第7話 再会
結晶で覆われた空間を抜けた先には、崩れ落ちた壁と、岩盤の隙間から差し込む光に照らされた空間があり、道は、そこで終わりになっていた。
壁の向こうには、乾いた灰色の谷の風景が広がっている。
「渓谷の反対側に出たんだ…」
ディーは、呆然とした顔で隙間から外を眺め、顔をしかめた。
「…嫌な風だ。この先は、お前たちの言う『竜の谷』だ」
「えっ、この奥がそうなの?」
シェラも、崩れた壁の隙間から外を眺めやった。
「確かに、人はいたらしい。」
二人が振り返ると、リゼルが壁際に膝をついていた。
「さっきの足あとの主だとは思えないが…。」
壁の裂け目から入ってくるおぼろげな光の中に、壁際に固まって積み重なる白いものが浮かび上がっている
それは、幾百年の時を経て既に白骨化した骸だった。肉はすべて溶け落ち、長い年月のうちにに腐臭もすべて消えてしまっている。手には剣を握り締め、服はぼろぼろの繊維の塊になっていた。
何の抵抗もなく躯に近づいたディーは、骨が握っていた剣を取り上げた。五百年の歳月で錆びつき、持ち上げるだけで崩れ落ちるほどもろくなってはいるものの、それは確かにハザル人の作る黒い刃だった。
「…剣に刃こぼれがある。骨も傷ついている…ここで戦っていたのか? 一体、誰と」
ディーは、呟いて物言わぬ白い頭蓋骨をそっと撫でた。「教えてくれ。お前たちは一体、何のために戦った?」
と、その時、シェラが声を上げた。
「そこの壁、何か書いてあるわ!」
見上げると、ディーやリゼルにはただの床の傷としか見えない、しかし言われてみると確かに人工的に意図をもって刻まれたように見える溝が日差しの名に浮かび上がっている。
彼女は亡骸のすぐ側の壁に駆け寄って、手で表面を払った。
「カンテラ、貸して。風化してるけど、光を斜めに当てればまだ読めるかも…あ、見えた!…え?」
シェラの動きが、一瞬、止まった。
「どうしたんだ? 何て書いてある」
「”エリュシオン”――」
リゼルが、ぴくりと反応する。
「王の証――…希望のために……だめ、読めるのはこれだけ」
「どういう意味だ?」
ディーは眉を寄せ、シェラとリゼルを見比べている。「何か気になる言葉なのか」
「ああ、だが、意味は分からないが、シェラはずっと、その言葉を探していたんだ。おれも昔、聞いたことがある気がしていて――」
「それは、古い詩の題名だな。」
唐突に、その場にいる誰のものでもない声が響いてきた。四人は慌てて振り返る。
亡霊のものでは無い。その声は、命ある者の力強さに溢れている。
いつの間にか部屋の片隅に、気さくな笑みを浮かべた男の姿が、魔法のように浮かび上がっていた。明るい金髪に長身。擦り切れた粗末なマント。腰には、鞘に黄金の樹の紋章を輝かせた、重たげな剣が下げられている。
その姿を目にするとほとんど同時に、リゼルは、一歩前に進み出て、さっと膝を折った。
「シドレク王。ご無事で何よりです。」
「な、」
「ええー?」
腰の武器に手を伸ばしかけていたディーが声を上げた。ワンダは目をぱちくりさせている。
「シドレク、って……アストゥールの国王?」
ディーは驚きを隠せない。「冗談だろう。そんな風には――」
「見えない、か? だろうな、よくそう言われる」
男は、肩をすくめて陽気に笑った。
確かに、大国の王と呼ばれるには、あまりに相応しくない格好だった。顔は薄汚れ、靴はぼろぼろ、明るい金色の髭は伸ばし放題。ただ、赤みを帯びた茶色い瞳だけが、強い輝きを放っている。
リゼルは立ち上がり、口調を変えた。
「さて、説明していただきましょうか?シドレク様。何故、一人で行かれたのか。何故、こんなところにいるのか」
「はっはっ、ま、話せば長いんだが。」
シドレクは陽気に笑う。
「国王というのは面倒くさい職業でな、自国の成り立ちからの歴史をひと通り勉強しなくてはいけないことになっている。大半は、伝説と化したような時代の話だ。その中に、この谷の話もあった。――ハザルの民から、五百年の贖罪の時が終わったので”ユールの至宝”を復活させたい、という話が来た時、ふと思い出したのだ。かつて、この辺りには大規模なクロン鉱石の鉱山があったはずだとね。」
「王国が関与していたことですか」
