第11話 黄金の帝国

 ウィラーフは、町の中心部へと向かっているようだった。

 「見たいのは、尖塔でいいのか」

 「あ、…うん。」

シェラが返事すると、彼は、微かに舌打ちする。

 「あそこはいつも観光客が多い。はぐれないようについて来い」

ぶっきらぼうな口調と、いかにも面倒だというような態度にはさすがに少しむっとするが、無理を言ってついてきた上に、観光案内までしてもらっているのだ。文句も言えない。

 それに、ウィラーフの言ったとおり、町の中心が近づくにつれ人通りは増して、大聖堂が見えてくる頃には、真っ直ぐに進めないほどの混雑になっていた。

 「うわあ…。人がいっぱいね」

 「裏通りから行く」

ウィラーフは、迷わず通りから続く細い路地へと入っていく。

 他の町ならあまり清潔とは言えないはずの裏通りだが、ここでは、細い道でさえもきちんと石で舗装され、古びてはいるが手入れされた建物が続いている。長いスカートをたくし上げた女性が買い物かごを下げ、優雅に通り過ぎてゆく。町の住民たちの立ち居振る舞いがあまりにも浮世離れして、自分たちを含む、よそから来た旅人たちが浮いて見えるほどだ。

 「なんだか…この町って、独特の雰囲気ね」

 「ここは、五百年前、”統一戦争”後にアストゥール王国に併合されるまでは、エスタード帝国の貴族や王族が住んでいた町だ。今も金持ちが多い」

振り返りもしないものの、会話にはつきあってくれるようだ。

 「多くの金鉱山を抱えて冨の限りを尽くしたエスタードは…かつて、『黄金の帝国』と呼ばれていた。」

 「また黄金なのね。」

 「そう呼ばれるだけあって、作られた当時は建物の装飾にすら金が使われたという。今は、すべて剥ぎ取られた後だが」

ウィラーフは、近づいてくる大聖堂の壁を見上げた。高い建物の上にそびえるのは、白く、空に突き刺すように真っ直ぐ聳え立つ塔だ。その先端には、大きな銀の鐘が取り付けられているのが見えた。

 「あの大聖堂は、エスタードの歴代皇帝の墓所だ。最後の皇帝イーノルドの墓もある。」

路地の先に、大聖堂の裏側と小さな鉄の門が見え始めた。最初に見えていたのは正面のほうだったから、ほぼ半周してきたことになる。


 門は開いていたが、観光客の姿は無い。地元民しか知らないような裏口なのだ。

 「ここ、入ってもいいの?」

 「礼拝堂で参拝する地元民用の入り口だ。大聖堂の天井画を見たいなら遠回りになるが、塔に登るなら近道だ。」

 「え、登れるんだ?」

ぱっと明るい顔になったあと、はっとしてシェラは我に返る。

 「…だけど、よく分かったわね。あたしが塔に登ってみたいって」

 「まぁな。何とかは高いところが好き、とよく言うだろう」

 「ちょ…、それ、どういう意味よ?!」

 「騒ぐな。敷地内では静かにしろ」

ぶつぶつ文句を呟きながら、シェラは、迷う様子もなく芝生を横切って歩いていくウィラーフの後を追った。


 周囲の建物の美麗な装飾や美しい庭園も、素通りだ。

 気になって足を止めようとすると、ウィラーフが急かした。

 「何してる。こっちだ」

 「もうー、いいじゃない、ちょっとくらい余所見してたって」

シェラが頬を膨らましても、彼は知らんぷりだ。

 「塔への階段は、ここから入る」

言いながら、建物の脇についた扉を開いて中に入っていく。仕方なく、シェラもあとに続く。

 「足元に気をつけろ。先に行け」

そう言って、彼はシェラの後ろに回った。階段の石がすり減って滑りやすくなっているからだ。これでも、一応は気を使っているらしい。


 階段は螺旋状に、はるか上のほうまで続いていた。

 薄暗い階段のところどころに小さな窓があって、光とともに外の風を送り込んでくる。庭の緑の芝生が遠ざかっていく速度がひどく遅く感じられる。登るのは一苦労だ。それに、階段には手すりすらなく、観光客が訪れることなど想定していないような造りだ。

