第22話 サウディードの囚人

 クリスが図書館にアルウィンを迎えに行ったあと、着替えたシェラとワンダは、ウィラーフとともに食堂に向かって歩き出していた。そこで落ち合うことになっていたのだ。食堂ならワンダの嗅覚で方向が分かるから、道に迷うことはない。

 濡れた髪と体毛をそれぞれ、布でふきながら歩く二人の後ろを、ウィラーフは、少し離れて歩いている。

 「さっきの、すっごく楽しかったな。ワンダお腹へったぞ」

 「そうね。沢山泳いだし、久しぶりで楽しかったー。」

振り返って、シェラはいたずらっぽくウィラーフのほうを見やる。

 「あなたも泳いでみれば良かったのに」

 「断る。ここには、遊びで来たわけではない」

 「そんなこと言って。実は泳げない、とか?」

 「……。」

ウィラーフは、むっとして口をつぐんだ。

 「船も初めてって言ってたし、実は泳いだことないんでしょ」

 「そのくらいは、ある。クローナは湖の町だ。苦手なのは、…海だけだ」

 「そう?」

少し意地悪く笑ったあと、彼女は、ぽそりと呟いた。

 「アルウィンも楽しんでるといいんだけどなー」

言いながら、ウィラーフの表情をそれとなく伺う。

 「昔ここにいたときの知り合い、って人たちにたくさん会ったわよ。彼、結構楽しくやってたみたいじゃない?」

 「……。」

ウィラーフの表情は、硬いままだ。ここへ来る前よりは少しは柔らかくなったとはいえ、まだ、完全に疑惑が解けたわけでもないのだろう。


 アルウィンはかつて、「人質」としてここに軟禁されていた。

 本人がそれをどう認識していようと、この町の人々がどう接しようと、その事実は変わりようがない。


 「ここ、おっきい顔いっぱいだー」

ワンダは相変わらず人の話を聞かず、廊下に一定間隔で飾られた肖像画を興味深そうに見上げている。

 「それ、肖像画っていうのよ。触っちゃ駄目よ。何だか古くて高そうだし。」

 「昔ここが宮殿だった時の持ち主、ファルーク王朝の王族たちだな」

と、ウィラーフ。「人物より、背景を塗るのに使われている青色が特徴的だそうだ。王宮にも一枚あった」

 「それって騎士の教養?」

 「誰かの受け売りだ。」

そう言ったとき、ほんの少しだけ瞳に寂しげな影が揺れた。誰かと絵を見て歩くなど、一生縁がなさそうな男だ。

 シェラは、思わず尋ねた。

 「ウィラーフって、もしかして友達いないの?」

 「何だ、それは」

 「ちょっと気になっただけ。アルウィンよりあなたのほうが心配よ、あたし」

 「……。」

青年は、ぷいと顔を背けた。「特大の大きなお世話だ。」

 「ワンダ、ウィラーフとも友達だぞ?」

ワンダは、首をかしげながらウィラーフを見上げている。

 「そんなフォローはいらん。」

むすっとしながら答えるウィラーフを見て、シェラは思わず吹き出しそうになった。

 この旅に、ワンダがいてくれて良かった、と、彼女は思った。彼がいなければ、きっと、自分ですらも、どこかで緊張感に耐えられなくなってしまっていただろうから。




 暗くなってきた図書館の中には灯がともされ、階段の周りには書架の作る巨大な影が色濃く伸びている。

 (遅い時間になっちゃったけど…アル君のことだし、絶対まだここにいるわね)

クリスは、昔のことを思い出しながら笑みを浮かべて二階への階段を駆け上っていた。奥の柱の陰の、庭園が見下ろせる席。アルウィンはいつも、隠れ家のようなその場所に座っていた。

 階段の左右には、ガラス製のランプがきらめている。火事を恐れて、ここで使われる明かりはすべて高価なガラス製のほやの中に納められ、倒れたり落ちたりした時は燃料の供給が止まって火種が消える仕掛けが施されているのだ。ついでに図書館の裏手には貯水槽を兼ねた池、さらに井戸から直接、水路も引かれている。

