富岡八幡 ―― おかめとたぬき

 富岡八幡宮に参詣した後の直会について書くと言っておきながら、前回の投稿では、実際の直会の場面はまだ一行も記していなかった。吾ながら随分と呑気なことである。

 今日は、是非とも書かねばなるまい。

 まず、参拝を終えて表参道の階段をくだり、鳥居を抜けたところから始めよう。

 その鳥居を背に、先は公園になっている。公園に這入って右手側に向かうと、やがて車道に突き当たり、その道路を渡った先には、ふなだまりがある。ここは、埋め立てによって陸に囲まれ、池のようになった入江である。

 僕と家人とは、そのふなだまりへと歩いて行った。夏越の祓の折の祇園舟は、この入江から二艘の和船によって沖に運ばれる。それから半年隔てた、現下の寒の時期には、鴨などの水鳥が沢山やってきていて賑やかである。

 周辺にはベンチなども整備されており、もし、天気が好く暖かければ、弁当とワンカップなんぞを買ってきて、鳥たちを眺めながらここで直会の儀を執行してもよいのだが、生憎この日は、鉛のような陰気な空で、風も強く非常に寒かった。どうやら屋内の方が良さそうである。

 ふなだまりの脇には「シーサイドショッピングセンター」があり、郵便局を始め、ドラッグストアやスーパーなどが軒を列ね、中華、和食、ラーメンなどの食堂も揃っている。

 様子を見に行ったところ、どうも蕎麦屋に心惹かれるように思ったが、昼時であり、かなり混んでいた。店の外に並んでいる人も居る。仕方がないので、しばらくはショッピングセンター内をぶらぶら歩きまわって時間をつぶしてから、もうそろそろよかろうかと再び覗いてみたところ、運良く席が空いていた。

 蕎麦屋で直会とは、実に乙なものである。

 江戸時代の風俗に通じ『百日紅』や『二つ枕』などの漫画作品もものされていた、僕の尊敬する故・杉浦日向子女史は、蕎麦にも一家言があり、同好の士が集まって「ソバ好き連」略して「ソ連」を結成なさっていた由であり、『ソバ屋で憩う』という著書もある。僕もこの本に随分感化された口で、蕎麦屋にふらりと立ち寄って、さっと一杯やったら、すっと店を後にするというような振舞いを、大人として、頗る容子の好い嗜みと心得ている。

 また僕自身、一年程前に「おかめ蕎麦」と題するエッセイを書いているので、興味のある方は是非ご覧になっていただきたい。

 さて、直会の場となった蕎麦屋は、屋号を「葉隠」と言う。肥前鍋島藩における武士道の指南書が『葉隠』であるが、当該書物と店名との間にいかなる紐帯があるのかは知らない。また、京急富岡の駅前にも同一屋号の蕎麦屋があり、その店の暖簾も数年前にくぐったことがあるように思うが、このショッピングセンターの店と駅前の店との連関も、距離的には姉妹店かとも思われるが、確かめてはいないので判らない。

 まあ、いずれにせよ、旨い蕎麦と御酒とが頂ければ、僕にとって言うことはない。

 壁に貼られた献立を眺めつつ、まずは品定め。さてさて、どれにしようか。

 いずれも良心的な値段設定がなされており、非常に嬉しい。

 冬場はやはり、かけ系の温かい蕎麦が恋しくなる。となると「おかめ蕎麦」のエッセイにも書いたとおり、どうしても件の蕎麦を選ぶのが僕にとっての定石となる。

 一方、家人に関しては、夏でも冬でも冷やしたぬきがお好みの筈だが、この日は表が随分と寒かったからだろう、珍しくも、温かいたぬき蕎麦を注文していた。

 そして何はなくともお神酒である。

 燗酒を頼むと、ひじきと大豆の煮物が付いてきた。家人に酌をして貰いながら、蕎麦が来るまでちびちびと至福の時間を過ごすわけである。

 家人にしても若い頃は日本酒が好きだったというが、結婚してからは段々とアルコールから遠ざかり、今ではもっぱら僕一人が杯と親しくしている。いささかつまらなくもあるし、酌ばかりして貰っているのは申し訳なくもあるが、仕方がない。

 さて、そのうちに蕎麦が上がってくる。旨そうな出汁の香りが鼻腔に満ちてありがたい。

 おかめ蕎麦と言えば、玉子焼だの筍や椎茸の煮物だの、蕎麦の上に乗っかった具が酒の肴としてこの上ない。

 更に麵を少々手繰ってみる。そうして汁を味わう。何とも言われぬ滋味が口腔に広がる。

 普段は温かい蕎麦をあまり食べない家人も、美味しそうにたぬき蕎麦を啜っている。

 善きかな、善きかな。

 何だか嬉しくなり、調子に乗って、追加で缶ビールまで注文した。

 家人を見遣ると、実に面白そうに笑っている。蕎麦屋を満喫している僕の表情や仕種が、この上もなく愉快そうな容子で、何とも可笑しいらしい。


 そうこうしているうちに、家人がお酌のために傾けるお銚子のお尻が随分と上に持ちあがってきた。ビールの缶も軽くなっている。

 普段であれば、更にもう一杯と行くところであるが、月末の血液検査を考えると、これぐらいで留めておいた方が善かろう。

 神事の流れの儀で、度を越してしまうのはよろしくない。何にしても理性と自制心は大事である。それに彼の杉浦日向子女史も蕎麦屋での長尻を戒めていらっしゃったやに記憶する。そろそろ頃合いであろう。


 かくして、直会の儀は、万事滞りなく挙行され、気持ちよくお開きとなった。

 誠にめでたい。弥栄、弥栄。



                         <了>




エッセイ『おかめ蕎麦』

https://kakuyomu.jp/works/16816700426809476053/episodes/16817330652472746265


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