第24話 最後の手がかり

 メイザンのもとを辞したあと、アルウィンは、「少し一人で考え事をしたい」と言い残して別行動になった。

 残る三人は、なんとはなしに中庭を横切って、散歩に出ていた。今日はクリスがいないので、必然的に、迷わずに歩き回れそうな場所をぶらぶらしているだけになってしまう。

 「それにしても、あっという間だったわね。一気にいろんなことが分かって――謎は増えちゃったけど」

 「ここは国内でも一流の学者の集まる場所だ。分からないはずはない」

ウィラーフは何故か、妙に不機嫌な口調だった。

 「まさかヨルドが関わっているとはな。一体、何のつもりなんだ」

 「彼らのこと、知ってるの?」

 「扱いが曖昧とはいえ、奴らはクローナに近い山脈の奥地に暮らしているからな。交易都市であるクローナには、ヨルドの交易商人もそれなりに訪れていた」

 「それじゃ、顔見知りみたいな人たちが襲ってきてたってことね。…」

どおりで、苛立っているように見えるわけだ。だが、彼の不機嫌の原因は、それだけではなさそうな気もしていた。

 芝生の坂道まで来た所で、シェラは足を止めた。

 「詩は、初期の同盟部族に分けて保管された…。だとしたら、手がかりはもう無いのよね。アスタラに乗り込む、とかじゃない限り」

 「…どうだろうな」

 「結局、あたしが視た未来は、どういう意味だったんだろう。」

シェラは、首から下げた鎖に手をやった。

 黄金の樹が暗いものに呑み込まれて、”エリュシオン”という文字が視えた。それが彼女の、そもそもの旅の発端だった。

 それが詩の題名だとすれば、総ての詩を集めなければ意味が分からないのか。

 或いは、”エリュシオン”という名の、五百年前の王の持ち物が何だったのかを突き止めることが必要なのか。

 「そういえば、あんたは未来が視えるとか言ってたな。本当かどうかは知らんが――本当なら、続きを視ればいいだろう」

 「はあ? 無茶言わないでよね。こういう力にはね、制約があるの。普通のルグルブは、未来が視えるのは一生に一度きりよ。それにね、未来を視るのは。すごく勇気がいるんだから」

 「――なる程。」

ふいにウィラーフの言葉が沈んだ。

 「未来なんて、知らないほうがいいだろうしな。」

 「……。」

いつになく大人しい口調に思わず振り返り、シェラは、まじまじとその横顔を見つめた。微かな憂いを帯びた横顔には、妙に引き寄せられるものがある。

 以前出会った東方騎士団の騎士たちもそうだったが、たぶん、騎士団に入るには「容姿端麗」という試験項目があるに違いない。あの鬱陶しかったスレインも、少なくとも、見た目だけは良かった。

 (やだ。あたし、何考えてるんだろ)

 シェラは、慌てて視線を遠くにやった。

 「えっと――そうだ、お茶でもしない? 食堂にお菓子とかあったじゃない。」

 「お菓子!」

ワンダが、ぴんと耳を立てる。

 「ワンダ食堂わかるぞ。いいにおいする、こっち!」

 「案内よろしくねー」

 「…おい、この時間から間食か? …まったく」

ため息をつきつつ、ウィラーフも後に続く。

 と、彼はふと、芝生の端を勢いよく横切っていく少女に気がついた。こちらに見向きもせず、ほとんど全力疾走で駆け去っていく。クリスだ。相変わらず、忙しそうではある。

 (そういえば、…ここにはローエンの息子がいる、とメイザン学長は言っていたな)

ふと、昨夜の会話が思い出された。

 ここは、学術都市であるとともに一個の要塞でもある。騎士団こそないが警備隊がおり、王都ほどではないにせよ、それに匹敵するほどの厳重な警備が敷かれている。

 その意味では安全で、外部から入り込むことは簡単ではないのだが、一つだけ抜け道があるのだ。

 それが、身内を「預ける」という方法だった。


 要人の家族や貴族の縁者を、一時的に匿うための場所。或いは、政争や相続争いに関わる人物を体よく一時的に幽閉するための町。

 それなりの寄付金を積むことが求められはするものの、基本的に、「預け」ること自体が断られることはないはずだ。もしも都市の内部に手駒を置いておきたければ、適当な身内を理由をつけて預けておけばいいだけなのだ。

