第13話 「リゼル」の行方

 旅の足が用意されるまでは、街を出ることも出来ない。喫茶店を出て、三人は、再び町の散策にでかけた。今回は、アルウィンが案内役だ。

 「どこか行きたいところは?」

 「うーん…特に思いつかないわね。お店でも見ていかない?」

大通りに沿って、たくさんの店が軒を並べている。それらを見ているだけでも、暇つぶしにはなる。


 昨夜の出来事いらい、町を歩いていると、最初は気付かなかったことに気がつくようになっていた。

 表通りの美しい街並みと着飾った人々、そうした目につきやすい光景と裏腹に、目立たない場所に一段下がる階級の人々がいる。狭い路地裏で側溝を掃除していたり、屋根の上に登って煙突掃除をしたりするような、みすぼらしい格好の人々は、靴さえ履いていないこともある。小さな子供すらいる。目立たないよう、意図して息を殺して生きているかのようだ。

 「あれが、レトラなのよね?」

 「そう。ノックスの暗部だ」

アルウィンは、シェラのように視線を向けたりしない。平然とした顔のまま、すれ違いざま彼らの足元にさりげなく施しのコインを落としていく。シェラが振り返ると、薄汚れた手でコインを掴み、逃げるように走り去る子供が見えた。

 お礼を言うことも知らない、あるいは…お礼を言っている間に、他の誰かに奪われることを恐れているのか。

 「誰も気にしないの? 騎士団は、助けたりしないの?」

 「無視するか、蔑むよう教えられ、それが何世代も続けば容易には覆せなくなる。…騎士団は、たいてい貴族や地主のような家柄の出身者が入るところだしね」

 「ウィラーフも?」

 「彼も代々、騎士の家柄だよ。…」

語尾に奇妙な沈黙があったのは、それ以上は話せない、ということなのだろう。

 (きっとこれも、あまり話したくないことなのね)

シェラも、それ以上は聞き返さない。


 大通りに出たところで、ふいにワンダが声を上げた。

 「うわー!うわー!」

正面に、巨大な噴水がある。女神像が掲げた水瓶から水の奔流が海に見立てた水盤に流れ落ちてゆく、という、華やかで洒落た演出になっている。きらきらと輝きながら流れ落ちる水は、まるで滝のようだ。

