第16話 東の果ての岬
結局、あれからバレアス港で怪しい男たちを見つけることは出来なかった。
港町にいたからには、船に乗ってどこかへ向かったのだろうが、港から出ている船の行き先は国中に散らばっていて、どの路線に乗ったのか分からなければ見当もつかない。
ただ、少なくとも、彼らの一部がこの辺りまで足を伸ばしていることは分かった。
襲撃者たちが近くにいたという話を聞いてから、ウィラーフは、船に乗るまではいつも以上に用心していた。船の上では逃げ場がない。同じ船に乗り込まれでもしたら厄介なことになるのは見えている。
けれど、そんな心配は杞憂だった。
一行の乗った船は大きな貨物船の一部を客室として解放した船で、元々の船員以外で乗り込んだ乗客は、アルウィンたち四人の他は家族連れと、地元民らしい女性だけだった。
ここからは、十日ほどかけての船旅になる。
陸路で街道をゆくより少し遠回りだが、安価だし、寝ている間にも距離が稼げる。それに、船の中に敵がいないなら、少なくとも海上にある間は、ふいの敵襲を恐れずに安心していられる。
向かう先は大陸の東の端、アストゥール王国にとっても最東端にあたる地域だ。港のそばにある大きな岬が、ワンダたち獣人アジェンロゥの住む岬。そこは、アジェンロゥの古い言葉からとられた名前でクニャルコニャルと呼ばれているらしい。
「うわあ、いいお天気ねー」
日差しを受ける甲板には、シェラとアルウィン、それにワンダの三人がいる。
船尾のほうからは、水夫たちの威勢のいい掛け声が聞こえてくる。順風満帆、頭上の帆は風をいっぱいに受けて、大きく膨らんでいる。出発してきた町は、既に見えない。過ぎてゆく岸辺も、ほとんど見えるか見えないかの水平線にあった。
「シェラは元気だな。」
「ええ!海の上だと元気になれるの。潮風はやっぱりいいわー」
シェラたちルグルブの民は、大昔、谷が地上に姿を現すとともに陸に適応することを余儀なくされた人魚の子孫だと自称している。真偽の程は判らないが、そう自称するだけあってルグルブは海が好きらしい。
「ワンダもたのしいぞ。ばしゃよりは、すき」
「そうか。それなら良かった。」
「そういえばウィラーフは?」
いつもアルウィンの近くにいる若い騎士の姿は、船に乗ってから一度も見かけていない。
「ああ、…船酔いで、寝込んでるよ」
「へ?」
「船に乗るの初めてだったらしい」
「ええー?!」
まさか、王族の護衛を任される精鋭中の精鋭のはずの近衛騎士の彼にそんな弱点があったとは、シドレク王も予想しないだろう。
「…次に報告を飛ばすときに、一筆書いてやろうかな。」
アルウィンは、少し意地悪な微笑みを浮かべた。
「ええー。やめてあげなさいよ、次に会ったとき、彼、王様にめちゃくちゃイジられるわよ、きっと」
「やっぱり?」
冗談のような口調で笑っていたのも、つかの間だ。
すぐに普段どおりの表情に戻ると、彼は、くるりと背を向けた。
「さて…、それじゃ部屋に戻るよ。何かあったら、呼びに来て」
「あ、…」
最初に会った頃よりは笑顔が多くなったとはいえ、相変わらず彼の言動にはどこか、他人とは一線を引いて接しているような、見えない壁のようなものを感じさせた。
アルウィンがここのところ、何をしていたのかだけは、知っている。
ノックスの町から持ち出してきた、羊皮紙の切れ端の解読だ。
隅のほうには中央語で、「記憶に頼り、失われた書を再建する」と走り書きされていた。おそらくヤルル老はローレンスに何があったのかを薄っすらと察していて、次にアルウィンに会ったとき渡すつもりで密かにそれを書いていたのに違いない。だとすれば、そこに書かれている内容は、もう一人の”リゼル”、ローレンスの命とともに闇に葬り去られた古文書の一部であるはずだった。
既に数人の命が失われている。この先、それを安全な場所まで運べる保証はどこにもない。
内容が全く判らないまま、手をこまねいている場合ではなかった。
(こればっかりは、手伝うことも出来ないしね…。)
シェラは波間に視線を戻し、小さなため息を付いた。
「ふぁー。なつかしいー においー」