 胸に湧き上がった違和感と不安を、彼は無理やり意識の片隅に押しやった。

 まさかいくら何でも、この警戒厳重なサウディードの中で、何かが起きることなどあろうはずは――。




 その頃、アルウィンは昨日と同じ図書館にいた。

 書架の上に梯子をかけ、分厚い本を取り出して膝の上に広げる。

 (…やっぱりだ。どこにも載っていない)

クローナ領の歴史、アストゥール建国に纏わる神話伝承、古い刀剣の本、それから――。

 様々な分野からかき集めた資料のどれを探っても、掠りさえしない。薄々、予感はしていたものの、実際にそのことを確認するのは気が重かった。

 本を閉じ、組んだ手に額を載せてため息を付く。

 (当たり前だ。この程度で分かることなら、最初から誰かが指摘している。だとしたら、あれは…。)

微かな足音に気づいて、彼は顔を上げた。

 「やあ」

目の前に、暗い色の長衣をまとった青年が佇んでいる。ランディだ。

 「ずいぶん沢山積み上げてるな。調べ物かい? 暇だし、手伝おうか」

 「いや、これは…自分で調べたいことだから」

図書館の二階の奥は相変わらず静かで、めったに人がやってくることはない。

 周囲を確かめてから、ランディは、昨日と同じように向かいの席に腰を下ろした。

 「長居をするつもりはないよ。またクリスティナに見つかると厄介だしね」

 「…ごめん」

 「慣れてるさ。それに、クリスティナだけじゃない、ここの連中がみんな、僕を嫌ってるのは知ってる」

ランディは自虐気味に笑った。

 「サウディードじゃ、東方騎士団の評判はすこぶる悪いからな。僕も密偵か何かみたいに思われてるんだろ」

 「そんなことは…」

 「まあいい。それより、折角、君が戻ってきたんだ。楽しい話をしよう。いつまでここにいる?」

アルウィンは、ちょっと考え込んだ。

 「判らない。でも、そう長くは居ないだろうな。明日か、明後日か…」

 「短いな! 三年ぶりだっていうのに。ずいぶん忙しいんだな」

 「まあ…ね」

 「いいなあ、仕事があるっていうのは」

ランディは、心底羨ましそうに遠い目をした。

 彼は、アルウィンがここに送られてくるより前からサウディードに「預け」られていた。

 上流階級の家では良くあることだが、子供が多すぎたり、両親が離婚したり、家督を継がせることができず、養子縁組も見つからなかったりすると、寺院や全寮制の学校などに子供を送り込んで、そのまま見捨ててしまうことがある。

 ランディの場合もそうだった。騎士の家系に生まれながら生来体が弱く、兄たちのように騎士になる道は閉ざされている。おまけに寄宿学校での成績も凡庸で、他に取り立てて何か秀でているわけでもなかった。将来の出世が見込めないと悟るや、ローエン家の人々は彼をここに送り込み、そのまま一度も会いに来ることなく忘れてしまった。

 それ以上の細かい事情は、周囲の大人たちからも本人からも聞かされておらず、アルウィンも、敢えて詮索はしていない。


 「で? 何を調べていたんだい」

 父親の、騎士団長に良く似た瞳。どこか芯の強そうな、好戦的でさえある輝きを持っている。学者向きではないだろう。実際、彼は図書館に来ても、古い騎士物語のような、血湧き肉躍る本を好んで読んでいた。

 けれどノックスの町を脱出する時のことはともかく、アルウィンには、彼を疑う理由などありはしなかった。ランディはここで過ごした二年間の中での数少ない同年代の友人だったし、悪い感情も抱いてはいなかった。

