第23話 レトラの詩
翌朝、待ち合わせの場所に向かおうとしていたシェラは、物音と、賑やかな声に気づいた。
中庭のほうからだ。
窓を開けてみると、すぐ下の中庭でアルウィンが、シャツ一枚になって訓練用の木剣を手にしている。今まで見たことのない彼の姿に、シェラは、思わず目をこすった。
「――アルウィン? 何してるの」
「ああ、おはよう。」
アルウィンは、汗を拭いながら二階を見上げる。
「久しぶりに手合わせしないかってオーサに言われて。」
「オーサ?」
アルウィンの相手をしているのは、短く刈り込んだ赤毛の巨漢――いや、女性だ。肩や腕周りがあまりに頑強そうで身体つきは、しっかりと女性の輪郭になっている。
「えーっと…でも、その人とじゃあ、勝負にはならない、わよね?」
「だから避けるんだよ。見てて」
言いながら、アルウィンは木刀を構え直す。
「お願いします」
「よし、いくよ!」
オーサは、笑顔で丸太一本を楽々と振り回す。と空を切る音とともに風が巻き起こる。とても、受け止めるとか、打ち返すとかいう話ではない。アルウィンもそれは分かっていて、木剣は手にしていても、逃げまわることに徹している。
「ほらほら、どうした!息が上がってるよ、もっとしっかり頑張んな!」
二人とも楽しそうだから良いが、掠りでもしたら吹っ飛ばされて怪我をしそうだ。シェラは、拍手すべきなのか、呆れるべきなのか迷った。
騒ぎを聞きつけて、ウィラーフが現れた。
「これは、一体…?」
待ち合わせの場所に向かおうとしていたところらしい。困惑した顔で、アルウィンとオーサを見比べている。
「ああ、騎士の人、あんたもやる?剣術の練習だよ」
「そうは見えませんが」
ウィラーフは渋い顔だ。
「避け方のいい練習になるよ。度胸もつくし」
と、アルウィンは笑っている。
「当たれば死ぬ!と思えば、必死で体が覚えるよ。」
「…そんな苦行をなさっていたんですか。」
なるほど、アルウィンが妙に度胸の座ったところがあるのも、とっさの逃げ方が巧いのも、この大柄な女性の仕込みの賜物だったのかもしれない。今までも、突然の襲撃にうろたえることなく対応出来ていたのだから、多分、無駄な訓練でも無かったのだろう。
シェラは窓を閉め、外に出て行くために服を着替えた。隣の部屋から物音がするところをみると、この騒ぎのお陰で、ワンダも寝坊せずに済んだようだ。
朝食前の軽い運動、とは言い難い、少しばかり激しい訓練の後、四人は、揃って朝食のために食堂を訪れた。
「今日は、これからどうするんだっけ」
「おれはメイザン先生のところ。進捗を聞きに」
「それなら、私も同行します」
と、ウィラーフ。彼は結局、オーサの再三の誘いにも乗らず、稽古は遠慮していた。
「こんな朝早くから行っても大丈夫なの?」
「メイザン先生は朝はいつも早いから、この時間ならもう研修室にいるよ」
「ワンダも行くぞー」
口の中をソーセージでいっぱいにしながら、ワンダが笑顔で言う。
そんなわけで、朝食のあとは全員で、メイザンのもとを訪れることになった。彼の研究室は、町の入り口に近い場所にある。食堂からは、少し宿舎の方に戻る格好になった。
メイザンは、昨日と同じように仕事机に座っていた。
「失礼します」
アルウィンたちが入っていくと、手元の書き物から視線を上げ、「ふむ」と、小さく声を上げた。
「早いな。だが、ちょうど良かった」
「ちょうど?」
「お前たちの持ち込んだレトラ語の巻物の解読が、一通り終わった。」
「!」
アルウィンは、思わず息を呑んだ。
「まあ、そこに座りなさい」
ソファを指差し、メイザンはさっきまで読んでいた書き物を手に、自らもソファの一角に腰を下ろす。
「ちょうど先刻、報告が上がってきたばかりでな。わしも今、読んでおったところだ。一緒に確認しよう」
「はい。」
「ずいぶん早いんですね」
と、シェラ。
「ここに揃っておるのは一流の学者ばかりだからな。急ぎだと言うと、徹夜で仕上げてくれた。――少し長いが、読み上げるぞ」
そう言って、メイザンは紙に書きつけられた文章を声に出して読み上げた。
それは、思ったとおり謎めいた詩になっていた。
// 彼らは肥沃な大地に城を建て
// 美しき河口に都を築いた
// 白き頂為す山々に見下ろされ
// イェルムンレク、偉大なる王は
// 齢六十の時を迎えた
// されど老いて なお
// 王の御腕はゆるむことなく
// 打ち寄せる波の頭上に
// 鉄槌を振り下ろし続けた
// 右腕に名刀ファンダウルスを掲げ
// 左の腕に美妃スヴァンヒルドを抱き寄せた
// 太陽よ 輝ける王よ
// 幾多の国々を従えた
// 力強きその腕よ 赤き戦の星の英雄よ
// エリュシオンの主 まことの王よ
// 王が戦場を駆け抜ける時
// 行く手を阻むものは無く
// 幾多の王がその前に屈した
// 妙なる調べ 栄光の日々よ
