第5話 ユールの至宝
ちょうど日が暮れる頃になって、一行は目的地に到着した。崖に横穴が掘られた場所で、この奥が”古えの祭壇”と呼ばれる場所だという。夕刻では、奥の方はもう薄暗くてよく分からない。中に入るのは明日の朝、という話になった。
辺りには、夜風と言うにはやや乱暴な風が吹きはじめている。ディーは空を見上げて、流れる雲の向きを確かめてから、岩棚の下に向かった。
「ここなら風下だ。今夜はここで休む」
岩棚の下は窪地になっていて、既に誰かが何度も使ったような跡がある。見ていると、ギスァとサイディは慣れた手付きで、焚き火跡を掘り起こし、どこかからかき集めてきた枯れ草や乾燥した家畜の糞を使って火を起こしにかかる。荒野の民ならではの手際の良さだ。
「はあー、たった半日でもけっこう疲れちゃった…。砂ラバの揺れ方、ちょっと船に似てたわ。まだ足元がふわふわしてる」
「初めての者はだいたい、そう言うな。もっとも、ハザル人は海に縁がない。船、というのはオレも乗ったことがないが」
目的地のすぐ目の前まで到着したからか、襲撃者たちを首尾よく撃退できた直後だからか、ディーの口調は最初に比べてずっと滑らかだ。
「そういえば、あんたたちルグルブは海辺に住んでるらしいな」
「ええ、そうよ。海の側の谷底ね。こことちょっと地形は似てるかも。イェオルド谷、っていうの。ルグルブの民は一族でまとまって暮らしていて、滅多に谷を出ない。」
ああ、とうなづいて、ディーは砂ラバの手綱を仲間たちに渡した。
「聞いたことがある。谷全体が瑠璃のように青い、不思議な谷だとか。」
イェオルドは、この国の中でも有数の「秘境」の一つだ。噂はひろく知られているものの、実際に訪れた者は少なく、また訪れても、他部族をあまり受け入れたがらないルグルブの特性のため、谷の奥まで入ることは出来ないことが多い。
ただ、ルグルブと親しくなり、谷の奥まで見ることができた人々の探検記や絵はよく知られている。
シェラは、懐かしそうに遠い目をしている。
「そう。宵闇のように深い青――大昔は海の底だったらしいわ。あたしたちは、海に取り残されて仕方なく陸に上がった魚みたいなものよ」
「なんだか、人魚みたいだな」
と、ディーが言えば、側に居たリゼルが口を挟む。
「ルグルブは、陸に上がった人魚の末裔だと自称している」
「自称とは失礼ね。あたしたちは、今でもそう信じてるんだから。」
シェラはやや頬をふくらませたが、すぐに悪戯っぽい笑顔になり、リゼルに眼差しを向けた。
「そういえばさ、リゼルって自分のことは何も話してくれてないわよね。ルグルブ語が話せるだけじゃなく、あたしたちのことに詳しい――ってことは、どこかで同胞に遭ったんでしょ? 誰? 最近、谷を出た人?」
「いや、移住したのは何代も前だそうだ。…きっと名前を言っても知らないよ。ここからずっと西の方に住んでいるし」
言いながら、リゼルは、ちらりと岩棚の奥に目をやった。
火の側ではサイディが簡単な夕食の支度をしていて、ワンダはその側でキラキラした目で食べ物を見つめている。砂ラバたちは、入り口近くに固まって休んでいる。側にはギスァがついていて、また襲撃者たちがやってこないかと、用心深く外を見張っている。
今の所は平和で、何も起きそうにない。
「オレも気になっていた」
と、ディー。
「お前が持っていた王国の紋章だが、あれが本物だとすれば、一時にせよ一介の通訳が、預けられるようなものとも思えないが」
「……。」
「そうそう。ただの通訳にしては物知りだし、王様とも親しそうよね? 王様の側近ってことなの?」
「………。」
質問攻めにあい、観念したのか、リゼルは、溜息をついて口を開いた。
