからは、よく手入れされた中庭も見下ろせた。リーデンハイゼルもそうだったが、この世に、こんなに色とりどりの花が一箇所に咲き乱れる場所があること、それを人の手で作り出せることを、彼は今まで知らなかった。故郷の北の地は冬が厳しく、春に野に咲く花のほかに、戸外に手の込んだ庭を作ることは難しかったからだ。

 「また、ここにいたの」

顔を上げると、腰に手を当てたクリスが立っている。アルウィンの手元に積まれている本に視線をやる。

 「”ハザル語の活用法”…? 何、あんた、こんなの分かるの」

 「少しは…。」

少年は、ばつが悪そうに本を閉じる。

 「…何か用だった?」

 「塔に登りたいと言っていたでしょ」

それは、ここに来たすぐの頃、クリスにそれとなく要望していた内容だった。

 都市に入るときに見えた、白い巨大な円柱型の建物。おそらくサウディードで最も高い場所だろう、そこへ行ってみたい、と言ったのだ。

 ただ、そこには伝書鳩を飼う小屋や天文観測用の施設などがあり、一般人は立ち入り禁止となっていた。申請を出せば許可は下りるが、”預かりもの”の場合は付添が必要だという。

 「許可が降りたの。今日でも明日でもいいけど――」

 「今いく」

アルウィンは、本を抱えていそいそと立ち上がる。

 「すぐ本を戻してくるから」

 「…そんなに高いところ好きなの? 変わってるわね」

少女は呆れ顔になっている。クリスがいまだにアルウィンの呼び方を決めかねているのは分かっていた。だから、名前では呼ばない。「あんた」とか、「ちょっと、そこの人」とか呼ぶ。


 二人は、図書館を出て、塔へと向かった。

 塔の入り口は普段行かない研究棟の外れにあり、すぐ側に町を守る警備隊の詰所がすぐそこに見えていた。よほど重要な施設なのだろう。

 「十階建よ。あんた、足腰は大丈夫?」

 「そのくらいなら」

アルウィンの体格は、同年代に比べてお世辞にもがっしりしているとは言いがたい。おまけに、ここへ来てからずっと図書館に篭もりっぱなしとあっては、クリスが心配するのも当然だった。

 だが、意外にも、少年は十階までの螺旋階段をそれほど苦労せず登り切った。

 「ここがてっぺんよ。夜になると、天文学者がいっぱい来るの」

下から見えていた白いドーム部分には大きな望遠鏡が取り付けられ、ガラス張りの窓をもつ部屋の中の大きな卓の上には計測器具や計算式を記した紙が積み上げられている。

 「中には入れないわよ。外側の通路だけ。好きなだけ風景を眺めるといいわ」

そこからは、サウディードを取り囲む風景が一望出来た。

 ゆっくりと、塔を一周する道を歩き出したアルウィンは、すぐに東の彼方にきらめく海原を見つけた。

 「海だ! 初めて見た」

遠くに煌く青い海原に、アルウィンは思わず表情を輝かせる。

 「すごいな。リーデンハイゼルの塔から見たのとは全然違う。――世界は広いんだな」

 「興奮して落ちないようにね。」

ここには何度も来ているクリスは、そっけない。幼い頃から見慣れた風景、今更、特に感動することもない。だが、サウディードへ送り込まれていらい、ほとんど表情を見せていなかったアルウィンが、こんなに嬉しそうな顔をするのは初めて見た。

