第3話 約束の地セノラ


 夜明け前、リゼルは誰かに揺さぶられる気配で目を覚ました。

 昨夜はどこか遠くに聞こえていた、岩間を吹き抜ける風の音も今は消えている。目の前には、きらきら光る目をした獣人が、首を傾げていた。

 「起きたか?」

 「…ああ」

リゼルは、まなこを擦りながら背を伸ばした。熱い風の吹く荒野のただ中、砂の上で眠ったせいで、体がだるく、背中が痛い。喉が乾いて、声を絞り出すのもやっとだ。

 「どうしたんだ? 何か、あったのか」

 「いっぱいのニオイがするぞ。人がいっぱい。ずーっと、周りにいる」

リゼルは、はっとして岩の隙間から外をのぞいた。辺りに視線を走らせる。まさか、襲撃者だろうか。

 おびただしい数の人の息遣いが、周囲でこちらの様子を伺っている。眠っている間に、風に紛れて近づいて来たのだ。荒野に慣れた者たちに違いない。

 「ん…なに?」

少し遅れて、シェラも目を覚ましたようだった。

 「囲まれてるらしい。」

シェラが慌てて武器を探そうとするのを見て、リゼルが止めた。

 「待って。声が聞こえる。共通語じゃない――これはハザル語だ」

耳を澄ませると、確かに、シェラには分からない言葉で交わされる会話が聞こえてくる。リゼルは、その声に注意深く耳を傾けていた。

 「ねえ、何て言ってるの?」

 「子供と女と犬が一人、旅人、って言ってる」

 「ワンダ、犬じゃないぞ!」

 「しっ。静かに。分かってるってば」

慌ててシェラがワンダの口元を押さえる。

 「…なるほど、少なくとも、敵じゃなさそうだ。」

ある程度会話を聞き取ったところで、リゼルは立ち上がり、取り囲んでいる集団に向かって、何事か叫んだ。

 そのとたん、喧騒がぴたりと止んだ。


 明け方の薄暗がりの中からぞろぞろと、武器を帯びた集団が姿を表した。みな一様に黒っぽい織物を身にまとい、砂嵐を避けるためなのか、顔は目を残してすっぽりと布で覆っている。

 その一団の中から進みでてきたのは、一人の小柄な人物だった。指で顔を覆っていた布を押し下げると、目鼻立ちの通った少年の顔が表れる。

 リゼルよりは少し年下くらいか。闇のような黒髪に褐色の瞳、肌は日に焼けて浅黒い。典型的なハザル人の外見だ。少年は、いかにも荒野の民らしく砂に慣れた軽い足取りで、用心深く、リゼルに近づいていく。

 「いま、我らの言葉で話しかけたのはお前か」

訛りのない、きれいな共通語だ。

 「そうだ。」

 「”王の使い”と言ったな? それは本当か」

リゼルは懐から、あの金の紋章を取り出して、少年に見せた。「これを預かってきた。」

 「…女と獣を連れて、使者だと?」

少年は、怪訝そうにちら、とリゼルの背後を見やった。

 「二人は、途中で出会った成り行きの道連れだ。使者は私一人。ほかの連れとは…途中ではぐれた」

 「なるほど」

信用したのか、していないのか、少年は、後ろの一団にむかって自分たちの言葉で叫んだ。「王の使者が来た。長に伝えろ」…と。




 強い風で岩にぶつかる砂の音が、時折、悲鳴のように聞こえてくる。

 集団に取り囲まれるようにして案内されたのは、何も無い荒野の真ん中に作られた仮住まいの集落だった。流浪の民と呼ばれるハザル人たちは、その時々に応じて簡易的な住まいを手早く作り上げる。ここもその一つらしく、石に寄り添うようにして立つ簡素な天幕が幾つかと、石を積み上げて作った小さな竈、それに、家畜を砂嵐から守るための壁だけが並んでいる。

 側には、互いの手綱を繋がれて逃げないようにされた、薄いクリーム色の毛をした獣が、ひとかたまりになって座っている。馬に似ているが馬ではない。砂ラバと呼ばれ、乾燥に強く、荒野で荷を運ぶのに使われる動物だ。気性が荒いため扱いが難しく、ハザル人以外にこの動物を使い込ませる人々はいない。


 集落の側には、確かに枯れた湖の跡があった。

 盆地の真ん中の窪んだ場所が薄く黒ずんでいるのは、かつてそこに水が溜まっていた証拠だ。だが今は一滴の水もなく、かつての岸辺には立ち枯れたまま何百年も経過して石の様になった白い樹木の欠片が、まるで骨のように不気味に散らばり、ほとんど石と化した貝殻などが積み重なっている。


 「ここで待っていてくれ。長老を呼んでくる」

そう言い残すと、少年は、リゼルたちを客人用らしき天幕に案内してどこかへ姿を消した。

 待たされることしばし。

 間もなく、さきほどの少年が、真っ白なヒゲを持つ、背の曲がった老人を連れて戻ってきた。

 老人は磨き上げた石の耳飾りをつけ、両側に武装した護衛らしき男たちを引き連れて、長老と呼ばれるにふさわしい堂々とした雰囲気を身にまとっている。成り行きでくっついてきただけのシェラは、慌てて居住まいを正して、邪魔をしないよう脇に退いた。それから、隣でぼんやりしているワンダを肘で小突いて、ちゃんと座らせる。


