第21話 旧縁、再会
外から見たときはそう広い町には見えなかったのに、実際のサウディードの中はとてつもなく広く、しかも階段を上り下りするところが山ほどあって、まるで迷路のようだ。
「これは、一人で戻れる自信ないわね…」
シェラが苦笑しながら言う。
歩いていると、アルウィンを見つけて話しかけてくる人や、通りすがりに気さくに手を振る人が沢山いる。以前この町にいたことがあるとウィラーフは言っていたが、本当に顔見知りが多いらしい。通り過ぎる人々は、揃いのローブを身に着けている。ここの制服なのだろうか。
「いろんな人がいるわね」
行き交う人々の見た目は様々で、他の場所でなら目立つだろうシェラやワンダさえ、普通に埋没している。
「ここには国じゅうから優秀な研究者が、出身を問わず集められている。クリスのように、代々研究者としてここに暮らしてる人たちも多い。王国議会が招集された時の王都なみに、ここでは希少部族の人たちともよく会うよ。」
「ふうん…そうなんだ」
「あー、あっち、いい匂いするぞ」
ワンダが勝手に駆け出そうとしている。
「ちょっと。一人で行ったらはぐれるわよ」
「平気だぞ。アルウィンたちの匂い、たどればいい」
「あっちは食堂だな」
駆け出そうとしていた先の建物を眺めて、アルウィンが言う。
「ここは観光地ではないから、食事がとれるのはあそこだけなんだ。だけど料理は全部、逸品だよ。お茶やお菓子もある。庭園を観ながら食べられる席も在るしね」
「へえー、そうなんだ」
覗いてみると、昼食には遅い時間ということもあり、広い食堂には人はまばらだった。お茶を手に談笑してる人、本を積み上げて必死で何か書きつけている人。天井につっかえそうな大男に、こびとのような女性、耳の尖った人や、ワンダのように毛深い人もいる。
「それから、この奥にはいろんな施設がある。図書館、博物館、歴史研究所、科学院。外部から来た一般人は入れない場所も多いけど、図書館での閲覧は研究目的のために解放されている」
「ずいぶん詳しいのね。」
「ここには二年いたからね。隅々まで覚えてる」
「ふーん、まるで留学ね。楽しかった?」
何気なく聞いてから、シェラは思わず口元に手を当てた。「…ごめんなさい。楽しいわけないわね」
彼女の反応を見て、アルウィンは思わず苦笑する。
「ウィラーフに何か聞いた?」
「えっと、…うん。ちょっとだけ」
「珍しいな。彼が口を滑らせるなんて」
「あたしが、しつこく聞いたりしたからだと思う。」
「……。ウィラーフが何て言ってたかは知らないけど、おれは、ここでの生活は本当に楽しかった」
彼は、食堂の向こうに見えている庭と、熱心に何かを議論している若い研究者たちの姿を眺めた。
「ここへ来た当初は確かに、警戒されて誰も話してくれなかった。でもクリスや他の人たちと親しくなってからは、本当に有意義な日々を過ごせた。町からは出られなくてもこれだけ広い場所だし、それに、ここにいた二年間で、他所では勉強出来ないことを沢山学べたからね。あのメイザン先生に直接教えを乞うなんて、王族でもなきゃ普通は無理だ」
多分、本当にそうなのだろう。彼なら、たとえ不自由な生活を強いられていても、気にせず図書館で書物に没頭するくらいは、ありそうに思える。
「でも…寂しくなかったの? 不安だったり」
「それは、少しは…だけど、ここに預けられたのは、むしろ気遣いだったんだと思うよ。王宮に住まわされるよりは、ずっと」
食堂をあとに、隣の建物へ続く回廊を横切ろうとしてた時、向かいのほうからクリスがぱたぱたと駆け出してきた。
「あーアル君。それにシェラさんにワンダくんも。見学中ー?」
「そう。二人を案内してるんだ。クリスは?」
「さっきのお使いが追わったとこよ。レトラ語の専門家に巻物の解読依頼。北方民俗学の先生と古伝承学の権威にそれっぽい資料の確認依頼。あと色々ね。良かったら、続きは私が引き受けよっか?」
おさげ髪の少女は、意味ありげにアルウィンを見やる。
「アル君のことだからー、どうせ、久しぶりに大図書館に籠もりたいなーとか思ってるんでしょ」
「……。」
「ははーん、その顔は図星ね」
クリスは、訳知り顔に頷いて、後ろの二人のほうに顔を向ける。
