第27話 白銀のクローナ
吐く息が白い。
空は寒々と曇り、太陽は分厚い雲の向こうに隠れている。
シェラは、コートの裾をかき寄せた。こんな寒さは南国育ちの彼女にとって生まれて初めてだ。
「うー、さむいー」
自前の毛皮に包まれているワンダまで、コートにくるまってガタガタ震えている。
「ワンダ、あなた寒さ大丈夫なんじゃないの」
「無理ー。ワンダの住んでたとこ、こんな寒くないー」
学術都市サウディードをあとに一行が辿ったのは、王国の南北を貫く二本の街道のうちの一本、レミリア街道沿いに北へ向かう道だった。そうすれば、あのローエンが団長を務める東方騎士団の管轄ではなく、すぐに北方騎士団の管轄地に入れるからだった。
北方騎士団は、ウィラーフ曰く、「他の騎士団よりは扱いが楽でいい」らしいが、そのぶん「押しが弱い」という。
アストゥール王国の北のほうは、五百年前に王国の一部となるまでは小国の集まりだった。騎士団が作られたのは王国に併合されたのち随分経ってからのことで、それも各地方から人が集まってできたため、今でも寄せ集め感があるという。
そんな北方の地に踏み込んで、北へ向かうごとに寒さは増して行った。やがて山々に白い雪化粧が見えはじめ、草木にも氷の粒がきらめくようになった。まだ冬の初めだというのにこれでは、先が思いやられる。
二人で震えながら待っているところに、ウィラーフとアルウィンが戻ってきた。
「お帰りなさい、どうだった?」
「報告は飛ばしてきた。ただ、無事に届くかどうか。」
「王都からは?」
「何も。サウディードからも特に来ていなかった」
立ち寄ったのは、目的地クローナの手前にある街道沿いの町、フラニス。そこには王と限られた王直属の人々だけが使用する「連絡網」と呼ばれる伝書鳩の中継地点があり、王都との連絡をやり取りをすることが出来る。
「ただ、アンセルムスに何が起きたのかは、分かった」
と、ウィラーフ。
サウディードで受け取ったシドレク王からの書簡は、連絡網のある町の一つで、王都リーデンハイゼルから一日ほどの距離にあるアンセルムスから飛ばされていた。その手紙が焼け焦げていたのが気がかりだったのだ。
「塔は、原因不明の火災で焼け落ちた。番人は火災で死亡、ただし外傷が認められた。おそらく人為的な放火だろうと」
「そう。…」
サウディードを経って既に二週間。アンセルムスが焼け落ちたのは、三週間近く前。王が姿を消したのはその頃のはず。本来なら、王都はとっくに大騒ぎになっていなければならない。
「大丈夫なのかしら。王様がそんなに長いこと行方不明で」
「大丈夫、ではないだろうな」
ウィラーフは渋い顔だ。
「ギノヴェーア王女が何か誤魔化しているかもしれないが、勘の良い者は気づくだろうな。あらぬ噂でも立っていなければいいのだが」
「今は、心配しても仕方ないさ。それだけ重要な…シドレク様にとって…何かが見つかったんだと思う」
そう言って、アルウィンは休みもせず馬に飛び乗った。
「それじゃ、行こうか」
シェラは、彼を気遣うように見上げる。
「体はもう、大丈夫なの? それに、その格好――寒くない?」
分厚いコートに襟巻き、手袋というシェラやワンダの格好に比べ、アルウィンは、それほど着込んでいるようにも見受けられない。
「寒いのは慣れてるよ。もともと、こっちの出身だし」
「無理はしないでよね」
危うく殺されかけてから、そしてかつての友人を手にかけてしまってから、まだ、二週間も経っていない。あまりにも普段と変わらないのが、かえって心配だった。不器用なウィラーフと違って自らの感情を押し殺すことに長けているからこそ、なおのこと。
「うう、それしても寒いなぁ~…」
コートをかきよせるシェラを見て、ウィラーフが黙って自分のマフラーを外し、シェラに放り投げた。
「え? 何、これ」
シェラは、きょとんとしている。
「巻け。寒いのは、首筋から風が入るからだ。いくら着込んでも隙間があれば意味がない」
ぶっきらぼうにそれだけ言って馬に飛び乗る。
「あ、えっと…ありがと」
「それじゃ、行こうか」
アルウィンが最初に馬に拍車を当てる。三頭の馬が、並んで走り出す。
「クローナ、あと、どのくらい?」
寒さをいくらかでも紛らそうと自分の腕をさすりながら、ワンダが尋ねる。アルウィンは、灰色に曇る空の向こうに続く街道に目を向けた。
「丘を二つか三つ、越えることになる。まだ雪が降っていなければ一日ってところかな。」