 老人は、三人を順繰りに眺めて呟いた。

 「“さても、珍しい。数多の土地を巡ってきたが、ルグルブとアジェンロゥがともに現れることは絶えてなかった”」

だが、それはハザル語だったため、リゼル以外の二人には理解出来なかった。

 「リゼル、何て言ってるの?」

 「ルグルブと、アジェンロゥを見るのは珍しい、ってさ。――”彼らは、王に仕えているわけではない。わけあって、途中で道を同じくした、ただの旅の連れだ。私は――”」

リゼルがハザル語で挨拶したのに対し、さきほど道案内をしてくれた少年が共通語で答える。

 「こちらは、我等の族長、グウェン様だ。お前たちの言うことは、オレが通訳出来る。共通語でも構わない」

 「”こやつは、ディー。わしの孫だ。このとおり、共通語は十分に扱える。ご安心召されよ”」

間もなく、テントには、客人をもてなすための料理と飲み物が供された。と、いっても、平たい、塩味だけのパンと干した肉を水で戻しただけの粗末な食事だったが、荒れた土地を旅するハザル人にとっては、これでもごちそうなのだった。

 「ごはん!」

食べ物を目にするや、ワンダは悲鳴にも似た声を上げ、遠慮もせずに飛びついた。

 「ちょっと。そんなに一気に食べたら喉に詰めるわよ。」

 「もがっ… ふぐぐ」

ハザル人たちが笑っている。指さして何事か話しあっているが、物珍しさと滑稽さを笑っているだけで、概ね好意的にとらえているようだ。どうやら、この場をなごませるのに一役買ってくれているらしい。

 その間に、リゼルは長との話を続けた。

 「”しかし、どうしてあんなに警戒されていたのですか。武器を持って、まるで誰かを探しているようでしたが”」

 「まさに、そのとおり」

と、ディーが共通語で答える。「我らの集落の周りをウロついていた不審な輩がいたのだ。使者である、そちらなら判るだろう? 今、この時―― 王国からの返事を待っている、まさにこの時だからこそ、長老は警戒を命じられた」

 「”ということは、議会への要求は揉め事に繋がりそうな内容だった、ということですか?”」

 「”ほう?”」

リゼルの問いかけは、長には意外だったようだ。「”返事を持ってこられたのでは、なかったのか”」

 「”…その返事を持っていたはずの代表者が、行方不明なのです。”」

話題に気がついて、シェラは、それとなく耳を済ませた。

 「”私は、ハザルの民の要求を全ては知りません。議会には二つの要求を出されたと聞いています。一つは、議会への参加。それについては、既に公にされていて、承認される予定になっています。しかしもう片方の要求については、私を含め、代表者以外の者は、誰も知らないのです。”」

 「”なんと…”」

 「”王のご指示でした。我々の出発は内密にされていた。にもかかわらず、王都を出てすぐに、何者かの追跡を受けるようになりました。そして、途中の町で襲撃され、一行はバラバラに…。私も、荒野の入り口の町で宿を襲撃されました。”」

 「”では、正式な返事が永遠に到着しない可能性も、あるというわけか。”」

 「”いえ。それはあり得ません。相手が誰だろうと、殺されるような人ではありませんから”」

リゼルは語気を強めたが、最後に自信なさそうに付け加える。

 「”とはいえ、約束の期日には間に合わないかもしれません。既に到着していて、ここに来れば会えるかも、と思ったのですが…。”」

 「”まだ、期日までは数日ある。”」

慰めるように、長が言った。

 「”ゆっくりして行かれるがいい。その間、このディーを案内役につけておこう。”」

黒髪の少年はそこまで翻訳し終えると、軽く頭を下げ、自らの言葉でリゼルに言った。

 「そういうわけだ。長の命により、これより客人の伴をつとめさせていただく。」


 灰色の荒野には、ゆったりとした時間が流れてゆく。風が吹き、谷の先に見える青い空に雲が現れては消えてゆく。その間にも、盆地の縁にはハザル人たちが次々と到着しつつある。


 ワンダはハザル人たちに面白がられて大人気、あれやこれやと料理を出されて、舌鼓をうっている。リゼルは長との世間話だ。シェラは、あまり宴で盛り上がるような気にもなれず、リゼルの直ぐ側で、話に耳を傾けていた。会話のほとんどはハザル語で、内容は分からなかったが、口調で何を話しているかは何となく判る。