リゼルの声は鋭い。「まさか、…ハザル人に鉱石を掘らせたのはアストゥールだと?」
「安心しろ。王国が関わったのは、ここの閉山だけだ。鉱山があった当時、ここはまだアストゥールの領土ではなかったしな。記録が公表されていなかったのは、こんな荒野の真ん中に鉱山があることが知られれば、盗掘を防げないからだ。」
そう言って、王はディーに目をやった。
「さて。ハザル人の案内役の君、王国に残された記録を知りたいかな?」
「…はい」
ディーは、迷わず頷いた。
「ここにいた同胞たちに、一体、何が起きたんですか?」
「王国の記録では、君たちハザル人は当初、この辺りを治めていた国の傘下にあったという。税として、戦争に使う鉱石を納めていたんだな。だが、その鉱石が飲水を汚す恐ろしいものとは知らされていなかった。…騙されたと気づいたハザル人たちは、当時勢いに乗っていた新興の国アストゥールと手を結び、戦って独立し、ここを封印して鉱石が再結晶化されるのを待つことにした。」
「……。」
ハザル人の少年は、考え込むようなそぶりを見せた。彼自身、どう解釈していいか、迷っているようだった。
「納得がいかないか?」
「いや――筋は通っている。理解も出来た。ただ、一つだけ腑に落ちない」
彼は、じっとシドレクを見つめた。
「それと、ここへ一人で来たことの間にどんな関係が? お供に無事も知らせず行方が分からないと聞いていたんだが。」
「あー…それは、だなー…」
横で、リゼルが大きく咳払いする。
「その理由は、ぜひともお伺いしたいところですね。まさか、襲われて散り散りになったのをこれ幸いと、行方不明のふりをして羽根を伸ばしたかった、などと仰らないですよね?」
「いやいや、それは誤解だ。いくら何でもそこまでではないぞ。確かにお目付け役がいないのは久しぶりで、まぁ…伝承が正しいか確かめるのを少しは楽しんでいたが…ごほん! そうではなく、だ」
シドレクは、大急ぎで真面目な表情と声を作り直した。
「実を言うと、この件についての記録が曖昧で、真実かどうかの自信が持てなかったのだ。私は王という立場上、建国当時の歴史もそれなりに知ってはいる。この鉱山のことを含め、非公開の記録にも触れることは出来る。だが、それらを全て王国議会や大臣どもに公表して了承を得ることは得策ではない。もしも記録が正しく、この場所がクロン鉱石を再結晶化させるために封鎖されたというのなら、鍵となる紋章は私が持っているのだ、手っ取り早く自分でここへ来て、鍵を貸し出すついでに自分の目で確かめれば良いと思っていた。」
「それなら、一応は説明がつきますね」
リゼルは相変わらず、自分の主君に対して容赦なく辛辣だ。
「ですが、それならそうと最初から説明して下されば良かったはずです。――毎度毎度、置いて行かれるほうの身にもなっていただきたい!」
少年の剣幕に、王もたじたじだ。
「いいじゃないか、たまに数日くらい…な?ここは大目に」
「だめです。百歩譲って私が許したとしても、デイフレヴンとウィラーフは絶対退きませんよ。戻ったら、一言言わなければ気がすまないと言い張っていましたからね」
「ええ?勘弁してくれよ。あいつらの説教は鬼のように長いんだぞ。だから連れて来るのは嫌だったんだ…」
二人のやりとりを、シェラたちはぽかんとして見守っていた。これではまるで、主従というより仲の良い親子か友人のようだ。
「まあ、まあ、とにかく、だ。」
シドレクは、リゼルの肩にぽんと手を置いた。
「ここでの用事は済んだ、そろそろ戻らないか? 約束の期限は今日のはずだ。ハザルの族長殿にもご挨拶に行かんとな」
「そうですね――確かに」
「あ」
シェラはふと我に返り、慌てて言った。
「あの――さっきの話…”エリュシオン”について、聞きたいことがあるんです。戻ったら、教えていただけますか」
「ああ。勿論だ」
シドレク、歩き出しながら、気さくに片目をつぶって見せた。
シェラは振り返り、壁の文字をもう一度、眺める。
探していた言葉――「詩の題名」だとシドレクは言った。
つまり王は、謎めいたあの言葉の意味を知っているのだ。
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