「――そう、おれは、ただの通訳じゃない。肩書としては特殊外交官…国王直属の、少数部族専門の外交官だ。――”王の目となり、耳となれ。” ”またあるときは、舌となれ。” 共通語以外に最低三つの言語を操れる技能を持った者たちの中から、一定の知識を持つ者だけを選んで任命される役職だ。」
「外交?」
「王国には、地方の首長たちが治める”自治領”が多数存在する。そこでは中央の言葉は通じないことが多いし、法や習慣も独自のものがあって、把握するのが難しい。異国に対するように外交官を常駐させておくわけにもいかず、個々に専門の窓口を置いておくのも人手がかかる。そこで自治領を専門に、交渉や連絡係を務める役職があるんだ。」
「密偵とか、諜報員とかとは違うの」
「違う」
少年は、きっぱりと言った。
「旅の過程で知り得た情報は報告するが、何かを調査するために動くわけじゃない。王と議会の代理人として、その意思を伝え、時には交渉することが主要な役目だ。――おれたちは、議会の承認を得る前に独自に”自治領”の代表者たちと交渉する権限を持つ。」
「あー…」
シェラは、納得したように頷いた。
「要するに、自分で通訳もこなせる外交官なのね。そっかー、それで…。」
「だが、どうしてそんな役職についた? 親が役人か何かだったのか」
「いや…。」
リゼルは、首を振った。
「故郷が商いの町で、色んな地方の人たちが来る町だったものだから、自然と色んな言葉を覚えてね。その縁だ」
「故郷って?」
「…おれの生まれたところも、かつては”自治領”だった。」
彼は直接的な答えを避けた。
「かつて?」
「戦争があったんだ。」
小さな、だが重い沈黙。
「話し合いも無いままに、おれの故郷と王国は、戦ってお互いに傷ついた。そんな争いを終わらせたかった。避けられる戦いなら止めたかった。…だから、おれは今、この仕事をしてる」
口調は穏やかだったが、言葉には、強い決意が込められているように感じられた。
ふいにリゼルは力を抜いて、肩をすくめた。
「まあ…あまり楽しい話しじゃないし、この話はあまり、したくないんだ。」
それ以上は聞けなかった。
それに丁度、サイディが夕食の出来たことを告げに来た。話はおしまいになり、その日は、風除けの岩棚の下でゆっくり休んで、朝になったら祭壇を調べてに行くことになった。
表では、砂まじりの風が轟々と吹き荒れている。
音は、時間とともに静まっていき、やがて、夜も更けていった。
翌朝早く、朝食のあとすぐに、リゼルたち三人とディーは一夜を過ごした岩棚のすぐ向かいにある祭壇へと向かった。
ギスァとサイディは周囲を警戒しつつ、砂ラバに積んだ荷物の番をしている。あの襲撃者たちの狙いが何かにもよるが、いちど追い払ったからといって、また戻ってこないとは限らない。
「祭壇は、この奥だ」
ディーは迷いなく、谷の奥の岩壁に穿たれた穴の中へ入っていく。
「暗いな」
「問題ない。灯りを持ってきている。」
ディーが、腰に下げた物入れの袋の中から取り出したカンテラを手際よく組み立て、中に油を入れて火をつける。光が生まれると、穴の奥の壁に、石の台のようなものが置かれ、その上に、捧げものらしき乾いたチーズや干し肉が置かれていた。ハザル人たちは、今までも定期的にここを訪れていたらしい。
灯りを動かすと、石の台の後ろの壁に、漆喰か何かで固く塗り固めたような壁があった。
表面には掠れたような神聖文字が刻まれ、その下に丸い穴が穿たれている。
「なんだか、いやな臭いするぞ」
ワンダは、ふんふんと鼻を鳴らしながら行き止まりの岩壁を嗅ぎまわっている。「奥から風、流れてる」
