恋人と別れた日の話
豆
恋人と別れた日の話
二か月ぶりくらいのデートの日だった。そのときはもうすでに、会う頻度がかなり減っていた。私はなんとなく、そろそろ潮時なのかもしれない、と思っていた。
会う頻度だけが問題なわけじゃない。ふたりの間に流れる空気が、滞っているというか淀んでいるというか、とにかく微妙な居心地の悪さを感じ始めていた。
四年間の付き合いで少しずつたまってこびりついたものを掃除しないままに放っておいたらそうなってしまいました、とでもいうような。
そして、これがまたどうしようもなく救いようがないところなのだけれど、その空気にお互いが気づいているということに、お互いが気づいていた。
その日のデートでは映画を観た。泣けるラブストーリー。恋人は泣いていた。鼻をすする音が、暗闇の中で響いていた。あの人は出会ったときから涙もろかった。男のくせに。
彼とは対称的に、私は映画で泣いた経験はほとんどない。そのときも、一滴も涙を流さなかった。女のくせに。
映画を観たあと少し歩いて、個室の居酒屋に入った。あの人が予約してくれていた。薄暗くて、品のある居酒屋。
最初の一時間くらいは、楽しく会話していた。今まで感じていた淀みなんて最初からなかったんじゃないか?と思ってしまうくらい。それで、私は頃合いを見計らって、訊きたいことを訊いてしまった。
「私たち、最近会ってないけど、これからどうしようか?」
しまった、と思った。まちがえたかもしれない、と。その言葉を聞いた途端に、あの人が下を向いて黙ってしまったからだ。
でも、一度吐いた言葉をもう一度飲みなおすことはできない。
私の言葉はぼんやりと浮いてただよって、その場に充満した。言葉は、狭い個室をいっそう狭くし、薄暗い個室をいっそう暗くしたような感じがした。
私たちは本当にぎりぎりの綱渡りをしていたのだ、とそのときになってようやく気づく。綱を踏み外してから。
「別れよう」とあの人は言った。
私は以前から、近いうちにその言葉を言うか聞くかするだろうと感じていた。それに、あの人に別れを切り出させるような質問をしたのは私自身なのだ。
それなのに、私は気が動転した。まるで、別れを切り出されるなんてまったく予期していなかったような気さえした。
でも私は平静を装って、想定内だという風を装って、まるでその言葉は私が言わせたのだという風を装って、
「そっか」
と言って、私はにっこりした。何も可笑しくはないのに。
あの人はこのときも泣いた。私はこのときも泣かなかった。
そこから一時間くらい、私たちは奇妙に朗らかだった。昔の話をたくさんしてたくさん笑った。近くに誰もいないと思ってした夜道での初めてのキスをおばさんに見られてしまったことや、グアムで迷子になりかけたことや、神戸で食べたワッフルが美味しかったことなんかを話した。
あの人は、急に「スパゲッティが食べたい」と言い出して、たらこパスタを注文して、ほとんど一人で食べてしまった。もりもりがつがつと食べていた。それがなんだかシュールで、私はまた笑った。
あの人は、「自分から別れを切り出しておいて、泣くなんてずるいよね」と言った。
私は、「そんなことないよ」と言った。
たぶん遅かれ早かれ、どちらかが切り出していたのだ。あの人が言わなければ私から。むしろ、相手に言わせたぶん、私のほうがずるいのかもしれない。
そして、どちらから切り出すにせよ、あの人は泣き、私は泣かなかったはずだ。私たちはそういう二人なのだ。それは、四年間の付き合いから確信できることだった。あの人もそれはわかっていたはずだ。
居酒屋から出る直前になって、あの人はぽつりとこぼした。半分は私を責めるように、半分は自嘲するように、
「あっさりと別れを受け入れられたのはショックだったな」と。
あっさり別れを切り出したくせに。
たとえ私があのとき受け入れなかったとしても、いずれは同じ結果になっていた、はずだ、たぶん。
その後、私たちはカラオケボックスに入った。もともとはすぐに解散するつもりだったのだけれど、あの人が「今日で最後だから」と言って提案したので、私も同意した。べつに私たちは嫌いあっているわけではないから。それに、今日で最後だから。