「じゃ、私が案内するわ。いいでしょ」
「ええ、それは構わないけど…」
「…よろしく、クリス」
アルウィンの反応からして、本当に、図書館に行きたかったらしい。シェラは苦笑した。
「そんな顔しないで。ここに戻って来られる機会なんて滅多に無いんでしょ? ゆっくりしてきて」
「うん、…あとでウィラーフが戻ってきたら、夕食は一緒に。それじゃ」
いそいそと立ち去っていく少年の後ろ姿を、クリスは、嬉しそうに見送っている。
「変わってないなー、アル君は」
「あなた、彼とは親しかったのね」
「同年代ってあんまりいませんからね、ここ」
少女は笑う。
「最初、何て呼んでいいか悩んだんですよね。立場上、監視しなくちゃいけなかったんだけど、なんかそんな感じじゃなくて。気がついたら友達になっちゃってたんですよ」
「それでルグルブ語を?」
「はい。ルグルブの言葉を教えてくれって言われた時は、ちょっとびっくりしましたけど、すごく飲み込みが早くて、あっという間でしたね。」
「最初会ったとき、あたしに話しかけてきたのも珍しいくらい綺麗なルグルブ語だったわ。教え方が良かったのね」
「えへへ、いやー。」
屈託なく笑う少女の表情からは、敵意は何も読み取れない。おそらく彼女も、最初は監視役として距離を置いて接していたはずなのだ。立場の違い、建前、世間体。そうしたものを感じなくさせたのは、アルウィンの持つ不思議な雰囲気のせいかもしれなかった。
「あ、そうだ。ここ、泳げるとこあるんですよ! あとで行ってみません?」
「え、ほんと? いいわね。それ」
「おお、ワンダ泳ぐの好きだ。泳ぐぞ!」
はしゃぎながら奥へ向かっていく三人の頭上には、ちょうど、伝令用の鳩を飼う塔がそびえ立っている。
彼らが回廊を歩き去ろうとしていたちょうどその時、塔の窓からは数羽の鳩が、王都への伝言を携えて飛び立とうとしていた。
報告書を飛ばす、という役目を終えて塔を出てきたウィラーフは、ふと足を止め、手首に巻いた包帯を見下ろした。
クニュルコニャルの村で囚われた時、縛られた腕をなんとかして自由にしようと暴れた結果の傷だ。幸い、削れたのは皮膚と肉の一部だけで、見た目の酷さのわりに傷は深くないが、まだ、じくじくする痛みが残っていて、指を動かそうとすると微かな痛みが走る。さっき報告書を紙に書き付けている間も、ずっと書きづらいと思っていた。
あの時、我を失ってどうしていいかわからなくなっていた彼を正気に戻してくれたのは、シェラの一喝だった。
それまで旅の邪魔でしかないと思っていた、何も知らない部外者の女性――学識も深慮もなく、お世辞にも品がいいとは言えない田舎娘そのものだ。見てくれだけのいい中身のない女性など、王都の貴族令嬢たちのなかにはごまんといる。そんな娘たちと変わらないと思って、何も親しみもなく、意図的に距離を置くように心がけながら接していたつもりだった。
それなのに、あの瞬間、彼女を「旅の同行者」という個人として認識してしまった。
(…だが、あの女は結局、部外者に過ぎない。この先も、ただの足手まといでしかない。予言の力が在る? とても信じられない。そんなお伽噺など)
小さく首を振り、彼は足早に塔を離れた。
荷物は部屋においてきた。今の彼の持ち物は、腰に提げた剣だけだ。その剣の柄には、旅の間ずっと仕舞っておいた金色の房飾りが久しぶりに揺れている。
宮廷騎士団に属する印だ。「王立」研究院である以上、その意味を知らない者はなく、必然的に、これが身分証代わりになる。
この都市が広大な敷地の中に幾つもの区画に分かれて研究機関が存在することは、前もって知識として知っていた。
宿舎のある場所は、町の中枢にあたる場所だ。町の入口に近い方に戻れば、かつてここが王宮だった頃の歴史を展示した、外部者向けの小さな博物館がある。奥へ行けば、研究院と職員たちの暮らす生活の場。どちらにも興味がない彼は、特に目的もなく、なんとなしに庭園のほうに向かって歩き出した。
壁に囲まれたサウディードの中は、のどかそのものだった。
