第25話 裏切りの黒い刃

 メイザンへの報告は、何故かシェラに任された。ウィラーフが、アルウィンを気遣って側についていたいと言ったからだ。

 朝、話をしてからまだ数時間しか経っていない。アルウィンが倒れた、という報告を持っていくと、メイザンは怪訝そうな顔をして顎髭をしごいた。

 「ふむ? 今朝はあんなに元気そうだったのだが…何やら、オーサとも訓練しておっただろう」

 「そうなんですよ。今朝までは元気だったんです。だけど今は酷い熱で…。クリスにお医者様を手配していただきましたし、今の所は落ち着いています」

 「それなら良いのだが。」

 「あと、王様からの伝言が」

シェラは、焦げた三本目の書簡を差し出した。本来は部外者に預けるはずのないものを預けたということは、ウィラーフは相当、動揺していたのに違いない。

 メイザンは、書簡の走り書きを眺め、小さく唸った。

 「七つ目の詩、か…。」

 「どういうことなんでしょう? 今朝の話では、詩を持っているのは、初期に同盟した五つの部族、という話でしたよね。本当に、クローナにも詩があるんでしょうか。七つ目、ってことは、アスタラ以外にももうひとつ、北の地にあるってことなんですよね」

 「……。」

老学者は、難しい顔で沈黙している。 

 「長年、王が疑問に思われていたことが、まさか、な」

 「…どういうことなんですか?」

 「『銀の王家』だ。もしかしたら詩は、二つの王家と五つの部族の間で分けられたのではないかと、わしは思うのだ」

苦く、重々しい言葉だった。

 「だとすれば、クローナは王家から別れた一部であったというクローナ側の伝承が正しく、今の王家に伝えられた伝承は、一部が抹消されていることになる。

 …ずっとそれを疑って来た。そして恐れてもいた。もしもそうならば、クローナを『王家を僭称する逆賊』と断罪し、この百年、いかにして特権を削ぐかに腐心してきた王国議会の方針はどうなる? クローナが王家の一部である可能性は低い、一切の証拠が見当たらないと上梓したサウディードの研究者の立場はどうなる? まさか、こんな形で反論を…真実を突きつけられることになろうとはな」

深い溜息とともに、メイザンは、大きな手で額を拭った。

 「アルウィンが一番、辛いだろう。あの子は伝承を疑い、根拠なき誇りよりも現実を取ろうとした。過去を忘れることでクローナの新たな未来を模索しようとしていた。クローナ領主家の財産総てを差し出した時、イェルムンレクの剣と伝えられていたファンダウルスさえ手放したのだ。それなのに」

 「……。」

シェラは、黙って聞いていた。

 この老学者の嘆きのほとんどは理解が追いつけていなかったが、おぼろげに、これまで信じられていたアストゥールの歴史が間違っていたことだけは理解した。

 かつてこの国には、本当に二つの王家があったのだ。けれど時の流れの中、いつしか片方は記録の中から消し去られ、五百年の内に誰にも正確な由来がわからなくなり、そして、何かの切っ掛けで互いに憎み合うようになってしまった。


 その結果が、五年前に起きた”白銀戦争”の悲劇なのだ。


 「もしも――記録が消されていなければ、戦争は起きなかったかもしれないんですよね」

 「そうだな…だが、その場合は、国を二分する争いが起きていた可能性もある。そもそも、なぜ王家が二つに別れたのか。なぜ銀の王家の記録を抹消せねばならなかったのか。過去の出来事に”もしも”は存在しない。出来ることは今より先、最善を尽くすことだけだ。」

顔を上げ、メイザンは気を取り直したように言った。

 「ともかく、今はアルウィンの体調が優先だ。その間に、わしのほうでも調べられることは調べておこう。」

 「よろしくお願いします。」

話を終えてメイザンの部屋を出た後、シェラは、ひとつため息をついた。

 クローナへ向かったシドレクのことも心配だし、手紙が焦げていたうえに走り書きが一行だけということは、すでに何か問題が起きていて、大急ぎで連絡を放ったのだろう。

 だが、心配しても仕方がない。手紙が放たれたのはもう何日も前のことだろうし、向かったはずのクローナへは、ここからではアストゥールの国の半分以上を踏破していくことになる。

