彼女がアンプになると知ったから僕はギターをかき鳴らした
入江弥彦
アンプと僕
将来の夢は歌手です、と中学三年生の頃に屈託のない笑顔で語っていた田島さんがアンプになったと知ったのは、僕が高校を中退して半年後のことだった。
成績も良く、品性にあふれる彼女が進学もせずにアンプをやっているらしい。なんてことだ、そんなばかな。
信じられない思いでいた僕がライブハウスで見た田島さんは本当に、下品で尖っただけの高音をつまらなそうに吐き出していた。きついメイクをしているが、彼女の面影は残っている。ギターから伸びたコードのような物が彼女の短いスカートの中に繋がっていた。
酔っ払いの客からはヤジが飛んでいて、その矛先はギタリストではなくアンプである田島さんに向かう。中学生の頃のような明るさは見えないが、凜とした佇まいは変わっておらず、彼女はヤジなど気にすることもなく口を開き続けていた。
僕がギターを買ったのは、その帰り道だ。
幸いなことに、出かける友達の居ない僕にはバイトで稼いだ貯金があった。ギターを背負って帰ってきた僕を見て母は泣いたけれど、父は何も言わなかった。もう五年も前から父とは話していない。
田島さんはどんな家庭なのだろうか。
お嬢様だと聞いたことがある。詳細は知らないが偉い仕事をしている父がいると、中学でも噂になっていた。歌を歌うことが好きで、よくなにかを口ずさんでいた。僕のような端役にも参加が許されるような、大きな打ち上げのカラオケで聞いた歌声が今でも耳に残っている。
「アンプか……」
殺風景な自室に突然現れた相棒を見つめながら呟くと、ライブハウスで口を開いていた田島さんの姿を思い出した。露出の高い服を着て、ぱっちりしたメイクで鳴らされる、安物の彼女。
音楽が好きな友達が、ライブハウスは死んだと嘆いていたのを思い出す。昔はみんな、音を目当てに通っていたらしい。老若男女問わず楽しめていた空間は、今ではすっかり暇な親父たちのための大衆風俗だ。
バイトも行かずに朝晩ギターを弾いた。元々器用な方だから上達は早かった。飛び抜けてうまくはないが、なんとか聞けるくらいにはなっている。母は時々僕の様子を見に部屋に来て、そっと一階に降りていった。最初にしていた不安そうな顔が、いつか見守るようなものに変わっていたのは、それほどまでに僕が真剣な顔をしていたからだろう。
ある程度ギターを弾けるようになったら、今度はお金を貯めた。できるだけ時給の高いバイトを選んで、空いた時間でギターを弾く。やることもなく時間が過ぎるのを待つような生活は終わり、学生時代よりもはるかに健康的な生活になった。
「おまえ、ギターしてるのか」
最初は、話しかけられたことがわからなかった。僕が箸を止めると、父はもう一度同じ言葉を繰り返した。
「してる、けど」
「そうか」
それだけだった。たったそれだけの会話で、体がカッと熱くなった。久しぶりにまともに見た父はずいぶん柔らかい表情をしていた。今までもこうだったのだろうか。
部屋に戻った僕は、狂ったようにギターを弾いた。
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