第17話 宴の罠
ワンダの母、サウラが夕食の支度をするまでの間、アルウィンたちはワンダの案内で岬の村を見て回ることにした。
とはいえ観光名所があるわけでもなく、家の数も二十軒ほどなので、一周するのに時間はそうかからない。さすがアジェンロゥの村というだけあって、村人たちは全員、ワンダとほとんど区別がつかないような、毛むくじゃらの見た目をしている。違うのは毛の色くらいのものだ。
「ワンダ戻ってきたか。その人たち誰だ?」
「また迷子なって、連れてきてもらったか」
村人たちがワンダに話しかける。その言い方からして、彼が行方不明になるのは、日常茶飯事らしい。
「いつも、ふらふらその辺を出歩いてるんだな…」
「そうだぞ。ワンダ、旅とくいだぞ」
本人は胸を張っているが、おそらく、今まで運が良かっただけだったのだろうな、とアルウィンは内心、思っていた。
何の準備もなく、知識もなく、カンだけで目的地もなしにさすらって、よく今まで無事で生きていられたものだ。愛嬌のお陰で、いろんな人に助けてもらえたのもあるだろうが。
それにしてもこの岬は、どこも見晴らしがいい。
どの道を辿っても、穏やかな青い海と空が開ける。気持ちの良い海風に吹かれているうちに、ウィラーフの顔色も、少しは良くなってきた。
「いいところね、ここ」
「だろう」
ワンダは得意げに胸を張る。
「ここ、ずっと昔、王様の手伝いした時にもらった土地。ワンダたちのじいちゃんのじいちゃんたち、みんな戦争いった」
「戦争?」
「”統一戦争”のことだよ」
と、アルウィン。
「獣人たちは、五百年前までは定住していなかった。どこの国でも国民として認められていなかったんだ。それで、戦争の際に協力者となってもらう代わりに国民として認め定住させることを約束した。――獣人たちは戦士としては優れていた。数は少なくても、当時のアストゥールでは心強い戦力だったと言われている」
「そうだぞ」
「へえー…。ワンダ見てると、とてもそうは思えないけど、ねぇ。」
シェラは、ふわふわしたワンダの頭をつついた。
「ま、運動神経がいいのは認めるわ」
「むー」
ふくれっ面をしていたワンダだったが、ふと、何かを思い出したように目を輝かせた。
「そうだ。いいとこ、あるぞ。案内する」
「いいところ?」
「こっち。」
言うなり、ワンダ四つん這いになって駆け出した。崖の端まで行くと、そこから、するすると器用に梯子を降りていく。
見下ろすと、海に向かって切り立った崖の下の方にでっぱりがあり、そこから、細い道が崖に沿って続いていた。ワンダは既に、道の先まで駆け抜けている。
「はやく!」
「えー…ここを降りるの?」
シェラはスカートをたくし上げ、おそるおそる梯子に足をかける。
「獣人じゃないと厳しいわね…これ」
「気をつけて。道の手すりが低いから」
ワンダたち獣人の身長に合わせてあるのか、道幅も手すりの高さも、人間には少し物足りない。
おっかなびっくりワンダの後に続いて歩いていくと、やがて道の先に、崖にくり抜かれた横穴が現れた。
ちょうど、集落の真下に当たる場所だ。奥の方はずいぶん広くなっている。
「ここは?」
「昔の記念碑あるとこだ! あと、お墓ある」
「お墓…」
真っ暗な洞窟の中は、光を溜めて発行する月光石の青白い輝きがほんのりと照らしている。微かな潮の匂いと、洞窟の入口から吹き込んでくる風。壁に沿って沢山の石積みが並べられ、その奥には、壁一面に、何か大きな石碑のようなものがはめ込まれている。
「どうだ?」
振り返って、ワンダは顔をくしゃくしゃにして笑った。
「ゆうかんに戦って死んだ、むかしの仲間たちのお墓だぞ。ワンダたちの誇りなんだって、とうちゃん言ってた」
「あれ? これって、ディーと一緒に言った祭壇の奥の壁に似てない?」
壁の石に近づいて、シェラが首をかしげる。
「ほんとだ。文字はないけど、確かにこの作り」