// かの王は広き王国を統べた
// されど
// とこしえに続くかと思われし世も
// 今は過ぎ去り
// 遥かな誓いの時を待つ
// ああ、遠き喜びの日よ 遠き喜びの日よ
// 今となりては夢物語のごとく
// 盾と剣は分かたれた
// イルネスの中つ大地にて
// ともに出会うその日まで
「……。」
ワンダを除く三人は、それぞれに動揺の色を浮かべた。思いも寄らない内容だった。それに、詩の内容はこれまでで最も長い。
「――これはまるで、アストゥールの建国者、イェルムンレク王が生きていた時代に書かれたような詩になっています」
アルウィンは真剣な顔で呟き、顔を上げてメイザンを見つめた。
「レトラ族は、はるか昔から独自の書き文字を持っていて、記録を取ることに長けていた。だとすれば、これは――本当に、五百年前から伝わる伝承、なんでしょうか」
「可能性は、あるな」
メイザンは、何か考えるように遠くを見つめたまま、片手で顎の髭を撫でている。
「他の詩の断片より長いのも、彼らの元以外の場所では詩の一部だけしか残らず、他が散逸してしまった可能性がある」
「だけど、ここに出てくる”エリュシオン”って? 詩の題名だってシドレク様はおっしゃっていたけど、今の内容だと、まるで、王様の持ち物か何かみたいに聞こえたわ」
「そうだな。刀や王妃とともに謳われているのなら、可能性はある。しかし――、ファンダウルス、か。」
「……。」
ウィラーフが、なぜか大きく動揺しているのが、シェラには分かった。彼の場合、特定の状況において表情に出やすい。今では彼女も、それに気づいている。
その状況というのは、何かアルウィンの動向に深く関わる事柄の時だ。
「詩の内容は、建国詩として考えれば妥当だと思います」
だが、当のアルウィンは、少なくとも見た目の上では冷静そのものだつた。
「建国時の王イェルムンレクと、王妃スヴァンヒルドの名は、他の史料でも確認されています。公式の歴史でもそうなっている。当時の都は北方のアルヴァ川沿いにあったはずですから、その記録とも一致します。彼はアストゥール王国を建国した際にはすでに高齢で、”統一戦争”の終結とともに命尽きたと伝えられている――でしたよね?」
「その通りだ。まあ、この王にまつわる伝説や歌は数多い。特に真新しいことはほとんど無い。ただ、今となっては知る者の少ないだろう、”エリュシオン”という言葉がここに出てくるのは興味深いな。」
そこまで言って、メイザンは言葉を切った。
そして、ふいに話題を変えた。
「ところで、もうひとつ、分かったことがある。お前たちが襲われたという、例の謎の集団だが」
「はい」
「言語学者に確認させた。”サラース”いうのは、ヨルド語で”よろしい”という意味の相槌だそうだ。オウミ、という名も、ヨルドならごく一般的な男性名にあると」
「……!」
アルウィンとウィラーフ、二人の表情が変わった。
「北方十三氏族の一つ…、ヨルドですか。それで北方訛りが…」
「あなたの言いたいことが分かりましたよ。メイザン殿」
ウィラーフは、膝の上で拳を握りしめている。
「ヨルドを含む北方諸民族の居住地アスタラは、”元”クローナ領だ。そういうことですよね」
「え?! それじゃ、あの人たちアルウィンたちのご近所さんなの?」
シェラは、思わず口に手を当てた。
「そんな、だってあの人たち、あなたたちまで殺そうとしたじゃない」
「オウミは、おれのことを知っていた。クローナの独立も仄めかした」
と、アルウィン。
「クローナ領に隣接する地に住むアスタラの住民なら、クローナの事情に通じていることは、あり得る」
「でも…」
「手段を選ばず、王の暗殺さえ仄めかし、五百年前の記録を集めてまわる謎の集団。はてさて。正体が分かっても意図するところが見えんときた。彼らの目的は如何に?」
メイザンは、歌うように言って手にしていた紙をテーブルの上に置いた。
「無論、クローナが直接関わっているとは思っておらんよ。今のアスタラは、クローナの管轄下にはない。それどころか、この国の一部ですらない」
「どういうことなの?」
「独立したのは百年も前だ。」
ウィラーフは、ため息交じりに言う。「そんなことも知らないのか」
「だって、…もう。いっつも、そういう言い方なんだから」
少し頬を膨らませて、シェラは、ウィラーフを軽く睨みつけた。
「だけど、どうしてそんなことに?」
「当時のクローナは、”白銀戦争”の頃よりもっと自治権が強く、アストゥール内にあって半ば独立した国家のように振舞っていた。アスタラは、その時まではクローナの一部だった。それが、当時の領主と折り合いが悪かったか何かでクローナから離れてしまったんだ。」
アルウィンが説明する。
