第26話 北の地へ
アルウィンが眠っている間に、すべては終わっていた。
サウディードで出た死者が一般的にそうされるように、遺体は荼毘に付され、町の一番北側にある集合墓地の中に納められた。墓地、といっても深い穴の上に礼拝堂が建てられているばかりで、実際は、その穴の中に灰を収めた壺が無造作に置かれるだけだ。
これが、この町での人の死なのだった。高名な博士も、一般職員も、警備兵も、死ねば等しく一個の壺となって地下深くに埋められる。
「アル君は毒を盛られたのよ。あいつが、出発を遅らせるためにやったこと」
彼が次に目を覚ました時、やってきたクリスは、簡潔に結論だけを告げた。
「ランディの部屋には、まだ残りがあった。…ごめんね、動きが怪しいのはわかってたんだけど、確証が持てなくて。相手は騎士団長の息子だし、よほどのことがなきゃ叩き出せないってメイザン先生とも相談してたところなの。泳がせすぎたみたいね。本当に、ごめん」
クリスは、気の毒なほど落ち込んでいた。
彼女の本当の役目は、ルグルブの「遠視」の力を使って”預かりもの”たちの行動を監視することにあったのだと、後から聞いた。
「遠視」の力は、持ち物に触れることで持ち主の現在地や、少し前までの行動までを見ることが出来る。その力で彼女は、ランディが父親の騎士団長とやりとりしていることも、サウディードで何か探っていることも、早くから突き止めていた。彼女やメイザンがランディを警戒していたのは、そのためだったのだ。
「じゃあ、クリスは、全て知ってたんだな。」
「ごめんなさい。今まで隠してて…。」
「ということは、おれがここにいた頃には、おれのことも視ていたわけだ」
「う、…うん。それは、本当に…ごめん…」
クリスは、おずおずとアルウィンを見上げる。「その…嫌いになった?」
「うーん」
彼は、ちょっとおどけた様子で腕を組み、首をひねった。
「どこまで視られたか、にも依るな。私生活をのぞき見はちょっと…誰にも言ってないよね?」
「!」
少女は耳まで真っ赤になりながら叫んだ。
「そんな、そんなところまで視てません!」
クリスが走り去っていくのを、シェラとウィラーフは部屋の隅で苦笑しながら眺めていた。
「そんなところって、どこらへんまでかしらね。」
シェラはにやにやしている。
「止めろシェラ、下手したら私はあの子を斬ってしまうかもしれん。」
「ちょっと、そんな真顔で冗談言うのは止めてよね。まったく…」
呆れ顔で言いながらも、シェラは、同胞の血を引くクリスの難儀な役目を思った。仕事とはいえ、人を疑いながら監視するのは、気楽なものではない。
あの夜、ランディと交わされたやりとりについては、既に聞いていた。
彼いわく、”エリュシオン”というのは、五百年前に失われた「まことの王の証」なるもの――少なくとも、ランディはそう信じていたということ。
東方騎士団は、旧エスタード領をアストゥールから独立させるのが目的だということ。
そのために、”エサルの導き手”なる、いわば反政府組織と協力し、”エリュシオン”を探しているらしいこと…。
「メイザン先生は、何か言ってた?」
「いいえ。ただ、東方騎士団が反旗を翻すつもりだったことが明らかになった以上、静観してはいられない、と仰っていたわ」
「王都への追加の報せも飛ばしておきました」
と、ウィラーフ。
「焦っても仕方がありません。もし、王の証と呼べるような何かがあったとしても、それだけでエスタードが独立できるほど簡単な話ではありません。ただ、彼らがアストゥール王家に対抗しうるものだと考えている根拠は、気になります」
「王家の象徴を蝕むもの、か。…あたしが視た不吉なものは、きっと、このことだったんだわ…。」
もやもやしていたものが、急速に形になっていく。未来が現実になろうとしている。「いつ」とは解らなくても、ルグルブの視た「未来」は、必ず現実のものとなる。
必ず…。
シェラまでが黙ってしまったので、会話は、それ以上続かなくなった。
「出立の準備は、進めておきます」
それだけ言って、彼は一礼し、シェラとともに部屋を出ていった。
後には、相変わらず人の話を聞かず、日だまりの椅子で居眠りをしているワンダだけが残されている。サウディードの中ももはや完全に安全とは言い難いのだ。襲撃いらい、アルウィンが一人にされることは無くなっていた。普段は頼りないにせよ、獣人の聴覚と嗅覚なら、一応は、付添いにはもってこいなのだった。
「ぐぅー…すぴー…」