「この空からして、一週間もすればこの辺りも真っ白になっていそうですが。」
ウィラーフは、金色の房飾りを下げた剣をマントの下に押しやった。
「少し急ぎましょう。雪ならともかく、雨が降りそうだ」
東の海沿いから、山を越え谷を越え続いてきたレミリア街道は、この先の町クローナで終着点を迎える。同じくもう一本、西の荒野から北へ向かって延びてきたアミリシア街道もまた、同じくクローナを最終地点とする。二つの街道の交わる町。その果てにして、アストゥール王国最北の地。
それが、アルウィンとウィラーフの故郷―― クローナなのだった。
クローナの町は、湖の真ん中に建っていた。
鏡のように凪いだ大きな湖は、ほぼ三方を山に囲まれ、開けた一方から太い道が町に通じている。片方が四人の立っている、レミリア街道。そして別の方向から来ているのが、アミリシア街道。二本の道は時計の三時の針の角度で湖に向かい、それぞれに橋で町と繋がっている。まるでお伽噺に出てくるかのような、こじんまりとして、美しい町だ。
橋のたもとには宿場町があり、街道を通る大勢の商人たちがたむろっている。北のアスタラ地方で取れた鹿の肉や毛皮、塩などを運んで来る商人もいれば、その先の北の国々まで足を延ばすつもりの人々もいる。あるいは、アストゥール王国の他の地域から商品を運んで来た、クローナの町の商人も。
この町は古くからの商業都市なのだと、道すがらに聞いた。
クローナの市場は、王国の他の町に比べて関税が格段に安い。そのため異国や遠い地方の商人の多くは、わざわざこの町まで来て荷解きをする。街道の交わる場所とあって国内の商人たちも集まりやすく、かつて自治領だった時は、クローナの
結果として、今も、クローナの税率は変わっていない。ただしそれは、多大な犠牲の果てに勝ち取られた、たったひとつの勝利だ。
「……。」
アルウィンは、橋のたもとで馬を止め、地面に降りた。
かたわらを、荷物をどっさり積んだ馬車が通りすぎていく。もう何百年もそこにあるのだろう、青緑色の大きな石で出来た橋は、どっしりとして幅が広く、何台の馬車が行き交っても揺らぎもしない。
彼にとって故郷に帰るのは五年ぶりのはずだ。おそらく、ウィラーフにとっても。
マントの下に提げた銀色の剣が、やけに重たそうに見えた。
意を決したように、彼は橋に向かって足を踏み出す。少し遅れてウィラーフが続き、シェラとワンダも付いていく。
一歩ごとに近づいてくるクローナの町。門のあたりは、五年前の戦争の跡なのか、焼け焦げて一部が崩れたまま。
町の入口に立ったとき、アルウィンは足を止め、門を見上げてこう呟いた。
「ただいま」
と。
ほんの五年前に大きな戦争があったというのに、町には、驚くほどその痕跡は残されていなかった。城壁も、町中も、古びた石積みで作られている。町に入ってすぐの広場からは無数の小道が通じていて、人がぎっしりと暮らしている。
雪が降るせいか家々の屋根は急角度で、煙突の煙の出口は横向きについている。暖炉の火事を警戒して、町の中は何本もの水路が引かれ、四つ角ごとに桶やポンプが設置された小屋がある。
「思ったより、戦争の跡が残っていなくてよかった」
アルウィンは、ほっとしたように呟いた。そして、広場に立って見回した。
広場には市が立ち、商人たちの活気あふれるやりとりが様々な言語で響きわたっている。アストゥール王国の北の果て、ということを忘れそうになるくらいの人ごみだ。この寒空の下でも、人の熱気だけで寒さが吹き飛ぶくらいの活気がある。
「商人たちも戻ってきています。私兵の騎士団が解体しても、治安も維持されているようですしね。」
と、ウィラーフ。市場のあちこちに、騎士団とはちがう、町の自警団のような人々が、クローナの古いシンボルを染めぬいた揃いの白いスカーフを巻いて目を光らせているのが見えた。
かつてクローナは独自の騎士団を持っていたが、五年前の戦争終結時、それは解体させられている。二度と王国に逆らわないため、というのがその理由だ。同時に自治権も返上し、名目上は北方騎士団の庇護下に入ったはずだが、町の中に、白い房飾りをつけた騎士の姿は見当たらなかった。
「なーな、アルウィン。」
ワンダが、くいくいと少年のマントを引っ張る。「ここ、アルウィン家あるんだよなー?」
「え、うん」
「ワンダ、アルウィン家が見たいぞ。」