「それならアストゥールに併合…と思うかもしれないけとけ、あまりに辺境すぎて、ろくに人も住んでいない地域だ。おまけに王国には他に片付けなくてはならない問題を抱えた地域もあって、ほとんど成り行きで王国領にも組み込まれないまま独立してしまった。今も扱いは微妙で、どこかの国に所属しているわけでもない。地図を見れば、そのあたりの国境は点線になっているはずだ」
「なんだか、見捨てられたみたいな話ね。そんなことって、あるんだ」
「だが、彼らは意外にも、アストゥール建国時には初期から同盟関係にあった」
メイザンが後を続ける。
「初期に同盟した五大部族は、ルグルブ、アジェンロゥ、アスタラ、ハザル、レトラ。――これらは”統一戦争”において、アストゥールの勝利に大いに貢献し、戦後も特別な関係であり続けていたと考えられておる」
「ほほう!」
何故かワンダが一番反応している。自分たちのことが話に出てきたからだろう。
「かつて小国に過ぎなかったアストゥールが最終的にこの大陸のほぼ全てを掌握するほどの大国になれた一因は、多くの”国なき”部族が協力したことにある。今ではもう残っていない部族も幾つか存在するが――」
「ちょっと待ってください」
何かを考え込んでいたアルウィンが、眉を寄せながら片手を上げた。
「いま仰った五つの部族――今回、詩片を集めて回るのに関わった部族と同じに思えます。合っていますか?」
「気づいたか」
メイザンは、我が意を得たりとばかり嬉しそうに笑った。
「だとすれば、もしも残りの詩があるならば、同じように初期に同盟した部族のもとにある可能性が高いということだ。さて、今までに詩を見つけた場所からすると、残りは?」
「…アスタラですね。現在は十三の氏族に分かれている。その一つがヨルド」
「そういうことだ。」
老学者は足を組み、ひざの上に両手を置いた。
「だとすれば、始まりが彼らだったのは必然なのだ。おそらく襲撃者たちの手元には、全ての詩にまつわる伝承がある。そのために、他の部族が別々に持っている詩を集めて回っていたのだろう。」
「え? でも、あたし、狙われてないわよ」
シェラは、慌てて首に提げた石に手をやった。
「シェラ、その石をいろんな人に見せていたじゃないか。初めて会った時」
「…あ!」
「きっと、その中に奴らの仲間がいたんだと思う。だからもう、シェラの持ってるその石の内容は、知られているんだよ」
「そっか…。」
「ということは、これで詩はすべて集まったことになるのかのう」
メイザンは、のんびりとした口調で言いながら顎髭を撫でている。
「アスタラに伝わる詩の内容がわからんのが残念じゃな。もしそれが手に入れば、これらの詩がなぜ隠されねばならんかったのかが分かるかもしれんが」
「そうですね。王でさえ、こんな詩が残っていることをご存知なかった。なぜ、秘密にされていたものを彼らだけが知っていたのか」
それまでしばらく黙って考え込んでいたウィラーフが、再び、口を開いた。
「そういえば、レトラの古老から、古い資料を借り出すよう指示されたのは、シドレク様でした」
アルウィンが続ける。
「シドレク様は以前から、王家に伝わる歴史記録が断片的になってしまっていることを気にされていた。五百年も昔の話、戦後の混乱で記録が散逸した可能性はあるけれど、それにしては妙に、大事なところだけ抜けているような気がする…と」
「うむ」
老学者も頷いた。
「長年も王とともに研究してきて、わしもそれは考えておった。『何か』にまつわる部分だけ、故意に記録が消されたような気がしておってな。そもそも、初代の王イェルムンレクの子供たちの数すら確定しておらんのだ。分かっておるのは、今の王家の祖となった王子が、ロランという名だったことだけ。」
「大昔のことだとすれば、それでも十分だと思われますが――」
「さて。シドレク様は、そうは考えておられなかったようだ。」
そこまで言って、メイザンは言葉を切った。次の言葉に躊躇しているようだった。アルウィンとウィラーフも、何故か沈黙している。
「…どうしたの?」
「きっと、難しいことしゃべりしすぎて、お腹すいたんだろ」
ワンダは、気楽な顔をしてソファの端にのんびりと足を伸ばしている。
「ワンダちょっと飽きてきたぞ。お外いこうー?」
「…そうだな。今は、これ以上、考えていても仕方ない」
気分を切り替えるように意識した明るい声で言って、アルウィンは、ソファから立ち上がった。
「朝早くからお邪魔しました、メイザン先生。それでは、また何か分かったらお知らせ下さい。」
「…うむ」
妙に引っかかるところはあったが、それが何なのかは分からない。
ウィラーフは老学者に軽く一礼し、アルウィンとともに部屋を出ていく。シェラも、ワンダをせかして後に続いた。
部屋を出る時、一瞬だけ振り返って見たメイザンは、何か、難しい顔をして、ソファに腰を下ろしたまま視線を落として考え込んでいるようだった。
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