気持ちよさそうに眠っている毛むくじゃらの顔を眺めて微笑むと、アルウィンも、枕に身を預けて目を閉じた。
今は、出発に備えて少しでも体力を戻しておきたかった。
部屋を出た後、ウィラーフは、黙ったままのシェラのほうをちらりと見やった。
「珍しく大人しいな。どうした」
「ちょっとね。…ルグルブの力について考えていたの。未来が変えられないものなら、どうしして未来を視る力なんてあるんだろう。って」
「お前の視た不吉な未来とやらか」
はあ、と小さくため息をつく。
「馬鹿馬鹿しい。未来が決まっているなどあり得ない。確かに、五百年前の戦争では予言者のような人物も重用されたというが、神話やお伽噺の類だろう。今の時代にそんなものあり得ない」
「だと、いいんだけど…」
シェラは足を止めた。
「ねえ、ウィラーフ。あなたは、死なないでね?」
「…は?」
冗談かと振り返ったウィラーフは、シェラが笑っていないのに気がついた。吸い込まれるような深い藍色の眼差しが、じっと見つめている。
「何だ。藪から棒に」
「ルグルブの予言よ。あたし、誰かを死なせることになっているの。…だから、それがあなたじゃなきゃいいのに、って思って」
死は等しく世界にあまねき、その平等な手は、いつ誰を連れて行くか判らない。若い者も、老いたる者も、いつかはその手に捕まえられる。
「馬鹿馬鹿しい。」
ウィラーフは、ふいと顔をそらして言った。
「剣をとる以上、いつどんな時に死ぬとも限らん。その覚悟の無い者は、騎士になどなれない」
「そういう意味じゃなくて…」
「騎士には、”死に時”というものが決まっている。それに相応しい時に私が死んだとしても、お前のせいではない。」
ぶっきらぼうに言って、ウィラーフは、ふいと背を向けた。
「つまらんことを言っていないで、庭で花でも見て来い。お前がそんな顔をしていたら、アルウィン様が気にするだけだ。」
一応は気遣ってくれているのだろうが、相変わらず言い方も口調もつっけんどんだ。だがシェラも、今では、彼が感情面でひどく不器用なのだということに気づいている。
「まったく、相変わらずよね…。」
苦笑しながら、彼女はウィラーフと別れ、渡り廊下のほうに向かってあるき出した。
宿舎の中庭を通る勇気は、まだ無かった。
血まみれになった敷石や芝生は綺麗に洗い流されたはずだが、ほんの少し前、そこには細身の青年の屍が横たわっていたのだ。半ば事故のようなものとはいえ、人が殺された場所。それも殺めてしまったのが今まで一緒に旅をしていた少年だという事実は、いまだ心の中に重くのしかかっていた。
庭園に降りたところで、シェラは、ベンチに腰を下ろしてしょんぼりしているクリスに気がついた。
いつもなら忙しく走り回っているはずの彼女が、昼間からじっとしているとは、珍しい。
「何してるの、こんなところで」
「あ。シェラさん…」
シェラは少女の隣に腰を下ろす。
「アルウィンのこと? 心配しなくても、こっそり視てたくらいであなたのこと嫌いになったりしないと思うわよ」
「…そうじゃないんです。…私」
唐突に、クリスはぽろぽろと涙を零した。
「直前まで、ランディの持ち物から行動を追ってたんです。騎士団長から連絡が来てたことも、何か受け取ったことも知ってたし、ベッドの下に武器を隠してることも知ってました。なのにアル君を直接、狙いに行くなんて想像もしてなくて。…臆病者だから、絶対そんなこと出来ないって思い込んでた。もし、あの時、死んじゃったのがアル君だったら…」
「泣かないで。あなたのせいじゃないんだから」
「だって… だって」
声を上げてしゃくり上げながら、少女は、掠れた声で呟いた。
「もし、あの時、少しでも未来が視えてたら…」
「?!」
シェラは、不意打ちで胸を刺されたような思いがした。
「私、ルグルブっていっても谷を出て三代目だし、そんなに力強くないし…。練習したけど、町の中しか見えないし…先のことなんて視えない。」
「それが普通よ。故郷の仲間たちだって、未来が視える人はほとんど居ない。それに…未来を視るのは、とても難しいわ。辛いことだって多いし」
「だけど…」
泣きはらした深い藍色の瞳は、同じ色をしたシェラの瞳を見上げる。
「その力があれば、アル君は傷つかなくてすんだですよね?」
瞳の中に映る自分の姿。未来を恐れないかつての自分の姿と、未来を恐れる今の自分。
「――。」
出来ることがあるのに、どうして手を出さずに迷っているのだろう。恐れて立ち止まって、それでもし、何かを失ってしまったら?