 そうして、ようやく登り切った塔の先端には、一面の青い空が広がっていた。


 手すりの向こうには、ノックスの白い町並みが一望出来る。城壁の外の草原や、街道のほうまで。

 「すごーい!」

シェラは、髪をかきあげながら手すりの先に身を乗り出した。

 「空に手が届きそう! こんな高いところ、はじめて」

 「……。」

はしゃぐシェラの後ろ姿を遠目に見守りながら、ウィラーフは、黙って離れたところに立っている。

 「あら?」

町並みを見回していたシェラは、ふと、町の端を流れている川のほとりの一画に、身を寄せ合うようにして建つ、場違いな、粗末な建物の群れを見つけた。町の中心部の洒落た建物とは、あまりにも雰囲気が違う。

 「ねえ、あれは? あそこだけ、何だか雰囲気違うけど…後から出来た村?」

 「いや。むしろこの町より昔からあったはずだ」と、ウィラーフ。「あそこは、レトラ族の集落だ。貧困地区でもある」

 「え、貧困? どうして?」

無邪気に尋ねるシェラに、騎士は、ひとつ溜息をついた。

 「歴史の勉強くらい、していないのか…」

 「仕方ないでしょ? 谷を出たのは初めてだし、外のことはよく知らないのよ。どういうこと?」

 「…エスタードは、厳しい階級社会だった。先住民である彼らは最下層に組み込まれていた。それでだ。アストゥール王国では身分制は廃止されているが、かつての階級の区別は、今も根強く残っている。」

 「だったら移住すればいいんじゃない? よそにいけば自治領を作ったり出来るんじゃないの」

ウィラーフは呆れ顔だ。

 「お前、いつもその調子なのか」

 「その調子って。」

 「聞く前に、少しは考えろ。」

投げ捨てるようにそう言って、ぷい、とそっぽを向く。それ以上は聞いても答えてくれなさそうだった。

 仕方なく、シェラは集落に目を凝らした。

 狭い区間に、家がぎっしりと立ち並んでいる。どれも相当古いようで、崩れかけているものまであった。いかにも貧しい集落、といった雰囲気だが、荒れている気配はないから、治安は悪くなさそうだ。

 (そういえば、前にレトラの古老に会いに来たとかって、アルウィンが言ってたわね…)