 (ワンダたちの村で襲われたのは数日前。船で逃げたんだし、海からじゃ遠回りのはずよね。…大丈夫。まだ、間に合うはずよ)


 アルウィンの部屋をノックすると、ウィラーフが顔を出した。

 「アルウィンの様子は、どう?」

 「今は眠っている。薬も飲んだ、しばらくして熱が下がってくれば大丈夫だと医者は言っていた」

 「…そう」

ウィラーフはどこか不安げな顔をしつつ、気丈さを保っている。

 「メイザン先生への報告は終わったわ。アルウィンが元気になるまでに出来ることは調べておいてくれるって」

 「…そうか」

 「ねえ、ウィラーフ、その…」

何かを尋ねたいのに、適切な言葉が出て来ない。

 「その、王様は強いんだし、きっと、大丈夫よね? 前のときだって、追っ手が居たのに、何事もなかったみたいにふらっと遺跡の最深部に現れたりしてたし。」

 「勿論だ。デイフレヴンもいる。騎士団最強の男がついていれば、相手が何十人だろうと心配ない」

 「…うん」

なのに何故か、不安が消えない。

 シェラの表情に気づいて、彼は、小さく息をついた。

 「なぜお前がそんな顔をしている? 予言のことを気にしているのか。王に何か起きたとしても、お前の責任ではない。」

 「そういうわけじゃ…」 

 「今すぐ北へ向かったとして、クローナまでは最短でも二週間はかかる。焦ってどうにかなる問題でもない。それよりお前は、あれをどうにかしてくれ」

 「”あれ”?」

ウィラーフは、部屋の隅で丸まって、ぐうぐういびきをかいている毛玉のような獣人を指差していた。

 「付き添いをする、と言っていたくせに、あのざまだ。一人で放り出すのも忍びないとはいえ、こういびきをかかれては気に触る」

 「あはは…。相変わらずね、ワンダは」

苦笑しながら、シェラは部屋の中に入ってワンダを揺り起こした。

 「ワンダ、ワンダってば。起きて、昼ごはん食べにいきましょ」

 「ふにゃ?! …ごはん?」

 「そう」

シェラは、ちらとウィラーフのほうを見て小さく頷くと、そのまま、ワンダを連れて外へ出ていった。

 ベッドには、額に氷を乗せたアルウィンが、赤い顔をして苦しそうに眠っていた。




 浅い眠りの中で、よく分からない夢をいくつも見ていた気がする。

 汗だくになりながら目を開けた時、辺りはすでに真っ暗で、しんと静まり返っていた。小さなランプの灯が、ベッドとは反対側の部屋の隅に、ぽつりと灯っているのが見えた。

 「…お目覚めですか」

その光の側で、ウィラーフが立ち上がるのが見えた。

 「お加減は? 水を飲みますか」

 「うん、…ありがとう」

差し出された水を受け取ると、ウィラーフが片手をアルウィンの額に当てた。

 「だいぶ熱は下がりましたね。このまま何もなければ、数日もすれば動けるようになりますよ」

 「数日、か…。」

水を飲み干したコップを手に、彼は、少し表情を曇らせた。

 「こんな時に、時間を無駄にしてしまうなんて」

 「悪い選択ではないと思います。やみくもにクローナに向かった所で、どこで何をすればいいかも分かりません。レトラの詩も、解読されたとはいえ、言葉の意味にはいまだ、分からないことが多すぎます」

 「……。確かに、そうかもしれない」

”エリュシオン”のことだけではない。そもそも、あの詩は一体、何を伝えようとしていたのだろう。ただの古い伝承なら、わざと隠しておかなければならない理由は無いはずだ。

