外伝 サウディードの「預かりもの」①

 小雨のぱらつく中、馬車は学術都市・サウディードを目指し森の中を走っていた。サウディードはアストゥール王国の東の端にある、王家直轄の城塞都市だ。

 都市丸ごとが城塞に取り囲まれたその場所には、学術、政治、ありとあらゆる専門家が集う。国家機密に触れるような研究や、場合によっては法案や外交文章の草稿なども作成されているだけに、出入りは厳しく制限され、職員たちは基本的に町の中に住んでいる。

 近隣にほかの集落はなく、歴史ある高い壁に囲まれた都市は、周囲の風景の中に孤立していた。


 馬車が止まり、くすんだ灰色のトーガの男と、少年が一人降りてくる。トーガの襟には金色の縫い取りがされ、王室に所属する役人であることを示している。少年のほうは、洗いざらしのシャツに質素な上着一枚だけ。

 町の入口には階段があり、両脇を警備兵に見張られた入り口がある。その先には、都市の中心にそびえ立つ白い巨大な円柱型の建物。少年は、目の前の、はじめて見る風景を驚嘆の目をもって見上げていた。噂には聞いていたが、想像するのと、実際に見るのとは大違いだ。

 トーガの男が少年の肩に手を遣った。

 「行こう。」

促されて、少年は歩き出す。その足元につけられた場違いな鎖がたわんで石の階段に当たり、耳障りな金属音を立てる。

 道中、逃げ出さないためにつけられたものだ。もちろん、ただの客人ならこんなものは必要ない。

 少年は「人質」だった。名目上は、少なくとも――先だって王国に対して反乱を起こした、と見做され制圧されたクローナの町が、再び反旗を翻すことの無いよう身柄を拘束された。

 そして、王の命により、この少年は王都リーデンハイゼルから、遥か遠方の都市へと送られたのだった。




 都市に入ってしまえば、逃げ出す心配はない。

 狭い待合室のようなところで、灰色のトーガの男は少年の足につけていた鎖を外した。

 「痛くはないかね?アルウィン」

 「はい」

少年は答える。道中ほとんど自分で歩くことはなかったし、鎖も特別に邪魔にならない軽いものにしてくれていたお陰で、足が腫れるようなことはなかった。

 誰も、彼が逃げだすとは思っていなかった。領主家の当主とはいえまだ十歳、どう見ても小柄で、投降していらい従順そのものだった。ただ、人質という建前からして、枷をはめることは規則の一つだった。

 待っていると、奥の扉が開いて白髪の老人が少女をひとり従えて入ってきた。トーガの男は立ち上がって一礼する。アルウィンも、慌てて従った。

 メイザン・グランナール。この学術都市の長であり、王立研究院の筆頭だ。また、若かりし日の王の教育係をつとめ、今も王が絶対の信頼を寄せている人物でもある。

 後ろに従うのは、濃い藍色の髪を左右で三つ編みにして垂らし、眼鏡をかけた少女。いかにも不格好で、整った容姿を誤魔化すための伊達眼鏡のように思われた。目は伏せているが、時折ちらちらとこちらを見ている。

 二人は、来客たちに座るよう促し、向かいのソファに腰を下ろした。

 「…で、そちらが例の?」

 「今回いただく、アルウィン・フォン・クローナです。」

灰色のトーガの男は役人的な口調で言い、目の前の卓上に王からの書簡を広げる。

 「王からの依頼書はこちらです。受け取りの署名をいただけますか」

 「ああ。」

メイザンは、少女の手渡した筆記具で依頼書の末尾にさらさらと名前を書き入れる。

 「確かに身柄は受け取った。彼については、今後、このサウディードで、責任もって預からせてもらおう」

それから、大人たちが取り決めごとや荷物の受け渡しに関するやりとりをしている間、アルウィンは、側でじっと待っていた。

 付添いの少女は、何やら居心地が悪そうにしている。ずいぶん変わった容姿だな、とアルウィンは思った。透き通るような白い肌、きつく三つ編みにしてはいるものの、波打つような藍色の髪と、眼鏡で目立たぬようにした同じ色の瞳。不格好な眼鏡さえ外せば、きっと目を惹く美人のはずだ。どこかの少数民族かもしれないが、こんな容姿の人々は故郷では見たことがない。