 「すごいっ。みずが全然とぎれないぞ! あの壺、どうなってる?」

 「中に水管を通してるんでしょ。川から水を引いて汲み上げているんだと思うわ。でも、よく出来てるわね。…これも、古いもの?」

振り返って尋ねたシェラは、ふと、アルウィンが暗い表情をして水盤を見つめていることに気がついた。

 「どうかしたの?」

 「いや…。前回、ここに来たときのことを思い出していた」

少年は、小さく頭を振って広場から郊外のほうへと続く道へと視線を向けた。

 「ここは、行方不明になった”リゼル”が最後に目撃された場所だったんだ。ここから、あっちへ真っ直ぐ行って橋を渡ると、…レトラの集落がある」

広場の向こうには、確かに、城壁の外へ続く通りが開けていた。シェラの脳裏に、尖塔の上から見えた、川のほとりに寄り合うようにして建つ粗末な家々が浮かんだ。

 「ねえ、レトラの集落って、簡単に行ける?」

 「ああ。誰も行く人はいないが、出入りが禁じられているようなことはないよ」

 「それなら、せっかくだし、ちょっと見てみたいな。」

アルウィンは、少し驚いた様子だった。

 「でも、あそこはただの集落だ」

 「だから、よ。見栄えのいいものだけ見るのもつまらないでしょ?」

 「――なるほど。」

少年は頷いて、噴水に飛び込んで子供と一緒になって歓声をあげているワンダのほうに向かって叫ぶ。「ワンダ! 行くぞ」

 「はーい」

ぶるぶるっ、と震わせた体から、水滴が迸る。それでもまだ足りず、短い毛から、ぽたぽたと水が垂れているが、本人は気にした様子もない。むしろ気持よさそうだ。

 「どこ行くんだ?」

 「町の外にあるレトラの集落」

広場から続く道の先にある、小さな城門をくぐると、浅い川にかかる橋を渡って、町の外へ。城壁の内側の壮麗さが一気に失われ、辺りは、質素な農村のような雰囲気に変わる。


 川べりの道に沿って色彩のない家々が立ち並び、家畜がそこらをのんびり散歩している。木々の合間からは、畑が広がるのが見えている。

 身を寄せ合うようにして立つ家々の前の通りで遊んでいた幼い子供たちは、やってくるよそ者に気づいて手を止め、ワンダの姿を視て、目を丸くして不思議そうに見つめている。

 川沿いでは、釣りをする人、洗濯をする人、豚をさばいている人。みな、怪訝そうな顔だ。町の住人はもとより、旅人がこの集落にやってくることなど、滅多にないのだろう。道に迷ったのか、それともただの物好きかと訝しんでいるのに違いない。悪意はないのだろうが、投げかけられる視線はさすがに、シェラも気になりはじめていた。

 「ねえ、アルウィン。どこまで行くつもり?」

 「すぐそこ。ほら、あそこだ」

彼が指差したのは、集落の真ん中あたりに位置する、周囲に比べるとほんの少しだけ立派に見える小屋だった。土台と壁は石、戸は木。ただし、屋根は藁葺き。小さな窓が壁に開いている。

 「以前ここへ来た時に訪ねた、レトラの長老のところだ。ついでに寄っていこうかと思って――二人は、外で待っててもいいよ」

 「どうして?」

 「言っただろ。前回ここへ来た時は、ものすごい剣幕で叱られたから」

アルウィンは少し肩をすくめた。「まあ、今回はそう怒鳴ったりしないと思うけど」

 「じゃあ、同席しても、いいの?」

 「構わないよ。今回は任務じゃないから」

そう言って彼は、扉の代わりに垂らされた入り口の布をめくりあげ、家の奥に向かって声をかけた。

 「”お邪魔します”」

シェラたちには分からない言葉ということは、おそらくレトラ語だ。「”ヤルル老、いらっしゃいますか?”」


 奥の方で、がたがたと物音がして、木戸が薄く開けられた。老人が、用心深く表を見る。

 「”こんにちは。お久しぶりです”」

アルウィンを見るなり、老人は驚きとも、喜びとも、不安ともとれない不思議な表情をした。

 「”あんたは… えーーーと”」

 「”以前、古文書のことでお詫びに上がった『リゼル』です。”」

 「おお、そう!王国のお役人だな。思い出した思い出した、ささ、上がれ。上がれ」

中央語で言ってから、老人は中に向かってレトラ語で何か怒鳴った。アルウィンは、シェラたちを手招きして小屋の中へ入っていく。戸口は狭く、腰をかがめなければ入れない。

 中も、薄暗い上にひどく狭かった。半地下で、炉を囲むようにして車座が敷かれている。天井には、吊り下げられた川魚の干物。奥の方にもまだ部屋があるようだが、そちらの様子は伺えない。

 「いま、茶を用意させる。いや、あんたにまた会えるとは。で…」

 「すいません。」

期待に満ちた視線に対して、アルウィンは頭を下げた。

 「お借りした古文書…、まだ、見つかっていないんです。今回は、近くに寄ったついでに、ご挨拶だけでもと」

 「あや。そうか」

老人は、ぼさぼさの白髪をぼりぼりと掻いた。

 「そうか。まだ見つからんのか…」

 「本当に、すいません。お願いしてお借りしたのに」

 「まあ、仕方がない。あんたのお仲間のお役人も、まだ見つかっとらんのじゃろ」

 「…はい」

シェラとワンダは、アルウィンの同僚のようなふりをして、神妙な面持ちでアルウィンと老人の会話を聞いている。行きずりの部外者だと知られたら、話がややこしくなりそうだったからだ。

