第14話 逃走
先に宿に戻っていたウィラーフは、後から戻ってきたアルウィンたちの様子を見て、何が起きたのか理解しないまでも、異常事態だとは察したようだ。
ぐったりしたシェラを部屋まで運ぶのを手伝い、着付け薬代わりに、温めた葡萄酒を宿に手配をする。ようやくシェラが落ち着いて、今日はもう休むと言ったので、ワンダと二人で部屋に残してきた。
アルウィンから話を聞いたのは、その後だ。
「レトラの集落に、忘れ物があった?」
「そう。行方不明になったローレンスの持ち物だ。」
そう言って、アルウィンはマント留めのピンをウィラーフに見せた。
「ルグルブ族の女性は、物から持ち主の居場所や、今していること――或いは、過去にしていたことを視ることの出来る力を持っている。彼女は、ローレンスが殺された場所を特定した。それだけじゃない。多分…殺された場面の一部も視てしまったんだろうと思う」
「王の使者が殺されたというんですか」
ウィラーフは、拳を軽く壁に叩きつける。
「この町で? 東方騎士団のお膝元で? 何故! 東方騎士団に協力を依頼した時、何も出てこなかった」
「しっ、声が大きい。」
「…すいません」
「しかも殺された場所は騎士団の宿舎の入り口――と、なれば、犯人も、なぜ手がかりが何も出てこなかったのかも見当がつくだろう?」
ウィラーフは、渋い顔のまま小さく頷いた。
東方騎士団そのものが、犯罪に関わっていたからだ。
「失踪したのはレトラの古老から古文書を借りた直後、宿に残された荷物に手を付けられた形跡もない。――あまりに周到だとは思っていました。しかし…」
「疑いたくない気持ちは分かる。いくら方針が合わないにしても、まさか騎士団の一つが関わっているなんてね。だけど、動機がわからない」
腕組みをして、アルウィンはゆっくりと部屋の中を歩き出した。
「ローレンスが古文書を受け取った直後、古文書自体も消えた…ということは、その内容が何か不都合なものだったのかもしれない。」
「ですが、その古文書自体は、ずっと昔からレトラの集落にあったものでしょう。抹消したいなら、それまでにいくらでも口実をつけて出来たはずだ」
「そうだな。考えられるのは、その古文書が存在することを知らなかった可能性…”リゼル”がこの町にやって来て初めて、そんなものがある、と気がついたとか。」
「確か、レトラの古伝承…でしたよね?」
ウィラーフも考え込んでいる。
「詳しい内容は聞いていませんが、王の話だと、建国に関わる何か…だとか…」
「……。」
また、五百年前の話だ、とアルウィンは思った。
建国に纏わる記録の空白、それを埋めるための調査。確か、ローレンスの本来の仕事の中には、王国史の整理と編纂、古文書の解読も入っていたはずだった。
「文書の内容は、もしかしたらヤルル老に聞けばある程度は分かるかもしれない。杞憂かもしれないが、念の為、明日、出発前にもう一度、訪ねてみるよ。」
「わかりました。――ああ、馬車のほうは無事、手配済みです。荷物も全て乗せていきましょう。そうすれば、訪問の後すぐ出発出来ます」
「そうだな。」
アルウィンは、木戸を下ろした窓の外を伺うように視線をやった。
何となく嫌な予感がする。胸のあたりがむずむずするのだ。
同じ”リゼル”の役目を担う先任者がこの町で殺され、その犯人が東方騎士団の中にいることが確実になった今、一刻も早くこの町を出たほうがいい気がしていた。
その晩は、それぞれ思うところを含んだ、眠れぬ夜となった。
翌朝、アルウィンはたち朝食もそこそこに宿を出た。シェラはまだ気分が悪そうだったし、ワンダはワンダで、前日の食べ過ぎのせいで朝食が入らないという。そのお陰で、朝早くに目立たず出発出来たのは好都合だった。
「私はあまり詳しくないのですが…レトラ族というのは、言葉だけでなく文字も独自のものを持っているという話ですよね」
馬車の御者席で手綱を握りながら、ウィラーフが尋ねる。
「そう、実は彼らは、この大陸で最初に、文字で記録する習慣を持った人々だと言われている。いわば文字という概念の発明者だね。形が複雑すぎて今では彼ら以外に使う者はいないが、とても古くて由緒ある書き言葉を使う」