 「”それにしても、こんなに沢山のハザル人が一箇所に集まっているのを見たのは初めてです。あなた方は定住せず、散らばって暮らすものと思っていましたが”」

リゼルが言うと、長のグウェンは、盃を傾けながら笑った。

 「”ここには今、一族のほとんどの者が集まっておる。実はこの湖のほとりはな、我らの故郷なのだ”」

 「”故郷?”」

 「”かつて、ここにまだ水があった頃に失われた、我らの楽園。ユールに約束された大地だ”」

 「聞いたことがある…」

リゼルは、記憶をたどるように視線を空に向けた。

 「”ユール、というのは、ハザルの民が信仰する神の名ですよね。貴重な鉱石とそれを鍛える技、ハザルに与えられたユールの至宝”」

グウェン老人は少し瞬きをした。

 「”珍しいな。王国の人間が、我らの伝承を詳しく知っているとは”」

 「”言葉を習ったんですから、習慣だって少しは知っています。それほど詳しくはありませんが。――王国には、定住するハザル人もいます。両親のどちらかがハザル人、そうでなければ何代か前がハザル人だった者も。あなたがたの作る美しい武器を売って生活資金として換金するためには、固定の店があったほうが効率いい」

傍に控えていたディーが頷く。

 「”オレの両親もそうだ。部族のために店を持ち、仲間から預かった品で商いをしている。オレもかつては町に住んでいた”」

だから彼は共通語を話せるのだと、リゼルは納得した。

 「”普段は旅をしている我々だが、何年かに一度、この地に集まる。今までは、約束を忘れぬため。だが、今回は違う…”」

グウェンが続けた。

 「”贖罪の時が過ぎ、我らはここへと戻ってきた”」

 「”贖罪?”」

 「”そうだ。伝承によれば、この土地はかつての大戦争で汚され、住むことを許されなくなった。だから我らは散り散りになり、五百年の流浪の旅に出たのだ”」

 「ふうん…」

リゼルは、あごに手をやって考え込んだ。

 「ということは、これからはここに定住するってことなのか」

 「そうだ」

共通語の呟きだったため、長ではなく、ディーが答える。「そのために、王国に自治権の承認を求めたのだ。」

 「なるほど、話が見えてきた。王国議会に席が欲しいというのは、定住を始めるからなんだな。ということは、あなたがたが求めていたもう一つの依頼というのは――…?」

ディーは少し迷い、ハザルの言葉で長と何かひそひそと会話していた。どうやら、その「もう一つの依頼」を、この場でリゼルに話してよいかどうかを相談しているようだった。


 ややあって、少年はリゼルのほうに向き直った。

 「――長は、使者殿にも知っていてもらいたいと言っている。…我らが要求したのは、”ユールの至宝”に至る鍵の借用だ。その鍵は、アストゥールの王に預けられたと伝えられている」

 「鍵…?」

 「ユールの至宝?」

すぐ後ろで聞いていたシェラも、興味津々で身を乗り出す。

 「その鍵、というのは」

 「血のように赤い玉。決して砕けることはなく、火にくべても燃え尽きることのないもの」

 「…まさか」

リゼルは、懐から王国の紋章を象った「黄金の樹」の紋章を取り出した。太陽の光を受けて、紋章はきらきらと輝く。その中心には、赤い、不思議な魅力を持った丸い石が嵌め込まれていた。

 「これのこと…か?」

 「だから使者がそれを持たされているのだと思ったんだが」

ディーは、苦笑している。「最初に会った時、それを見せてくれたから信用したんだ。てっきり、あんたは全部知っていると」

 「いや、本当に知らなかった。確かに使者はこれの複製品を持たされることはあるが、今回に限っては本物なんだ。その、…王都を出る時に、どういうわけか持たされて…」

リゼルは頭を抱えながら、何やらぶつぶつ呟いている。シェラは思わず苦笑して、彼の心痛に同情した。

 国王その人なら、ハザル人の要求した内容も、その意図するところも全て最初から知っていたはずなのだ。それでいて何も言わず、大事な王家の紋章を一介の通訳に押し付けて姿をくらませたのだとしたら、巻き込まれたほうは、たまったものではない。

 「だけど、この石が”鍵”って可能性は、本当にあるの?」

 「あると思う。この紋章は、本来、国王が肌身離さず身につけているものだから」

と、リゼル。

 「それにこの紋章自体、黄金の部分は何度か鋳造され直しているが、真ん中の宝石だけは昔のままだと聞いたことがある。はるか昔から王家に伝えられたものだとしても不思議はない」

 「確かめる方法は、あるのかしら。その…砕くとか、火にくべるとか、っていう以外で」

 「それなら、心配はない」

そう言って、ディーは席を立ち、ハザル語で長に話しかけた。「”長、谷に客人を案内してもよろしいか。”」

 「”よかろう。だが、気をつけねばな。例の連中が、まだうろうろしているかもしれん。ギスァとサイディを連れてゆけ”」

 「”分かりました。”」

一同が立ち上がるのを見て、ハザル人たちに取り囲まれていたワンダが叫んだ。

 「まてー、置いていくな! ワンダもいくぞっ」

 「……。」

口の周りの食べ物カスを拭いながら、獣人は笑顔でリゼルの肩を抱いた。

 「ここはいいところだぞ! 食い物うまい、みんなやさしい」

 「そう言ってもらえると、みな喜ぶだろう」

ディーの表情がほころんでいる。どうやらこのトボけた獣人には、人を和ませる素質があるようだった。

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