第18話 騎士の誓い
アルウィンが剣を向けられるより少し前、シェラは、薄暗がりの中で目を覚ましていた。
「ん…あれ? 何、ここ…。」
寝かされていたのは床に敷いたゴザの上だ。起き上がると、薄暗がりの向こうに扉が見えるが、それ以外は何も見えない。完全に夜になってしまっているようだ。
目が慣れるのを待って辺りを見回すと、荒削りの壁や天井が見えた。外から微かに聞こえてくる波の音からして、海沿いの崖のどこかに掘られた横穴の一つらしかった。ずいぶん狭いが、物置か何かだろうか。
何が起きたのかが蘇ってくる。
(…そうだ。ワンダの家のお酒…何か入れられて眠らされて…)
慌てて立ち上がり、扉を叩く。
「ねえ、誰かいないの? ここから出して! 皆、どこ? アルウィン! ウィラーフ! ワンダ!」
「…お前だけだ、ここには」
すぐ隣から、呻くような声が聞こえてきた。ウィラーフだ。
「ウィラーフ! 無事なの?」
「……。」
返事がない。荒い息遣いとともに、微かな血の匂いと、身動ぎする気配が伝わってくる。
「もしかして怪我してるの?!」
慌てて、シェラは髪の毛の中を弄った。束ねた髪をたくし上げ、隠している短剣を取り出す。幸い、そこまでは調べられていなかった。アジェンロゥたちが紳士的で良かったというところだ。
短剣を扉の隙間にねじ込んで、何度も揺すっていると、立て付けの悪い扉の蝶番が緩んでくる。
力任せに扉を引き倒して斜めにこじ開け、薄暗がりの中へ這い出した。
「待ってて!」
隣の物置の入り口に嵌め込まれていたつっかえ棒を外し、閂を外して中に入ると、傷だらけになったウィラーフが壁にもたれかかっていた。
白いシャツの袖口のあたりが、どす黒い色に染まっている。きつく縛られた縄をちぎろうと、無理やり、壁にこすりつけたのだろう。そのせいで、腕まで傷つけてしまったらしい。
シェラは慌てて駆け寄った。
「なんて無茶を…。今、縄を切る」
短剣で腕を自由にすると、シェラは、自分のスカートの裾を切り取った。
「腕を出して。とにかく止血だけはしなきゃ」
「いい、時間が…」
ウィラーフは、ふらつきながら立ち上がろうとしている。
「失血で動けなくなったらまずいでしょ」
無理やりに腕をとり、片方ずつ丁寧に傷口を縛っていく。
「どうして、こんな無茶したのよ。逃げ出せても剣が握れなかったら意味ないじゃない」
「アルウィン様を探さなくては」
ウィラーフは、手当しようと差し出すシェラの手を振りほどいて搾り出すように呟く。
「あれから、どれくらい時間が経った? 急がないと…」
周囲を見回す、何かに怯えたような表情。焦りと不安。いつも落ち着き払って、どちらかというと無表情な普段の彼からは想像もつかない姿に、シェラは、少なからず驚いていた。
レスロンド家は代々クローナの領主家に仕える騎士の家系だった、とアルウィンは言っていた。
彼がアルウィンを過剰なほど気遣うのも、だからなのだと漠然と思っていた。
でも、それだけではないのだ。それだけなら、これほど必死になるはずがない。一度は宮廷に仕える道を選んだはずの彼が、なぜ王を差し置いてまで、別の誰かのことを思う? ――
「早く、行かないと…」
「落ち着きなさいよ、もう! じっとしてないと、手当も出来ないでしょ」
あまりの狼狽ぶりが見ていられなくなって、シェラは思わず、ぴしゃりと言ってしまった。ウィラーフの肩が、びくっ、となる。
「座って。そんな捨てられた子犬みたいな顔して探しにいくつもり? 冷静になりなさいよ。ワンダだっているし、ワンダの家族がアルウィンを殺したりするわけないじゃない。少しは信用したら」
「……すまない」
彼の反応は、いつになく素直だった。
ぎざぎざに裂けた腕の傷口を縛り、抵抗した時に殴られたらしい額の傷にハンカチを当てながら、シェラは、それとなく尋ねた。
「ねえ、ウィラーフ。あなた、どうしてそんなにアルウィンのこと気にするのよ。同じクローナの出身だから? それとも、領主の家に仕える騎士の家系だったから?」