 「――では、こちらへ。クリス、彼を案内なさい」

クリス、というのがこの少女の名前らしかった。立ち上がり、ちらとアルウィンに目を向ける。

 「来て。部屋を教える」

ぶっきらぼうな物言い。

 アルウィンは席を立ちながら、ここまで同行してきた灰色のトーガの男に視線を向ける。本当に、ここから先は自分だけでいいのか、と確認するつもりだった。リーデンハイゼルに居た頃は、どこに行くにも武器を携えた見張りと一緒だったものだが。

 「ここでは、ある程度の自由が保証されている」

男は同情を込めて言った。

 「少しは楽になるはずだ。達者でな」

 少女が出口で待っている。アルウィンは一礼だけして、急いで部屋をでた。


 初めての町、初めて逢う人々。

 楽になるはず、とは言われたが、「人質」という立場に変わりはない。


 王国と対立したクローナが王軍の攻撃を受けてから、まだ半年たらず。圧倒的な戦力差にも関わらず、その戦いは王の世継ぎである若い王子の命を奪い、クローナにも王軍にも大きな被害をもたらした。痛みなき和平交渉は不可能だった。結果、クローナが生きのこるための条件の一つとして、王国議会はクローナ領主家の当主の身柄を人質として要求したのだった。


 だから彼は、王国の中では「反逆者」、「敵」という扱いになる。

 たとえ、あの戦争を自分が始めたわけではないにしろ、望むものでなかったにせよ、その中で王子をはじめ多くの王軍の命が失われたのは事実。敵意を受けることは、避けられない。事実、王都リーデンハイゼルでの暮らしは、そうだった。

 たとえ場所が移ったところで、ここがアストゥールの国内で、王家に所属する都市である以上、扱いがそう変わるものではないことは、覚悟の上だ。

 足早に先を歩いていた少女は、ふいに狭い小さな部屋の前で足を止めた。

 「ここが、あなたの部屋。中に支給服を置いてあるから、それに着替えて。ここでは研究員と『預かりもの』は服装で区別する。お手洗いは廊下の突き当たりよ。それ以外はあとで案内する。一時間後に迎えに来るから、それまで荷物の整理でもしてて。――あと、見張りはいるから、あんまり勝手に歩き回らないことね」

有無をいわさず、質問も受け付けない口調だ。

 来たときと同じように早足に去っていく、取り付く島もない少女の後ろ姿を、アルウィンは、ただ漫然と見送っていた。


 気を取り直し、部屋を開ける。

 薄暗い部屋に小さな窓が一つ、机と椅子、小さな物入れ、あとはベッドがあるだけだ。ベッドの上には、暗いくすんだ色の長衣が置かれている。これが支給服らしい。

 着てみると、一応はサイズを合わせてくれたのか、長すぎるということはない。胸のあたりには変わった形の紋章が染め抜かれている。五百年前、アストゥール王国に併合される以前、ここはファルーク王朝という国の首都だった。その頃の王国の紋章をそのまま町の紋章として使っているのだ。

 荷物のほうは、整理するほどの量がない。私物と言えるほどのものはない。持ってきたのは王都を出る時に渡された着替えと、剣が一振りだけ。

 その剣は、王都を発つ前にシドレク王が「持って行け」と返してよこしたものだ。元は父の形見で、人質として投降する際に手放したはずのものだった。

 囚人に武器を持たせたままにするとは奇妙な話だが、サウディードの院長なら興味を持って研究するかもしれないから、というのが、シドレクの口にした理由だった。あの白髪のメイザンのことだ。あとでまた話をする機会があるだろうから、その時にでも預けるつもりだった。


