第20話 学術都市サウディード
大陸の東の地域は温暖な気候で雨が多く、森林地帯が広がっている。大陸の中央から東へ向かうと、荒野が草原になり、やがて森に変わるという変遷を目にすることが出来るはずだった。
目指すサウディードの町も、そんな緑に囲まれた中にあった。
西には無い、大きな樹々の生い茂る森を抜けると、目の前に、巨大な白い壁が姿を現した。壁の向こうには、特徴的な丸みを帯びた屋根が、まるで壁上に大きなたまねぎを載せたような形で乗っかっている。丸い屋根がいくつも前後に重なっているさまは、かごに大盛りのたまねぎを見ているようで、少し愉快な光景だ。
「あそこがサウディードなの? 全然町には見えないけど…
町のある場所は周囲から一段、高くなっていて、丘と森がまるごと、壁の中にマフィンのように包み込まれている。離れたところから見ると、町というよりも森の奥に隠されたお金持ちの豪邸のようだ。
「そう。王家の直轄地、学術”城塞”都市、サウディード――」
町は周囲より一段高く作られていて、出入りのための門までは幅の広い階段が続いている。四人がその階段の下に近づくと、すぐに門の前から兵が数人、駆け降りてくる。
「少し待っていて。話してくる」
アルウィンは、慣れた様子で兵たちに近づいていく。身分証をみせるとか、来訪の目的を告げるとかの手続きだろう。
残りの三人は、階段のいちばん下の段で待っている。
「想像してたのと全然違うわね。学術都市っていうから、もっと解放された感じだと思ってた」
「ここは王国の機密情報の集積体だ。兵器戦略の研究、貴重な遺産や財宝の調査、場合によっては、国策に関わる決定もここで成される」
と、ウィラーフ。
「中にいるのは、その道の専門家ばかりだ。外交文書などは、議会にかける前にここで叩き台が作成されることもある」
「さすが。宮廷騎士様は詳しいのね」
「…本来なら、一般人が立ち入れる場所ではないんだぞ。」
彼は、じろりとシェラを、というよりその向こうにいるワンダを睨んだ。
「いいか。絶対に、そのへんのモノに触って壊したりするんじゃないぞ。」
「はーい」
「はーい。」
二人はすました顔で同時に言って、思わず吹き出した。ウィラーフは渋い顔。
入り口の警備と何か話していたアルウィンが戻ってきた。
「許可は降りた。行こう」
門をくぐる時、シェラは、左右から警備兵たちの怪訝そうな視線を感じた。アルウィンとウィラーフはともかく、自分とワンダは確かに、ここでは場違いなのだ。
つまみ出されないためにも、中に入ったら、あまり騒がないほうが良さそうだ。
門を入り、たまねぎのような屋根の下を潜りぬけると、そこは、色とりどりのタイルが床に模様を描き出す広場になっていた。立派な庭園だ。よく手入れされた花が広場の縁を彩り、金色に塗られたベンチが、木陰に上品に並んでいる。
「すごいわね。ますます、想像してたのと違う。まるで王宮みたい」
「それで正解だよ。ファルーク王国の離宮だったのを、そのまま再利用してるんだ。」
「ファルーク?」
「五百年前にアストゥールに併合された国の一つで、海洋貿易を得意としていた。この辺りはもう、旧エスタード領じゃないんだよ。」
話している間に、ワンダは、はじめて見る花に近づいてフンフン鼻を鳴らしている。気づいたウィラーフが、後ろから彼の尻尾を掴んだ。
「おい。あまりウロウロするな。むやみにその辺のものに触るなと言っているだろう」
「えー、ワンダなにも壊してないぞ」
「花壇に足が入っているだろうが。そこを離れろ」
まったく…と、ウィラーフはぶつぶつ言いながらため息をつく。
その頭上を、白い鳩の群れが旋回していた。壁の一角に、木枠の窓が取り付けられた、少し色あせた細い塔がある。
