第15話 大灯台の町
馬車は休むことなく走り続け、サラエン街道からリエンテ街道へと分岐を辿り、海にほど近いバレアスにたどり着いたのは、それから二日後のことだった。
大きな灯台の見下ろす、小さな港町だ。
そこもアストゥールの東方地域の一部で、東方騎士団の管轄下には違いなかったが、旧エスタード領でないぶん、影響力はそれほどでもないのだという。騎士団の駐屯地からも遠く、治安維持や連絡役には雇われた地元民が就いている。
ここまで来れば、中央への連絡をごまかすとか、殺人のような犯罪をもみ消すとかいう無茶は出来ないはずだ。
それに、海沿いの各港には各方面からの船が頻繁に発着する「海の街道」が通じている。海上は容易に封鎖できないはずだ。
「ここまで来れば、少しは休めそうだな」
アルウィンが、御者台から降りてくるウィラーフに話しかける。結局、ほとんどの時間を彼が御者の役を務めてくれていたのだ。それに夜間の見張りも。この二日、片時も気の休まる時が無かった。
「今日くらいはゆっくりしていこう。馬車で寝るんじゃなく、ちゃんとした宿をとって」
「あ、じゃあ、あたし宿を探してくるわね」
シェラがいそいそと駆け出す。いつもなら自分がやる、と言い出すだろうウィラーフが黙っているのは、それだけ疲れているということだ。
「ここから、どっちに向かう?」
と、ワンダ。「あいつら、もう来ないのか?」
「少なくとも、しばらくは。…だけどもう、旧エスタード領は通りたくないな。ここからサウディードに行くなら、日数はかかるけど船に乗るしかない」
「さうでぃーど、どこにある?」
「ここから北東。北方騎士団の管轄との境目だよ」
「む、そしたら、ワンダの家の近くとおる?」
白黒の毛に覆われた獣人の顔が、ぱっと明るくなる。
「おまえたち、ワンダの家あそびにくるか?! 歓迎するぞ!」
「はは、それもいいかも。」
「アルウィン様。あまり余計な道草は――」
「大丈夫。アジェンロウの住むクニャルコニャルは港から近い半島だ。海からサウディードに向かうなら、途中で寄り道出来るよ。ほら」
アルウィンに地図を見せられて、ウィラーフは納得したような、していないような曖昧な顔になった。
「それと、ここからなら王都に報告を飛ばせる。現在地とこれからの経路を伝えてくるよ」
彼は、灯台の方を見上げた。大きな灯台の真ん中のあたりに小さな窓が作られている。その奥には鳩小屋があり、連絡用の鳩が飼われているはずだった。
ここ、バレアスは、王都との連絡網が敷かれている拠点の一つなのだ。灯台には伝書鳩が飼われており、王に直接仕える人々、近衛騎士や”リゼル”ような人々だけが、それを利用することが出来る。東方騎士団でさえ、この連絡網の存在は公には知らされていない。
「では、私は定期船を調べておきます。」
「ああ。あとで宿で落ち合おう。この町なら、そう広くないからすぐ出会えるはずだ。」
「ワンダ、海いくぞー」
四人はそれぞれの方向に向かって歩き出す。久しぶりの別行動だ。
灯台に向かって歩き出しながら、アルウィンは、少しずつ表情を変えていた。仲間たちが側にいた手前、無理に抑えつけて忘れようとしていた感情が、気持ちが緩みとともに、今更のように込み上げてくる。
灯台の前まで来た時には、ついに耐えられなくなって、胸のあたりをぎゅっと掴んで地面に向かって呟いた。
「ふざけるな。何が馴れ合いだ。何が王に忠義を尽くすフリだ。お前に…お前たちに何が判る」
東方騎士団の団長、アレクシス・ローエンのあざけるような顔と吐き捨てた言葉が蘇ってくる。
『反逆者の息子』と、あの男は言ったのだ。
それは事実ではある。だが、そもそも切っ掛けを作ったのは――。
「…くそっ」
灯台の壁に軽く拳を打ち付けて、彼は頭をふり、感情を再び胸の奥へと押し込めた。
こんな思いは、久しく忘れていた。いや、忘れようとしていた。
どれほど時を重ねようとも、忘れ得ぬ胸の痛みと屈辱。何も出来なかった後悔と、…今もなお付きまとう無力感と。
たかが五年では、過去にするには短すぎるのだ。王国の人々にとっても、彼の故郷の人々にとっても。
灯台守には、アルウィンが持っていた”リゼル”としての符丁を提示して連絡用の鳩を貸してもらった。報告にはシドレクと別れてからの出来事、特にノックスでの殺人事件と東方騎士団の不審な動きについて、それにこれから辿るつもりの道を記して、いつも通り経路を分けて飛ばした。
連絡網のよく訓練された鳩たちなら、数日中に王都に着くはずだ。
灯台の窓から飛び立っていく鳩たちを見送って外に出ると、ちょうど、シェラがやってくるところだった。
「あ、いたいた。さっき港でワンダに遭ったのよ。アルウィン、灯台に行ったって聞いたから」
「ウィラーフは?」
「宿の前で出会ったから、部屋を教えておいたわ。この町、宿が港前の通りに集まってるから分かりやすいのよ。」
アルウィンと並んで港のほうに向かって歩き出しながら、シェラは、迷うように口を開いた。
「…先に休む、って。なんだか随分、疲れてみたいだった」
「だろうな。逃げるのに必死だったから。何かあったら、戦えるのは自分だけだ、って気負いすぎていたんだと思う。…彼は昔から、責任感が強すぎるところがある」
「あなたたち、昔からの知り合いなのよね。その…同じところの出身で」
今ではシェラも、二人がクローナ――かつてのクローナ自治領の出身だと気づいている。
