第3話 暖かいお家での晩餐

 空はすっかり暗くなっていた。街の明かりで多くは無いが、輝きの強い星は顔を出している。人通りもまばらになった駅前の商店街を抜けて、住宅街を歩く。隣には審査員が未だくっついている。


「おい。これ、いつまでかかるんだ?」


「さっきもいったでしょ。あたしも良くわかんないのよ。お店の人に言われた通り、これからある時が来るまでは一緒に暮らす事になってるって事だけ聞いてるのよ。当面の生活費はあたしのお財布にたくさんあるんだから。おじさんの目的も達成出来ているでしょ。文句言わないでよ。」


「ある時っていつだよ・・。」


 気を失っていた時間を除くと、こいつとは、数分間会話した程度だ。しかもそれは仲良くカフェでパンケーキを食べながらというわけではない。常軌を逸しためくるめく殺戮のコミュニケーションは、俺の常識を変えてしまったのかもしれない。文句や疑問こそあれど、非日常的な現状を受け入れるほどに俺の心は耐性を養ってしまっていた。


 ホテルでの一連の審査が終わり、良くか悪くか俺は審査を通過した。この少女には不思議な力が宿っているらしい。それを本人から聞いた。それは、いわゆる治癒能力であり、人体に与えられた外傷を無かったものに出来るという能力だ。ただし、それは限られた人間に対してのみ効果を発揮するもので、端的に言うとその条件に適合する人物を探していたということだった。俺が審査を受けるまでに同様の審査を受けた奴がいたのかは、恐ろしくて聞けずにいた。


 少女の名前はあかねと言った。苗字は久慈くじというらしい。この時代にすでに仮死状態になる薬品があったり、魔法で傷を治すなどと非現実的なメルヘンにも程度がある。

 あの後「契約は成立しました」と宣言され、手足をほどかれた。その後すぐに茜の胸倉をつかんだが、殴るのはやめた。とにかく、さっきの店に戻りこいつを突き出そう。いや、これは明らかな犯罪行為なわけだから、警察に連絡からだと思った矢先に金の話と、これからの俺の処遇の説明を茜から聞いた。それは、ある時が来るまで一緒に茜と暮らし、それまでの生活費一切は茜が持っている金から出すというものだ。「ある時」という言葉がいかにもメルヘンだったが、金のない俺はその誘惑に負けたのだった。


 その後一旦は店に戻ったが、すでに扉は鍵が閉められていて中には入れなかった。翌日再度訪れることにし、先ほどコンビニで財布に入っていた遅れていた光熱費の請求書と、晩飯の弁当とコーラとカップ麺を2、3個、そしてタバコの代金を茜に払わせて、今はアパートへ戻っている所だった。


 程なくして自宅に着いた。祈るように電気のスイッチを入れると明るくなった。供給が戻っていた。先ほど支払いをしたばかりなのに、インフラというものは本当にしっかりと管理されているのだなと思った。料金を払っていないことがバレずに使い続ける事が出来ないわけだ。


「きったな!」


 後から入ってきた茜が言った。散らかっているが汚くはないと思ったが、少女にしては異常だったようだ。


「おい、俺は風呂に入るから、飯でも食ってろ。」

 

 汗と血にまみれた下着や、切り裂かれた服はいち早く着替えてしまいたかった。茜は風呂は先に入りたいと言ったが、俺が聞く耳を持たずに服を脱ぎだしたら部屋の隅へ逃げていった。

 廊下に服を脱ぎ捨て俺はシャワーを浴びた。熱めの湯で頭を湿らしながら、今日一日を振り返り、手を見つめた。その手は昨日や一昨日と変わりのない手だ。しかし腹と腿にはうっすらと傷跡があった。治癒能力といえど、手術痕のようなものが残るようだ。それは、今日あった事の揺るがない証拠だと思うと、不思議な感覚に陥る。本当は俺はさっき死んでいて、魂だけの存在となり、今こうして仮想現実の世界で生きているフリをしているのではないか。そして、いつかそれも消えてしまい。本来の死が訪れるのではないか。その時はどんな感じなのだろうか。目の前が白い霧に包まれて、周りの物体が徐々に消失し、最後は俺も消えてしまうような感じだろうか。または、古いテレビゲームの電源を切る時のように、「パチ」などという音とともに暗闇に包まれて、その瞬間に自我もなくなるのだろうか。