アルウィンも、ウィラーフも、ワンダも、…それにシドレク王や護衛のデイフレヴンも、今までの旅で出会った人々も、誰ひとり失いたくない。直接の知り合いで無かったとしても、もうこれ以上、誰かが死ぬところを間近で見るのは、嫌だ。
「行かなくちゃ、あたし」
シェラは、立ち上がった。
「シェラ、さん?」
「ありがとう、クリス。」
何かを決意したように去ってゆくシェラを、クリスは潤んだ瞳のまま見送っていた。
それから少し後、メイザンのもとを訪れたシェラの手の中には、”黄金の樹”の紋章があった。
アルウィンに頼んで借りてきたものだ。何に使うのか、とは詳しく聞かれなかった。彼女がそれを手にするのは、これで二度目だった。
「いいのかね?立会人がわしで」
「ええ。他に適任はいないもの。」
シェラはメイザンの研究室の床の真ん中に座っていた。傍らにはメイザンがメモを手に控え、扉には鍵がかけられ、「重要研究中! ノック・立ち入り厳禁!!」の張り紙がしてある。
「ふむ。しかし、ルグルブの未来視の力か…伝説的なものかと思っていたが」
「…あたしも、試す日は二度と来ないと思ってた。久しぶりだから巧くいくかどうかは判らないわ」
ひとつに纏めた長い髪は、波のように揺らめきながら背に流れている。
「あたしの意識が混濁状態になったら、たぶん何かしゃべると思うから書き留めて。目覚めた時は、自分ではほとんど覚えてないのよ。」
「分かった。」
メイザンがうなづくのを見て、シェラは瞳を閉じた。意識を集中させ、いつもより深く、意識に浮かぶ景色のさらなる奥へ沈んでいく。
――クリスの眼差しは、かつての自分に良く似ていた。
無邪気に幸せを信じ、己の力で何でも出来ると思い上がっていた、あの頃。
人並みの少女のように、よくある架空の恋物語に胸をときめかせ、いつか素敵な恋人と出会うことを夢見て自分の未来を予言した。その結果は、無残なものだった。
恋人を死なせることになると知ったとき、彼女は、自らの未来に希望を持つことを止めた。
そして、未来を視る力は自分の意志では二度と使うまいと固く誓ったのだった。
自分が不幸になると知ることが、怖かった。
知らなければ幸せなままでいられると、思い込もうとしていた。
未来は…変えられないものだと無意識に諦めていた。
クリスは違った。知っていれば、ランディがリゼルを襲うことも、ランディの死をリゼルが負うことも無かったはずだと、彼女の瞳は言っていた。
(大切な人たちの力になりたいの)
時は進まない。無意識に湧き上がる恐れが、その先に行かせまいとしている。彼女は、自分自身に言い聞かせた。
(これ以上、誰かに悲しみを背負ってほしくない)
時計の針は、少しずつ、前へ進み始める。
浮かんできたのは何故か、いつもの無愛想なウィラーフの横顔だった。けれど、その顔も流れて、新たに浮かんできた景色に溶けてゆく。
どのくらいの時間が経ったのか。
我に返ったとき、シェラは、自分がソファに深々と座っているのを発見した。
「目が覚めたかね。」
顔を上げると目の前に、淹れたてのお茶が熱い湯気をくゆらせている。向かいにはメイザンがお茶をすすっている。部屋は薄暗かった。ランプがひとつ、の机の端に置かれている。
「…うまくいったのね?」
「うむ。興味深いものを見せてもらった。ルグルブの未来予知、まさか神聖語で喋り出すとはな」
「意識の奥底にある母国語で喋るの」
と、シェラ。
「ルグルブの力は、遠い祖先の血を呼び覚まして使うものだから。」
「ふむ。成程…」
「あの――」
シェラは、じれったそうに身を乗り出した。「それで。あたし、何て?」
「……。」
メイザンは、重たい表情で走り書きのされたメモを差し出した。
シェラは一瞬ひるんだが、意を決して、メモの束を取り上げた。そこには、神聖文字の走り書きで、単語が書き連ねられていた。
// 北の大地に 災いの樹が育つ
// すべての樹々を枯らし大地を割るもの
// クローナは炎に包まれる