「それで、古文書ですか。五百年の間、よく失くさなかったものですね」
「失くしはしたんだと思う。だけど、そのたびに作り直した。大事な文書は、何代にも渡って書き写し続けているそうだ。それでも、さすがに幾らかは失われたものもあっただろうけど」
川の向こうには、昨日と同じ風景が広がっている。
「馬車はここに置いていきます。――留守番を頼む」
ウィラーフは、荷台のほうにいる二人に声をかけ、アルウィンについて馬車を降りた。
訪問も二日連続とあって、昨日は不審そうに眺めていた子供たちも、今日は笑顔で手をふっている。アルウィンがヤルル老人のもとを訪れていたことを知っているからかもしれない。
見覚えのある小屋が見えてきた。アルウィンが先に立ち、昨日と同じように、家の奥に向かってレトラ語で呼びかける。
「”ヤルル老! 朝早くにすいません。いらっしゃいますか”」
返事がない。小屋の中からは物音ひとつ聞こえない。
「長老なら、今日はまだ見てないよ」
通りかかったレトラ族の女性が物珍しそうに足をとめ、小屋の前に立ち尽くしている二人に向かって中央語で言った。
「まだ寝てるのかね。いつもなら、起きてる時間だけど」
「……。」
ウィラーフは、微かな匂いに気づいて家の中に一歩踏み込んだ。そして、はっとする。
「まさか…!」
腰の剣に手をかけながら、入り口の布をまくって飛び込むと、中から一気に血の匂いが押し寄せて来た。
窓から差し込む光の中、荒らされた室内には、血の跡が点々と落ちている。
「アルウィン様、そこにいてください」
硬い声で言いながら、彼は奥の部屋を確認した。割れた茶瓶。乱れた座布団。逃げようとでもしていたのか、後ろから一刀のもとに致命傷を負って床に折り重なる、老夫婦の姿がそこにあった。ヤルル老人と、その連れ合いの老女だ。
触れてみるまでもなく、もはや事切れていることは、一目見れば分かった。
「何ということを…」
呟いて、彼は小さく首を振った。
それから、入り口で待っているアルウィンに、見たものを報告するために戻っていった。
アルウィンが近隣の人々にヤルル老の家におきた悲劇を知らせた後、レトラの集落は、蜂の巣をつついたように大騒ぎとなった。
貧しい地区ではあるが治安が悪いわけでもない。身内同士での争いごとはなく、まして、皆に尊敬されている長老を殺害する動機を持っている者がいるはずもない。かと言って、よそ者が出入りしたのを見た者もいない。
「犯行時間は、昨日の夜中でしょうね」
ウィラーフが言い、アルウィンはそれを、共通語の話せないものにもわかるよう通訳する。
「”誰か、夜に不審人物を見た者は?”」
口々に、見ていない、と声が上がった。悲鳴を聞いた者もいなかった。裕福ではない彼らには、灯りのための油を消費する余裕もないのだった。夜は灯りもなく真っ暗で、皆、日が沈むと家に戻って寝てしまう。
「…そうか。困ったな」
もちろん、この辺りの治安を維持する東方騎士団に協力を依頼することは出来なかった。前任者、ローレンスの死に関わっていることを除いても、彼らはレトラの集落で起きる出来事に関与しない。たとえ殺人が起きようとも、静観するだけだろう。そのことは、アルウィンもウィラーフも、知りすぎるほどに知っていた。
結局、何も出来なかった。
人々が嘆きの声を上げ、変わり果てたヤルル老とその連れ合いの埋葬について相談しあうのを、徒労感とともに見守るだけだった。
「先回りされた、と見るべきでしょうね」
ぼそりと、ウィラーフが囁いた。
「…そうだな」
アルウィンは、荒らされた小屋のほうを振り返った。
「少し甘く考えすぎていた。おれたちも、監視されていたのかもしれない。」
「ですが、これで確証が持てましたね。ローレンスが殺されたのは、ヤルル老から預かった資料が原因だと思います」
「……。」
話しているところに、一人の少女が、おずおずと近づいてきた。
「ん…、君は」