石の材質こそ違うものの、全体的な雰囲気も、意匠も、細かな縁取りまでそっくりだ。おまけに中央には、よく見ると丸い穴が穿たれて、そこに『鍵』をはめ込むことが出来そうに見える。
「……。」
アルウィンは、思わず自分の手元を見下ろした。
『黄金の樹』の紋章がまだ手元にあれば、嵌め込んで確かめてみることは出来たかもしれない。だがその紋章は、セノラで謎の襲撃者たちに奪われてしまった。
(何故あれが必要だったのか、ずっと分からなかった。でも、もしかしたら…。)
「どうした? おまえたち」
ワンダは一人、何も分かっていない様子でキョトンとしている。
「この記念碑には、どういう謂れがあるんだ?」
「んーと。…約束を忘れないために作られたって聞いたぞ。王様にもらったものだと思うんだ。」
「約束、か。」
それは単に、アジェンロゥに土地と住む権利を与えるという約束の話だったのか。それとも何か、別の約束ごとがあったのか。
「それにしても、すごい数の墓ですね」
ようやく船酔いから復活してきたウィラーフは、洞窟の中をびっしりと埋める石積みを見回している。
「そうだな。”統一戦争”では敵味方とも多くが亡くなったと記録にあるけれど、アジェンロゥだけでこの数、というのは想像していた以上だ」
人は過去を語る時、都合の悪いことを省いて美麗な言葉で装飾したがる癖がある。アストゥールによる大陸の平定もきっと、伝説に語られているよりずっと泥臭く、血なまぐさい戦闘の繰り返しだったのだ。
ワンダの家に戻ってみると、体格の大きな獣人とサウラが、何やら新穀そうな顔をして話し合っていた。台所のほうからいい匂いが漂っている。夕食の準備は出来ているようだ。
「ただいま、だぞー」
「!」
話していた二人がぱっと振り返り、サウラは、慌てて玄関に駆け出してくる。
「おかえり、ワンダ。えっと…とうちゃん、戻ってきてるぞ」
「…。」
ワンダの父親の体毛は真っ黒で、身長も体格も、ワンダの倍はある。眉のあたりにある傷のせいもあってか、少しばかり怖い印象だ。
巨体の獣人は、のっしのっしと歩いてくると、三人の客人を見回した。
「ようこそ、客人!」
吠えるような大声が、頭上から降ってくる。
「わたし、ロアガルウィン。ロアいう。ここの村長やってる」
「村長…まとめ役なんですね」
「そうだ。息子、世話になった。遠くからよく来た! メシ食べて、たくさん寝るといいぞ!」
言いながら、ロアはアルウィンとウィラーフの手を掴み、ぶんぶんと手が砕けそうなくらい握手した。さすがにシェラまでは巻き込まれなかったが、豪快なロアの歓迎は、ひ弱な人間にはいささか刺激的すぎる。
「みんな、ごはんにするぞ。」
サウラが客人たちを席に座らせる。丸いテーブルの上には大きなお皿が並び、このあたりの海でとれたらしい新鮮な魚をふんだんに使った料理が所狭しと並べられていた。
「めずらしい酒ある。飲んでいけ」
ロアは有無を言わさず客人の三人たちの前にコップを置き、瓶から黒ずんだ酒をなみなみと注いでいく。
「いえ。お酒はあまり――」
「少しでいい。いい酒、このために持ってきた」
そうまで言われては、全く口をつけないというわけにもいかなさそうだった。
船酔いが収まったばかりのウィラーフは、舐めるようにして少しばかりを口に含んだ。アルウィンも、一口は飲んでみた。
「…なんだか、…変わった味ですね」
「海藻入ってる。貴重なもの、アジェンロゥは酒のめない」
そういえば、ロアは自分の目の前のコップには酒を注がない。ワンダのほうをちらりと見ると、彼は料理をがっつくのに夢中で、話は聞いていないようだ。
「さあ、客人たちもごはん食べる!」
サウラに促されて、アルウィンたちも海の幸に手を付けた。大家族用の大きなテーブルに大盛りの料理なのに、もてなしはサウラとロアの二人だけ。それに、ここに来た時は走り回っていたワンダの妹たちの姿もなく、家の中は妙に静かだ。
「ワンダの妹さんたちは?」