「…それしか、私に出来る償いは無いからだ」
重たい口調で呟いて、ウィラーフは、震える唇をきつく噛んだ。
「五年前…私には何も出来なかった。故郷が攻め立てられるのを防ぐことも、世継ぎの王子を戦場で守ることも、何もかも…。父は、戦場で領主殿を庇って死んだ。領主殿も同じ戦場に落命された。クローナが攻め滅ぼされてもおかしくない状況だった…それを、アルウィン様が自分の命をかけて、たった一人で止めた。自ら王のもとに投降して膝をつき、次期当主の自分を処刑しても構わない、家を取り潰しても構わない、その代わり町の者たちにはこれ以上、手を出さないでほしい、と。――
それまで私はずっと、あの方が何者かを知らなかった…剣術も馬術も人並みに過ぎず、家を継ぐのを嫌がって、町で商人と雑談ばかりしている腰抜けだと侮っていた。面と向かってそう言ってしまったことさえある。だから…。」
声が震えて途切れ、沈黙が訪れる。
手当を終えたシェラは、ただ呆然と、目の前の青年を見つめていた。そして気づいた。
その時、既にアストゥールに仕える騎士だった彼は、故郷の、家族やかつての友人たちを相手に戦わざるを得なかったのだと。
アルウィンの行為は、クローナ側からすれば裏切りだっただろう。領主家に仕えていた者たちには、命惜しさに名誉を投げ捨てたように映ったはずだ。たとえ投降しても、王国側からの反逆者という誹りは免れなかった。
だが、それでも彼は、故郷の人々を守るという目的のために、自ら全てを背負うことを選んだ。
そして、父を亡くした者と、息子を亡くした者は、それぞれの立場を受け入れ、それ以上の命のやり取りを停止したのだ。
ひとつ、大きく息を吸い込んで、ウィラーフは額に手をやった。
「…少し落ち着いてきた。もう、大丈夫だ」
その声は、ようやく、いつもの調子に戻っていた。
立ち上がって、彼は出口のほうを見やった。
「剣を取り戻したいが、時間がない。まずは上に登ってワンダを探そう。アルウィン様がどこに連れていかれたか知っているかもしれない。ワンダが見つからない場合は、その辺の村人に聞くしかないな」
「そうね。まさか村の人たちだって、いきなり襲いかかってきたりはしないでしょうし」
言いながらシェラは、昼間見た、のどかそのものの村の風景を思い出していた。五百年前の戦争では活躍した勇猛果敢な部族、という話だったが、好戦的には見えなかった。
崖にかかる梯子を伝って岬の村に登ってみると、ちょうど、獣人たちが集まってひそひそと何か話し合っているところだった。ワンダもいる。
「!」
シェラたちの姿を見て、彼は顔をくしゃくしゃにして泣きそうな顔になった。ぴんと耳を立てて駆けてくる。
「しぇら~、うぃらーふ~」
「ワンダ! アルウィン様は、どこだ」
シェラを追い越すようにして、ウィラーフが前に出る。
「アルウィン、黒い奴らが墓所つれてった。とうちゃん、騙されてた…黒い奴ら持ってた紋章見て、本物の王様の使者だとかんちがい、してた」
「黒い奴ら…あの、ハザル人のところで襲ってきた連中だな」
「うん、そう。間違いない」
「墓所ね。急ぎましょう」
シェラが駆け出そうとした時、崖のほうから何かが崩落するような鈍い音が響いた。足元の地面が揺れ、獣人たちが怯えたように鼻を鳴らし始める。
たった今、向かおうとした方角だ。
シェラが何か言おうとするより早く、ウィラーフが風のように飛び出した。
「あっ、ちょっと! 待ってよ!」
「ワンダもいくぞ!」
暗い夜空に月が浮かび、辛うじて足元を照らし出す。
昼間訪れた墓所への梯子の前には、すでに村人たちが集まって、心配そうに横穴のあたりを見下ろしている。
「みんな、どいて! どいて!」
ワンダは四足で突っ込んでいく。慌てて避ける村人たちの隙間を縫って、ほとんど飛び降りるように梯子を降りていく。シェラはその後ろに続く。
「どうなってる?」
ウィラーフは、息を弾ませながら村人たちに尋ねた。
「分からないよ、ロアが走っていったんだよ。墓所のほうで、ものすごい剣幕で怒鳴ってた」