「連絡網ですね」
ウィラーフが言うとアルウィンも、そちらを振り返った。
王国内の機密文書のやり取りは、空―― 伝書鳩を介して行われる。ことに王と、王直属の”リゼル”のような人々は、連絡網と呼ばれる幾つかの拠点から、定期的に王都に連絡している。
「王からの指示が届いているといいんですけどね。」
と、ウィラーフ。
「そうだな。こちらからの報告も飛ばさないといけないし、後で行ってみよう。まずは、メイザン先生にご挨拶に行こう」
「メイザン先生?」
「サウディードの学長だよ。他の都市でいえば市長に該当する役割の人だ。」
アルウィンは、庭の向こうに見えている、ひときわ立派な正門に向けて歩記出す。
そこには金色の優雅な文字で、こう書かれていた。――「王立研究院」。
両開きの重たいドアを開くと、静まり返ったホールに軋む音が響き渡る。
中は薄暗く、外見より古びている。元が離宮というだけあって、いかにも王族の好みそうな造りだ。広い階段の途中には踊り場があり、正面には巨大な肖像画。大理石の手すりには浮き彫りの文様。二階まで貫く太い丸柱。使われていないようだが、ガラス細工の優雅な灯りもぶら下がっている。
「メイザン先生の研究室は、この上だよ。奥は今は会議室になってる。敷地内は意外と広いから、迷ったらここへ戻るように――」
話し声を聞きつけて、二階の扉が開いた。濃い藍色の髪を左右で三つ編みにして垂らした、眼鏡をかけた白衣の少女が飛び出して来る。シェラは即座に、少女の深い藍色の目に気がついた。
間違いない。自分と同じ、ルグルブの血を引いている。
「アル君?」
階段の上からアルウィンの姿を見つけると、少女は勢いよく階段を駆け下りてきた。
「やっと着いたのね! アル君っ 久しぶり―――!」
「?!」
全速力で駆け寄って来る勢いに、危うくウィラーフが剣を抜きかけるほどだ。
「クリス、ちょっと落ち着いて…」
「あっ、ごめんなさい! でもでも、近々くるって連絡来て、すっごく楽しみで。ああもう久しぶり! 元気だった? ごはん食べてた?」
「……。」
気まずい雰囲気が流れた。
はっとして、少女はあわててアルウィンから離れた。顔が真っ赤だ。
「えーと。彼女はクリスティナ。この研究院の研究生の一人」
「はじめまして! クリスです。あの、…その」
「あなたルグルブなの?」
と、シェラ。
「はい、三代目ですけど。母方の祖父母がイェオルド出身で」
そう言って、少女はシェラににっこりと笑いかけた。
「アーシェラさん、ですよね。連絡はいただいてます。私、ここで生まれ育ったからイェオルド谷にはまだ行ったことないんですよ。あとでお話聞かせてください! あと…」
視線が、順番に来客たちを辿ってゆく。まるで、報告と一致しているかを確かめるように。
「…ウィラーフさんと、ワンダラウさんですね。お待ちしてたんですよ。どうぞ、こちらへ」
白衣の裾を翻し、階段を登ってゆくクリスの後にアルウィンたちも続いた。
彼女は、かつては絨毯が敷かれていただろう長い廊下の突き当たりにある、使い込まれた濃い色の扉の前で立ち止まった。
「メイザン先生のお部屋はこちらです。先生、入りますよー」
声をかけてから重たい扉を押し開くと、中からは、古びた紙の匂いが溢れだして来る。
部屋の中は天井が高く、その天井近くまでびっしりと書架に覆われている。
かつて高貴な人々の客間だったらしい、研究室というにはあまりにも洒落た空間だ。天井画の下に書斎机が置かれている。大きな机の上に積み上げられた本や書き物を見下ろしているのは、壁に嵌め込まれた彫刻だ。
部屋の主は、そんな部屋の中に平然と座っていた。
