運慶展 ― 横須賀美術館 その二

 前回に引き続き、横須賀美術館で行われている運慶の特別展。


 この展覧会には、運慶作とされる毘沙門天像や不動明王像、その他、鎌倉時代の仏師の手による彫像などが展示されており、国指定の重要文化財も少なくない。


 その中の一つに、三浦義明坐像があったが、この像は七月いっぱいで展示を終了し、すでに所蔵する寺に戻された後ということで、見ることが出来なかった。展示されていた場所には、実物の代りに写真と説明書きがあり、「お戻りになりました」というふうに、尊敬語を用いて丁寧な表現がなされていたのが印象に残った。


 三浦大介義明は、「鎌倉殿の13人」で佐藤B作さん演じた三浦義澄の、父である。また、三浦義村(山本耕史さん)や和田義盛(横田栄司さん)の祖父でもある。石橋山の合戦で源頼朝が敗れ、頼朝方だった三浦は居城の衣笠城に取って返して籠城する。

 衣笠城の合戦である。

 この城を攻めたのが、畠山重忠(中川大志さん)。畠山は実は義明の孫(血の繋がりについては異説あり)で、後では頼朝の御家人ともなるが、この時は平家方。そこはそれ、状況に応じて敵味方が入れ替わり、血族同士であっても相争う厳しい乱世ゆえ仕方がない。

 武勇に勝れる畠山らの苛烈な攻撃に、三浦方は城を守りあえず、大介義明は息子義澄ほか一族を安房に逃がすと、老身はその後も残って立て籠もり、遂に討ち死にしたとされる。衣笠城址近くの横須賀市大矢部には、腹切松公園があり、最早これまでと判断した義明が、先祖の菩提寺を望む地の、松の下で自害した、その場所と伝わっている。ここには、「三浦大介戰死之處」と書かれた石碑などがある。

「鎌倉殿」のドラマでは、佐藤B作さんの台詞の中にのみ、三浦義明は登場する。また、和田義盛の横田さんが、畠山重忠の中川さんを毛嫌いするシーンがよく描かれているが、このような経緯があれば当然であろう。


 今年の春、僕と家人は、「鎌倉殿」のブームに浮かされて衣笠周辺の三浦の故地を訪ね、先に述べた腹切松公園などを回ってみた。実はその際に、件の三浦義明坐像には、滿昌寺にて偶然にお目に掛っている。

 この像を拝観するには、通常は予約が必要とのことだが、僕達が訪れた日にはたまたま本堂の所に、像の拝観が可能という趣旨の表示が出ていた。これ幸いと、庫裡に回って声を掛けてみたところ、先代のご住職が奧からお見えになって、安置されている宝物殿の鍵は今開いているのでどうぞと仰っていただいた。また、その時に、寺の沿革や、現在も続いている三浦一族の末裔による祭事、「鎌倉殿」にまつわるNHKの番組の撮影が数日前に行われたことなど、色々なお話を詳しく丁寧にお聞かせ下さった。

 そのお話の後、僕と家人は、宝物殿の義明坐像その他、寺宝の数々を、じっくりと二人だけで堪能し、墓所にもお詣りした。

 ご縁とは、こういうものだろうか。非常にありがい巡り合わせであった。

 今回、美術館で三浦義明坐像を再び拝することが叶わなかったのは、いささか残念にも思われたが、これもまたえにしであれば仕方がない。恬淡と受け止めるのみである。


 ただ、一方、嬉しいえにしにも邂逅することができた。

 僕達が衣笠周辺を訪れた際、滿昌寺のほかにも三浦ゆかりの寺を幾つか巡ったが、淸雲寺を訪ねた折、山門の脇の説明書きに、同寺所蔵の毘沙門天立像の写真があった。この像については通常公開されていないようであり、この時も拝観しなかったのだが、特別展においては、幸いにもお目に掛ることが出来た。

 この仏像は、兜と本体が一体構造とはなっておらず、兜を取り外しできる造りの珍しいものであり、先日放送されたBS日テレの「ぶらぶら美術館」では、兜を脱いだお姿も映し出されていた。

 僕達が美術館で実物にお目に掛った際は、どうしたことか、やや横にずれた恰好で兜をかぶっておいでになったので、なるほど、まさに着脱式なるがゆえと妙に感心した。


 その他の展示で、僕達が着目したものの一つは、曹源寺所蔵の十二神將像である。運慶の工房、或いは、運慶の流れをくむ仏師による彫像とされ、いずれも表情が豊かであり、生き生きとした動きで、様々なポーズをとっていらっしゃる。

 また、それぞれが干支に因んでおり、それを示す動物が像の頭部に彫られている。なるほど、これは判りやすい。

 しかし、よく見るとどうもおかしい。

 像の前に置かれたプレートの文字と頭の動物とが一致していないのである。例えば、干支の最初のの像の頭には、羊の顔が乗っている。像の中にはプレートと合っているものもあるが、多くは違っている。

 これは、いけない。

 僕らの他にも気付いた人はいるようで、「違うよね」というような、小さなささやきが、あちこちから聞こえる。

 おおかた美術館の方が展示の際に間違えたものだろう、そのように僕は考えたのだが、全ての像を見終わり、像が並んでいるケースの左側に表示された説明書きをよくよく読んで、ようやく納得した。

 実は、頭の動物は、江戸時代に修復が行われた際、間違って取り付けられたもののようで、プレートの表示が正しいということであった。

 この説明を読む前は、あとで職員の方にそっと「違ってますよ」と伝えに行こうなど、僭越な考えすら去来したのだが、早まったことをせず、つくづく良かったと胸を撫で下ろした。もし、説明書きを見落としたり、よく読みもしなかったら、とんだ赤っ恥をかくところだった。


 その他の展示で、僕の印象に強く残ったのは、淨樂寺の釋迦三尊圖。釋迦如來を中央に、騎象暜賢を向かって左、騎獅文殊を向かって右に配した、オーソドックスな図柄である。

 しかし、経年でお釈迦様の肌の色が随分と黒ずんでいる。普賢様と文殊様の肌は白いのだが、お釈迦様だけ、黒々としている。後光も汚れたように黒くなっている。今でも美しい両菩薩のお姿と並んで、余計にお釈迦様の変色が際立ってしまうのである。

 加えて、施無畏印だか何だかの印を組まれたお手も、指の節々の表現が、まるで莢豌豆さやえんどうのように描かれており、殊に指先が反って尖っているのが、何だか不思議に、目に焼き付く感じである。

 そのお姿は全体として、神々しいというよりは、いささか不気味な印象。はなはだ罰当たりで、恐れ多いことだが、僕は鳥山石燕の画にあるような、塗仏というお化けを思い出してしまった。

 以来、どうしても、この絵のお釈迦様は、妖怪塗仏に見えて仕方がない。それが、申し訳ないことに、妙に面白く、愉快に思われる。このような僕の不信心も、仏様の広い御心みこころでおゆるしいただければ幸いである。


 さて、この特別展、いよいよ明日(九月四日 日曜日)までである。

 興味をお持ちの方は、お急ぎいただきたい。



                         <了>






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