シェラが言うと、サウラがどこか歯切れ悪く答える。
「となりの、ばあちゃんとこ預けた。お客の迷惑なる」
「そうなんだ…、残念」
子供らしい、いかにも丸っこいふわふわとした毛並みには、ちょっと触れてみたかったのだが。
「たくさん、食べるといい」
サウラがせっせと料理を運んでくるので、勢いで食べるしかない。ずっと船の上で質素な食事ばかりだったから、久しぶりの温かい料理は確かに美味しいが、少し多すぎる気もした。食べながら、ちびちびと酒を流しこむ。
ロアはその様子をじっと見つめているが、真っ黒な顔は、何を考えているのかがわかりにくい。
「客人、ここ来るの久しぶり」
一家の主は、自分ではほとんど食事もしないままだ。
「中央から来た、聞いた。何しにここ来た? ワンダ送ってきただけか」
「違うぞ。ついでだぞ。サウ…なんとかって町に行くんだ」
「ほう?」
「まさか、ワンダ、また出かけるのか」
サウラは驚いている。
「よその人に、これ以上迷惑かけてどうする。家にいろ!」
「いーやーだ!」
「言うこと聞きな! バカタレ!」
母親のげんこつが、またもワンダの脳天にごつんと鈍い音を響かせる。
「ぎゃわんっ」
「あ、あの…そこまでしなくても」
思わず止めに入ろうと腰を浮かせかけたアルウィンは、ふいに目眩を覚えて、思わずテーブルの端に手をついた。
「あれ」
「アルウィン様?」
隣にいたウィラーフが、異変に気づいて振り返る。
「ふぁあ…」
反対側の隣にいたシェラも、大きなあくびをひとつ。
「んー、ちょっと疲れてたのかな…なんだか眠くなって…」
「……。」
ロアがサウラを呼び寄せ、何かひそひそと囁いている。サウラは、心配そうにちらりと客人たちのほうに視線をやってから、小走りに家の外に出てゆく。
何かがおかしい。
「サウラ、準備に行った。眠りたいなら眠っていい。寝るとこ、用意した」
「あの、ロアさ…」
「アジェンロゥ、遠い昔、アストゥールの王様に協力してこの土地もらった。王様の友達。いい国民、それ、わたしたちの誇りだ」
黒々とした体毛の下から金色の輝かせながら、ロアは、太い声で言った。
「お前、五年前に王様に逆らった家のもの。王様の息子、殺した奴の息子。そう聞いた」
「! それ…は…」
反論しようとした舌がもつれ、立ち上がろうとした足に力が入らない。
彼は床に膝をつき、彼は額に手をやった。身体に力が入らない。
「貴様! 一体、何を」
腰の剣に手をやりながら立ち上がろうとしたウィラーフの腕を、ロアはやすやすと捻り上げる。まだ本調子でないことに加え、大人のアジェンロゥを相手にしては、単純な腕力では人間に勝ち目はないのだ。
「何してる、とうちゃん」
それまで料理に夢中だったワンダも、さすがに黙って見て入られない。慌てて飛び上がると、ロアの腕に飛びついた。
「ワンダの友達、いじめるな! 手、離す!」
「こいつら、王に仇なす裏切り者。捕らえておく」
「そんなわけ、ないぞ!」
ワンダも、一歩も引き下がらない。
「ワンダ、王様に会ったぞ。アルウィンたち、王様となかよしだった。王様のだいじな人たち、いじめてるの、とうちゃんのほうだぞ!」
「何だと…?」
「騙されてはいけません」
と、ふいに入り口のほうから、どこかで聞いたような強い訛りのある声が聞こえてきた。
「その者たちは、生かしておけば災いとなる」
辛うじて首だけを動かして振り返ると、長い灰色の髪の老人が立っていた。
「お前は… あの時、の」
ハザル人の集落を襲い、”黄金の樹”の紋章を奪っていった男。襲撃者たちを取りまとめていた、オウミと呼ばれていた老人。
アルウィンは机にすがりながら、何とか瞼を閉じまいとしたが、睡魔には抵抗しきれなかった。
「――アルウィン様!」
ウィラーフの叫び声が遠くなっていく。
覚えているのは、そこまでだ。
「…きろ。おい」
頬を叩かれて目を覚ましたのは、それから、どれくらい経ってからだろう。