小さな丸めがねを鼻の上にちょこんと乗せた、小柄な老人だ。髭はふさふさとして、口元からあごをしっかり覆っているのに、額は少し禿げかかり、丸い鼻の頭はかすかに赤みを帯びている。
老人は、部屋に入ってきた一行を見やり、アルウィンに目を留めると、わずかに微笑んだ
「おお、アルウィンか。よく来たな。」
立ち上がり、皺の寄った大きな手で握手する。
「元気そうで良かった。道中は、なかなか大変だったみたいだが。疲れたろう」
「それほどでもありません。」
「まあ、座りなさい。皆さんも。クリス、お茶を」
四人は、勧められるままに部屋の真ん中にしつらえられた大きなソファに腰を下ろした。
「自己紹介が遅れたな。わしは、研究院の院長、メイザン・グランナール」
老人は、アルウィン意外の三人にも、それぞれに握手の手を差し出した。
「あんたは、近衛騎士のウィラーフじゃな。アルウィンとは昔なじみだと聞いておる。力になってやってくれ」
「…あなたのことも、お噂はかねがね聞いていますよ」
どこか棘のある用心深い口調で、彼は応じる。
「かつて王の”教育係”も務めた、王国一の学者。シドレク様が師と仰ぎ、絶対の信頼を寄せる数少ない人物の一人でもあると聞いています」
「はっは、まぁ、あのやんちゃ坊主に多少は意見できる程度の老輩じゃよ。――で、あんたがアーシェラか。ここにはルグルブもおるぞ」
「はい。さっき逢いました。もしかして彼女が、アルウィンのルグルブ語の師匠なんですか?」
「そういうことだ。」
老人は、笑顔で頷いた。
「それから――アジェンロゥ」
「ワンダだぞ!」
「よろしくな。ここにも何人か、アジェンロゥが働いておる。」
「毛深い子、いるか?!」
「どうじゃろうなあ。聞いてみるとよいぞ」
「わふっ。そうする!」
「さて、と。」
全員との握手を終えると、メイザンは向かいのソファに腰を下ろし、アルウィンのほうに向き直った。
「さてと。バレアスからの連絡にあった内容だが。レトラ語の文書の解読が必要なんじゃったな?」
「はい。こちらを」
アルウィンは、大事に隠し持ってきたハンカチ包みの束を手渡した。
「少し解読を試みてみましたが、どうやら文学的な詩のようで、意味が不明瞭です。ローレンスが借りるはずだった書物の一部を、レトラの古老が記憶を頼りに書き写したものだと思います。
「ふむ。確かに」
羊皮紙にびっしりと書かれた文字を拡大鏡でひと通り眺めたメイザンは、元通りそれをくるんで、机の上においた。
「ま、この学院なら解読にそう時間はかかるまい。それから―― 王国の建国詩の話だったな。”エリュシオン”?」
「そうです。おそらく、このレトラの詩もその詩の一部だと思われます。なぜかは不明ですが、王を襲撃した集団はその詩を探し求めているように思えるんです。」
「なるほどな。別々の場所に隠された謎めいた詩の断片…何故かその存在を最初から知っていた連中…」
「あたしが持ってる詩は、ルグルブの族長ライラエルが視た未来だと伝えられてます」
シェラは、首にかけていた鎖を取り出して言った。
「だけど、この詩に続きがあるなんて、あたしたちのところでも伝えられていませんでした。本当に繋がった一つの詩なのか、だとしたらなぜ秘密にされてきたのか、それが知りたいんです」
「ふうむ…。」
「お待たせしましたー」
話していた時、クリスが手にお茶を載せたお盆を捧げ持って戻ってきた。
メイザンは、シェラの手から青い石を借りて、クリスの目の前に差し出した。
「クリス。お前、これが何か判るかね」
「え?」
少女はお盆をテーブルの上に置いて、石を受け取った。
「”約束の種を植えなさい、その樹は希望へと繋ぐもの”―― ああ、おばあさんから聞いたことあります。これって、伝説の予言者ライラエルの詩ですよね」