 不安を無理やり抑えこむように、立ち上がる。

 一度は死をも覚悟した身だ。今更、何も恐れることなど無いはずなのに、どうしてだろう。心が震える。

 いっそあっさり処刑されるなら、まだマシだったとさえ思える。これから、ここで、一体どんなことが待ち受けているのだろう。――




 クリス――クリスティーナは、アルウィンを案内した後、その足でメイザンの部屋を訪れていた。

 王の使者は既に帰ったあとで、少女がやって来たときには院長は、鼻の上にちょこんと載せた眼鏡を押し上げながら、王からの依頼書を読みなおしているところだった。

 「クリス。彼は?」

 「案内してきましたよ。」

ぶっきらぼうな答え。

 「あとで町を案内します。面倒だけど」

 「まあ、そう言うな。年も近い、仲良くしてやればいい」

 「出来るわけないでしょ。反逆者の息子じゃないですか」

気の強い少女は、むすっとした表情だ。

 「どんなのかと思ったら、背も低いし、ずいぶんしょぼくれてる子だわ。あんなのが王家の傍系を名乗ってたんですか?ほんとに?」

”白銀の王家”。

 クローナは、ずっと昔から王家の一端であることを自称してきた。古い町であることは間違いないが、主張には曖昧な点も多く、そもそもが何故、いつから、そのように名乗り始めたのかの記録さえ残っていなかった。そもそも、現在はリーデンハイゼルの”黄金の王家”が公に傍系の存在を認めていない。

 しかしクローナは、自治領と名乗りながらも独立国家のように振る舞い続け、独自の騎士団をもち、領主をはじめクローナに住む商人たちは、交易の仲介で多大な財を築いていた。

 クローナの享受する特権を危険視する声は何世代も前からあった。双方に譲歩がなければ、衝突へと至るのはごく自然な流れだった。

 しかしクローナは実際には、表立って中央に対立したことは一度もなかった。当時から王国議会の中には、クローナよりもノックスの東方騎士団のほうがアストゥールに反旗を翻す可能性が高そうではないか、と、批判の声があった。

 それなのに半ば強引に開戦への流れが整えられ、結果、王国側も少なからぬ被害を被った。

 今でも開戦は間違いだったのではないかと主張する議員はおり、僅か十歳で当主となり、そのまま人質として身柄を拘束されたアルウィンに、同情を寄せる者が居ないでもない。ここへ彼を送り届けてきた男も、そのうちの一人だ。


 メイザンはため息をつき、少女を諭す。

 「とにかく…、彼は、王より直々の『預かりもの』なのだ。何かあっては困る」

 「人質ですものね。分かってますよ」

ふい、と顔を逸らし、クリスは入り口へと引き返す。「あいつを案内してきます。あとでまた報告にきますよ」

 「ああ。頼む」

少女が出ていき、扉が閉まったのを見計らってから、老人は王からの書簡に視線を戻す。

 そこには、アルウィンを丁重に預かるように、という命令とともに、不可解な一文が添えられていた。


 ”王国の役に立つ可能性もあり、師の確かな目にて適性を見られたし”


教え子として長く付き合ってきたが、シドレクは今まで、一度として他人にこのような物言いをしたことがなかった。こうだと決めれば自分で勝手に人を官位につけ、また引きずり下ろしもしてきた。なぜ今回に限って、他人の指示を仰ぐのか。

 不可解といえば、クローナでの戦い、前当主の死後、シドレクが何もせず兵を引いたことも不可解だった。

 もともと苛烈な性格で知られた王のこと、ひとたび戦いを始めれば、敵を打ち倒すまで徹底的に暴れ回るのが常で、かつてはそれが、メイザンにとって教え子の汚点として悩みの種でもあったのだが。

 今回、新たに”預かりもの”となった少年についての情報は、あまり多くはない。

 クローナの前当主、エリオット・フォン・クローナの唯一の息子で、年の近い妹が一人いること。母親は女騎士だった過去を持つ女傑だが、息子の彼には武勇伝は特になく、どちらかといえば大人しい少年らしいということくらい。ただ、クローナの市場で覚えたものか、普通あまり知られていないような地方の少数民族の言葉をいくつか、自在に操れるという。

 ――資料から読み取れる限りは、文官向きだ。武勇に優れた者を好むシドレクの目がねにかなうとは、その時は、到底、思えなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る