 彼は、正直に答えた。

 「…ファンダウルスのことを」

 「何だ? そりゃ」

 「かつて初代王イェルムンレクがふるったと言われる剣。ハザル人が鍛えたものだ。父はいつも自慢していた――”統一戦争”を戦い抜いた、由緒正しいものなのだと」

 「へえー、クローナにそんな物があったのか。凄いじゃないか」

 「いや…」

アルウィンの表情が翳った。

 「本物かどうか分からない。そんな刀剣の記録は、どこにも無かったんだ。だから学者も歴史家も、まともに取り合ってはくれなかったよ。そんな由緒ある剣なら、誰も書き残さないなんてことがあると思うか? 初代王の遺品なんて、王都にも一つか二つしかない。過去のどこかででっち上げられた代物だと、おれは思っていた」

 「まぁ、普通ならそう考えるだろうなあ。」

 「だけど――」

五百年前から伝えられたと思われるレトラ族の詩には、確かに、その剣の名があったのだ。

 偶然の一致であるはずはない。

 他のどんな資料にも出てこない。

 だとすれば、あの詩は…本当に失われた過去を伝えているのなら…。

 「今になって気になり始めたんだ。父が言っていた古い伝承は、どこからどこまで真実なのか。もちろん、それを突き止めたからといってどうなるわけでもない。うちの家は、はただ古いだけのよくある地方領主だ。残っているものだって、せいぜい数百年のものばかりだし…。」

 「金に困って先祖が売っぱらった可能性もあるけどね、うちみたいに」

と、ランディは冗談めかして言う。

 「だけど何でまた急に、今になってそんなもの調べ出したんだ?」

 「…ちょっとね」

 「内緒ってことか。」

彼は少し残念そうに肩をすくめる。

 「ま、また誰かに見つからないうちに部外者は早々に退散するよ。じゃあな、アル。出発前に、また会えるといいな」

 「そうだね」

 「あ、そうだ。これ」

ポケットから取り出した包みを、テーブルの上に置いていく。中からは香ばしい、焼き立ての小麦の香りがする。

 「余り物だけど、よかったら食ってくれ。それじゃあ」

去っていくランディの後ろ姿を、アルウィンは、何となく申し訳ない気分で眺めていた。

 学問に興味があれば天国だが、そうでなければ地獄でしかない。「預かりもの」たちは、ここに送り込まれたが最後、自分の意志で外に出ることは出来ない。研究員として職を得るにしても、それ以外の職だとしても、このサウディードで働く限り外の世界を見に行く機会は滅多にない。

 アルウィンとて完全に自由な身では無かったが、それでも、任務を得て国内のあちこちを旅している分には、ランディよりは自由と言えるのかもしれなかった。


 王都からの連絡が届いたと、クリスが大騒ぎしながら駆けてきたのは、ランディが去っていった直後だった。

 「届いたばかりよ! はい、これっ」

差し出す手紙はともかくとして、少女の頭にもおさげにも、派手に木の葉が張り付いている。

 「クリス、その頭…」

 「え? あ、葉っぱ! あーもうこんな時間!急がなきゃ、メイザン博士と打ち合わせがあるの。じゃ、また後でね!」

滞在時間はほんの一瞬だけだ。ローブの端を白鳩の翼のように翻しながら、彼女はせわしなく駆けていく。毎日あんなに走り回って疲れないのかと、心配になるくらいだった。

 アルウィンは、手元に残された、丸められた数本の書簡に目をやった。複数あるのは、同じ内容を別々の経路で飛ばすからだ。

 順調に行けば全てが届き、運が悪ければ一本しか届かない。どこかですり替えられる可能性も考えて、内容が同じかどうかを受領者に確認させる意味もある。

 一本目を開く前から、彼はその書簡の発信元がシドレク王でないことに気がついていた。表に押された印は、王の娘にして議会の代表者、”女帝”と渾名されるギノヴェーア王女のものだ。