「空洞があるみたいだな」
リゼルは、壁を叩いて音の反響を確かめている。「どうすれば中に入れる?」
「あの穴に、鍵を差し込めばいい。」
言って、ディーは壁に穿たれた穴を指差した。
「あそこには、こう書かれている。『わがハザルの民の子孫たちに告げる、五百年の歳月が流れるまで扉を開かぬよう。これはユールの思し召しである。決して期日を違えること無かれ。約束の時来たれば、セノラは蘇るだろう』」
リゼルは、振り返ってシェラのほうを見た。彼女なら、神聖文字が読めるからだ。
灯りの作る陰影に視線を走らせていた彼女は、小さく頷いた。
「うん、だいぶ消えちゃってるけど、書いてあることはそれで合ってるわ」
「よし」
リゼルは、黄金の樹の紋章を取り出して宝石を確かめた。
「大きさ的には、合いそうだな。」
そう言って、紋章の裏にある小さなピンを抜いた。台座から、赤い宝玉がころりと外れる。傷一つない、なめらかな輝きがカンテラの灯に反射した。
「あ、おい」
彼が、あまりに造作なく、それをひょいと扉の突起に嵌め込んだので、ディーは思わず驚きの声を上げた。
「ちょっと。いいの?そんな適当に…」
シェラも驚の声を上げた。だが、驚きはそれだけでは収まらなかった。リゼルが宝石を壁の穴にはめ込んだ時、それは、あつらえたようにぴったりと、穴の中に収まったのだ。
「…入った」
リゼル自身が一番驚いていた。寸分の狂いもない。
「まさか…本当にこれが、鍵だったのか…?」
と―――
その瞬間だった。地面が、大きく突き上げるように揺れた。
「きゃあ!」
尻餅をついたシェラが、甲高い悲鳴を上げる。外から、残してきた砂ラバたちの低い声が聞こえた。どこかで岩の崩れ落ちる音がする。
大きな揺れは一瞬のことだ。
しかし、その後も小さな揺れが続いている。谷全体が、まどろみから突然たたき起こされたかのように身震いし、呻き、立ち上がろうとしている。
「これは…やばいぞ。」
「やばいやばい! 逃げなきゃ!」
ワンダは外に向かって走りだす。後ろから三人も続いた。
背後で天井が崩れ落ちるのと、崖の外に飛び出すのはほぼ同時。間一髪だ。
砂埃の中で咳き込みながら、ようやく揺れが収まったことを確認して立ち上がった時、シェラは、足元に冷たいものが触れるのに気づいて慌てて下を見た。
「え、嘘…!」
枯れた谷底に、さっきまでは無かった水が流れ初めている。最初は土からにじみ出るような、か細い流れだったが、見ていると、それは次第に太さを増し、上流のほうからも、下流のほうからも、一斉に溢れ出し始めた。
「川…」
水は、川底のあちこちから魔法のように染み出してくる。枯れた川が、見る見る間に蘇っていく。
「今の地震で、水脈に異常が出たのか?」
砂を払いながら立ち上がったリゼルは、辺りを見回す。「まさか、本当に…」
「これが、ユールの至宝…」
ディーは、感激に震えながら地面に突っ伏した。
「まさに至宝だ。水が戻ってきた! これで、セノラは蘇る。我らの土地が…!」
「リゼル! リゼル!」
ワンダが、ぴょんぴょん飛び跳ねながらリゼルの側に駆け寄ってくる。
「奥に何かあるよー!」
彼が指差しているのは、さっきまで居た崖の横穴の先だ。「入り口、ぱっかりなったぞ」
「ぱっかり…開いた?」
「そう!」
砂煙の中へ戻って見ると、確かに、さっきまでただの壁だったはずの祭壇の奥に、空洞が開いていた。壁の向こうに隠されていた空間だ。
リゼルは、壁とともに床に落ちていた宝玉を拾い上げ、元通り紋章にはめ込むと、ディーから借りたカンテラで奥を照らしてみた。けれど、空間の先は思いのほか深く、光が奥まで届かない。
それに、嫌な匂い。