// 王は倒れ 盾なき黄金の樹は二度と立ち上がらない
「…!」
「王の死だ。お前さんが予言したものは」
シェラは震える手で紙を捲る。
// 七つ目の言葉は白銀の木の根本
// 繋ぐものが隠している
// 彼は守る 古の記憶
// エリュシオンへと至る道
// 戦の終わりを告げた剣は
// 再びその役目につくだろう
「すまん、それで三分の一くらいだ。早口だったし、さすがに神聖語を聞きながらすらすら翻訳できるほど、わしも通じておらんのでな」
「いえ…これで十分よ。」
メモを起き、シェラは、震えている自分の肩を抱いた。
「シドレク王の身に危険が迫っているというのは、事実のようだ」
「ええ。――どうしよう。こんなこと…私…。」
「問題は、この予言が”いつ”なのか――だ。少なくとも、今はまだ実現されていない。直近というわけでもない。でなければ”予言”としては成立せんからな」
さすがに年の功というべきか、メイザンは落ち着き払っている。
「聞き取れた部分だけだが、シドレク様が命を落とすのは、クローナが炎に包まれる時だ。逆に言えば、その前にクローナへ行けば、来たるべき未来を変えられるかもしれない。
――気になるのは、”七つ目の言葉”という部分だな。”エリュシオンへと至る道”。エリュシオンが何なのか、どこにあるのか、クローナにある詩の断片の中に書かれているはずだという予言だ。ということは、それが見つけられないうちは、王は殺されないはずだ」
「ということは…あっ」
シェラは、さっきまで握りしめていた紋章に視線をやった。
これまでの詩のほとんどは、”黄金の樹”の紋章に嵌め込まれた宝石と関わりがあった。ランディが紋章を奪おうと襲って来たということは、最後の詩を手に入れるためにも、鍵が必要なのかもしれない。
だとすれば、これが奪われない限りは、王も、”エサルの導き手”たちも、詩の内容にたどり着けない。
「この紋章をクローナに持っていく、その時まで…まだ、希望はあるってことですね。」
メイザンは、小さく呟いた。
「未来はまだ確定してはおらんのだ。どちらが先に辿り着くのか。そこが別れ道だ」
「あたし、アルウィンたちに話してきます」
立ち上がるシェラの背後から、メイザンの声が追いかけて来る。
「しかし驚いたよ。本当に、自分の意思で未来を視られるルグルブが、まだ居たとはな」
「……。」
扉の前で、彼女は足を止めた。
「ライラエルほどの力はないわ。」
藍色の影が静かに外に消え、そのあとに、剥がれた「ノック・立ち入り厳禁!!」の張り紙が落ちていた。
翌日、アルウィンたちはメイザンの用意してくれた馬を駆ってサウディードを出発した。
ゆっくりしていられる時間はもう、無かった。王の身に危険が迫っていることが確実になり、東方騎士団が謀反に加担していることも明らかになった。東方騎士団長アレクシス・ローエンは、ほどなくして、サウディードに送り込んだ息子の一人が命を落としたことを知るだろう。そしてサウディードは、それ単体で要塞としての機能を持つ町とはいえども、周囲を東方騎士団の管轄地に囲まれているのだ。
「この町のことは心配ない。他に間者と疑われる者はおらんし、オーサもいる。そう簡単に侵入を許す場所でもない。」
出発の準備を整えた四人を前に、メイザンはきびきびと助言を与える。
「これまでに分かったことを教えておく。詩の断片にあった”イルネスの中つ大地”という言葉だが―― 場所はここだ」
地図を広げ、メイザンは一点にペンで丸をつけた。旧エスタード領と、今では北方騎士団の管轄地となっている地域のちょうど中間に位置する山脈のはざま。「死の海」と書かれている。
「ここって、”竜の谷”じゃないですか?」
と、シェラ。
「セノラの東ですね」
「そう、今や毒霧のせいで人もよりつかん未踏の地。五百年前の”統一戦争”の最終決戦地。初代王イェルムンレクが最期を迎えたとされる場所でもある。ただし、そこに”エリュシオン”があるとは限らんぞ。最後の詩を見つけるまでは、慎重に行動することだ。」
