コウさんのことなど――癖のある大人に子供
コウさん以外にも、僕が子供の頃には、近寄りがたい大人がまわりにたくさんいた。
工事現場でよく見かける、片腕しかないおじさんのことを僕ら子供たちは「しーじいさん」とあだ名をつけて恐れた。その人の本名が何であったかはまったく知らない。
僕の家の二件隣の、笹山さんのおじさんのあだ名は「おんじいさん」だった。体が大きく、ちょっと顔が猿に似ていて、しかも無表情だった。
どうして「しーじいさん」で「おんじいさん」なのかを問われても、とうてい説明はできない。どうせ子供がでたらめに付けたあだ名に過ぎない。意味などないのだ。
「しーじいさん」や「おんじいさん」のほかにも、個性的で怖いおじさんたちがいた。
跛――当時の田舎ではこの言葉が普通に使われていた――のおじさんは、二本の松葉杖を使って、僕らが一生懸命に走っても追いつかないほどの、疾風のような速さで歩いていたし、啞――この言葉も当時普通に耳にしていた――のおじさんは、いつも「あー、あー」とまるで怒っているかのような大きな声で喚き散らしていた。
跛のおじさんも啞のおじさんも、コウさんやおんじいさん同様、なぜだか素晴らしく体格が良かった。
丸亀屋という旅館には、薬や小間物の行商のおじさんたちが泊りに来ていた。
その中の一人に、ぎょろりとした金壺眼のおじさんがいて「目のひっこんだおじちゃん」と僕らは呼んで恐れていた。
子供が蔭でそう呼び、当該男性をとてつもなく怖がっていることを、親たちもまたよく知っていた。
「言うことをきかんと、目のひっこんだおじちゃんにおこってもらうよ」
子供を叱る親にとって、目のひっこんだおじちゃんは実に重宝な存在だった。
当時の子供というものは、また実に色んな抜け道を知っていた。ことに、体が小さい分、大人に比べると利用可能な抜け道ははるかに多かった。
隣家との間に塀の無い、家と家とが接するように並んでいる町家の、大人なら体が入らないほどに狭い壁同士の隙間や、裏庭などは子供にとって格好の通り道だった。
僕は一度、おんじいさんの裏庭をこっそり通り抜けようとしたところ、運悪く見付かってしまったことがある。
「ああ、そんなところを歩くと、つつじが折れる」
叱られて慌てて逃げたのだったが、そのあと、おんじいさんの裏庭に足を踏み入れたことは一度たりともない。
また、おんじいさんに関して、こんなエピソードがある。
ある夜中に、僕の家の壁をガンガンガンと激しく何度も叩く音がした。
何ごとが起こったのだろうか? 家族みんながびっくりして目を覚ました。
僕らは怖いので布団の中に身をひそめていたのだが、父は一人で木刀を抱えて二階に上がって行った。窓を開け、上からそっと見下ろして様子をうかがったところ、我が家の電力メーターをおんじいさんが棒で叩いていたという。
「泥棒だ。泥棒がここにおる」
おんじいさんには平素からアルコール中毒の気があり、どうやら幻覚でも見たらしい。
「泥棒なんかおらんですよ。そこはうちの壁ですが……」
二階から父がそう声をかけると、おんじいさんは幻の泥棒が逃げていくのをまるで追いかけるかのように走りだしたという。様子を見ていた父によると、しばらくそこいら中をあっちに行ったりこっちに来たりしながら、走り回っていたらしい。しかもよく見ると、靴も何も履いていない裸足のままで、その駆け足のさまは昔取った杵柄なのだろう、立派な軍隊式だったそうだ。
また、そのとき、笹山のおばさんも表に出てきていたのだが、夫のただならぬ剣幕にどうすることもできず、ただただおろおろと心配そうに眺めていたという。
何とも、恐ろしくも滑稽で、実に物悲しいことでもある。
<続>
※ 固有名詞などについては、現実のものから変更している。
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