確か、町に着いた最初の夜、宿の前で転んでどやしつけられていた、あの子だ。
少女は、その時アルウィンに渡されたハンカチを、無言で差し出した。綺麗に洗って畳んである。
「返してくれるのか。ありがとう」
「……あたし、見た」
受け取ろうとしたアルウィンの手が、止まった。
「黒いナイフ持った人たち。長老様、いろりの中に何か隠したよ」
「それを君は、どこで…」
少女は、長老の家の天井のあたりを指差した。尖った天井の空間には、干し魚がぶら下げてある。いろりの真上に吊るして、燻製を作るためだ。
そういえば、吊るされている魚の中に、昨日は無かった生に近い魚が混じっている。まだ吊るされたばかりなのだ。
「君は、あそこで作業してたのか?」
アルウィンが振り返ると、少女はすでに駆け出したあとだった。振り返りもせず、まるで逃げるように一目散に。
無理もない、自分も殺されるかもしれない状況で、殺人の現場を隠れて視てしまったのだ。幼い少女にとっては、それはひどい恐怖だっただろう。
ヤルル老の家に戻った二人は、いろりの中に残った灰の中を探ってみた。
「ん…何かあるな。」
ウィラーフは、丸めた巻物のようなものを探り当て、引っ張り出して灰を払った。
「アルウィン様、これを見てください。」
数枚の皮の断片が、細い革紐でくくられている。それが何を意味するのかを直感的に悟ったアルウィンは、周囲の様子を伺った。誰にも知られないほうがいい。出来れば、レトラの集落の住人たちにも。
「開かないでいい。隠して、ここを出るんだ。馬車に戻ろう。出来れば、すぐ出発したほうがいい」
「……分かりました」
今、この瞬間にも見張られているかもしれないのだ。
こんな明るいうちから暗殺者が動き出すとは思えなかったが、相手が騎士団なら話は別だ。もしも何か手に入れたと知られたら、この先、何が起きるか分からない。
馬車に戻ると、ウィラーフは御者台に飛び乗り、すぐに馬を走らせた。
「え、何? どうしたの」
シェラは、まだぼんやりした顔で荷台に入ってきたアルウィンを見やる。
「ヤルル老が殺されたんだ。昨日の夜」
「え?! …昨日のおじいさんが?」
シェラもワンダも、ひどくショックを受けている。「そんな…、だって」
「理由は、たぶんこれだ」
アルウィンは、灰まみれのままの丸めた羊皮紙を見せる。
「ローレンスと一緒に闇に葬られた資料に関係するものだと思う。これが世の中に出てほしくない誰かがいる」
「何が書いてあるの」
「判らない…。レトラ語の話し言葉は勉強したけど、書き文字はほとんど読めないんだ。これから向かうサウディードなら、解読も依頼出来る。とにかく、殺人犯が近くにいるのは確実だ。今は、急いでこの町を離れるしかない」
馬車が速度を上げるにつれ、ノックスの町はどんどん遠ざかってゆく。
「予定通り、リエンテ街道に向かいます」
と、ウィラーフ。
だが、馬車はそう長く走り続けていられなかった。
それからほどなくして、馬車ががくん、と揺れた。速度が落ちるとともに、荷台にいたアルウィンたちも壁や床に押し付けられる。
「な、なんだぁ?」
ワンダは御者台と繋がる窓にぶら下がるようにして飛びついた。背が足りないので、そうするしか外を見る方法がないのだ。
「なんか、通せんぼされてるぞ。」
窓の外から、ウィラーフの怒鳴る声が聞こえてくる。
「何のつもりだ。街道だけでなく、ここも交通規制か?」
答えているのは、青い房飾りを提げた騎士たちだ。東方騎士団。まさか、既に検問を張っていたとは。
「失礼。昨夜、街道の封鎖を突破して町に逃げ込んだならず者がいたということですので」
「私は中央騎士団に所属している。疑われる筋合いはない」
ウィラーフの剣を見ても、騎士たちは動じない。
「一応――です。団長より、出入りする全ての旅人は、例外なく検分しろ、というお達しですので。」
言いながら、騎士たちは早くも馬車の後ろに回りこもうとしている。
「しっかり捕まってろ」
「え?」
「ウィラーフ!」
窓からアルウィンが声をかけた。その意味するところを察したウィラーフは、思い切り馬にムチをくれた。