今なら、ワンダほどの嗅覚がなくても、はっきりと分かる。今までに嗅いだことのないような悪臭が、どこかから吹いてくる風に乗って鼻の奥を刺激する。
「…一体、ここに何がある?」
確かめてみなくては、と彼は思った。
もし、谷の水が本当に「鍵」によって復活したのなら、誰が、なぜ五百年もの間、水を堰き止めさせていたのかが気になったのだ。ハザル人は「贖罪」と認識していた。だとしたら、彼らは一体、罰せられるような何をしでかしたのか。
ここに祭壇や扉を築いたのは、神などではない、間違いなく人間のはずなのだから。
壁の崩れたところを越えて、リゼルたちは祭壇の奥に続く空間へと踏み込んだ。ここに何があるのかは見当もつかないが、知らなければならないような予感があった。
その空間は、人工的に堀り抜かれた横穴だった。岩盤を削り取った痕跡は、今もハザル人が鉱石を掘り出す際に使う工法によく似ている。
「これは…、我らの祖先が掘ったもの、なのか?」
ディーは、信じられないといった面持ちで通路を眺め回している。
「こんな巨大な坑道を掘ったなどという話は、長老にも聞いたことがない…」
「確かに、ただ鉱石を掘り出すためにしては大掛かりすぎるな」
劣化した壁や天井が崩れてこないかとを慎重に確かめながら、リゼルが言う。
「五百年前に掘られたんだとすれば、忘れられていたとしても不思議はない。ただ、これだけの通路を堀り抜くためには、相当な人数が必要だったはずだ」
「ああ。セノラからも近い…これは、部族の男たち全部連れてくるくらいでないと、無理だ…。」
行く手はゆるやかな坂になり、さらに奥へと続いている。風が吹いてくるのは、その奥のほうからだ。どこか、外と繋がっている場所があるのかもしれない。
くん、とワンダが鼻を鳴らした。
「いやな臭い、するぞ。奥の方。あと…水の音するぞ」
「水?」
全員が足を止め、耳を澄ませると、確から、微かな音が聞こえる。地下水かもしれない。音が微かに反響して聞こえることからして、どこかに洞窟か何か、空間があるのだろう。
「行ってみよう」
ディーはリゼルからカンテラを受け取り、先頭に立つ。表情は、真剣そのものだ。
「こんな場所があるなど、誰も知らなかった。我が祖先が関わっているのなら、どういうことなのか知りたい」
意気込む彼は、さらに奥へ進もうとしている。慌てて、リゼルがそれを止めた。
「待て。どこまで続くかも分からないのに、やみくもに踏み込まないほうがいい。」
「そうだぞ。ここ、嫌な感じするぞ」
ワンダも言う。
「ねえ、あんまり長い時間ここにいると、外で待ってる二人が心配するんじゃない? それに、グウェン様も待ってるわよね。余分な水や食料も持ってきてないし、いったん戻らない?」
「長…。」
はっとして、ディーは足を止めた。
「そうだ。祭壇の奥の扉は開いた。ユールの至宝…水が戻ってきた。長老に報告しなければ…セノラがどうなったかも…」
「水が湖まで辿り着いてるなら、今頃、長老たちも気づいているかもしれないな」
と、リゼル。
「いったん戻って、状況を報告してから改めて戻ってこないか」
「うん、そうね。ここの探検をするなら、ちゃんと準備してきたほうがよさそうだわ。」
「…そうだな」
ディーは大人しく引き返し始める。
彼について歩き出しながら、ふと、リゼルは振り返って暗い坑道の奥を見つめた。
(あなたは、ご存知だったのですか? シドレク様…)
そこには、求める人の姿は無い。けれど彼は、何故か、その人がすぐ近くまで来ているような気がしていた。
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