あとでアルウィンに聞けば、彼らについて何か教えてくれるかもしれない。

 「ね。あそこって普通に行けるの?」

振り返ってみれば、そこにいるはずのウィラーフの姿が、消えている。

 「あれ…」

螺旋階段を覗き込んでも、見当たらない。「ちょっと、どこ行っちゃったの?ねえ!」

 塔の上にいることに飽きて、どこかへ行ってしまったのだろうか。シェラは、あわてて階段を駆け下りた。


 中庭に出て、焦りながら辺りを見回した。

 裏門へ向かえばいいはずなのだが、それがどちらなのか思い出せない。来た時はウィラーフ任せで、道を覚えていないのだ。

 「ああ、もう… どっち行ったのよ」

正直に言えば、門までたどり着けたところで、宿まで一人で帰れるかどうかも怪しかった。まさか、こんなところで迷子になるとは思ってもみなかった。

 やみくみに歩いているうちに、いつしか中庭らしき場所に辿り着いていた。

 来た時は一度も通らなかったはずの場所だ。四方を高い壁に囲まれ、真ん中には特徴のある、八角形の縁を持つ井戸。周囲にはイバラが枝を絡めている。

 途方に暮れながら、シェラは、井戸に近づいて中を覗き込んだ。遠い水面に青い空が写りこんでいる。

 「おや――」

と、背後で声がした。

 「あの時のお嬢さんではないですか?」

驚いて振り返ると、いつの間にかそこに、ぴったりとした正装の青年が立っていた。羽飾りつきの兜を手に、白い手袋、白いマント。騎乗服には金の縁飾り。

 腰に下げた剣の青い房飾りに目を留め、シェラはようやく、この男が何者かを思い出した。

 ――昼食の時、目が合ってしまった、あの若い騎士だ…。

 「奇遇ですね。こんなところでお会いできるとは!まさに運命」

男は、遠慮なくずけずけと間合いを詰めると、白い歯をきらめかせながら笑顔で彼女の手をとった。

 「あ… えっ… と。あの、」

 「近くで見るとさらにお美しい。見学ですか?ちょうど今から非番なのです。もしそうなら、ぜひご案内させてください」

 「お気持ちは…嬉しいんですけど…その」

 「私はスレイン。スレイン・ファーリエンと申します。お嬢さん、あなたは」

 「あー…」

手を振り払おうにも力強く握り締められていて振りほどけない。それに、今は迷子の真っ最中だ。もしかしたら、この男に出口まで案内してもらったほうがいいのだろうか? それとも、ここは丁重に断るべきなのか。

 シェラの頭の中では考えがぐるぐる回って、真っ白になっていた。おまけに相手は、今まで酒場で絡んできたような下品な男達とは違う、れっきとした騎士様なのだ。こんな場合は、どうやって断ればいいのか…


 「おい」


シェラが答えあぐねていた時、聞き覚えのある不機嫌な声が、二人の間に割って入ってきた。

 「あ、ウィラーフ!」

不本意ながら、シェラは自分がほっとしたのを自覚した。銀髪の青年は、相変わらずの不機嫌そうな顔で大股に近づいてくると、無言にスレインの手を払い除け、シェラに向かって言った。