ワンダは転がってシェラとぶつかる。アルウィン自身、床に思い切り叩きつけらたれ。
かなり手荒な発進だ。馬車の前にいた騎士たちは、ひかれまいとして大慌てで脇に退いた。後ろから、怒声が追いかけてくる。止まれ、とか、規律違反だ、とか、そんな内容だが、ウィラーフは聞く耳を持たない。
肩をおさえながら立ち上がり、アルウィンは御者台のほうに向かって声をかけた。
「逃げ切れるか?」
「二頭立てですからね、微妙です。それに、こちらは四人乗っています」
「どうするの? 止まって、事情を聞くわけにはいかないの?」
「予想が正しければ、あいつらはもう、三人殺してる。何だかんだといいがかりをつけて足止めを食らうか、悪くすれば行方不明だろう」
アルウィンは、驚くほど冷静だ。
「東方騎士団の直轄地では、宮廷騎士の肩書きも、”リゼル”の名も役に立たない。それに、おれたちの身が無事だったとしても、ヤルル老が残してくれた巻物を取られたら意味がない」
言いながらも、彼は荷物の中から何かを取り出し、紙を破いてせっせと手を動かしている。
「シェラ、そのへんに適当な紐は? 無ければ、ハンカチの端を細く切ったものでいい」
「え、えーっと…分かった」
何をしようとしているのかは分からないが、急がなければならないらしい。
その間にも、騎士たちは追いついてこようとしている。馬車に飛び移ろうとしてる騎士までいる。
それに気がついたワンダは、荷台に積んであった棒切れを拾い上げ、幌の内側から思い切り咲き出した。
「てーーい!」
棒に不意打ちをくらって、騎士はよろめき、馬から落ちそうになって遠ざかっていく。だが、喜ぶのもつかの間、その脇からさらに二人、同じくらいの速度で馬車に向かってくる。
「時間を稼いでくれ。もう少し」
「駄目だ、止まります!」
御者台のほうから、ウィラーフが叫ぶ。「掴まっていて下さい!」
ほとんど棒立ちのようになりながら、馬が急停止する。
「きゃあっ」
「わふー」
勢いで、シェラと、ワンダが荷台から外に転がり出した。辛うじて馬車の端につかまったアルウィンは、振り返って、御者台の向こうに視線をやった。
先回りされたのだ。行く手が塞がれている。
馬に乗った騎士たちが、馬車を取り囲む。
「手を上げて、ゆっくり降りろ。そこに並べ。怪しい真似を見せれば拘束する」
有無を言わさぬ口調。ウィラーフは騎士たちを見回し、その中に、一人の男を見つけた。
「…東方騎士団団長、アレクシス・ローエン…。」
「ほう、これは。」
一際立派な馬に乗り、胸のあたりに騎士団長を表す勲章を下げた男が近づいてくる。
「見た顔だと思ったら、近衛騎士のレスロンド殿では?」
「お忘れかと思ったが、覚えておいでだったのか。知っていて、私の連れや荷物まで検査をするつもりか?」
「まさか。最初から身分がハッキリしていれば、こんな手間はかけずとも済んだものです。」
ローエンは、平然とした顔でうそぶいた。
「何しろ、今はこんな時期なのでね。昨夜も、街道の包囲網を突破して怪しい一行が町に向かったとか。私は、レトラの乞食どもが関わっているのではないかと睨んでいるのだが。――それで、レトラの集落に出入りする不審な連中を見張っていたところが、背格好の一致する者が慌てた様子で町を出たと聞き――」
「よく言うわよ。人を殺しておいて」
シェラの呟きを聞きつけて、馬上の男がじろりと視線を向けた。アルウィンは、慌てて肘でシェラをつつく。
「しっ。証拠はないんだ、大人しくしていたほうがいい」
シェラは、むっとしつつも口を噤む。それでローエンは、すぐに興味を失ったようだ。
「さて。――まさか中央の騎士殿が不審者殿の仲間とも思えないのですが、念のため、ということもある」
来たな、と、ウィラーフとアルウィンは同時に思った。
「貴殿らがなにゆえ我らの包囲網を無理やり突破するような不審な真似をしたのかは知らぬが、規則は規則。この先、騎士団の所轄を通行されるからには、所持品の確認を受けていただかないと。」
「茶番は結構です」
