富岡八幡 ―― 恵比須と蝦夷
「エビス」は「エミシ」が転訛したものとされる。
エミシは
一方「エビス」の語は、異民族一般、あるいは遠隔地の人民一般を、侮蔑的なニュアンスとともに言い表すのに用いられたり、武張った東国出身者を、やはり侮蔑的ニュアンスで指し示したりする一方、逆に、敬意を含んだニュアンス、神の名としても用いられるようになった。
この神格化において、エビスは、海の向こうからの恵みをもたらす外来神として扱われ、記紀に登場する
また、神仏習合において、エビスの本地は不動明王や毘沙門天とされた。これは、これらの像に見られる憤怒の造形と
以上のように、エビスは多義的であるため、漢字による表記も、夷、戎、胡、夷子、戎子、胡子、蛭子、蝦子、蛯子、恵比須、恵比寿、恵美須、恵美寿など多岐にわたる。
なお、後世、エビスの「エ」に「
先ほどエビスは外来神と書いたが、海の向こうには永遠の命と富が栄える国があるという考え方が古くから存在し、記紀などにも常世の国として記されているし、沖縄ではニライカナイと呼ばれる。また、中国の史記などにも、東海中の仙郷として蓬莱が記されている。
そのような海の向こうの理想郷から恵みをもたらしてくれるのがエビスである。ただ、「エビス」という名称は記紀などには登場しない。あくまでも、民俗的な信仰がこの神の始まりと言われる。
エビスの語義の一つは、海から海岸に寄せる漂着物などを指し、ことに国内では生育しない椰子の実や海外の産物など、普段目にしないような珍しい漂着物や、網にかかった珍しい石、あるいは鯨や鮫などをありがたがり、さらに神格化したのが、この信仰の萌芽とされる。エビスには、海洋生物の死骸や人の水死体なども含まれる。これらの漂着や到来は豊漁などの吉徴として信仰の対象となったらしい。
ちなみに、西宮神社の由緒については、漁師が網を引き上げたときに、たまたまそこに入っていた神像を持ち帰り、大事に祀ったのが始めらしい。何だか、浅草の観音様の縁起ともよく似ている。
やがてエビス神は、七福神にも含められたりしてポピュラーな存在となり、漁業のみならず商売繁盛や家内安全、豊作などさまざまな祈願の対象とされていった。当初の「エビス」のニュアンスにあった荒々しい蛮族というイメージはすっかり薄れ、福々しく優し気なお顔の、実にありがたくもめでたい神様の印象に変化する。そうして、あちこちにエビス様を祀った神社や祠がそれこそ無数に建てられるようになっていった。
僕の実家の近所にも、エビス様の祠があり、そこは地域の集会場のようになっている。また、僕の郷里の九州を含め、関西以西の地域では、「えべっさん」という呼び方で、庶民にとって身近な存在として親しまれている。
このエビス神が、記紀に記されている、
ただし、記紀に登場する神とエビス神とを関連させて同定する行為は、幕末・明治以降に盛んになったものであろう。それまでは、記紀の中の神と特に習合させることもなく、あくまでエビス様はエビス様として信仰されていた所も非常に多かったものと考えられる。
エビス信仰に限らず、幕末以降、国学や復古神道などの影響で、吾が国の信仰の形態には大きな変化があった。神仏分離や廃仏毀釈の思想が急速に広まり、国の中枢においても、神仏判然令や関連する太政官布告、また、大教宣布が行われるなど、信仰における習俗が
現在、各地の神社や祠の祭神は、記紀に登場する神々に同定されていることが多いが、その大半は、無理やり行われたこじつけであろう。
二礼二拍手一礼(再拝二拍手一拝)の作法にしても、神官の装束にしても、供物や祝詞などにしても、さらに特に最近では、鳥居で一拝だの、参道の中央は避けて通るだの、手水の際の柄杓の使い方など、さまざまな事柄が画一的に統一されつつある。
僕は一概にこれらを否定するものではないけれども、つい百五十年から二百年前に僕らの先祖が行っていた信仰は、もっと多様で、そのありようと言おうか、神仏を
<了>
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