第19話 第五の詩片

 ワンダの家でぐっすり眠り、なんとか体調の戻った翌朝、一階のテーブルの前には、ロアがどっしりと腰を下ろし、神妙な顔でアルウィンたちを待ち受けていた。

 「客人たち、そこに座る」

 「え? はい…」

何事かと思いながらアルウィンたちが腰を下ろすと、ロアは、いきなり頭を下げた。

 「昨日は、ほんっっとうに、ごめんなさい、だぞ!」

勢いよく頭を下げすぎて、テーブルの上に額をぶつける音が甲高く響く。

 「とうちゃん反省してるんだぞ。ワンダ、ちゃんと説明したぞ。アルウィンたち、王様の大事なしごとの途中。あいつら王様狙ってた、わるいやつ」

 「めんぼくない…ご先祖に顔の皮むかれる」

 「…それを言うなら、顔向けできない、だと思います」

 「おお」

 「問題ありません。それより、こちらこそ巻き込んでしまってすいませんでした。村の皆さんに、お怪我が無ければいいのですが」

 「怪我してるの、お連れさんだぞ」

と、サウラが横から口を挟む。ウィラーフのことだ。

 昨日、たっぷり睡眠をとったお陰で船酔いのほうはすっかり良くなったようだが、無茶をしたせいで石で擦り切れてしまった両腕は、包帯を巻いたまま、まだ血が滲んでいる。

 「この程度、大したことはありません。剣さえ持てれば役目は果たせます」

答えるウィラーフは、いつもどおりの硬い口調に無表情だ。昨夜一瞬だけ見せた、あの狼狽した姿が嘘のようだった。あれは夢だったのではないかと思いたくなるほどだ。

 「墓所のほうですが」

と、アルウィンが言葉を続ける。 

 「壁が崩れたところに文字が現れていましたよね。もう一度、調べてみたいのですが」

 「おお、構わないぞ。あいつら壊した記念碑、また元に戻したい。見に行くなら、今のうちだぞ」

 「そうします」

この村の獣人たちは、神聖文字は読めない。彼らにとっては、壁に書かれた文字よりも、五百年の間ずっと守ってきた何もない石のほうが、本当の「記念碑」なのだ。




 朝食の後、アルウィンたちは、ワンダを残して三人で再び墓所を訪れていた。

 「ほんとだ、綺麗に残ってるわねこれ」

昨日は奥の壁に注意を払う余裕もなかったシェラは、壁の前に立って驚いたように文字を見上げている。

 「また、詩ね…。前のと調子が似てる」

 「奴らがこの村に来たのは、この詩を確かめるためだったんだと思う。そこに丁度、おれたちも来たものだから、おそらく目的が同じだと勘違いして先走った」

 「余計なことしちゃったわね。」シェラが皮肉っぽく笑う。「もし、あたしたちが居なくなった後なら、きっと気づかなかったでしょうに」

 「…まさか、こんなところにも紋章の宝石で動く仕掛けがあったとはな」

ウィラーフは、取り戻した剣を腰に提げ、少し離れた洞窟の入り口のあたりに立っている。あの襲撃者たちが戻ってくるのを警戒しているのだ。

 「で、シェラ。何て書いてある」

 「ええっとね…。」

彼女は、ひと呼吸置いて読み上げた。


//  百に砕けた大地のかけら

//  千に砕けた人の心

//  強き根が結びつけ

//  混沌の海に沈まぬように

//  忘却の空に散らぬように


//  黄金の樹は剣となり

//  白銀の樹は盾となる


//  イルネスの中つ大地にて

//  ともに出会うその日まで


 「…同じ詩、か」

アルウィンは呟いた。 

 「シェラの首飾りの詩。ハザル人の祭壇にあった詩。王都の中庭にある詩。もしかしたらレトラの長老が残してくれたものも…だとすると、これで五つ目だ」

 「どういうことなのかしら。まさか、ライラエルの予言は本当は長い詩で、幾つかに分散して記録されていたってこと? でも、どうしてそんな面倒なことを」 

シェラは、首に下げた石を握りしめた。

 「それに、『白銀の樹』って? 王家なら、『黄金の樹』よね? 銀は…」

言いかけたシェラは、隣で険しい表情をして壁を見つめている少年の表情に気づいた。


 ”白銀戦争”。

 「もう一つの王家」を自称した、北の自治領の領主家。

 彼は――その家を継ぐはずだった、ただ一人の人物だ。


 「シェラ、…この碑文の内容、書き留めてもらってもいいか? 念の為、記録をサウディードに持っていきたい」

 「あ、うん」