声を上げたのは、アルウィン。一歩前に進みでて、懐から、ハンカチの切れ端できつく結んだ皮の束を取り出す。
「あなたがたが探しているのは、これでしょう」
ローエンの表情が動いた。
「確かめろ」
左右の騎士たちが、馬を降りて近づいてくる。ワンダが低く唸ったが、シェラに首の後をつかまれ、大人しくなる。ウィラーフは何かあったらすぐにも抜けるよう、腰の剣に手をかけていた。
皮の束は、アルウィンの手から素早く奪い取られた。開くと、中身はびっしりと文字の書かれた紙の束だった。見たこともないような複雑な形の文字は、レトラ語の書き言葉で使われるものだ。
「間違いありません。レトラ語のようです」
「ふむ」
ローエンは、さらに何か意地の悪いことを言おうと顎に手を当てる。だが、アルウィンも言われているばかりではない。
「その文書をどうされるおつもりです? 我々に疑いをかけたからには、この文書の内容を公表して、王国議会にでも提訴されるつもりですか」
「いや、これは私の胸にしまっておいてさし上げよう。貴殿らにとっても、そのほうが良かろう?」
にやにやと笑いながら、ローエンは訳知り顔で言う。
「言わせておけば…」
ウィラーフは我慢の限界で、今にも剣を抜きそうになっている。
「やめろ。東方騎士団と悶着を起こせば、後々問題になる」
「しかし、アルウィン様」
「…アルウィン?」
何気なく囁かれた名を耳に留め、ローエンはアルウィンをまじまじと見つめた。
そして、大声を上げて笑い出した。
「何だ、良く見れば貴様、クローナの反逆者の息子ではないか!」
「!」
アルウィンではなく、ウィラーフの表情が強張った。と同時に、殺気にも似た気配が溢れ出す。
「王に父親を殺された者が、よりにもよって近衛騎士と慣れ合っているとはな! 同郷のよしみか? それともまさか、王に仕えているとでも? どうやって王国議会に取り入ったのだ。王に忠義を尽くすフリをするのは、さぞかし辛いだろうな、ん?」
「…っ」
アルウィンは、ウィラーフの右手を強く掴んだ。ローエンに斬りかからせないためだ。
「まったく、王も道楽が過ぎる。生かしておけば、あとで後悔することになるだろうに」
馬上から一瞥をくれ、騎士団長は馬主を巡らせ、部下たちに声をかけた。
「行くぞ! 用は済んだ」
もはや興味もない、というように、騎士たちは揃いのマントを翻し、街道をノックスの町のほうへ引き上げていく。後には四人だけが残されていた。
アルウィンが手を離すと、ウィラーフは、騎士らしからぬ悪態をつきながら足元の石を思い切り蹴飛ばした。
「くそっ! あの野郎」
爪の食い込むほどきつく握りしめていた手のひらには、血が滲んでいる。
「…すまない、ウィラーフ。今は我慢してくれ。」
「分かってます。でも、折角の手がかりまで――」
アルウィンは、騎士団の去った方角をもう見ていない。
「心配しなくていい。さっき渡したあれは、偽物だ。」
「え?!」
「本物は、こっち。」
そう言って、アルウィンは靴の中からハンカチの残りに包んだ小さな皮の束を取り出した。
「あれは、勉強用に持ってきたレトラ語の辞書のページをそれっぽく包んだだけのチャチな偽物だ。レトラ族は大事な文章を紙に書いたりしない。必ず羊皮紙だ。騎士団は、そんなことも知らない」
少年の表情が陰った。「そう、何も知らない、理解しようともしないんだ。隣同士に住んでいるのに…」
「だとしたら、騙されたことに気づいて戻ってこないうちに出発したほうが良さそうですね」
ウィラーフは、既に気を取り直して御者台に座っている。
「この先、バレアスまでたどり着けば、旧エスタード領地を抜けます。騎士団の影響力も薄まる。乗ってください」
二人とも、感情を押し殺しているのが分かった。胸に突き刺さった言葉の痛みに耐えている。ワンダもそれを感じてか、いつもより大人しい。
馬車が動き出す。
シェラは結局、何も尋ねることが出来なかった。
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