「ちょっ、ちょっとワンダ…」
シェラがあわててワンダの口をふさぐ。「色々と心の準備とか…」
「いいよ。」
「え、でも」
アルウィンは、広場の奥に顎をしゃくる。
「すぐ、そこだし。」
広場を見下ろす場所に、どっしりとしたクリーム色の石造りの建物が立っている。
そこが、かつてのクローナ領主の館だった。
館は、町の中心である市場に面した場所に建てられ、窓からいつでも広場の活気を確かめられるようになっていた。五年前までは、商談のために解放され、町を訪れる旅人に人気のサロンでもあった。
だが今は、門は固く閉ざされ、人の気配もの全くない。庭は手入れされておらず、出入り口には総て、木材が打ち付けられている。
四人は、裏道から生垣を越えて庭に入っていた。
「なんだか、誰もいないみたいだけど」
「――そうだね。戦争の後、アストゥールに没収されてそのままみたいだ。サロンくらいは解放してくれてもいいのに…。」
五年前の戦争の後、クローナ領主家が負わされた幾つかの条件の中には、領主家の財産の没収というものがあった。館も対象となり、そこにあった全てのものが売却対象となったはずだった。
言ってみれば、ここはもうクローナ領主家の持ち物ではなく、アストゥール王国の国有物なのだ。
「アルウィン家、もう誰もいないのか?」
「適当に宿を取るしかないかな。」
「そんな、故郷なのに…。」
と、シェラ。
「まあ、泊めてくれそうなアテはあるんだけどね。」
アルウィンは、肩をすくめた。「だけど、あそこは、ものすごく厳しいから――」
と、その時だった。
「そこで何をしている!」
通りの向こうから、声が飛んできた。
振り返ると、鎧兜に身を固めた騎士が一人、馬を降りてこちらに向かってくるのが見えた。ずいぶんと小柄な騎士だが、首に巻かれている白いスカーフは、広場にいた自警団と同じ物。
「旅人か? ここは観光地ではない。勝手に敷地内に立ち入るな。」
「ああ、すぐに出るよ。ちょっと懐かしくて――」
「?!」
数歩の距離まで近づいてきたとき、騎士の動きが止まった。
「アルウィン…兄様?」
騎士は、片手で兜を脱いだ。その下から零れ出す、輝くような銀色の髪。アルウィンと良く似た面立ち。
「…ブランシェ?」
アルウィンは、驚いたように呟いた。
「やっぱり。にいさま!」
兜を放り投げ、少女は勢い良くアルウィンに飛びついた。
「ご無事だったんですね! 会いたかった」
「…ブランシェ、痛い、首が締まっ…」
ブランシェと呼ばれた少女は、がっしりと少年の首を締め上げたまま、断固とした口調で言った。
「一緒に来て貰いますよ、兄様。母様も、ずっと心配してたんです。戻られたことを知ったら、きっと喜びます。」
「いや、あとで行くよ。先にやりたいこともある――」
「こいつに見張られているからですか?」
ブランシェは、傍らに立つウィラーフに向かって敵意に満ちた視線を投げかけた。
「よくもおめおめとクローナに顔が出せたものね、裏切り者。兄様の見張りのつもり? 昼間じゃなかったら、お前の首を斬り落としているところよ。」
「やめろ、ブランシェ。ウィラーフは今まで何度も助けてくれた」
「でも!」
目の前に、ふわりと白いものが舞った。
「あ」
ワンダが、頭上を見上げる。「ゆき…?」
雲の合間から、無数の雪が散り始めている。町の風景は霞み、広場の喧騒も静けさの中に飲まれていく。
「――とにかく。母様の館には来ていただきます」
有無を言わさぬ口調で、少女は言った。
「でなければ私が、母様に会わせる顔がありません。」
「…分かったよ。」
アルウィンは、白く溜息をついた。
「ウィラーフに失礼なことするなよ」
「そちらが失礼を働かなければ、ですけれど!」
ぴしゃりと言って、兜を拾い上げる。「どうぞ、こちらへ。」
シェラは、そっとウィラーフに近づいた。
「…なんだか強そうな妹さんね。」
「ああ。」
彼は、少女が身につけている剣や兜を見ている。ただの飾りでないことは、その堂々たる態度を見れば判る。
「アルウィン様の母上も、昔は女騎士だった。あの剣は、その時のものだな…。」
ぽつりと、ウィラーフが呟いた。
降り始めた雪は、どうやら止む気配がない。瞬く間に町はうっすらと雪化粧し、旅人たちの足跡が点々と、通りに残されていた。
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