シェラは、差し出された手帳とペンを受け取る。余計なことを聞ける雰囲気ではない。

 「ウィラーフ、ちょっと」

二人は、墓所の前の道へ出てゆく。入り口からは姿が見える距離だが、会話までは聞こえない。


 シェラから聞こえないところまで来ると、アルウィンは、おもむろに口を開いた。

 「昨日襲ってきた連中に、妙な提案をされたんだ。『故郷のために働くなら助けてやってもいい』。」

 「故郷…それは…」

 「シドレク様を暗殺して王家を滅ぼせ、というものだった」

 「!」

ウィラーフの表情が、瞬時に険しくなる。

 「奴ら、そのような大それたことを…!」

 「もちろん、すぐ実行に移すわけじゃないだろう。それが出来るほど警備も緩くはない。ただ、奴らかがシドレク様の命狙っているのだとすれば、王都を出たあとすぐに襲われたのは、そういうことなんだろう。いずれ準備が整えば襲ってくる、そういう気がしている。」

 「急ぎサウディードへ向かいましょう。この辺りで報せを飛ばすなら、あそこが一番近い」

アルウィンは頷いた。

 「それと――奴らは、おれのことを知っていた。北方人の外見と訛り。考えたくはないが、クローナか、その周辺の人物が関わっている可能性が高い。」

 「まさか。クローナは今、アルウィン様のご母堂が仕切られているはず。王家への反逆を企む者を見逃すはずは」

 「そう思っているけどね。――少なくとも、おれを腰抜けとか裏切り者とか呼ぶくらいには、クローナの家に思い入れはありそうだったよ」

 「そんなことを? …奴ら、生かしておくべきではありませんでしたね」

物騒なことを言って虚空を睨みつけたあと、ふと、彼は自分の言葉に気づいた。

 「…いや。そういえば、私も昔、あなたに同じようなことを…あの時は、本当に失礼しました」

 「そうだっけ? 覚えてないよ。たぶん十年以上前だろ?」

軽く笑って、彼は海の方に視線を向けた。

 「やっぱり、おれがリーゼンハイデルの王家に仕えているのは不思議に見えるんだろうな。人は必ず恨みや憎しみを抱くものだと思いこんでる。そんなもの…こだわったって誰も救われないのに…。」

 「……。」

 「でも…。」

少年の表情が陰ってゆく。

 「白銀の樹…クローナ家はずっと、自分たちは王家の傍系だと主張としていた。あの戦争の間接的な切っ掛けも、クローナ側の王国に対する反抗的な態度の積み重ねだと思ってる。五百年前のことなんて、何の証拠もない…そんな誇りが無くとも、皆の暮らしさえ守られればそれでいいだろうと、ずっと思っていた。なのに、何故、こんなところで……。」

クローナの領主家が代々、自称してきた「銀の王家」も、クローナの紋章だった「白銀の樹」も、リーデンハイゼルの公の歴史には一切、出てこない。建国史でも触れられたことはない。

 ただの言い伝えに過ぎないと、アルウィンは判断していた。

 自分の家系はただ古いだけで、王家の一部などではないと思っていたし、言い伝えにこだわって、まるで王族のように振る舞う父や古株の騎士たちには内心、反発を抱いていた。 

 それなのに、五百年前から伝わったと思われる古い詩の中には、その言葉がある。

 「おれは間違っていたんだろうか。父上の言うことが正しくて、本当は…だとしたら…」

 「あなたは間違っていませんよ、アルウィン様」

ウィラーフは、迷いなく返す。

 「あの時、王国議会は、最初からクローナを潰すつもりで、開戦の口実を作ろうとしていました。納税義務を盾にクローナで取引される商品の関税率を上げること。当時クローナの領主が持っていた私設騎士団を解散し、一切の武力を持たないこと。クローナの当主は、自治領を持つものの義務である議会に必ず出席すること。もしくは、出席を拒否するなら自治権を返還すること。――二つ目と三つ目はなんとか呑むことが出来たとしても、交易都市であるクローナには一つ目は絶対に受け入れられないと最初から分かっていた。アルウィン様の父上が剣を取られたのは、家名に対する誇りだけではなかったはずです。あの方もまた、領民の暮らしを守ろうとされていた」

 「…そうだな。」

アルウィンは、小さくため息をつく。

 「だけどもし、余計な矜恃や誇りが無ければ、最初から、もっと真摯に交渉の糸口を探れていたかもしれない。あの時、おれはまだ、子供過ぎた。もう少し大人だったら…せめてもう少し力があったら。」