 考えられる理由は一つ。

 限られた者にだけ伝えたい何かがあった、ということ。

 それは、もしかしたら、ハザル人の土地に隠されていたクロン鉱石の坑道のように、迂闊に人が手を出してはならないものが原因なのかもしれない。

 アルウィンの考え込んでいる様子に気づいたウィラーフは、水差しを差し出した。

 「水をもう一杯、飲みますか」

頷いて、彼は窓の方を見やる。

 「もう夜なんだな」

 「ええ。丸一日、よく眠っておられましたよ」

 「…久しぶりに、父上の夢を見た気がする」

ウィラーフは、思わず水を注ぐ手を止めた。

 「エリオット様の…」

 「ウィラーフは知ってると思うだろうけど、おれは、父上が苦手だったんだ。家系がどうの、由緒正しい何とかだの、正直、全部作り話なんだと思って聞き流してた。だけどこんなことになるなら、もっと、ちゃんと話しておけば良かった。」

 「……。」

 「何の根拠もない伝承なんて信じられるわけがなかった。それなのに、本当は…」

少年は、片手で目尻を拭った。暗がりの中、表情ははっきりと見えなくても、掠れた声だけは分かる。

 静かに水差しを置いて、ウィラーフは口を開いた。

 「私も、父のことは苦手でしたよ。誇り高いクローナの領主家と、その領主家に仕える格式張った騎士の家系。…父は私にとって、何一つ逆らえない絶対の権力者でした。一挙一動に至るまで、こうあるべきだという型を押し付けられて、息苦しかった。それが嫌で、中央の―― 宮廷騎士団に志願したんです」

 「そうだったのか」

 「ですが、今にして思えば父は父なりに、職務を忠実に果たそうとしていただけだった。もしもクローナの領主家の名乗る『銀の王家』の名が事実だったのなら、父もまた今の私と同じ、『王とその家族を守る』近衛騎士だったのです。――父に逆らって家を出たくせに、結局、私は、父と同じ道を選んでいたんです」

小さなため息をつき、ウィラーフは、闇の中で背を向けた。

 互いの顔が見えないからこそ打ち明けられる本音もある。

 静かな夜の中で、二人は、同じことを考えていた。


 もしも――クローナの伝承が総て本当なのだとしたら。

 もしも――それを五年前のあの時、知っていたら、どう振る舞っていた?


 「…まだ本調子ではないのでしょう。もう少し、休まれたほうがいいと思います。まだ食堂はやっていそうですから、何か消化に良いものをもらってきますよ」

 「うん、ありがとう」

ウィラーフが部屋を出ていく。

 アルウィンは、コップを枕元に置いて少し横になることにした。じっとしていると、様々な考えが頭の中を飛び交い、収拾がつかなくなる。今までに知ることの出来た詩の内容が、単語となって頭の中を飛び交っている。




 眠っているとも起きているともつかない、朧気な静けさの中、ふと、誰かの気配を感じて目を開けた。

 枕元のほうで何か、ゴソゴソと探るような音がしている。

 「…誰だ?」

物音が止まった。引き出しを開けようとしていた人影が、こちらを伺っているのが判る。ウィラーフではない。彼ならば、黙っているはずはないからだ。

 アルウィンは、まだ熱の残るぼんやりした頭で暗がりに目を凝らした。

 ローブらしき服装と、細身の身体。――見覚えのある輪郭だ。誰なのか、知っている…

 暗がりの中で、かすかな金属音がした。喉元に硬い切っ先が突きつけられる。

 「”黄金の樹”の紋章は、どこだ。」

低い声が耳元に囁いた。「どこに隠した」

 アルウィンは、冷静に相手の手元を見下ろした。真っ黒な刃だった。光を一切反射しない、漆黒の小型の刃。表面には美しい波のような模様が浮かんでいる。ハザル人の手によるものに間違いない。

 「何故、こんなことを…」

呟くアルウィンの髪が、乱暴に掴まれる。

 「言え! 紋章は、どこにある」

ナイフを持つ手元には、見慣れたくすんだ色の袖が揺れている。どんなに強がっても、慣れない行為に声は上ずり、たったこれだけの運動で、ひ弱な身体は悲鳴を上げて喘いでいる。

