ギターと彼女

 田島さんをレンタルできたのは、それから一年後だ。同学年のみんなが大学に進学する頃、彼女はもっと綺麗になっていた。

 源氏名を聞いたけれど、すぐに忘れた。


 僕の顔を見ても何も気がつかないのか、彼女はあたりを見回して不思議そうに首をかしげていた。



「あなたひとりなの?」


「そうだよ」


「へえ、珍しいわね。私を使うのは大体バンドなのに」



 あまり興味がなさそうに笑う田島さんに、コードの先端を手渡す。このコードがシールドと呼ばれる物でこのパフォーマンスには欠かせないということも、ギターを始めてから知った。



「自分でいれて、あっち行ってるから」



 僕がそう言うと彼女は心底驚いた顔をして、珍しいを通り越して変だわ、と言った。


 なんとでも言うがいい。これからされるであろう大バッシングを考えたら、優しいものだ。激高した客に殴られるかもしれないし、田島さんの管理をしているお店の怖い人が出てくるかもしれない。


 用意ができた彼女を引き連れてステージに登場する。

 照明が眩しくて、フロアの様子は窺えない。僕がギターを鳴らし始めると、彼女は柔らかい声で鳴き始める。それに合わせて、僕はお世辞にもうまいとは言えない歌をうたった。二曲目が終わった後、大きく深呼吸をする。


 このために、僕はここまでやってきたのだ。


 ギターを弾かなかった。いや、正確には弾くふりをした。それで、さも音が出ないというように田島さんの方を振り向く。明らかに困惑した様子の彼女が機材トラブルを察して、さりげなくシールドの抜けを確認していた。その様子にフロアが湧きたつ。

 決して安くない金額を払ってここにいる者たちからすれば、それは煽情的な仕草だったのだろう。



「ねえ、うたおう」



 フロアには聞こえない声量でそう言うと、僕はギターを弾かずに歌い始めた。僕の言葉を聞いた彼女がひどく怯えた顔をして、首を横に振る。



「田島さん」


 そう呼ぶと、彼女は驚いた顔をして僕のほうを見た。たぶん、僕がだれかを考えている。フロアからの怒声を気にすることなく、穴が開くほど僕の顔を見つめる。

 慌てるスタッフの様子が視界の端に写る。

 それから少しして田島さんは小さく唇を開いた。響いたのは鳴らされていない、本当の音。


 この後、僕たちはきっと怒られる。商品に何を、と賠償を求められるかもしれない。彼女の居場所がなくなったら僕が迎えよう。どんな災難が僕を襲ったとしても、後悔はない。


 将来の夢は歌手です、もう一度、彼女がそう言ってくれたならそれ以上の幸せはないだろう。

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彼女がアンプになると知ったから僕はギターをかき鳴らした 入江弥彦 @ir__yahiko_

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