第2話 ブルーラインガール
商店街を抜け、程なく指定のホテルへと到着する。名前からおおよそ想像はしていたが、目の前には築4、50年は経っているだろう古びた雑居ビルが佇んでいる。奥まったところにエレベーターがあり、その横のフロア案内板の2階部分に「ホテルブルーライン 受付」と表記されていた。
「ここか・・・。」
先ほど手渡された鍵はビルの風貌にマッチした銀色の古いタイプだ。今時珍しい。実家の玄関の引き戸が思い浮かんだ。
俺はエレベーターで2階へ上がった。目の前にはフロントがあったが人はいない。そういえば、客室は5階だった。そのままエレベーターで5階まで上がればよい話だったかとも思ったが、向かって右手に客室はこちらという張り紙と階段のシンボルマークがあった。
「そのまま階段で。」と案内されていたため、いったんはフロントを通ると想像していたが、間違いではなかったようだ。
5階まで階段を上がる。重い金属で出来た扉を開け、客室の並ぶ廊下に入った。
すぐ左手向かい側の部屋が俺の目的地である503号室だった。
鍵を持ってはいるが、開いている可能性もあると思い、ドアノブに手をかける。引いてみるとガチと施錠を知らせる音が鳴る。おれは、持ってきた鍵を差し入れてドアを開けた。
シングルルームのベッドがバスルームの壁の向こう側に見えたが、間髪いれずにぎょっとした。入口からだとまだベッド全体は視界には入らないが、その上に乗っているものの先端が見える。足だ。しかも、そのサイズからして子供。
一時硬直した後、とりあえず呼びかけてみる。
「すみません。」
反応は返ってこない。
「あの。」
変わらない。
「おい!」
ボリュームをあげて呼びかけるがやはり返事はなく、部屋は経年劣化した換気扇のごうごうという音のみが響いていた。
恐る恐るすり足で近づき、その全体像がはっきりと視界に入る。おそらく、まだ小学校低学年くらいの少女がそこに横たわっていた。目は閉じている。幼くはあるが、大人びた雰囲気もあいまった美しいというにふさわしい顔立ちをしている。どことなく見覚えがあるような気もしたが、ぴんとは来なかった。
「あの。おい。」
近づいて声をかけても微塵の反応もない。そういった趣味はないが、ホテルブルーラインに横たわる少女を見ながら、良からぬ事を考えてしまいそうになるが、自分の置かれている状況が俺を正気に留めてくれていた。そもそも俺にその趣味はないが。
仕方なく、肩をゆすって起こそうと思い触れた瞬間、嫌な温度が着ているブラウス越しに俺の手に伝わる。服越しに感じる体温は明らかに冷たい。
背筋が嫌な意味でぞくついた。手に触れると氷水に浸した直後のようで、まるでそれは人の手を模った銅像にでも触れているようで、人ではない物体としてそこに置かれているようにさえ感じる。念のため脈を確かめるが、もちろん微動だにしていない。絶望が俺を襲った。
「こ、こいつ・・。し、死んでる。」
想像を振り切った状況に頭の中をかき回される感覚は、ギャンブルで負けるその時と似ているということを知った。おれは膝をついて俯き、頭を抱える。
厄介なことになった。直接俺が殺したわけではないが、あからさまに怪しい店で託ったお使いがこれだ。冤罪の二文字が頭をよぎる。少なくとも俺の脳みそに解法は記録されていない。
無一文という最悪の状況に置かれ、そしてそれをはるかに上回る出来事を目の前にして、もしくは終わりに向かっている俺の人生がさらに加速を始めたのかもしれなかった。数分間うなだれ、呻いた後、すでに遅すぎた救命の手続きをとるため、携帯を取ろうと上体を起こす。顔を上げようとした瞬間に後頭部にがんという鈍い音が響いた。
何かが俺の頭にぶつかった。しかも相当な勢いだ。混乱でぐるぐるしていた感覚を増長させる。実はこれが人生最後のギャンブルだったのかもしれない。結局最後まで勝てなかったが。
それでも起き上がり、何が起きたのかを確かめたいという意志とは裏腹に俺の目の前は闇に包まれていった。
___
後頭部に違和感を感じ俺は目を覚ました。しかし瞼を開いたにも関わらず視界は真っ暗だった。目をこするために手を寄せようとしたが、後ろ手に縛られているのか、縄のような物体が手首に食い込んだ。
後頭部の違和感の正体は先ほど鈍器のようなもので殴られた箇所が疼き、血流が激しく脈打つ感覚が不規則なリズムを刻んでいるものだった。
「あ、あぐ、ぐぐぅっ・・。」
俺は言葉にならない声を出した。瞬きだけは何とかできるようだ。まつ毛が視界を遮る布に当たり、目隠しをされていることに気が付いた。何が起きているのか、どういう状況なのか必死に想像し、気を失う前に起きたことを思い出すがもっともらしい答えが出てこない。
縛られているのは手首だけではなく 足首もだった。その状態で恐らくは椅子に着座させられているという点だけは理解が出来た。
周りに神経を研ぎ澄ます。甘い香りが鼻をかすめ、そして遠のいた。人がいる。女特有の香りだ。
「大丈夫?」
唐突に女の声がした。しかも成人ではなく明らかに子供。
「ほどけ!!」