 「紋章を手に入れてどうする? おれが持ってると、なぜ知っているんだ。…ランディ」

名を呼ばれ、相手がひるんだ。

 「指示を出したのは、東方騎士団なのか? だとすれば、本当に東方騎士団は”エサルの導き手”と協力しあってるのか。…紋章が必要なのは、クローナで使うためなのか?」

 「……。」

返事はない。

 「まさか、目的を知らされずにこんなことを? それじゃまるで、使い捨て――」

 「違う!」

ランディは、アルウィンの頭を荒々しく放り出し、今度は胸ぐらを掴んだ。

 「”エリュシオン”を手に入れるためだ! アストゥールなどに渡してたまるものか…あれはエスタードが手に入れる。さあ、早く言え! さもなければ、殺すぞ」

 「――おれを殺せば、お前もただでは済まない」

 「構うものか。こんな町、すぐに逃げ出せる。気づかれる前に出ていけばいい。そうさ、――僕なら出来る。僕なら…」

ぶつぶつと、繰り返すように呟くランディの口調は、まるで、自分自身を鼓舞しているかのようだ。無理もない。いくら暗がりの中で顔が見えないとはいえ、顔見知りをいきなり殺すなど、普通の人間には容易いことではない。


 ランディの僅かな隙をついて、アルウィンは毛布をはねのけ、今の自分に出来る限りの俊敏な動作で部屋の扉に向かって走り出した。

 「誰か!誰か来てくれ!」

声をあげながら扉に飛びつくが、何かがつっかえて開かない。――見ると、部屋の内側に机と椅子が積み上げてある。振り返ると、ナイフを振りかざした鬼の形相で飛び掛ってくる青年が見える。

 熱のせいで、家具を退けるだけの力は出せなかった。

 アルウィンは危ういところで脇に避け、よろめきながら反対側の窓へ向かった。まだ熱の残る体は、思うように動かない。よろめき、サイドテーブルにぶつかったはずみにウィラーフの置いていった水差しが床に落ち、甲高い音をたてて砕け散る。

 「お前だけでも!」

ランディは鬼のような形相で、尚も飛び掛ってくる。ぜいぜい、はあはあという喘ぐような呼吸の音が痛ましく、これでは、どちらが追い詰められているのか分からないほどだ。

 普段ならこの程度は難なく躱せるはずなのに、今のアルウィンには、致命傷を負わないよう逃げまわるのがやっとだった。

 「アルウィン? どうしたの?」

背後で、扉を叩く音がする。シェラだ。

 「内側にテーブルと椅子が積まれてる。体当たりして開けてくれ!」

 「え? …う、うん。分かった、ワンダ!」

 「わっふう!」

どん、と獣人のワンダの体当りする重たい音が響いてくる。騒ぎを聞きつけて、他の人々も集まってきたらしい。

 「どうした、何があった」

 「アルウィンが閉じ込められてるの。中で何か…」

 「いくぞ、わっふう!」

扉の内側に積まれた家具が、少しずつ動き始めた。もう少しで人が通れるくらいの隙間は出来るだろう。

 だが、それまでランディの攻撃をかわし続けていられるかどうか。


 アルウィンは、窓の向こうにある中庭に面した小さなテラスに飛び出した。

 素足に、夜に冷えた石の冷たさが伝わってくる。ランディは、彼を追って月明かりの下に姿を現した。手にした、光を反射しない黒い短剣が、薄暗がりの中で闇を固めたように際立っている。

 「たとえおれを殺しても、もう逃げられないぞ、ランディ」

 「……。」

背中にベランダの手すりの感触を感じながら、アルウィンは、目の前の青年を見つめた。ここは二階、すぐ下は芝生の中庭だ。飛び降りれば逃げられるかもしれないが、今の体調では、満足に着地できそうにない。

 「何故なんだ。何故、こんなことを? 誰に命じられたんだ」

 「…父だ」

全ての光を呑みこむような、漆黒の刃が近づいて来る。

 「僕はずっと、父のために働いてきた。君がここへ来る前からね。騎士団でも簡単には入り込めないこの場所を内部から探るため。いざという時に役に立つため。――僕は、そのために送り込まれた」