 「ここにいたのか。勝手にふらふら居なくなるな」

 「だって! 先にいなくなったのはそっちでしょ」

むっとして言い返すシェラの後ろから、さらにスレインがかぶせる。

 「どこかで見たと思ったら、貴様!レスロンド!」

どうやら、二人は初対面ではないらしかった。

 ウィラーフは、顔を背けたまま、あからさまに不機嫌そうに舌打ちしている。

 その隙にシェラは、対峙する騎士たちの間に挟まれないよう、そっと体をずらして抜け出し、間合いを取った。

 「こんなところで何をしている?!」

 「お前に用は無い」

相変わらずのそっけなさだ。

 「こっちは用がある! 貴様、そのお嬢さんとどういう関係だ」

 「お前が考えているような色艶のある関係ではない。通りすがり的な関係だ。」

 「ふん、通りすがりにご婦人の案内を引き受けるような紳士的な男ではないだろうが」

 「知り合いの知り合いだから仕方なく付き合っているだけだ。面倒だからお前に任せてもいいくらいなんだが、これも仕事の内でな」

 「ちょっと! そういう言い方はないでしょ? あたしみたいな淑女を案内することの何が不満なのよ!」

 「そうだ、そうだ!」

 「……。」

ウィラーフは、額に手をやった。

 「…もういい。行くぞ」

ため息まじりにシェラの手をつかみ、歩き出す。

 「こら! レスロンド、まだ話は…」

後ろで騒いでいるスレインのほうは見向きもしない。

 ウィラーフは、スレインに追いつかれないためか、わざと観光客の多い道を通って人ごみに紛れ、うまく元来た裏道のほうへ抜け出してた。




 周囲に誰もいない木陰まで来たところで、ようやくウィラーフは足を止めた。

 「最悪だ。」

呟いて、深い溜息をつく。

 「あの五月蝿いのに見つかったからには、今日中に、この町に来たことが関係者に伝わる。…今回の任務のことは、奴らには知られたくなかったのに」

 「まずいの?」

 「色々とな」

ウィラーフは、彼女をじろりと横目に睨んだ。

 「お前のせいだぞ。」 

 「ごめんなさい、だけど、急にいなくなるから…」

 「すぐ後ろに、隣の塔に繋がる橋があっただろう」

 「そんなの、気付かなかったわ。一声かけてから移動してよ!」

青年は、はあ、と音が聞こえるくらいの溜息をついた。

 「…声ならかけたし、お前は返事していたぞ。あれは、適当に返しただけだったのか。」

 「……。それは…ごめんなさい」

つまりは、シェラの早とちりだったのだ。言われてみれば、夢中になって風景を眺めていた時、確かにウィラーフに話しかけられたような記憶があった。


 気まずさをごまかすように、彼女は別の話題を振った。

 「そういえば、さっきレスロンドって呼ばれてたわね」

 「ウィラーフ・レスロンド。私の名前だが、それがどうした」

 「あ、それは本名なんだ。」

言ってから、しまったと思った。ウィラーフがむっとした顔になっている。慌てて話題を変える。

 「あっ…と。えーっと…あの人とは、どういう関係なの」

 「何でもかんでも聞くな。少しは自分で」

 「あたしなりの考えだと、前にこの町に来たときの知り合いでしょ。合ってる?」

 「…間違いではない。が、その前に、中央でも会ったことがある」

 「仲悪いの?」

 「あいつとは、合わん。それだけだ」

もう一つ溜息をついて、ウィラーフは立ち上がった。

 「まあ、起きてしまったことはもう、仕方がない。…他に、見たいところはあるか」

 シェラが答えに窮していると、彼は先に立って歩き出した。

 「それなら、皇帝の墓くらい見ていくか。」

一応はそこが、お勧めの観光スポットなのだろう。




 墓所は、意外に狭かった。

 頑丈な高い壁に囲まれ、昼間でも薄暗い。割れて修復された石の塔、文字の削り取られた大きな墓石。鉄の柵の向こうには、元は馬に乗った皇帝の像だったのだろう石像が、無残に打ち壊された姿で立っている。

 「ここが、エスタードの歴代皇帝の墓所。あれが、最後の皇帝イーノルドの墓だ」

ウィラーフの指差す方角には、ほとんど破片になるまで打ち壊された棺と墓石が、漆喰で固められて展示されている。

 「どうしちゃったの、あれ」

 「民衆の反乱で壊された。…身分格差が大きすぎたんだ。一部の王や貴族たちばかりが冨を貪って、それに対する不満も大きかった。皇帝も、最期は側近に暗殺されたという。アストゥールがここを併合したのは、その直後だ。」

なるほど、それで、墓所にある墓石はすべて、ひどく痛めつけられているのだ。

 ウィラーフは、小さな声で付け加えた。

 「ここは、最後にアストゥールに併合された国だ。東方騎士団も、前身はエスタードの宮廷に仕えた騎士団。中央の騎士団とは、その当時から方針が噛み合わない」

 「仲悪いのって、そのせい?」

 「かもな。五百年も方針が合わないんだ、合わせる気もないんだろう。」

それだけ言って、彼は口を閉ざした。

 自分から何か話してくれたのは、これがほとんど初めてだ。些細なことだったが、シェラは少し嬉しかった。


 墓所に長い影が落ち始めている。木立の間の影は濃くなり、尖塔の先にかかる日差しは、赤みを帯びてきている。

 「そろそろ夕方だ。もう、気は済んだな?」

 「うん、ありがとう。ごめんね、色々迷惑かけちゃって」

ウィラーフは眉をよせ、まじまじとシェラを見つめたあと、ふい、と顔を背けた。

 「…アルウィン様に頼まれたからだ。それだけだ」

元来た小道へ向かって歩き出す二人の頭上で、夕闇の星が静かに輝きはじめている。


 高くそびえたつ尖塔から延びた長い影が、町を覆い隠していく。

 宿に戻る間、二人はそれ以上一言も会話を交わさず、シェラは、黙って歩く青年の背に揺れる、一つに束ねた長い髪をじっと見つめていた。

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