 「そう、そのことなんだがな。――おうい、お前。」

奥から、奇妙な茶瓶を捧げ持った老いた女性が現れる。ヤルル老人は、その女性に向かって何か、話しかけた。

 間もなく、老女が再び戻ってきたときには、マントを留めるピンらしきものを手にしてた。

 「あの事件からしばらくして、家の掃除しとったら、庭の端からこいつが出て来てな。確か、あの時のお役人がつけとった気がするんじゃ」

 「拝見します」

アルウィンは、受け取ったピンを光にかざした。

 「…なるほど。確かに、レトラのものではありませんね。こちらは持ち返っても?」

 「ああ、構わんよ。拾っただけとの他人のもんを、勝手に自分たちのもんにすることは出来ん。それがレトラの掟だ」

お茶を注ぎながら、老人は言った。「ああ、それとな。」

 「はい」

 「前にあんたが来た時は、怒鳴りまくってすまんかった」

 「……。」

アルウィンは、思わず笑みを零した。「お陰で、レトラ語が上達しましたよ。」


 それから、二人は小一時間ほど、レトラ語と中央語で世間話をしていた。

 シェラやワンダも時々話に加わったが、ほとんどは、他愛もない話だった。出されたお茶は不思議な味がして、聞くところによると木の実を煮出して作るものだとか。

 老人のもとを辞して町に戻ったのは、もう昼も過ぎた頃だった。

 「やれやれ。和やかにいって良かったよ。」

歩きながら、アルウィンがほっとしたような顔で漏らした。シェラは、思わず苦笑する。

 「よっぽど怒られたのね、前回は」

 「ああ。貴重な古文書を頼み込んで借りた矢先に紛失なんて、本来はありえないことだったし…」

噴水前の広場まで戻ってきたところで、ふと、シェラは足を止めた。

 「そうだ。――さっきのピン。貸してもらえる?」

 「え?」

 「居なくなった”リゼル”の持ち物なんでしょ? だったら、まだ情報が残っているかも。ちょっと、視てみる」

ルグルブの民には、”遠視”と呼ばれる特殊な力がある。物の記憶を辿り、持ち主のことを知る、というものだ。

 シェラの力の確かさは、前にシドレク王を探した時で分かっている。アルウィンは、ヤルル老人から受け取ったピンをシェラに手渡した。

 彼女は木陰のベンチに腰をおろし、手のひらに乗せたピンに意識を集中させた。

 「…二年前、だっけ。持ち主がいなくなったのって」

 「ああ」

 「ギリギリね。時間が経ち過ぎてるし、うまく視えないかもしれない。その人の本名とか出身地、知ってる?」

 「名前は…ローレンス。年は五十歳くらいかな。この近くの生まれらしいけど、町の名前までは分からない。普段の職業は、サウディードの言語学の研究家だった」

 「うーん…」

シェラは苦戦している。「うーん…なんだろう、この感じ」

 「二年前は、この町の周辺を徹底的に探索した。町の人にも、レトラ族にも聞き込みをしたし、東方騎士団にも協力を依頼した。…と言っても、ほとんどウィラーフがやったんだけど。」

 「最後の目撃は、ここ、それは正しい?」

 「そう。ヤルル老人のところで古文書を借りた後。町に戻る途中だったんだと思う。ただ、当日は雨が降っていて、夕方には人通りが少なくなっていたらしい。彼の足取りは、ここから宿までのほんの僅かな距離の間に消えてしまった」

 「……。」

シェラのぼやけた視界の中には、確かに、噴水の側に立つ男が浮かんでいた。マントに何かをくるんで、足早に通りすぎようとしている。借りた資料を包むためにマントを外して、それで、マントを留めていた時のピンを落としてしまったのだろう。