 日が暮れかかっても、人はひっきりなしに出入りしていた。この図書館は、閉館時間がない。研究者が思いついたときに何時でも利用出来るようになっているのだ。

 クリスは定位置で探し人を見つけ、駆け寄ろうとした。

 「いたいた、アル君―…」

が、その時、彼の向かいの席に誰かが座っているのに気がついて、ぴたりと足を止めた。

 「――あ」

 「それじゃ、もう行く」

相手の言葉を遮るように、慌てて灰色のローブの青年が立ち上がる。それを横目に睨みつけながら、クリスは大股にアルウィンに近づいた。

 「何を話してたの?余計なこと、話してないでしょうね」

知らず知らず、声は刺々しくなっている。

 「余計なこと、って…大したことは話してないよ。」

 「訳ありの”預かりもの”となんか、親しくしちゃ駄目!」

クリスの剣幕に、アルウィンは一瞬、言葉に窮した。

 「だけど、おれも、元は――」

 「今は”リゼル”でしょ? 自覚は持って。」

静まり返った図書館の中に、押し殺した声はそれでも響き渡る。


 しん、とした静寂が落ちる。

 「…ごめんね、ちょっと言い過ぎた。でも、誰でも友達扱いするのは良くない」

 「……もう、時間も遅いね。」

アルウィンは、席を立って本を手にとった。

 「それで呼びに来たんだよね。シェラたちは?」

 「あ、…えっと。食堂で落ち合う予定よ」

 「それじゃ、この本を片付けたらすぐ行こう」

それきり、この話題は無かったことになった。

 クリスは、さっきランディの消えていった方角をちらりと見やった。

 彼女は知っている。あの青年は、この安全なはずのサウディードの中では唯一の、「警戒すべき存在」なのだと。ただ、それをアルウィンに敢えて警告すべきかどうかは――今はまだ、判断がつき兼ねていた。




 食堂で落ち合うとすぐ、ウィラーフがアルウィンに話しかけてきた。

 「こちらからの報告は飛ばしておきました。王都から我々への連絡は、何もなし、です。」

伝書鳩の連絡網でやりとりしている書簡のことだ。

 「”書庫”での調査が難航しているにせよ、何か送ってきてくれても良さそうなものですが…。」

 「シドレク様のことだし、また、王宮を抜けだしてたりするんじゃないか」

アルウィンの言葉に、ウィラーフの表情が、冗談ではなくこわばった。

 「まさか」

 「何か見つけると自分で確かめたくなって、すぐ姿を消す方じゃないか。それは、ウィラーフもよく知ってるだろ」

 「さすがに、王都から直接は無理でしょう。宮廷騎士団が控えていて、おまけにデイフレヴンだっているんですし」

 「なんだか、あなたたちの仕事って、王を城から逃がさないためにあるみたいね」

シェラは、苦笑している。

 「むしろそれが半分だよ、ウィラーフの場合。」

 「そういえば、宮廷騎士って何人くらいいるの? あたし、デイフレヴンって人とウィラーフしか知らないんだけど」

 「あら、団長に会ったことあるんですか」

と、クリス。

 「団長?」

 「中央の騎士団は全部で百人ちょっとです。その中でも、王と王の家族だけを護衛する近衛騎士は十二人で、デイフレヴン様はその筆頭なんです」

 「近衛騎士は、精鋭中の精鋭なんだよ」

アルウィンが補足する。

 「全騎士団の中から選抜で選ばれる。王族とともに来賓の接客や外遊への同行もする。剣術や馬術だけでなく、品格や作法も求められるし、出自も厳しく調査される」

 「え、じゃあ、ウィラーフって偉かったんだ…。」

この間まで船酔いで死にかけていたのに、とまでは言わなかったが、シェラは思わず、傍らの青年をじっと見つめた。

 「…全然そんな風じゃないわよね。どっちかっていうと、王様を足蹴にしてアルウィン庇ってそうだし」

ウィラーフは、大きく咳払いした。

 「どういう意味だ、それは。」

 「まあまあ、そういう話は後にして~」

ワンダが無理やり割って入ってきた。「ワンダ、お腹すいたぞ!」

 彼が人の話を聞かないのはいつものことだが、今回の場合、誰にも異論はない。

 「お勧めメニューをどうぞ! ここの食堂は国営で安価、おまけに美味しいんですっ。ぜひぜひ、たくさん食べてってくださいね」

 「わー、何があるんだろ。」

すでに庭は真っ暗だが、食堂は明るく照らし出され、あちこちから賑やかな声が響いている。まるで、学者限定の晩餐会場のようだ。

 「ウィラーフ」

アルウィンが、隣の青年にそっと囁く。

 「良いところだろ? おれは、ここで過ごせた時間は有意義だったと今でも思ってる。だから、もう…気を遣わなくてもいいから」

 「……。」

ウィラーフは何も言わず、ただ、小さく頷いた。




 夕食の後、クリスは、宿舎まで四人を送ってくれた。話が盛り上がったせいで、もう、ずいぶん遅くなっている。

 「あー、楽しかった!アルウィンの言うとおりね。この町、素敵な所じゃない」

 「だろ。」

 「……。」

ウィラーフは、相変わらず無反応だ。

 「でも、あたしたちの案内してくれてたら、クリス、自分の仕事が出来ないんじゃない?」

 「あ、私はまだ見習いみたいなものなんで大丈夫です。カッコつけてローブなんて着てますけど、コレ、見栄ですから。どっちかというと、来賓客の案内とか、接待とかが主要な仕事なんですよ。私」

