第5話 傷口

 俺たちは家に帰ってきた。道すがら会話は無かった。アパートに入るとアドレナリンが引き、冷静さが戻った。そのため今しがたの出来事を客観的に見返す事が出来た。電話の受話器をあげる事で爆発する、明らかに人の命を狙った手段に二人とも恐怖を隠せずにいる。テレビをつけるとニュースで店の消火活動の様子が報じられている。原因や負傷者は不明。何者かのテロも示唆されるとアナウンスされていた。


 俺たちはこの後どこへ行くべきか、何を探すべきか。いつまでにそれをすべきなのか。何一つ尤もらしい答えが見つからない。未来には暗雲が立ち込めている。過去未来を救済するんじゃ無かったのかよ、と胸の内で悪態をついた。

 気の利いた行動も思いつかず。煙草に火をつける。アイデアは無いが話をする事で何かが思いつくかも知れないと思い、俺は口を開いた。


「おい、何か思いつかないのか?」


「待ってよ!あたしも考えてるんだから。」


「ああ、そうだな。わかった。」


「何よ。そうやって素直になったフリしながら子供のあたしに押し付けて、待ってるだけって事?ちょっとは自分で考えなさいよ。」


「わかってるって!俺だって考えてるさ!」


「・・・」


 茜が俺に蔑んだ視線を向けている。


「・・・きっと、いつもそうして来たのね。」


「はぁ。どういうことだ。」


 低い声で俺は聞いた。


「どうせいつも、他人に任せて自分で何一つしてこなかったんでしょ。その年になって、おかしな生活を送ってて。恥ずかしくないの。」


 おかしな生活という表現に異様に腹が立った。


「うるせぇ!お前に何が解るんだ!俺だって・・必死だったんだ・・。」


 口ごもった。俺は確かに必死だった。好きでこの生活に至ったわけではない。ただ、何をする時もあと少しのところで綻んで、そしてその綻びは広がり、紡ぎあげた糸を何も無かったようにまた毛玉になるまで社会が解きやがったんだ。その繰り返しだ。ただ、もう一度その糸を紡ぎだす勇気を引き出せなかった。またやり直しをさせられるなら、他の世界に行く。だから、どんどん違うことに目を向けて、積み上げ、崩れ、積み上げては崩れ、ほんの一握り残った自尊心ですら最後は見失ってしまった。

 俺の人生はすべてはギャンブルで出来ていた。うまくいく事を見つけるギャンブルに俺は負け続けているのだ。


「人に感謝する心が無いのね。何もかも旨くいかないことが全ておじさんのせいだとは言わないわ。でも、今まで一人で生き抜いてきたと思っているもの。本当はその過程でたくさんの人の力を借りているのに。何も感じないのね。」


 ませた事をと思ったが、痛いところを突いて来る。確かに俺は人に感謝する心が欠けていた。いや、欠けているというよりも、その感情を理屈で納得できていなかった。人の助けを受けている事は自覚している。ただ、手助けなんてものは、そいつが能動的にしているだけだ。金を貸したり、看病したり、飯を作ったり、それをする奴が、そうしたいからしている。感謝を受け取るためにしているものではないし、すべきでは無い。対価として金を受け取っているケースもあるわけで、手助けを受ける側に何かを強制してはいけないものだと思っている。


 茜との会話はそこで途切れた。


 茜の指摘によって、古い記憶が蘇る。俺には出来る限り触れられたくない過去がある。人には一つや二つそういうものがあると思ってはいるが、おそらく他人と違うのは俺はその事実からいつも逃げ惑って来ている事だ。俺がまだ若かったころ、一人の女と出会った。不思議な女だった。生涯、他人と長く時間を共有したのはあいつだけだ。なのに何一つ俺からは与えてやらなかった。物質的にも精神的にもだ。俺はいつも俺の欲望のままに生き、他人へ感謝をする事など、必要の無い事。そう思っていた。なのに、あいつと過ごした時間だけは、何度思い返しても消化出来ずにいた。


___



 世継よつぎ千春ちはるとの出会いは、俺が数年前に行きつけていたバーでだ。バーと言っても、ホテルの上層階にあるような小奇麗でオーセンティックなバーでは無く、酒の種類が豊富とはいえどマナーや格式ばったルールは基本的には無い。客と客が繋がり一種のコミュニティが出来上がって行くアットホームなバーだ。席もカウンターが10席程と、4名掛けのテーブル席が2テーブルあるだけの、こじんまりとした店だった。コミュニティと言ったが、常連だけが幅を利かせているご新規様が入りづらい店ではなく、一人で飲みたい客も安心して飲めるように、カウンターに座る客はしっかりとマスターが管理していた。客が知り合いではない客と話すのは、それが許される空気感やタイミング、マスターが客への配慮が出来る場合のみ許される。嫌がる客が居れば、それを察した上でそれとなくマスターが話に割り入って、話の腰を折る。しかも、さりげなく自然に出来上がるものだからバーテンダーという仕事のスキルに驚嘆したものだった。同様にそんなマスターの話術や所作に対してはファンも多かった。


 俺は酒はあまり強い方ではない。だが、飲みたくなる日は人並みにあった。酒が弱かったという事もあり、量を飲むというより1杯を時間をかけてゆっくりと飲む事が多かった。酒の肴はその日のギャンブルの結果の反省点が大半だった。