 開いて中を一瞥した彼は眉をひそめ、席を立ち上がった。

 緊急事態だ。




 食堂のテラスでのんびりお茶をしていたシェラたちは、生きせききって足早にやって来るアルウィンの姿に気づいた。

 「あれ? アルウィン、どうしたんだろ」

 「おーい、ここだぞー」

ワンダがぶんぶん手を振っている。

 近くまで来た彼は、ほっとした様子でウィラーフのほうに書簡を差し出した。開かれているのは、一本だけだ。

 「王都からの連絡だ。ついさっき届いた」

 「…拝見します」

アルウィンのただならぬ様子からして、何か良くない報せだと判断したウィラーフは、硬い表情でそれを受け取る。

 「大丈夫? ずいぶん汗かいてるじゃない。お茶飲む?」

 「ああ、ありがとう」

 「お菓子もあるぞー」

アルウィンは開いていた椅子に腰を下ろし、シェラの差し出したお茶を流し込む。

 「これは…。」

ウィラーフの顔が険しくなっていく。

 「どうしたの? 何かあったの」

 「…王が行方不明だ。」

 「え、また?!」

シェラは思わず素っ頓狂な声を上げた。

 「だって王都でしょ。騎士団もいるって言ったじゃない」

 「今回はデイフレヴンも一緒に姿を消したらしい。あいつは王の側近の中でも融通のきくほうだからな。何か重大な理由があって、やむなしと判断すれば逃亡に手を貸すだろうな。」

 「何それ、近衛騎士って王様の説得如何で動いちゃうわけ? どうするのよ、こんな時に」

 「代わりに、王女様から連絡が来ている」

アルウィンは、二本目の書簡を広げている。

 「前にバレアスから飛ばした報告書への返信だ。ローレンスの件は独自に調査を送り込んでいる、東方騎士団の動向を探らせる…レトラの長老が殺された事件についても任せろ、と。それから、ハザル人の定住と王国議会への出席の件は正式に承認された。」

 「それだけ? ”エリシュシオン”の件は?」

 「特に記載はない。まだ調べきれていないのかも」

 「そっか…。」

シェラは、がっかりした様子でテーブルに肘を付き、手にあごを乗せた。

 「王女様って、どこまでご存知なのかしらね。」

 「王に成される報告は全てご存知だ。あの方は次期王位継承者だし、王国議会の長でもある。バレアスから連絡を送ってからまだ二週間も経っていいな。もしかしたら、次の連絡で何かくるかもしれないよ」

もっとも、その時にはもう、この町を発った後かもしれないが。

 「それにしても、シドレク様、今度は一体どこへ行ったんだか…。」

呟きながら、三本目の書簡に手をかけようとしたアルウィンが、はたと手を止めた。

 「どうしました」

 「これ… シドレク様からだ」

同時に届いたため、クリスも気付かなかったのだろう。だが、よく見ると表面の印の色が違う。

 「どこ発です」

ウィラーフが隣から覗き込む。

 「アンセルムスだ。王都のすぐ北の」

封を解くと、かすかに焦げ臭い匂いが漂った。

 「ん。焼けてるにおい、するぞ」

ワンダが鼻を鳴らしている。書簡の端は、確かに焦げている。まるで火災の中をくぐり抜けて飛ばされたかのようだ。

 中にはシドレクのものと分かる字で、走り書きの一行だけが、書きつけられていた。


  ”奴らの行方が分かった。最後の詩を守りにクローナへ行く”


――アルウィンは、無言のままじっと、その文字を見つめていた。

 そして、おもむろに立ち上がる。

 「アルウィン様、どちらへ」

 「…行かないと」

 「行くって。どこへ」

 「クローナへ…」

彼は、唇を噛み締めた。

 「…全部で六つじゃなかったんだ。詩は、もう一箇所残されていた。王都と、初期の五つの同盟部族。そしてもう一つ」

 「それは…」

歩き出そうとした時、足元がふらついた。

 「あ…れ?」

 「アルウィン様!」

慌てて、ウィラーフが支える。

 「どうしたの…って、酷い熱じゃない! 大変、部屋に戻らないと」

 「熱…?」

 「旅の疲れが出たのかもしれません。今は出発は無理です。」

ウィラーフは有無をいわさずアルウィンの体を抱え上げる。アルウィンは、渋々それに従った。

 一刻も早くシドレクの後を追いたい。だが今は、少なくとも、熱が下がるまでは動けない。

 その間に次の連絡が来るか、サウディードの優秀な研究員たち、何か新しい事実を発見してくれることを願いたかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る