 「そうなんだ。」

 「でも、明日はちょっと別件があって。――今日で、ひととおり建物は分かりましたよね?」

 「ええ、たぶん」

 「迷ったら、適当にそのへんの職員捕まえて聞けば大丈夫ですから、明日は皆さんで楽しんで下さい。それじゃ、おやすみなさい!」

そう言って、クリスは元気よく駆け去っていった。研究員の住む場所は、外部からの来客用の部屋のある区画からはずいぶん離れた、町の奥のほうだ。ここからでは距離があるが、夜でもあちこちに人がいて明るいこの町なら、特に注意も必要ないだろう。

 「さーて。明日はどうしよっか?」

 「少しメイザン先生に会って来ようと思う。もしかしたら何か分かったかもしれないし」

 「では、朝になったらあそこで待ち合わせにしましょう」

ウィラーフは、宿舎の前の中庭を指す。橋の方に東屋がある。

 「ワンダ、ここでは一人ずつ部屋が別々なんだから、寝坊しちゃだめよ。」

 「はーい。」

部屋に向かって歩き出しかけたアルウィンは、ふと、ウィラーフが庭のほうを見つめたままなのに気づいた。

 「…どうした?」

 「月が綺麗ですし、少し夜風に当たって行きます。お構いなく」

 「そうか。」

アルウィンは、それ以上詳しくは聞かず、ウィラーフ一人を残して引き上げていった。

 月明かりが庭を浮かび上がらせている。確かに、今日は月を眺めるには良い番だ。


 辺りはしん、と静まり返り、風の音だけが聞こえている。

 「――ここの学者は、気配を消す方法も学んでいるんですか?」

背後で扉が締まる気配を確かめてから、ウィラーフは腰の剣にそれとなく手をやりながら言った。

 「何かご用ですか。」

と、柱と一体化していた影が、ゆっくりと離れた。

 欠けた月が作る薄い影。白っぽいローブは、それでも、青白く闇の中に浮かび上がって見える。

 「さすがに近衛騎士の目はごまかせんなあ。」

笑みを浮かべながら姿を現したのは、なんと、学長のメイザンその人だった。

 「本職ですから。」

言いながら、ウィラーフは振り返った。おどけた顔のメイザンは、顎髭をしごきながら近づいてくる。

 「なに、こういうのは年の功だ。このくらい出来なければ、あの王の教育係は務まらんよ」

 「それには同意します。さすがは、名にし聞く”学者剣士”、舌と腕で敵を二度切り裂くと言われたメイザン・グランナールですね。それで?」

 「アルウィンの様子を、ちょっと見に来ただけだ。なに、親心じゃよ、親心」

 「……。」

ウィラーフの怪訝そうな表情を見て、メイザンは笑った。

 「あんたは、わしらのことをあまり信用しとらんな。ま、無理もないが。――心配せんでも、わしらはあの子の味方じゃよ。アルウィンを”リゼル”に推薦したのも、わしだ。」

 「え…?」

 「預かった時、シドレク様に適性を見てくれと言われてな。ここで過ごした二年…、それ以外の役目では役不足だと確信を持つようになった。それに”リゼル”なら、王が直に任命し、任務も王から直接下される。王宮に頻繁に出入りせんでも務まる。」

メイザンは、ゆっくりと庭のほうに歩き出す。

 「あのような器の前には、この町ですら狭すぎる。閉じ込めておくにはあまりにも惜しいと思った」

 「ありがとうございます。」

ウィラーフは、思わず頭を下げた。

 「なに、王国のために優秀な人材を適材適所で送り込むのも、この研究院の役目じゃよ。――それにしてもローレンスのことは残念だった。あれも、元はここの研究員だった。普段はここで研究員として働いて、王に命じられた時だけ”リゼル”として旅をした。優秀な男だったんだが」

ノックスで消息を断ち、その後、恐らく殺されたと思われる言語学者のことだ。

 「確か、以前の調査にも、あんたが同行したんだったな」

 「はい。まさか東方騎士団が絡んでいるとは、思いたくもありませんでしたが」

メイザンは大きく頷いた。

 「彼が”リゼル”だということは、わしと王の他は数名しか知らぬ。レトラ族の古老に接触した時点から見張られていたのだろう。そうとしか考えられん」

 「しかし理由が未だ分かりません。レトラの古老が隠していた文書に、一体、何が?」

 「さて。それは解読待ちじゃが――ひとつ、話を聞いていて考えていたことがある。あんたたちの出会った”エサルの導き手”なる集団が、東方騎士団の一部にせよ手を結んでいる可能性があるのではないか、とな。だが性質の異なる二者が手を結ぶというのは、互いの利益が一致する時以外にあり得んじゃろ」

足を止め、メイザンは、足元に落ちる自らの影に目をやる。

 「どうも嫌な予感がする。わしの最悪の予想が正しければ、アルウィンにとっても辛いことになる」

 「どういうことですか。」

 「今はまだ、はっきりとは見えていないのだがな。――今、伝えられることは、一つだけだ」

老学者はウィラーフを振り返り、じっと目を見つめた。

 「このサウディードには今、東方騎士団長ローエン殿の末息子が”預け”られとるんじゃよ。」

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