第9話 オーセンティックじゃないバー ダンテ
俺は自宅へ戻ると、少し行く場所があると茜に告げ、いくらかの金を受け取り家を出た。携帯で俺は駅の向こう側にある目的地を検索する。店の紹介サイトで見つけた。「星3.1 バー ダンテ」それは俺が千春と出会ったバーだ。まだやっている事に複雑な気持ちになったが、今はそんなことで躊躇している場合ではない。聞くべきことを聞きに行かなければならない。
ビルの4階にそのバーはある。俺はエレベーターで4階まで上がった。古いビルで設備もがたが来ている。4階に着きエレベーターががくんと大きく揺れた。俺がダンテの扉を開くとカランと客が来たことを告げるベルがなる。奥から声がした。
「いらっしゃいませ。」
既に夜も遅く、普段から人が多い店でもないせいか、客はいなかった。俺にとっては好都合だ。先ほどの声の主であるマスターと目が合う。マスターは一瞬驚いた様子で目を見開いたが、すぐに穏やかに目を細め、懐かしむような眼差しを俺に向ける。
「やぁ、お久しぶりだね。」
「久しぶり。山田さん。ずっと来てなかったのに、急に来て悪いね。」
「いいや、店を開けている以上色々な客が来るさ。全て受け入れるのも仕事だからね。何にする?」
「じゃあ、懐かしのジンバック貰える?」
「オーケー。」
山田さんは慣れた所作で手早くジンバックを作ってくれた。
「それで、今日は何かあったのかい。顔が怖いよ。」
「あぁ。古い話をしに来たんだ。おおよそ何のことか察してるよな。」
山田さんはなるほどという顔つきで、顎に手を置いた
「千春ちゃんの事かい?」
俺は一口カクテルを口にする。辛口のジンジャーエールだ。ピリっとした刺激が喉を通り過ぎていく。
「あぁ。そうだ。ちょっとあいつと連絡をとらなきゃならなくなった。山田さん。千春の連絡先知らないかな。」
「そりゃまた不躾だな。何を今更ってなるだろう。」
流石に山田さんもむっとしたようだ。表情が強張っている。俺はその圧に押し負けないようにもう一口カクテルを飲み勢いをつけた。数秒、無言の時間をおいた後、山田さんはため息をついて、肩を落とした。
「僕も知らないよ。」
「・・・・・そうか。」
「理由を教えてくれないのかい?」
俺は落胆したが、確かに今の状況を説明もせずに聞き出す事も難しいと思い、話せる部分だけは説明する事にした。
「詳しくは言えないが、ちょっとしたきっかけで、俺は今一人の女の子と暮らしているんだ。しかも、その子が千春にそっくりで。千春が子供を堕ろしたのは知ってるよな。実は、あの日千春と言い合いになって、俺は千春に手をあげてしまった。それがきっかけで救急搬送されて、だから、俺が千春の子供を殺したようなものだ。だけどあの時子供がだめだったと伝え聞きで聞かされていたけど、本当は無事だったんじゃないか。まさかとは思っているが、今一緒に住んでいる子が実は千春と俺の子供なんじゃねぇかと思えてきた。それを確かめに来たんだ。」
「もし、そうだとしたら、どうするつもりなんだい。」
「それは・・。」
そう言われて俺は何も先の事を考えていないことに気付いた。
「君があの時、千春ちゃんにした事がどういう事だったのか、何も解っちゃいないんだね。」
全て知っているようだ。山田さんの言う事は尤もだ。俺は何も解ってはいないし、もし茜が俺の子供だったとして、どういう気持ちで茜と接すれば良いのかについて何も準備はしていなかった。
昔の俺であれば反論もせず、自分の考えも伝えずにここから逃げ出していただろう。ただ、ここ数日起きた出来事が良くも悪くも俺の中の何かを変えてしまっていた。合っているかどうかではない。俺は伝えた。
「そうだよ。山田さんが言うように、俺は何も解ってないし、千春の子供と暮らしていく事で贖罪を果たそうとしているのかもしれない。ただ、それでも俺が10年数年前にした事が無かった事にはならない。それは解ってる。千春を殴った事で、子供を殺してしまった事実がもしなければ少しは楽になると思ったことも前はあった。でも、今は違う。その事実がどうあれ罪滅ぼしのスタートラインにさえに立てるような仕打ちじゃない。」
山田さんは聞いてくれていた。俺は続けた。
「俺は、俺の過去を死ぬまで・・。いや、死んでも背負わなければならない覚悟は持ってる。正確に言うとここ数日で芽生えたと言った方がいいのかも知れない。ただ、これからの俺の人生で少しでも千春のために出来ることがあるなら、
そこで俺は口ごもった。
「合っているなら?」
山田さんは聞いた。
「千春と会わせてやりたい。」
前に茜が施設を出るときに支払った対価が親の命だと言っていた。それは、もし茜が千春の子供だったとするともうすでに千春がこの世にいない事を表しているが、俺はにはかには信じきれないでいる。もし茜が俺と千春の子供だったとしたら親の命の片割れは俺なわけで、その事と矛盾するから切る
山田さんは納得した様子で再度口を開く。
「君も少しは変わったんだね。」
「変わっちゃいない。何もな・・。まだ全然変わり切れてねぇ。」
「解ったよ。でもね、君が望むような事実は何もない。あの日、病院から呼ばれて千春ちゃんを迎えに行ったのは他でもない僕だ。彼女、身寄りがなかったからね。頼るところも無く、君が逃げたあと、連絡出来る人もいなかったんだろう。翌日、病院で医者からも説明を聞いて、子供はだめだった事実を聞いたのも僕自身だ。それ以上でもそれ以下でも無い。それが事実さ。」
「そうか・・。」
俺を絶望感が襲う。この絶望感は少なくとも、俺がまだ贖罪を果たそうとしていた証拠だ。子供が実は生まれてきていて、その子と千春がまだ幸せになる権利を有している事に救いを求めていた証拠だ。振り切れ。ここからだ。この感情を振り切って、ただ目の前にいる奴らのために動け。今なら出来る気がする。茜は茜だ。あいつを含め、能力者たちのために八百屋をぶっ潰さないとならない。
絶望と決意とが入り混じった複雑な感情が沸き上がり、柄にもなく涙ぐんだ。
「その後、落ち着いたころに何度か千春ちゃんもこの店に来てくれていたけど、ぴたりと来なくなってね。それからもう大部経つけど、音沙汰はないし、連絡先ももう繋がらないね。」
ジンバックを一気に飲み干した後、俺はスコッチをストレートで頼んだ。
この店で千春と共有した時間がフラッシュバックする。あいつとはいつも喧嘩みたいな会話しかしてこなかったな。そこに山田さんが割りいって、仲裁するような構図でよく飲み明かしたものだった。
ブラックライトに照らされた千春の横顔は美しかった。妖艶な美しさの中に神聖で触れることの出来ない高尚さも兼ね備えた女だった。その横顔を幼くしていくと、未だに茜の顔になる。酔ったせいもあるのかもしれないが。
_____
茜は主のいない家で、ベランダから空を見上げていた。目にはうっすらと涙を浮かべている。
「ありがとう。」
その言葉は寒くなった夜のとばりに飲み込まれていった。
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