「だけど、場所が分からないわ。『白銀の木の根本、繋ぐものが隠している』なんて…どこなのかしら」
「多分判る」
と、アルウィン。
「あそこだろうな」
ウィラーフも応じた。
「え?!これだけでもう分かるの?」
「ああ。シェラのお陰だよ。」
「――もうひとつ、伝えておかねばならんことがある」
メイザンは、指で眼鏡を押し上げ、声を殺した。
「アストゥールの初代王は、後継者を指名せずに死んだ。王には多くの息子や娘たちがいたが、そのほとんどは戦場に倒れたという。幾つかの断片的な哀悼歌が残されているが、…その中に、王の身内として”エサル”という名が出てくるものがある。エサルは、生き残った王の長男の息子…つまり孫の名前だと考えられておる」
「”エサルの導き手”…そういう意味か…。では、オウミたちは、その内容を知っていたと」
「おそらくな。アスタラにも似た伝承が伝わっているのかもしれない。王国の歴史にはその名は残されていない。イェルムンレクの跡を継いだのは、よく知られているとおり末息子のロランだった」
「エサルはどうなったのかしら。哀悼歌に出てくるのなら、戦争が終わった時にはまだ、生きていたんでしょう?」
「さあて…。歌は何も伝えない。ローレンスが借り出そうとしていた古文書が残されていれば、分かったかもしれんが。」
語り終えて、メイザンはひとつ、息をついた。
「わしに教えてやれることは、このくらいだ。あとは――お前たち次第」
「ありがとうございます、メイザン先生。」
アルウィンは頭を下げ、馬に飛び乗ろうとする。
「アルウィン」
馬上にある彼を呼び止めて、メイザンは、後ろに控えていたクリスのほうに視線で合図した。クリスはこくりと頷くと、抱えていた細長い包みを彼に差し出した。
「これを持って言って下さい」
何重にも布に巻かれ、きつく革紐で縛られた細長いもの。
アルウィンは一瞬、戸惑うような顔をした。
「しかし、これは――。」
「無論、王の許可はまだ得ておらん。わしの独断だ。だが、この先はきっと、これが必要になる。シドレク様のためにも、お前自身の身を守るためにも。」
「――。」
逡巡のすえ、彼は、ようやくそれを受け取ると、師に向かって深々と頭を下げた。
「では、行ってまいります」
階段の上には、オーサをはじめ、サウディードの数多くの職員が見送りに出てきている。クリスから、アルウィンたちが出発すると聞いて自発的にやってきたのだという。
「アル君!また戻ってくるのよ。絶対だからー!」
クリスの声は、すでに涙まじりになっている。
「アルウィン! しっかりやんなさいよ!」
階段の上では、逞しい守護女神が笑顔で手を振っている。
彼らがどこまで事情を知らされているかは分からない。ただ、言えることは――ここに集まった全員が、彼の旅路を案じているということ。かつてここで過ごした二年の間に築いた信頼の証でもあったのだ。
サウディードが見えなくなるところまで馬を進めても、アルウィンは、まだ細長い包みを開くべきかどうか迷っているようだった。隣のシェラの馬上から身を乗り出したワンダが、くんくんと鼻を鳴らす。
「食べ物じゃないな…それ、なんだ?」
「…剣だよ。クローナの家に伝わってた古い剣。名前は、”ファンダウルス”。」
「え、それが? 詩にあったやつ?」
「同じものかどうかは…分からないけどね」
革紐を外し、布を剥がすと、中から銀色に輝く優美なもち手があらわになる。
「これは代々クローナに伝えられた品であり、先代クローナ領主の死の瞬間にも、その手にあったもの。そして、――初めてシドレク王の前に立ったとき、おれが、恭順の誓いのため王に差し出した剣だ。」
彼が剣を帯びて戦場に立ったのは、今までに、その、ただ一度だけだった。
―第五章へ続く
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