重たい瞼をこじ開けると、目の前に、覗き込んでいる顔がいくつもあった。
黒っぽいフードと、口元を隠す布のせいで、目元しか分からない。だが、雰囲気からして皆、北方人のようだった。
「気がついたな」
首を動かすと、さっきの老人が立っていた。あたりは薄暗いが、昼間ワンダに案内されて来た、崖に掘られた横穴の奥の墓所の中だということは割った。
目の前には墓と、壁にはめ込まれた記念碑がある。
後ろ手に縛られた身体は、まだ、うまく動かせない。おそらく酒に何か混ぜられていたのだと、アルウィンは思った。だが、一体なぜロアはそんなことをしたのだろう。しかも、この老人たちに協力するような真似を――。
「そこで見ているがいい」
老人はにやりと笑って、懐から黄金色に輝く紋章を取り出し、真ん中にはめ込まれた石を掲げた。アルウィンは、はっとして目を凝らす。
「それは、王の…」
奪われた”黄金の樹”。剣を突きつけられていて動くことの出来ない彼の目の前で、老人はそれを、台座ごと壁の記念碑の穴に押し込んだ。
ずずん、と鈍い音。
それととともに、記念碑の真上の天井からぱらぱらと細かな石が落ち、壁にひび割れが走った。
壁に嵌めこまれた石が割れ、剥がれ落ちていく。砂埃の中、その後ろの壁面に、何かが刻まれているのが現れた。
(まさか――)
アルウィンは、暗がりの向こうに目を凝らした。神聖文字で刻まれた文章のようなものがある。
記念碑、と呼ばれるわりに文字も何もない石だと思っていたが、思い違いだったのだ。
その石は、岩壁に刻まれた本物の記念碑を隠し、保護するためのものに過ぎなかった。”鍵”となる石をはめ込むことで覆いが外れ、隠されていた言葉で読めるようになる、という仕掛けだ。
だとしたら、この詩は、ハザル人の祭壇にあったものと同じ、五百年前の――
壁の文字をざっと一瞥し、老人は、ふむ、と小さく声を上げた。そして、脇にいた仲間に小声で囁く。
「念の為、書き写しておけ」
「は」
それから、足元のアルウィンを憐れむような目でアルウィンを見下ろした。
「何が起きているのか分からぬ、という顔だな。”銀の王家”の跡取りが、その体たらくか」
「……。」
なぜ、そんな言葉を口にするのか分からずに、アルウィンは、怪訝な顔をして老人の冷たい色をした瞳を見上げるしか出来ない。
老人は部下から剣を受け取ると、それを目の前の捕虜の首筋に押し当てた。
「選べ」
低く、重々しい声。
「もしもお前が故郷のために働くというのなら、助けてやってもよい」
「故郷のため? どういう意味だ」
「今のお前なら、簡単に王に近づくことが出来る。シドレクの首をとれ。父親の仇を討ち、復讐を果たせ。そのためならば、”エサルの導き手”も、手を貸してやろう。」
一瞬にしてアルウィンの表情がこわばり、口元がきつく結ばれた。
「断る。そんな恐ろしいことは、考えたこともない」
「ならばなぜ、王に近づいた? 家を売渡し、地位を得るためか。それとも世間に言われるように、戦うことを厭うて逃げ出した単なる臆病者か?」
「違う。クローナを存続させるためだ。誰も死なせないためだ! そのために王に仕えている。たとえ故郷の人々の意思に反しても」
冷たい空気とともに、はっきりとした殺気が向けられるのを感じた。
言葉はなくとも、老人の目に怒りの炎が燃え立つのが分かる。
「言を弄するばかりの腑抜けめが。――アルウィン・フォン・クローナ。貴様など、断じてその名に相応しくない!」
剣が振り上げられるのを見て、アルウィンは、とっさに身体に力を込めた。おそらく次の瞬間には、剣が首に振り下ろされ、一刀のもとに命を絶たれることになる。
けれど、ここで死ぬわけにはいかなかった。
もしも最後には殺されるのだとしても、命ある限り抵抗はするつもりだった。
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