隣ではワンダが甲板の上で大あくびしている。まるで犬のような外見をした小柄な獣人は、潮風に気持よさそうに半目を閉じ、うっとりと波の音に耳を傾けている。
「あなたは気楽でいいわよねぇ」
「きらく? きらくって何だ」
「いつも楽しそう、って意味よ。」
「うん、たのしいぞ」ワンダは、ばかにされたとも思わず、にこにこしている。「村の外でて、ともだちできた。ワンダうれしい。ともだち一緒にうちに帰れる。みんなに紹介するぞ! たのしみ」
「そうね、…私も、ちょっと楽しみかも。」
考えてみれば、ワンダの故郷なら、彼のような獣人がたくさんいるはずなのだ。こんな変わった種族が沢山いる場所、というのは、シェラには想像もつかない。
風は今の所順風で、行く手を阻むものは何もなく、海路の先には、目指す東の果て、トレミル港が遥か彼方に控えていた。
それから何日が経ち、船は、予定通りの日に港に到着した。
乗客たちが降りていくと同時に、船から荷物が降ろされていく。ここもそれほど大きな港では無いが、人通りが多く、賑やかだ。
「わーい、着いた。着いたー」
ワンダはぴょんぴょん飛び跳ねて、嬉しそうに港への渡し板の上を駆けていく。
「どうした? お前たち! はやくいくー」
アルウィンは、ちらと隣のウィラーフのほうを見た。
「船酔い、大丈夫か?」
「……。」
青年は、白い顔でうなづく。返事すらないところを見ると、どうやら船酔いから回復するにはまだ時間がかかりそうだ。
「はやく、はやくー」
ワンダは、もう桟橋の向こうの港の入り口まで辿りついている。
「行きましょ。陸で少し休めば何とかなるわよ、きっと。」
「……。」
いつになく覚束ない足取りで、ウィラーフはなんとか陸に辿り着いた。
「さて、と。まだ少し人も早いし、宿をとる前に獣人の岬に行ってみようか」
アルウィンは地図を取り出し、視線を巡らせた。
「あそこかな?」
港の向こう、すぐ目と鼻の先に、海に向かって突き出す岬がある。その上に、まるい、大きな建物が幾つか乗っていた。
「そうだぞ。あそこ、ワンダのいえ。」
と、彼は胸を張った。
「むかしの王様にもらったとこだぞ。泊まるの大丈夫だぞ。ついてこい」
言いながら、彼は元気に港から続く道を駆け出した。アルウィンたちも後に続く。
後ろからは、白い顔のウィラーフが、ふらふらしながらついてきた。
獣人たちの集落は、入り口からして変わった場所だった。
「ようこそ」とか「歓迎」といった看板が雑に立っている他、魚の頭を並べたオブジェなど、独特のセンスの飾り付けがされている。一応は、外部の人間のことを気にしてはいるらしい。
それにしても、狭い岬の上はとてつもなく過密で、喧騒に満ちている。
港からも見えた大きな建物は、壺をひっくり返して並べたような形をしていて、それぞれに下部が繋がっている。岬の端のほうには梯子がかけられ、そこから崖を掘った横穴に繋がっている。横穴の先の空間も利用しているようだった。道端には小さな子どもたちが走り回っている上に、母親らしい「うるさい!」という吠え声まで響き渡る。
「な、なんだか…すごく活気のあるとこね」
「うん」
ワンダは笑顔だ。
「みんな、げんき。」
「ワンダの家はどこだ?」
「こっちだぞ」
彼は器用に壺型の建物の間を縫って、岬の先のほうへと向かう。
そこにも大きな壺型の建物があり、足元に子供たちを遊ばせながら、獣人の女性が一人、服にボタンを縫い付けていた。ワンダにそっくりな外見だが、毛並みの模様が少し違う。
「おー!かあちゃーん。ただいまぁ」
ワンダが手を振りながら近づいていくと、女性獣人は縫い物の手を止めた。
「…ワンダ?!」
勢い良く立ち上がるなり、縫い物を放り投げて大股に近づいていく。そして。
「この、バカたれ息子! 黙って出て行くなと言った!」
「きゃわんっ」
勢い良くゲンコツをかまされて、ワンダがひっくり返った。走りまわっていた幼い子供たちが駆け寄ってくる。
「にいちゃんだー」
「おかえりー、にいちゃーん」
「にいちゃん、いきてたー」
ころころした可愛い子どもたちが、ワンダを取り囲んで指差したり、尻尾を引っ張ったりして笑いながら騒ぎ出す。