「…くそ。遅かったかもしれない」
梯子を見下ろし、彼も、出来る限り急いで後を追った。
真っ黒な獣人が吠えながら入り口から飛び込んで来たのは、アルウィンの上に剣が振り下ろされようとしていた、ちょうどそのときだった。
「何してる、お前たち!」
振り返ると、墓所の入り口にロアと数人の獣人たちが立っていた。獣人たちの視線は、奥の壁の、さっきまで記念碑のあった場所に注がれていた。
「見て分かるだろう。ここに隠されていた言葉を蘇らせたのだ」
と、老人。
「言葉? 蘇らせる? 何のことかわからない。」
ロアは低く唸り声をたて、墓所の中にいる男たちを睨んだ。
「そんなの聞いたこと無い。記念碑、壊した。お前たち、どういうことか説明する」
彼らにとっては、壁に嵌めこまれていた、何もない真っ白な石こそが「記念碑」だったのだ。それがただの覆いに過ぎず、実際にはその背後に隠された言葉が本体だった、など、知るよしもない。
説明が面倒だと思ったのか、アルウィンに剣を向けていた老人は、左右の部下たちにあごをしゃくった。
「お前たち、排除しろ」
「はい」
墓所の中にいた、黒いマントの男たちが次々と武器を抜く。すべて黒い刃だ。ただ煤で汚しただけのものがほとんどだが、中には、ハザル人の作る上質な黒い刃も見えた。
(まずい)
アルウィンは、縛られたまま素早く数と戦力を計算した。
単純な腕力なら、アジェンロゥたちのほうが上。
しかし彼らは狭い足場の上にいて、数は少ない。狭い横穴の入り口からは一人ずつ入って来るしか無いが、中では、武器を手にした十人ばかりが待ち構えている。
「ロアさん、無茶をするな! ここは一旦、退いて…」
「黙れ」
蹴り飛ばされて、アルウィンは一瞬、意識を失いかける。
だが、気絶してる場合ではない。口の中に血の味を覚えながら、彼はなんとか、身体を捩って入り口のほうに首を向けた。
「うがあああっ」
ロアが吠えた。びりびりと空気が振動し、その気迫だけで何人かは思わず後すさるほどだ。
黒い筋肉の束が、人間には不可能な凄まじい勢いで突っ込んでくる。止めようと武器を構えていた者がふっとばされ、壁に叩きつけられる。
「お前たち、騙したな? 王の使者違う。使者、こんなことしない! 墓所けがしたり、しない!」
彼の後ろからさらに数人の獣人たちが、なだれ込んでくる。余計な心配など不要だった。立ち上がり、武器を殴りつけると剣先折れて吹き飛ぶ。怒りに満ちた獣人アジェンロゥたちの戦いぶりは、昼間の、のんびりした姿とはまるで別の種族のようだ。
アルウィンは、素早く辺りを見回し、状況を確認した。
襲撃者たちは全員、ロアたちに気を取られて隙だらけだ。老人は部下たちに何かを指示するためこちらに背を向けているし、他の者たちは応戦で手一杯。アルウィンのことなど、取るに足りないものとして放置されている。今なら、紋章を取り戻せるかもしれない――。
彼は両手を縛られたままでそろりと身体を起こすと、渾身の力を込めて地面を蹴り、老人に向かって体当たりした。不意打ちを食らい、手から、金色の輝きが放物線を描く。
「くっ…小童めが…」
老人が振り返るより早く、アルウィンは落ちた紋章を口で咥えて、墓所の出口目指して走り出した。
「そいつを止めろ! 早く」
けれど命令は実行されなかった。ちょうどその時、ワンダとシェラが駆け込んできたからだ。
「アルウィンー!」
「あ、いた! あそこ」
ワンダは、両手を縛られたままのアルウィンを目指し四つん這いで突進して来る。アルウィンを追いかけようとした男は、新手も獣人と知って、怖気づいたように一瞬、足を止めた。その間に、彼はワンダとシェラのもとへ合流している。
「アルウィン様!」
ウィラーフも駆けつけた。アルウィンが生きていることにほっとしたものの、頬が腫れ、口元に血の跡があることに気づいて表情を変えた。
「…あいつら」
言葉の中に、怒気が含まれる。
シェラはアルウィンの口から紋章を受け取り、持っていた短剣で腕の縄を切った。