 「東方騎士団は…、そんなに昔から王を裏切る計画を立てていたのか? だとしたら、それに手を貸せば反逆者になってしまう」

 「クローナのお前に言われたくない!」

ランディは、アルウィンの喉元めがけて刃を突き出した。見た目よりも細いランディの腕と、それを抑える病み上がりのアルウィンの腕と。互いに一歩も引かないまま、二人の力は拮抗していた。

 「お前に”エリュシオン”は渡さないぞ。裏切り者のクローナ人にも、その裏切り者にそそのかされた偽王にも、渡さない!」

 「なぜ、そこまでこだわる? ”エリュシオン”とは、一体――。ただの古遺物じゃないのか?」

ランディの目が燃え上がった。アルウィンの手を払いのけ、普段のひ弱そうなランディからは想像もつかないほどの頭突きを食らわせてきた。

 「くっ…」

目の前に星が飛び散る。よろめくアルウィンの体に、次の瞬間、焼けつくような痛みが走った。

 「まことの王の証だ、あれは! 僕らは五百年、偽りの王に仕えて耐えてきた。でももう、それも終わりだ。僕らは取り戻す――自分たちの国を取り戻す!」

とっさに体をずらしたお陰で、急所はそれている。それでも、ハザルの業物の刃はシャツをやすやすと切り裂き、肉を傷つけていた。滲み出す血で見る間に赤く染まる。

 「国って、エスタード帝国? 滅びて五百年も経っているんだぞ。王も、王族も、もう残っていない。正気なのか…」

 「エスタードの志を継ぐ者たちは生きている。アストゥールの屈辱的な支配はもう終わりだ。あの、汚らしいレトラや、下賤な連中とも平等だと? 権利を守れ? ふざけたことを! 綺麗事で人気取りばかりしている、まやかしの王め。我々は誇りを忘れない。エスタード貴族の誇りを! 帝国に栄光あれ!」

渾身の力をこめて、ランディが襲いかかってくる。もう後がない。アルウィンは、死を覚悟しながら自分もランディに向かっていった。短剣を払いのけ、その体に突進する――

 「アルウィン様!」

ちょうどその時、ウィラーフやワンダたちがなだれ込んできた。

 彼らが見たものは、ベランダでもみ合っていた二つの影のうち一方が、跳ね飛ばされて手すりの向こうに舞う瞬間だった。手足を広げたまま、夜の空に吸い込まれていく。もう一方は手すりの内側に崩れ落ちる。

 「アルウィン!」

 「アル君!」

シェラとクリスが同時に走り寄る。

 ベランダに残ったのは、彼らの良く知るほう。側には、血に染まった漆黒のナイフが転がっている。

 「見せてください」

ウィラーフは慣れた手つきでアルウィンの脇腹の傷を調べ、ほっとした表情になる。

 「大したことありませんね。良かった…」

すべての力を使いきっていたアルウィンの意識は、もう、白濁した世界の中に吸い込まれようとしている。

 「…っ」

手すりの下を覗き込んだクリスが、思わず小さく声を上げ、目を背けた。

 赤い血溜まりが広がりつつある。

 受け身を取ることも出来ず、まともに頭から落ちたランディの身体は、ちょうど芝生と敷石の間に歪んで落ちていた。ぴくりとも動かず、光を失いつある瞳は虚空を見つめている。


 ウィラーフに抱え上げられながら、アルウィンはなんとか口を開いた。

 「…ランディは?」

 「……。」

彼は唇をきつくむすび、押し殺したように一言だけ、答えた。

 「気にされぬことです。今は、休んでください」

その一言で、アルウィンは結末を悟ったようだ。

 「初めて人を死なせた…」

震える小さな声。

 「――それが友人だったなんて、…最悪だ。」

 ウィラーフは、アルウィンの体をベッドに戻しながら囁いた。

 「私も――初めて殺したのは、かつての友人でした。」

五年前、クローナで。

 時が流れ、その手の感触は薄れても、胸の傷は今も癒えることはない。


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