 雨のせいで周囲は暗い。資料を濡らすまいと固く脇の下に抱えた男はろくに前も見ず、通りを横切ろうとしたところに、馬車が乗り付ける。――


 ――風景が暗転した。

 次に見えたのは、白い、石の縁…。


 はっとして、彼女は目を開けた。

 「視えた」

 「本当か?」

 「うん、きっと誘拐よ。いきなり目の前が真っ暗になった…気絶させられたんだと思う。でも、何だろ。最後に視えたもの…見覚えがある気が…」

記憶の中に、水のイメージがある。でも、噴水ではない。水に関係していて、深い穴があって、特徴のある縁を持つもの――。

 ここ数日の記憶を辿っていた

 「…そうだ! 大聖堂で見た、あの八角形の井戸!」

シェラが立ち上がるより、アルウィンが動き出すほうが早かった。

 「それなら、こっちだ」

置いていかれないよう、シェラとワンダも急いで後を追う。

 アルウィンは、ウィラーフが通ったのと同じ裏道から大聖堂を目指しているようだった。

 小さな鉄の門をくぐり抜け、緑の芝生の中を駆け抜けていく。マント留めのピンは、シェラが握りしめたままだ。

四方を壁に囲まれた小さな中庭。――その先に、茨に囲まれた八角形の井戸がある。スレインと出くわした場所だ。

 「ここで、間違いないか」

微かに息を弾ませながらアルウィンが尋ねる。

 「確かめてみるわ」

シェラも息を整えながら、井戸の脇にしゃがみ込んで石の縁を見上げた。

 「――間違いないわ、この角度よ。あたしが見たのは…だけど、これじゃまるで、地面に寝そべってるみたいね? 何で、こんな…」

シェラの動きが、突然止まった。


 コーーーーン。


アルウィンは、空を見上げた。頭上から降ってきた透明な音は、尖塔の先に取り付けられた鐘の音。夕方の合図だ。


 コーーーーーーン。

 コーーーーーーン。

 コーーーーーーン…。


 四つの鐘が少しずつ遅れて打ち鳴らされ、やがて四重奏となる。町じゅうどこに居ても聞こえるだけはあり、真下にいると、耳を覆いたくなるほどの音だ。耳の良いワンダなど、両手でぴったりと耳をふさいでシェラのうしろに隠れている。

 音の残響は、その後もしばらく続いた。夕焼けが迫りつつある。

 「シェラ?」

 「……。」

振り返ると、シェラは青ざめた顔をして井戸の側にへたり込んでいる。

 「どうした。」

 「…わ、分かったの」

彼女は片手にピンを握り締めたまま、地面の上を見つめている。

 「この場所――ここだわ。その人は――ここで殺された――。」

唇が震えた。

 「何だって?」

遠く、鐘の残響が風に乗って消えていく。

 アルウィンは、とっさに井戸を囲む壁の向こうに視線をやった。

 壁の向こうには、東方騎士団の宿舎がある。目と鼻の先だ。そんな所で殺人?

 だとしたら――。


 「それ以上は、視なくていい。今は忘れるんだ。宿に戻ろう。ワンダ、手伝って」

 「う? おぅ」

両脇から支えるようにして、シェラを立ち上がらせた。ぐずぐずしていたら、東方騎士団の誰かに見咎められないとも限らない。

 疑うべきものが「何」なのか分かった今となっては、ここに長居しないほうがいい。


 大聖堂を出てからもずっと、シェラは小刻みに震えていた。よほどの光景を視てしまったからなのか。それとも、人の死を直接視るのは初めてだったからかもしれない。

 アルウィンは後悔していた。この失踪がただの事故や偶然ではないことは、薄々気づいていた。「既にローレンスは生きていない」という可能性も覚悟していた。にも関わらず、迂闊に、彼女の遠視を許可してしまったということを。

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