 しばし海を眺めていた少年は、ふと北の方角に視線を転じる。

 「……。」

そこには地平線まで草原が続くだけで、クローナは見えない。当たり前だ。ここからでは遠すぎる。

 ふいに悲しげになったその視線の意味に、クリスは気付かない。

 「どうかした?」

 「…何でもないよ。ありがとう、帰ろうか」

あんなに登りたがったくせに、妙にあっさりしたものだと不思議に思ったが、クリスは、余計なことは尋ねなかった。

 塔を降りていく間、二人は無言だった。クリスから話しかけることは滅多になかったし、アルウィンのほうも、クリスが雑談に応じる気がないのを知っている。


 外に出たとき、ちょうと警備隊の兵舎前では兵士たちの訓練が始まっていた。

 揃いの訓練着に身を包んだ体格のよい兵士たちが、声を上げながら違いに打ち込みあっている。腕組みしてそれを眺めているのは、ひときわ体格のよい人物だ。

 燃えたつような短い赤毛。常人の二倍はある太い腕。一瞬、男性かとも思ったが、よく見るとどうやら女性のようだった。

 「おや!クリスじゃないか。」

その体格のよい女性がこちらに向かって手を上げる。

 「こんにちは、オーサ。」

 「珍しいところにいるね。こんなところで何してるんだい。その、後ろにいるちっこいのは…」

 「案内中よ。こちらは、えーと…クローナさん」

 「…クローナだって?」

大股に近づいて来た巨大な女性の表情が、ふいに歪んだ。

 「クローナって、あのクローナかい。…じゃあ、そいつが王様の息子を殺した町の」

 「…まあ、そうね」

クリスは、硬直しているアルウィンをちらと振り返る。悪気はない。庇い立てする義理もない。――クローナとの戦争で、王の嫡子が戦死したのは紛れもない事実なのだから。

 「は! おめおめと生き残っただけじゃなく、自分から投降したって腰抜けが、こいつかい。そりゃぁこんな細っこい腕じゃ、戦うのも無理だね」

オーサと呼ばれた女性は、アルウィンの肩を掴む。それだけで骨が砕けてしまいそうな剛力だ。

 少年が思わず顔を歪めたのを見て、オーサは、何か思いついたように意地悪く笑った。

 「そうだ。どうせ暇なんだろう?あたしが稽古をつけてやるよ。こいつを貸しておくれ」

 「え… 貸すって」

 「なに。殺しゃしないよ」

凄みのある顔で唇を吊り上げた。

 「王サマに逆らった連中がどのくらいのものか、ちょいと確かめてやるのさ。」

それから、振り返って、訓練していた兵士の一人に訓練用の道具を持ってくるよう指示を出す。アルウィンは固まったまま、ぎこちなくクリスのほうを振り返る。

 「あの…この人は…」

 「オーサは、ここの守備隊の隊長。シドレク様が南方から連れ帰ってきた巨人族よ。生まれはこの国だけど」

 「巨人族…英雄王の”盟友”、守護神シルニーエル…? 噂には聞いたことがある…」

 「そのシルニーエルの娘よ。王に忠誠を誓ってる。分かるでしょ? あんたが睨まれる理由」

巨人族は約束に忠実だ。王に固く忠誠を誓うゆえに、その王に刃を向けたどころか、王の息子まで戦死させたクローナの人間は、目の敵にされているのだ。


 間もなく、兵士が戻ってきた。兵士は、ご愁傷さまとでも言いたそうな目つきで、アルウィンに訓練用の武器と防具を手渡す。オーサのほうは防具などはなし。その手に持っている棍棒だけで十分だ。なにしろ並の男の二倍以上の体格だ。 

 「ほら、どうした! さっさと用意しないかい」

 「断ってもいいのよ?」

クリスが後ろから囁く。だが、アルウィンは何も言わずに受け取った防具を身につけた。

 「よろしくお願いします。」

そう言って、剣を構えた。

 訓練用の剣は、刃が潰されて殺傷能力はなくなっている。オーサのほうはただの棍棒だ。とはいえ、巨体から振り下ろされる一撃なら、岩でも砕いてしまえるかもしれない。それは見れば分かるはずなのに、アルウィンは逃げようともしないのだ。

 「ふん、一応、構えはさまにはなっているね。どれ、軽く様子見でもしてやるか!」

オーサが棍棒を振るうと、ぶんと大きな音がして周囲に風が巻き起こる。クリスは慌てて、巻き込まれない場所まで逃げた。訓練していた兵士たちも手を止めて、この、あまりに体格差のある腕試しを見守っている。

 アルウィンは、オーサの起こした風に髪が揺れても微動だにせずに、じっと彼女を見つめている。

 「気に入らないね、その目」

苛立ちとともに、オーサは棍棒を振り上げた。

 「もっと怯えた目をすればいいのに!」

 最初から、勝負になどなるわけがなかった。

 大の男でも受け止めることの出来ない攻撃、小柄な少年では尚更だ。オーサが棍棒を振るうと、彼は宙に飛ばされ、地面に叩きつけられた。

 「どうしたんだい。少しは避けたらどうだい?!」

アルウィンは何も言わずに起き上がり、再び、同じ瞳でオーサを見つめた。泥と血が混じり合って滴り落ちている。

 「この!」

何かを焦ったように、オーサはなおも棍棒を叩きつけた。そんな攻撃の前に防具の意味があるわけもなく、少年は、再び地面に叩きつけられてそのまま動かなくなった。

 「もうやめて!」

たまらず、クリスは叫んだ。ぐったりしているアルウィンに駆け寄り、助け起こす。

 「オーサ、やりすぎよ! これ以上やったら死んじゃう。人質を殺したなんて、王様に何て言い訳するつもりなの?!」

 「…あたしは、ただ」

兵士たちはすべて、訓練の手を止めて成り行きを見守っていた。無言のうちに、その視線がクリスと同じ思いを語っている。

 「ちっ。悪かったよ、だけど手加減はしたからね。さっさと医者を連れて来な」

まるで捨て台詞のように言って、オーサは棍棒をかついで兵舎のほうに消えていった。

 「ちょっと、生きてる? ねえ」

 アルウィンはは、返事の代わりに咳き込みながら血の混じった痰を吐き出した。口の中がひどく切れてしまったようだ。体じゅう、擦り傷と痣だらけ。頭のどこかが裂けてしまったのか、髪は血でぐしゃぐしゃになっている。

 「何で逃げないのよ。もうやめて、って言えばいいのに」

 「…だって」

荒い息をつきながら、彼は力なく呟く。

 「あの人は、王子様が亡くなったことを悲しんでたんだ。おれが恨まれるのは当然だし…このくらいで気晴らしになるのなら…」

 「あんた…」

兵士たちが何人か駆け寄って、自力で立てない少年を運ぶのを手伝うと申し出る。

 少なくとも、アルウィンは逃げなかった。それが賢い選択かどうかは別にして、仲間たちにすら恐れられている巨人族相手に退かなかった勇気は、認められたことだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る