五年前、『白銀戦争』の舞台となった北の自治領。
かつてそこは、自らも王家の傍系だと自認し、”銀の王家”を名乗る領主家が治めていたと、以前、同族のユーフェミナから聞いていた。あの時は、まさかその戦争の当事者と既に出会っているなどと夢にも思わずに、他人事のように聞き流していた。
「…おれの父は領主で、レスロンド家は元々、代々クローナの当主に仕える騎士の家系だった。だからウィラーフは、今も責任を感じているんだと思う」
歩きながらアルウィンは、ぽつり、ぽつりと言葉を繋いでいく。
「おれは一応、領主家の跡取りだったから、物心ついた頃からの知り合いだった。ウィラーフがなぜクローナを出て宮廷騎士団に入ることを選んだのかは聞いていない。クローナがアストゥールと敵対せざるを得なくなった時、彼はもう宮廷騎士の一人だった。家族とも敵対して、王の側に立って戦うことを選ぶのに悩まなかったはずはない。誰のせいでもない。――おれは、責めたりしないのにな」
彼にとって、その戦争はついこの間のことのように、今も完全に塞がらない傷となって胸に残る出来事なのだ。
「それじゃ、アルウィンのお父さん、その戦いで?…」
「…ああ。彼の父上も」
「そう…。」
それなのに彼は、なぜか今、シドレクのもとで王国に仕えているのだ。
「あの時、クローナ鎮圧には各地の騎士団も参加した。そしてどの騎士団も、戦いで幾らかの部下を失っている。当時から騎士団長を務める者たちがクローナの人間を恨んでいたとしても、おれは何も言えない。…騎士団だけじゃない。王国議会も…王家の関係者も。皆、身近な誰かを失ったはずなのだから」
「でも、だったらなぜ、わざわざ王都で働いているの? しかも、王様の直属の部下って。どうして、そんな」
「……。」
アルウィンは、曖昧に笑った。
「そうしなければ、この禍根は永遠に消えないからだ。誰かがやらなきゃならないことだ。この世から、すべての争いが無くなるとは思っていない。だけど話し合いもしないまま、過去に縛られてどちらかが死に絶えるまで争い続けるのは不毛すぎる。そんなの、ただ…悲しいだけだ」
「アルウィン…」
二人は、港前の通りに辿り着いていた。宿はすぐ、目の前だ。
「宿はどれ?」
「あ、えっと。そこの、赤い看板の――部屋は二階の一番奥よ!」
「ありがとう。」
少年は宿の中へ消えていく。
ひとつため息をついて、シェラは肩を落とした。
(訳あり――っていうほど簡単な話じゃなさそうよね。悪いこと聞いちゃったかなぁ…。)
故郷の話を避けていたのも、それに自分のことを話したがらなかった理由も、今なら分かる。無頓着に何でも聞いていた過去の自分を叱りつけたいくらいだ。
(でも、まさかアルウィンやウィラーフが、反乱を起こした自治領の出身だったなんで。ふたりとも、あんなに王様と仲良さそうだったのに…)
特にアルウィンは、シドレク王とは、まるで親しい友人か仮初めの親子のようにさえ見えた。あれが全部、上辺だけの演技だったなどとは思いたくない。
「っと、いけない。あたしが悩んだってしょうがないんだった」
気を取り直し、彼女は海の方に顔を向けた。
どんな時でも、明るく輝く青い海を目にすれば気分は晴れる。潮風と波の音。五感のどこかに海を感じると、遠い祖先の血が騒ぐような気がするのだ。
「――さて! 残りは、ワンダだけね。」
さっきは、港の側の浜辺で砂だらけになりながら波打ち際ではしゃいでいたのだ。まだ海を泳いでいるかもしれない。
海へ続くゆるやかな坂道に差し掛かった時、彼女はふと、看板の陰に、砂まみれの毛むくじゃらが張り付いていることに気づいた。
「…ワンダ?」
それは、探していた獣人だった。
「そんなことろで、何し――」
「しぃっ!」
ワンダは神妙な顔で口元に手を当てる。「早くこっち、くる」
「え? まさかとは思うけど、それ…隠れてるつもりだったの?」
「そうだぞ。ワンダあやしいやつ、つけてた」
「怪しいやつ、って。」
坂道には、船から降りてきた人、船に向かう人、大勢の旅人や漁師たちが行き交っている。シェラの目には、どの人たちもごく普通の通行人にしか見えない。
「どの人?」
「あそこ」
ワンダの指した方には、数人の男たちが何か立ち話をしている。こちらからでは顔は見えないが、ただの旅人のようだ。
「あれ、谷で襲ってきたときのにおいだぞ」
「え?!」
シェラは慌てて、ワンダと一緒になって看板の後ろに身体を押し込んだ。
よく見ると確かに、こちらに背を向けている男のマントの下に、不自然な膨らみがある。あれはきっと武器だ。
ハザル人の集落を訪ねた時に現れた、謎の襲撃者。アルウィンが預かっていた、”黄金の樹”の紋章を奪っていった男たち。
「何で、こんなところに…」
まさか自分たちを追ってきた、とは思いたくないが、何の手がかりも無いままだったのだ。こんなところで出会えたのは、むしろ幸運だったのかもしれない。
「戻りましょ、ワンダ。アルウィンたちに報せないと」
「おうー!」
宿に向かって駆け戻っていく二人の姿は、しかし、港の人通りの中では、あまりにも目立ちすぎていた。
見張る者たちが実際には見張られていたことに、本人たちは、気づいていなかった。
―第三章へ続く
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