 「終わってしまったことには、もしも、はありませんよ。」

 「……。」

 「後悔なら、私にも山程あります。出来ることは今この瞬間から先、これ以上、後悔を増やさないことだけだと思います。」

潮風が吹き抜けてゆく。

 振り返って、アルウィンは墓所の中を見やった。シェラもそろそろ、詩を書き写し終わっているとこだろう。

 「戻ろう。詩をもう一度確かめたら、サウディードへ」

 「承知しました」

ずいぶん遠回りになったが、この旅の最初の目的地だったサウディードは、ここからならすぐ目と鼻の先だ。




 見送りには、ワンダの家族だけでなく、村じゅうの人たちが集まってきた。

 ワンダの妹たちもおおはしゃぎだ。

 「みんなーまたきてねー!」

 「ばいばいー」

 「うん、またね。」

可愛い毛玉たちを順繰りに撫でて、シェラは笑顔になっている。

 「ほんとう、すまなかったぞ。」

ロアは最初に出会った時よりずっと大人しくなっていて、なんだか、一回り小さくなったようにも見える。

 「お詫びに、うちの息子、たっぷりコキ使ってくれ。」

 「ワンダ、しっかりやるんだぞ」

 「おーう。とうちゃん、かあちゃん、まかせとけ。」

ワンダは自信たっぷりにどんと自分の胸を叩き、勢いでむせこんだ。どうやら彼は、今回は家出や放浪ではなく、晴れて家族に認められての旅となるようだった。

 「サウディードまで、一日半くらいの距離だよ」

海沿いから少し西へ戻る道を歩き出しながら、アルウィンが言う。

 「色々あったけど、面白いとこだったわね。ワンダのふるさと」

 「だろう? クニャルコニャル、いいとこ。魚もおいしい」

ワンダは満面の笑みだ。

 「だけど潮風ちょっと苦手なんだぞ。毛がごわごわする。嵐の日は…」

楽しげに話しながら並んで歩く二人の後ろを少し離れて歩きながら、シェラは、最後尾のウィラーフの様子をそれとなく伺った。

 「…何だ」

むすっとした表情に、つっけんどんな声。いつもどおりだ。

 「良かった」

 「何がだ。ニヤニヤするな、気味が悪い」

 「だって。――アルウィンだけ連れて行かれた時、なんだか別人みたいな顔して慌ててたんだもの。心配しちゃった。もう、いつもどおりね。」

 「…っ」

ウィラーフの顔が歪み、頬が微かに赤くなる。

 「…あれは、…忘れろ。私たちは、いついかなる時も冷静であらねばならない。近衛騎士としてあるまじき失態だ。」

 「そう? だけど、ちょっとあなたのことが分かって良かったわ。人間味のあるところが見られて安心した。」

シェラは、くすくす笑いながらウィラーフの隣に並ぶ。

 「ねえ、アルウィンってそんなに剣術とかダメなの? いつも心配してるけど、彼、そんなに弱くないでしょ」

 「…ああ。人並みくらいの腕前はある。職務上、武器を持つことは無いだけで、並の相手なら負けないはずだ」

 「じゃ、そんなに過保護にしなくてもいいじゃない。」

 「…違う」

ウィラーフの声が、ふいに固くなった。

 「あの方が弱いから、ではない。もしも人質の身に何かあれば、――和平の全てが終わってしまうからだ」

 「え? ひと…じち?」

 「”白銀戦争”は、クローナ領主家の当主であるアルウィン様が投降して終結した。そう言っただろう」

 「うん、確かに聞いたわ」

唐突だったが、昨日のその会話は、辛うじて記憶にある。

 「…その際、アストゥール側から講和の条件が出された。納税額を据え置きにする代わり、領主家の資産を王国に譲渡すること。武装を解除し、私兵を持たないこと。王国に逆らう意志を持たない証しとして、領主家の人間が人質になること。…一度王国に逆らった後では、そうでなければ、議会が認めようとしなかった。人質となったのは…」

ウィラーフの視線は、先を歩く少年に向けられている。

 「…これから向かうサウディードは、かつてアルウィン様が軟禁されていた都市だ。壁の外に出て役職が与えられたとしても、本当の意味での自由はない。あの方は…今もずっと、王国の捕虜のままだ」

 「……。」

シェラはそれきり、押し黙ってしまった。

 どう言葉をかけていいのか、判らない。


 王国の反旗を翻した領地の権限を存続させるため、領民の安全を確保するために必要だった人質。

 ウィラーフに当てられた役目は、「護衛」だけではない。実際には、逃亡を防ぐための「監視役」でもあるのだった。





                              ―第四章へ続く

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