富岡八幡 ―― 蛭子と日子
富岡八幡宮への参詣に端を発したエッセイのシリーズだが、御祭神のお一方、恵比須様について二回に渡って少々考えた後に、一区切りとしたい。
この神様は、
古事記などによれば、
この他にも、「ヒル」は「
いずれにせよ、ヒルコは、言わば出来損ないとして、葦船(日本書紀の本文では
別の説では、「ヒルコ」は「
これに関して、そもそもの神話において、太陽神の性別は男性であったが後の代に女性に改められたという説がある。男性である太陽神を祀る巫女を神格化したものが、
実際に、記紀が編纂され成立した時代及びその前後には、多くの女性天皇が即位している。すなわち、推古天皇から稱德天皇まで。二百年足らずのうちに、十六代の天皇が即位し、そのうちの半数、八代(重祚はそれぞれに一代と勘定)を女性が占めていた。
このように、多くの女性天皇が登場した時代というのは、日本史全体から鑑みると非常に特異な例であり、この二百年足らずの他には見当たらない。
最近に置き換えれば、幕末から現代までの時間的長さが二百年足らずであるけれども、この間、孝明帝から今上陛下に到る六代の方々が帝位に
萬葉集には「中皇命」という言葉が登場する。一般的には「なかつすめらみこと」と訓ずとされることが多い。
しかし、この言葉は、一般的な辞書には採録されていない。僕の手許にある『広辞苑』はもとより、岩波、旺文社、角川などの古語辞典、小学館の『古語大辞典』、三省堂の『時代別国語大辞典上代編』にも所載が無い。先程示した「なかつすめらみこと」という
一方、最近では、この女帝中継ぎ論を否定する説も少なくない。その中には、純粋な学問的観点のみならず、現下のジェンダー平等論や、皇室の後継問題も絡んで、政治的にこの中継ぎ論を否定しようとする動きもある。
ただ、現代の価値観や政治的思惑で歴史を見ることは判断を誤る元凶であろう。
第一、天皇の股肱の臣たる関白、太政大臣、左右大臣その他の公卿に、女性が歴史上ただの一人も登用されていないという厳然たる事実にしっかりと目を向けるべきであろう。すなわち、古代から近代に到るまで、女性が就任可能な官職は政治の中枢に存在しなかったし、実績も皆無であったという事実は揺るがない。また、女性天皇にしても、先述の二百年足らずの時期以外は、江戸時代に明正帝、後櫻町帝のわずか二代があるのみ。
これを見るに、やはり、
これを踏まえて、件の二百年足らずの特異な時代を鑑みると、既述のとおり、女性天皇の権威付け、正統性の確保というものはどうしても切実に必要であっただろうし、その一環として、最高神である太陽神を男性から女性にすげ替えるという、神話(当時としては歴史)の書き換えが行われたとしても、不思議ではない。そのような事情に伴い、本来男性の太陽神であった
まあ、何の根拠もない僕の妄想に過ぎないが。
次回は、「エビス」について、考えてみたい。
<了>
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