俺は怒鳴った。声の主が何者かは解らないが、俺を縛った容疑者であることには違いない。一拍遅れて声の主が、ベッドに横たわっていた少女なのかという疑念が湧き、しかしその少女が生きているという矛盾に混乱した。
俺がその混乱で次の言葉を放てずにいると、少女がさらに口を開いた。
「それは出来ないの。」
「お前、さっきの子供か!?」
「ふふふ。そうだよ。驚いた?」
状況の整理がつかないままに、先ほど死んでいたと思っていた少女に命がまだあった事は少なからず俺を安堵させた。
「生きていたのか?」
「うん。寝てただけだよ。おじさんの頭叩いたのもあたし。痛かった?」
「なめんな!いいから、早くほどけ!」
「だから出来ないっていってるじゃん。お店の人に聞かなかったの?これから審査しないといけないんだから。」
それを聞いて、混乱していた頭の時間が巻き戻り、少しだけ正気を取り戻せそうだった。そうだ。俺は金が無い。店で依頼を受けた通りこのホテルへやってきた目的は、審査を受ける事だった。
「ああ、わかった。審査は受ける。いいから、解け。話はそれからだ。」
「だから出来ないって。」
一時お互い無言の時間が過ぎる。
「あたしも正直気乗りしないんだけど。」
少女はそう言って、ごそごそと何かしらの入れ物から何かを取り出す音がした。
「今あたしが鞄から取り出したのは、ナイフよ。ちょっと動かないでね、本物かどうか確かめさせてあげる。」
そう言って、おれの頬に冷たい刃先がちくりと触れた。痛かったが暴れて深く切れ込みを入れられてはたまらない。俺は息を止めてそれが離れていくのを待った。当分映画は見ていないが、昔見たミステリーのサイコパスの人格像が思い浮かんだ。
「ま、待て。さっき確かにおれはお前の脈がこと切れているのを確認した。なのに、生きているのはなぜだ!?」
「それは詳しくは知らないけど、あたしも仕事でここにいるの。注射を打たれて、眠くなって目が覚めたらおじさんがいた。だから、言われた通り持ってた金槌で頭を叩いた。思いっきり叩いたから死んじゃったかと思って、始めはびっくりしたけど、案外頑丈みたいで良かったわ。」
続けて少女は言う。
「じゃ、審査を始めるわね。これも本当に大丈夫なのかな。まいいや、やってみよう。えい。」
途端、太ももの内側から火が出たような熱さを覚えた。少女がナイフを突き立て、そして抜いたのだ。
「があああああああああっっっ!!」
「痛い?」
「な、何しやがる!?聞いてないぞ!こんな事!」
「あやっぱ痛いんだ。まあそうよね。ここからが重要なの。いくわね。」
そう言って少女はなにか小声で聞き取れない言葉をぶつぶつと唱えだした。そうしている間も痛みは増し、なんとか抑えようとするが、手も足も自由が利かない歯がゆさから俺は気が狂いそうになっていた。
「うおぉぉぉぁぁぁぁあああああ!!」
再度咆哮する。目から鼻から水が出ているのが解る。見えないからか、大きな重い鉄球が俺の大腿筋にのしかかっているかのように感じる。それが痛みと熱を増幅させた。少女はまだぶつぶつと唱えている。次の瞬間ふわりとその熱が緩んだ気がした。だが、間もなく、痛みは前にも増して激しさをます。
「ああ、やっぱだめだわ。残念。ご愁傷様です。通らなかったわね。審査。」
そう言って少女が近づいてくるのが分かった。肩に少女の手が添えられる。その手はさっきとは違い、熱を帯びている。
「えい。」
少女はアクションゲームで敵を武器で倒すときのように無邪気に掛け声を発した。ほぼ同時に俺の腹にナイフを突き刺し、そしてえぐった。
もはや声は出なかった。
いつの間にか、つけを払い続けていた俺の人生が、残酷な最後を迎える。これでようやく全てがチャラになるのだろうか。
「本当にこんな事で、適応者が見つかるのかな。」
途切れそうな意識の中で少女の言い放ったその言葉に違和感を覚えた。適応者。それはいつも俺がコンプレックスを抱えていた言葉だった。俺は俺なりに努力し、苦しい思いを我慢してきたつもりだった。だが、何も変わらなかった。それは俺自身が社会に適応出来なかったからだということを表していた。社会不適応者として生きた40年間、「適応者」は嫌いな言葉であり憧れていた言葉だ。俺が適応する社会で、地に足をつけて生きていきたい。そう願っていた。
このまま死んで全てから解放されるのも良い。だがさらに適応者という単語は俺のある一つの記憶を呼び起こす。死に際で俺には償わなければならない罪がある事を思い出してしまった。価値の無い人生だったかもしれないが、その罪に対するツケだけは返してから終えたかった。せめてあいつにした事だけは、清算してからでなければ死ねない。
「あら。あれ、やだ。治ってきてる!」
少女が叫んだ。
俺の腹の傷口と、太ももの傷口のあたりで、じゅうじゅうという熱した鉄板の上にまぶした水が瞬時に蒸発するときのような音が立っていた。熱くてたまらなかった傷口は、徐々にその熱を下げ、やがて平穏時のそれに戻っていた。
「成功だわ。」
その風貌に似つかわしくない低い声で少女が言った。
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