カラオケボックスでは、お互いに一曲も歌わなかった。あの雰囲気ではどんな曲も歌えないと思う。明るい曲は白々しいし、センチメンタルな曲は痛々しい。
ただ黙って隣に座っていた。あの人が左、私が右。話もほとんどしなかった。目もほとんど合わせなかった。お互いに前を向いたまま、ただ横にいる“元”恋人の気配を感じているだけの約一時間。
カラオケボックスから出る前に一度だけキスをされた。ほんの軽く。私はちょっと笑った。つられてあの人もちょっと笑った。笑ったのは、可笑しかったからではない。シリアスな空気にしたくなかったのだ。感傷的になりすぎるのが、こわかった。
あの人は家までバスで帰る。私は家まで電車で帰る。カラオケボックスから出たとき、お互いに次のバス(電車)の時間はもうすぐだった。だから最後はあっさり別れられた。
「じゃあ」
「じゃあ」
いつものデートでは、別れ際は「じゃあまた」と言い合っていたので、そのやりとりには違和感があった。“じゃあ”のあとに“また”が来ないなんて。言葉の使い方として間違っているような気さえした。
もちろん、お互いに意識して“また”を言わなかったのだ。私たちは、最後の最後に妙なところで通じあっていた。
別れたあと、私は駅までずんずん歩いた。主人公になったような気持ちで。悲劇ではなく、喜劇の主人公だ。世の中はすべて喜劇だ!といった気持ちで。夜空には、わざとらしいくらいに綺麗な半月が出ていた。
このとき、私はにこにこしていたと思う。一人でにこにこしながら歩く不審な女。妙なテンションになっていた。
駅前で、一人の若い女性に声をかけられた。
「ボキンオネガイシマス」
片言の弱々しい日本語だったし、肌はすこし黒かった。白い箱を持ってこちらを向いて、自信なさげに突っ立っていた。
普段の私なら、こういう類いのものは無視していた。なんだか胡散臭いと思って。
でもそのときは違った。私は財布を開け、「500円でいい?」と訊き、それを一枚だけ渡した。
女性は大げさなほど感激して、「アリガトウゴザイマス!」と言って私に握手を求めた。私が手を差し出すと、彼女は強く握った。そして、「アナタハ、イイヒトデス!」と言った。
大したことではない、と思った。世の中には、もっと悲惨な目に遭う人々が、山ほどいるはずなのだ。恋人と別れることなんて、冷静に客観的に見て、まったくもって大したことではない。
なぜあのとき募金なんてしたんだろう、といまだに考えることがある。たぶん、イベントを作りたかったのだと思う。恋人との別れだけがその日のイベントになってしまうのがいやだったのだ。募金をするという新しいイベントをつけ加えることで、記憶を少しでも薄めたかった。上書きしたかった。
恵まれない子供なんかのためではなく、ただ恋人と別れただけの、恵まれた暮らしをしている自分のために、したことだった。
帰りの電車は空いていた。夜だから。独りの人が多かった。各々が適度な空間を保って、すきずきに立ったり座ったりしている。みんなの孤独が小さな動く箱のなかで混ざりあっている気がした。奇妙な連帯感があると思った。でも、私たちの人生が交わることはない。
カップルもちらほらいた。でも、彼らは決して二人組なんかではなく、独りぼっちが二人でいる、というだけのことのように思えた。私たちはみんな独りぼっちで、独りぼっちが箱のなかにたくさん集まっていた。
家に帰ってからの私は、いたって普通に一日の終わりをやり過ごした。淡々と。風呂に入り歯を磨き、日記をつけベッドに入った。
暗闇のなかでベッドに寝転び天井を見つめる。私はこのときもまだ妙なテンションだった。これは悲劇ではなく喜劇だ、と思った。世の中はすべて喜劇だ!何だって喜劇だ!でたらめで、混沌とした、喜劇だ!
でも。あの女性のあの言葉。あの言葉は、私を正気に引き戻してしまう。
“アナタハ、イイヒトデス”。
その言葉は、私を泣きたい気分にさせた。
正気に戻ってしまうと泣きたくなる。だから私は、その日は早く寝ようと思った。でも寝つけない。目をつむって、長すぎる夜を、ずるずると過ごした。
おわり
恋人と別れた日の話 豆 @mame3184
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