 仕事帰りにパチンコや競艇に行っては、その日の勝ち金が多ければ高くて珍しい酒を飲むし、負ければ反省点をマスターへ相談したものだった。よく考えると、いつしかそのバーにも行かなくなり、第三者にギャンブルの話をしなくなってから負けが込んでいった気がする。


 ある日、深夜0時を回り、終電もなくなった頃、既に客は俺一人のみだった。そんな暇な平日の夜に、ふらっと女性が入ってきた。それが千春だ。


「ブラッディメアリー頂戴。あと、タバスコも」


 ブラッディーメアリーはウォッカのトマトジュース割りだ。作り方は様々だがタバスコを入れて酔い覚ましで飲むこともある。彼女はかなり酔っていた。

 

「はい、水。千春ちゃんまだ飲むの、もうやめときなよ。」


 マスターは水を勧めた。


「ふふ。いいの。あたしはいくら飲んでも酔わないように出来てるの。ちょーっと、ほろ酔いなだけらから、気付け薬ろんれから、また飲むの。ふふふ。」


「呂律まわってないから。いいから一旦水飲みなって。」


「もー、しゃーらいわねぇー、一杯らけらからねぇー。」


 マスターが俺の目をみて、肩と眉をあげた。千春は酔っぱらっていたにも関わらず、その仕草を見逃さなかった。


「ちょっと、、。君ぃ、らりみれんのよ。」

 

 急に俺に投げかけられた。


「何て言ってるのかわかんねぇよ。」


 淡々とそう返し、そして俺は笑った。それにつられ、理解してかせずかは解らないが、千春もけたけたと笑っていた。それが、俺と千春の出会いだった。その日、俺は泥酔した千春を家まで送る事になった。バーで寝てしまった千春をなんとかタクシーにのせ、免許証を財布から失敬し、住所を調べた。程なくしてタクシーは彼女のマンションの前に着き、俺はそのまま千春を部屋まで担いでいった。

 すでに泥酔し、眠っている千春。色気も何もない相手に何かする気にもなれず、千春をベッドに放り投げ、俺はリビングにあったこたつで寝た。

 次の日の朝、お礼は改めてと言われ連絡先を交換し、俺は千春の部屋を出た。それから何度か逢っているうちに、関係は深まっていった。いつの間にか、千春の部屋で半同棲するようになり、そしてある日妊娠を告げられた。

 

「あたし、生みたいの。」


 千春の中では既に結論は出ていた。

 俺にはその時既に借金がかなりの額あり、結婚や子供を育てる事など到底出来ないと思っていた。恐らく真っ当な人間であれば、心を入れ替え二人で頑張っていきさえすれば何とかなる程度のものだ。だが俺にはその考えは無かった。

 千春の気持ちを考えずに俺は中絶を勧めた。

 その時の千春の目を俺は覚えている。決意に満ちた女の目だ。もともと気の強かった千春は俺が何を言おうと聞く耳を持たないことは解っている。だが、俺も折れる事は出来なかった。今以上に俺が頑固だった時代の話だ。俺の望んだことを何故受け入れない。どうすれば解ってくれるのか。思いつく限り問い、そして説得したが、千春は気持ちを曲げる事はなかった。

 言い合いの末、俺の論理が破綻し、そこを千春が指摘した事にカッとなった。ついに、俺は千春に手をあげてしまった。千春は床に倒れ込んだ。そして、腹を抱えて痛いと言い出した。俺は、自身のやってしまった事を悔いたが後の祭りだ。救急車を呼び、病院へと向かった。救急車の中で、驚いた事に俺は千春の手を握っていた。先ほど俺が殴り倒した女の手をさも心配そうに握っていたのである。

 病院についた千春はまだ痛がっていて、担架で奥へ運ばれていった。

 深夜だった事もあり、周りには誰一人いなかった。事もあろうか、俺は千春を待たずしてその場から逃げた。その後、千春との連絡も絶ち、後になってバーの知り合いから子供は駄目だったこと、千春は無事だったことだけを知った。

 

 それから、十数年が経ち、今も千春とは連絡を取っていない。


 

 茜に言われた「人に感謝した事がない」という指摘は当たっているが、答えとしては完璧ではない。感謝どころか、俺は人を不幸にする死神なのだ。関わった奴らをある程度まで手の上で転がし、ここぞというタイミングで鎌で刈り取る。今や俺に関わる人物も減り、とうとう自分で自分の魂の紐を刈り取る時が来ていたのかもしれない。


 未だ無言の茜の横で俺はそのような事を考えていた。


「おい。」


 俺は口を開いた。


「何よ。」


「すまなかったな。」


「え!」


 茜は目を丸くして驚いた。目を開きすぎたせいなのか、涙ぐんでいるようにも見えた。


 ふいに、インターホンが鳴った。


 「ピロリロリン♪」


 張り詰めた空気には不釣り合いで軽快なメロディだ。

 俺は覗き穴から、外を覗いて驚く。身長の高い男と女が一人。男の方は初見だが、もう一人の女には見覚えがあった。リープの店主、柏木里奈だ。

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