 そのような事を考えていると、ほんの少し気が紛れたし、ほんの少し楽しくも思えてくる。空想や幻想にハマる奴らは皆頭がお花畑なものとばかり決めつけていたが、自分がその世界に紛れ込んでみて少しだけ気持ちが理解できた。しかも今はその実体が輪郭をはっきりとさせて俺の前に立ちはだかっている。これは現実なのである。


 風呂から上がると、部屋が小ぎれいになっていた。ゴミや雑誌を茜がまとめてくれていたようだ。畳の上に置かれたローテーブルの入り口側にクッションを置き、そこに茜は座ってコンビニ弁当を食べていた。

 俺もはす向かいに着座し弁当を食う。腹に何かが入ると安堵感が増す。


「これからどうするんだ。」


「とりあえずは、待つしかないわね。」

 

「おまえ、年は?」


「10歳よ」


「学校は?」


「行ってない。」


「親はどうしてる。」


「いない。」


「金はいくら持ってるんだ。」


「よくもまあ、そんなずけずけと何の気遣いもなく聞けるわね。おじさん・・置かれている状況解ってる?あたしのおかげでこうやって暖かいおうちで、ちゃんとごはん食べれてるのよ。いわばあたしは女神様なの。もっと崇拝しなさい。じゃないと刺すよ。今度は治さないからね。」


「うるせぇ!よく考えてみろよ。どうせお前、あの後行く当ても無かったんだろうが。だから俺の家に入れてやってるんだ。ちゃんとギブアンドテイクが成り立っている以上俺たちは対等だ。いや、俺がお前の保護者代わりってことでもあるわけだから、もはやその金は俺が預かっていた方がいい。よこせ!」


ずべしっ!!


 金を奪おうと茜の財布の入ったバッグへと手を伸ばした俺の顔面にカウンター気味に先程片付けられた雑誌の内の1冊が飛来した。


「ぐぐぅっ・・。」


「おじさんなんかに渡したら一瞬でギャンブルで擦ってくるんだから。あたしのバッグに二度と触ろうとしないでね。・・・まじで刺すよ。」


 まじで刺すよという言葉には真実味があった。ただ、茜の推察は悔しいがおっしゃる通りだった。

 そういえば、茜はナイフで人を刺すような普通であれば頼まれてもやらないような事をやってのける奴だ。怒らせると何をしでかすか解ったものじゃない。ここは一旦退いておくことにする。


「ま、まあいい。とりあえず、もう一度明日あの店に行くからな。」


「いいわ。あたしもそこは賛成。#里奈__りな__#さんに確かめたいことがあるの。」


「里奈ってあの受付のやつか?」


「うん。#柏木__かしわぎ__# #里奈__りな__#さん。あたし孤児だったんだけど、物心ついた頃から施設で暮らしてて、小さい時からよくそこに里奈さんが来てたの。何をされてるのかその時は良く解らなかったけど、あたしが、施設を出たいって相談した時に、協力してもらったの。結局その時に店の話も聞いて、今はこんな立場だけれど、その時は仕事として受けてくれたみたいね。」


「お前も対価を払ったってことか?」


「うん、その時はまだ子供だったから良くわからなかったけど、後になって領収書をもらったから、多分受理されたんだと思うわ。」

 

子供がいつの時代を振り返って子供だと言っているのだと思いながらも立て続けに聞く。


「いくら払ったんだ?」


「お金は払ってないわ。対価は親の命よ。」


「・・・」


 返す言葉が無かった。改めてまずい奴らと関係を持ってしまった事を後悔した。脇の下に冷たい汗が流れている。茜はそんな俺には目もくれずに、テレビを見ながらけたけた笑っていた。


 食事も終わり、茜は風呂に入った。一人となった部屋の中で俺は煙草に火をつけた。今更部屋の壁紙についたヤニがどうこうなる訳では無いが気休めに窓を開ける。窓越しに見える星はさっき見た位置からだいぶ低いところまでやって来ていた。

 改めて一日を振り返る。何度試しても俺の脳みそは夕方から今にかけて起きた出来事を理解しようとはしない。せめて眠りにつきさえすれば夢の世界で全てを忘れて、心が休まるだろうか。

 煙草の煙は寒くなった晩秋の外気に吸い込まれていった。

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