非番らしい職員がのんびりと猫と一緒に日向ぼっこをしている。動物を飼うことは禁止されていないらしい。小さな公園には家族づれがいて、小さな子供を遊ばせながら何か学術談義をしている。両親ともにここの職員で、職場結婚なのだろう。買い物のできる店の並んだ通りまであった。生活に必要なものは、城壁の中にすべて揃っているというわけだ。
外界から隔絶され、自由に出入りは出来ないものの、見方を変えれば研究者たちの楽園のようでもある。
「……。」
それとも、囚われた者にとっては牢獄なのか。ウィラーフには、どちらともつかなかった。自らの意志に沿わず、ここに送り込まれた者たちは、一体、どんな風に感じながら暮らしているのだろう。
足を止めた時、柱にもたれかかっていた大きな影がゆっくりと動いた。
「ちょっと、あんた」
頭上から、声が降ってくる。
「ここじゃ武器の携帯は禁止だよ――って、その印。もしかしてあんた、アルウィンが連れてきたお客さんかい?」
見上げると、人間離れした赤毛の巨大な人物が、こちらを見下ろしている。女性とは思えない腕の太さだ。…女性? …おそらく、正しい認識のはずだ。少なくとも、髭はない。
声をかけてきた巨体の女性のむき出しの腕には、町に入る時に見た警備兵がつけていたのと同じ、町の印が染め抜かれた腕章がある。
「はじめまして、あたしはオーサ。ここの警備隊長をやってる」
並の男の二倍はありそうなゴツい手が、握手のために差し出される。
「近衛騎士のウィラーフ・レスロンドだ。噂には聞く、ここの”守護神”か」
「あはは、やめておくれよ。その肩書き、父さんのお下がりなんだから。せめて”守護女神”とかにしてほしいよ」
そう言って、ウィラーフより頭三つ分ほども背の高い女性は大声で笑った。
記憶をたどり、ウィラーフも、ようやく思い出した。
ここサウディードには様々な種族がいるが、その中でも珍しい巨人族だ。彼女たちは本来、はるか南の大陸に住み、かつては野蛮人と呼ばれていた。その種族に接触し、友人となった数人を国に連れ戻ったのが若い頃のシドレク王。そして、その時に連れ帰った中の一人で、王の盟友とも言われた人物の娘が、このオーサなのだ。
王国生まれだけあって言葉に訛りはなく、特徴的な外見をのぞけば南方人らしい面影はない。
「アルウィンと、他の二人はどうしたんだい? 一緒じゃないのかい」
「他の連れを案内しているはずですが――よくご存知ですね」
「警備隊長が、来客の予定も知らずに務まりゃしないよ。もちろんここの住人は、”預かりもの”まで全員知ってるさ。」
と、オーサは自分のこめかみを叩きながら、凄みのある笑みを浮かべる。
「あの子、元気にしてたかい? あんな細っこい子が、何やら危険な仕事をやらされるっていうんで、あたしゃ心配してたんだけどね。」
「元気ですよ、あなたが心配していたと伝えておきます」
「あとで遊びにおいでって、言っといておくれね。大丈夫、今度は気絶するまでシゴいたりしないから、ははは! それじゃ」
笑いながら、オーサは図体に似合わず足音もたてずに去っていく。
「…気絶するまでシゴいた?」
ウィラーフは、唖然としたままその言葉を反芻していた。
「一体…何を…。」
あの太い腕に文字通り「シゴかれた」のなら、よほどの戦士でもない限り、生きて帰れそうにないのだが。
気を取り直し、歩き出そうとした時だ。
「わっふぅー」
「きゃ、ちょっと! そんなとこで水滴落とさないでよっ」
聞き覚えのある声が、回廊の奥から響いてきた。明るい日差しが差し込んでいる。
引き寄せられるようにそちらに向かって歩いていったウィラーフは、水しぶきをあげてはしゃぐ藍色の髪の女性と、びしょ濡れになりながら白と黒の毛を奮っているワンダの姿を見つけた。
建物の合間にある、四角い水盤の中で、二人が水をかけあってはしゃいでいる。側には、水着姿のクリスも一緒だ。
「ね、ワンダ。向こうの端まで競争しない?」
「おう、いいぞ。ワンダ泳ぐの早いぞ」
「そう? 犬かきなんかには負けないわよー」
長い髪をまとめ上げたシェラが、不敵な笑みを浮かべる。クリスり借りたらしい薄手の水着は、彼女の肢体の輪郭を惜しげもなく浮き立たせている。
ウィラーフは、柱の陰に立ったまま、ぽかんとしてその様子を眺めていた。
これは――、一体、何の騒ぎなのだろう――?