「ウィラーフ、怪我をしてるのか?!」
「このくらい、大した傷ではありません」
若い騎士は、墓所の中で獣人たちと戦っている黒いマントの男たちを睨みつけていた。武器がありさえすれば、今この瞬間にも襲いかかっていきそうな凄まじい形相だ。
ロアたち数人の獣人と、中にいる十人ばかりの集団との戦力は拮抗しているが、出口は一つしかないのだ。遅かれ早かれ、彼らは投降するしかないはずだった。
だが――。
その時、突然、頭上のどこかで鈍い地響きとともに地面が揺れた。
「何だ?」
次の瞬間、目の前が真っ白になっていた。
大地が揺れ、天井がばらばらと大粒の石を落とす。ウィラーフは咄嗟にアルウィンを自分の体の下に押し込んだ。
白い煙が墓地を満たしていく。土煙の中、咳き込む声ばかりで何も見えない。
しばらくして、吹き込んできた海風のお陰でようやく視界が晴れたとき、アルウィンは、墓所の奥でうめきながら顔を押さえているロアたちの姿を発見した。
「ロアさん!」
「とうちゃんっ」
アルウィンとワンダが駆け寄った。
「うう…目が…めが~」
「鼻が痛いよう~」
獣人たちは、目や鼻を押さえたまま転がりまわっている。
辺りには、人間の鼻でもツンとくるような刺激臭が漂っている。
「お気をつけて。閃光弾と香辛料入りの刺激爆弾です。それに、煙幕も」
と、ウィラーフは、袖口で口元を押さえながら言う。
「おそらく、獣人たちに気づかれた時のために仕込んできていたんでしょう。周到なことだ…」
灰色の髪の男も、手下の黒いマントの男たちも、一人残らず消え失せている。さっきの一瞬の隙をついて逃げてしまったのだ。
ワンダをその場に残し、梯子を登っていくと、さっきまでそこに集まっていた獣人たちも、みな同じように顔を押さえて転がりまわっていた。
村の中にも爆弾が仕掛けられていたらしい。あちこち、白い煙幕のあとが残されている。夜のことで、小さな子供たちや女性たち、お年寄りが家の外にいなかったのが幸いだった。
「みんな、生きてるか?!」
ワンダの母、サウラが駆け寄ってくる。
「下でロアさんたちが倒れてます。目と鼻をやられたみたいで。」
「ああ…だから、ちゃんと、こっちのお客さんの話も聞いてみる、必要ある言った。ワンダ連れてきてくれた人たち悪いわけない。片方だけ信用するのよくない」
サウラは耳をぺたんと倒し、アルウィンたちに頭を下げた。
「すまないことした。うちのとうちゃん、息子と同じ。人の話聞かない」
「あはは…。」
確かに、あの思い込んだら譲らないところは、よく似ているかもしれない。
「それにしても、連中は一体、何者だったんでしょうか。」
ウィラーフは、岬の上から、すぐ側のトレミル港を見下ろしていた。ちょうど帆を張って、出港しようとしている船が一隻ある。こんな夜更けに急いで港を離れる用事など、そうそうあるはずもない。だとすれば、さっきの連中が載っている可能性は高い。
「船のほうにも手下がいたようですね。だとすれば、二十人はいそうです。…残念ですが、今からは追いつけそうにありません。」
「まあ、でも、一つは果たせたよ」
言って、アルウィンは大事にポケットの中にしまっていた、黄金の樹の紋章を取り出した。
「あ、それ! 取り戻せたのね、良かった」
「なんとかね。…それと、あの連中の正体も」
「何か分かったの」
「…まだ、推測に過ぎないけどね」
彼は、言葉を濁して俯いた。
あの老人、オウミと墓所で交わしたやり取りは、ここで口にするにはあまりにも危険過ぎた。
それに彼自身、まだ混乱していて、どういうことなのか理解出来ていなかったのだ。
「ウィラーフ」
呼ばれて、騎士が振り返る。
「明日の朝でいい。少し…話をしたい」
いつにないアルウィンの様子に、彼は、ただ頷くしかなかった。
そんな二人の様子を、少し離れた場所がら、シェラは黙って伺っていた。
夜が更けてゆく。
それぞれの胸に、微かな疼きを残して。
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