「やっぱり、そこまでは知ってるんだ」
と、シェラ。
「はい。五百年前、”統一戦争”のとき、その勝敗を予言したっていうルグルブですよね。ルグルブは一生に一度は未来を視るって言われてるけど、普通は身近な人の近い未来なんですよ。ただ、その人だけは物凄い力の持ち主で、自由に未来を視て、しかも、何十年も先のことまでぴたりと当てたって言われてます」
「すごいな、それは」
アルウィンが相槌を打つ。
「そのライラエルが残した予言の中でも、まだ実現されていなくて、意味もよく判らないっていうのが、この詩ですね。」
そう言って、クリスは石をシェラに返した。
「よく知ってるのね、あなた。谷に戻ったことないんでしょ?」
「祖父母が両方とも、ここの研究員でしたからねー。うちは代々、ルグルブの歴史と言語の研究をやってるんです」
言いながら、メイザンを含めた五人分のお茶を注ぎ分けていく。
「シェラは、その詩と絡む未来を視たと言ってます」
アルウィンが話を続ける。
「黄金の樹が炎に包まれる、不吉な夢。王にはもう伝えたそうだな」
「はい。――謎の襲撃者たちは、その夢の視た未来と関係している気がするんです。今回、東へ旅をする間にも偶然とは思えない出来事がいくつもありました。嫌な予感がしています…何か、知らないところで陰謀が張り巡らされているような」
「それは、まだ報告していない話だな」
「はい」
アルウィンは、居住まいを正してメイザンを見つめ、順を追って話し出した。
アジェンロゥの住む岬の墓所に隠されていた詩のこと。
”エサルの導き手”と名乗った謎の集団のこと。
「エサル、か。…どこかで見かけた名のような気もするが。おそらく古い伝承の一部だな」
「調べておきましょうか」
後ろで聞いていたクリスが言う。
「さっきのレトラの詩と合わせて依頼しておくように。なに、すぐに判明するだろう。ここは、あらゆる分野の専門家の集う都市。」
「それに、都市内は警備も万全です。外部からの襲撃者の心配はありません」
シェラが笑顔で請け負った。
「旅の疲れもあるでしょ。しばらくはゆっくり羽根を伸ばしててくださいな。その間に、調査を進めます」
「ありがとう、クリス」
「さて、では皆さんを宿舎にご案内してくれ。アルウィン、用があればいつでも訪ねてくるといい」
「はい。」
頷いて、彼はお茶を飲み終えたカップを置いて席を立つ。
中庭に出ると、気持ちのいい日差しとともに鳥の声が響いてきた。
「クリス、容易してくれた宿舎は、来客用のところ?」
と、アルウィン。
「あ、うん。」
「それなら場所は分かるから、案内は大丈夫だよ。」
「それじゃ鍵をお渡ししておきますね。一番の部屋から順番に四つ、確保してあります。一人一部屋使えますよ」
「ありがとう。」
クリスは鍵の束を渡すと、同行者たちにぺこりと軽く頭を提げ、スカートを翻して勢いよくどこかへ駆けていく。ひっきりなしに動き回る、元気そのものの姿だ。
「宿舎まで案内するよ。その後は、どうする? もし中を見て回るなら案内する」
「私は、塔へ言った王都への連絡を飛ばしてきます」
ウィラーフが言う。
「それじゃ、あたしはアルウィンと一緒に行こうかしら。」
「ワンダもー」
「じゃあ、そうしよう」
こうして、四人は二手に分かれることになった。
学術都市という名からは想像もつかない、まるで王宮そのものの手入れされた庭がどこまでも続いている。
花の作るトンネルを抜けると、すり鉢状になった丸いくぼみを取り巻くようにして、四方から続く階段と、周囲を取り囲む塔のような建物の群れが、広がっていた。
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