唖然として見守っているアルウィンたちに気づいて、ワンダの母親は、はっとした顔になた。
「お客さんか? もしかして、このバカ息子つれてきてくれたのか」
「ああ、はい…」
「ありがとう! すごく、助かったぞ。この子すぐいなくなる。道に迷って色んな人につれてきてもらう」
「え、まさか迷子だったんですか…?」
初めて出会った時、ワンダは、荒野の入り口で水も食料もなく行き倒れていたのだった。旅慣れている様子もなく、どうしてあんなところに居たのかは不思議だったのだが。
「迷子ちがうぞっ。ワンダ、お嫁さん探しにいってた…ふぎゃぁぁぁ」
言いかけた頭に、強烈なげんこつが一発、振り下ろされる。
「黙って出て行くのは家出だぞ! とうちゃん帰ってきたら、説教! あと、人間、礼するぞ。中に入れ」
ワンダの母親は、客人たちに愛想のいい笑顔を見せながら、息子の首根っこを掴んで家の中に引きずってゆく。後から幼い子どもたちが歓声をあげながら続く。何とも賑やかな家族だ。
家の中は、外から見たよりも広々としていた。
一階部分には仕切りなどは何もなく、大きなテーブルが置かれた食堂と、奥に繋がる台所だけ。部屋の隅には地下への入り口と、中二階へ上がるための梯子がつけられている。家具などはあまり置かれておらず、子供たちは床の上をキャッキャと笑い合いながら転がり合っている。
ワンダとともに一行が席につくと、ワンダの母親が干し魚とお茶を並べた。魚、というのは奇抜なもてなしだが、きっとこれがアジェンロウ流なのだろう。
「わたし、サウラハウいう。サウラでいい。それで、お前たち、どこから来た?」
「王都のほうからです。」
アルウィンが答えると、サウラは驚いた顔でぴんと耳を立てた。
「王都って、リーデンハイゼルか? 何ヶ月もいなかったと思ったら、お前!」
「もふ?」
ワンダは、話も聞かず魚を骨ごとポリポリかじっている。
アルウィンとシェラは、顔を見合わせる。そういえばワンダは、一体どうやって、この東の果てから中央まで辿り着いたのだろう。
「…そういえばワンダ、あそこまでどうやって行ったんだ。」
「んーと、港で船見てた。そしたら、気がついたら箱に詰まってて、気がついたらあのへん、いた」
「密航?!」
「それ、…下手したらよその国まで輸出されてたぞ。」
「そうなのか?」
本人だけは、きょとんとした顔だ。サウラは、呆れてただただ首を振るだけだ。
「そんなんだからお前は、バウの娘にきらわれる」
「バウって?」
「町の方に住んでる仲間だぞ。バウに娘、ひとりいる。この子もそろそろ年頃だ。ワンダの嫁にどうかという話あった。けど、ワンダ頼りないから嫌だ言われた。」
「あの子かわいくない。毛が少ない」
ワンダは、むすっとした声を出す。
「それにワンダ、自分のお嫁さん自分で探す」
「その嫁が居ないから困ってるだろう?! まったく。この村、年頃の娘いない。町に住んでるアジェンロゥそんなに数いない。嫁いないまま過ごすつもりか」
「んーんー」
ぶんぶんと首をふり、ワンダは断固として言った。
「もっと毛深い人、探す。近くいないなら、遠く行く!」
「はあ…。」
サウラは諦めたようにため息をついて、アルウィンたちのほうに向き直った。
「この子いつもこう。人の話聞かない」
「あはは…」
一緒に旅してきた雰囲気からしてそれは事実なので、苦笑するしかない。
「それで、みんなどうする? 今日ここ泊まるなら、部屋、用意するぞ。礼したい」
「ありがとうございます。ぜひ」
「そしたら、用意する。村の中、待ってるといい。」
にこにこしながらそう言って、ワンダの母親は、軽く息子のほうを睨んでから台所のほうに去っていった。
「……。」
アルウィンの隣ではウィラーフが、青い顔をしてお茶を少しずつ、すすっている。
「…大丈夫か?」
「…何とか」
船酔いは、そう簡単には治りそうにない。
出来れば今夜一晩ゆっくりして、明日には復活してもらいたいところだったが
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