「クリス、合図お願いね」
「はーい。位置についてーよーい…」
シェラはワンダが、それぞれ、水盤の端に身体を沈める。
「どんっ!」
水しぶきを上げて、二人同時に泳ぎだした。ワンダは見事な犬かきだが、シェラのほうは、ほとんど魚のように水の中を一直線に進んでゆく。流れるような美しい身体の動きには、思わず感嘆の声が出るほどだ。
(人魚の末裔、か…。)
そう自称するだけのことはある、見事な泳ぎ方だった。
反対側には、シェラのほうが僅かに早く到着した。
「うー」
ばたばたと手足を動かし、遅れて到着したワンダは、苦しそうに息をしている。
「シェラ、早いよぅ~」
「うふふっ。ルグルブに泳ぎで勝とうなんて、千年はや…あら」
ふと、視線に気づいたシェラが顔を上げる。はっとして、ウィラーフは思わず柱の影に一歩、下がった。
「やだ、ウィラーフ! いつから見てたのよ」
シェラは、慌ててまとめていた髪を下ろし、水の中に半分、身体を沈める。
「誰もいないと思ったから水着借りたのにー」
「…そんなもの見るか。」
「そんなものとは何よ!」
柱の後ろに隠れたまま、ウィラーフはわざとぶっきらぼうに尋ねる。
「アルウィン様は? 一緒じゃないのか」
「あー、さっき別れてそのまんまね。図書館に行くって」
「図書館?」
「私、あとで見てきますよ。」
クリスが立ち上がる。
「ウィラーフさんも泳ぎます? なんちゃって。冗談ですよ、そんな顔しないでくださいってばー。」
「……。」
はあ、とひとつ、彼はため息をついて額に手をやった。
どうにも調子が狂ってしまう。気を抜くと、ここが何処なのかを忘れてしまいそうになる。平和な、ただの学術都市だと認識してしまいそうになる。
だがこの町にはもう一つの、限られた者にしか認識されていない、「裏の顔」がある。
シェラたちが泳ぎに夢中になっていたその頃、アルウィンは、図書館でもう一人の旧知の友に再会していた。
サウディードの中心に近い場所にそびえ立つ、地下二階から地上三階の丸いドーム状の屋根を持つ建物。それが、この町自慢の大図書館だった。
この国最大の知恵と知識の結晶体。ありとあらゆる言語で書かれた、古今東西の書物の集大成。
王宮の地下にある”書庫”が、王国の歴史と王家の文書に特化し、限られた人々にしか公開しないのに対して、ここには分野を問わず幅広い書物が集められ、外部の研究者たちも自由に使えるよう解放されている。
三年ぶりにやってきた大図書館は、何も変わっていなかった。変わらない紙の匂いと、整然と並ぶ書架の群れ。古びた革表紙の本がぎっしりと詰め込まれ、研究者たちが目当ての本を探して行き交う。書架の間にある読書台に本を積み上げてせっせと書き写している者もいる。
アルウィンは、二階の書架の先にある明るい窓辺を目指した。その辺りはあまり、人が来ない。庭を見下ろせる出っ張った窓の中に、本を読むための小さな読書台と、向かい合わせの椅子が一組。柱の影にあるせいで、ここに先客が座っていることは滅多に無く、誰かが横を通りかかることもなかった。
以前は、ここが定位置だった。
三年前、ここを去った日まで、ほぼ毎日のようにこの椅子に腰を下ろして書物をめくっていた。
「懐かしいな…」
椅子の背に指を伝わせ、彼は呟いた。そして、席から見える風景を眺め回した。
(ここは変わらない。以前のままだ)
窓から見える庭には、研究用の珍しい植物ばかりを植えた植物園になっている。手入れをしているのは植物学の研究者たちだ。それに、この国では手に入らないような珍しい植物も、この地方では育たないようなものも、特別に調整された温室に行けば見ることができる。
この町なら、旅することなく遠い異国の花の香りを嗅ぐことも、見たこともないような動物に餌をやることも出来る。不思議な響きを持つ歌を聞き、遠い昔に書かれた絵を見ることも――。
「――アル?」
聞き覚えのある懐かしい声に呼ばれて、アルウィンは我に返った。振り返ると、両手に本を抱えた青年が一人、目をしばたかせている。
立っていたのは、ひょろりとした長身の青年だった。目をしばたかせ、はにかむように少し、笑った。
「戻って来てると、さっき話している連中がいたから、ここに来れば会えると思った。…元気そうだな、久しぶり」
「うん。久しぶりだね。…ランディ」
ランディと呼ばれた青年が着ているローブは、研究員たちの来ている揃いの白衣やローブとは違う、暗いくすんだ色をしている。それの意味するもを、アルウィンは良く知っている。かつて彼自身、それを着ていたことがある。
”預かりもの”。
この色の服を来ている者は、研究員と区別され、出入り出来る場所も限られ、常に監視の目に晒される。
――政治的、あるいは家庭的な、やむにやまれぬ事情によって人目のない場所に暮らさざるを得なくなった良家の人間を、世間体良く長期間「幽閉」するための場所。
学術「要塞」都市サウディードの持つ、これが、もう一つの姿なのだった。
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