吉田健一と漱石の猫と牧野伯爵
神奈川近代文学館に「吉田健一展」を見に行ってきた。
何でも、生誕百十年を記念するイベントで「文學の
吉田健一と言えば、名宰相・吉田茂の息子であり、母方の血筋は、明治の元勲・大久保利通に到る。
その母方の祖父で、大久保利通の実子である牧野
この牧野伯爵と言えば、夏目漱石の『吾輩は猫である』における登場人物のモデルの一人ではなかっただろうか。
それは、次に引用するシーンである。
成金・金田氏の奥方で、鼻持ちならない振舞いをする鼻子(主人公「吾輩」が付けたあだ名)が、
……「へえ、君の伯父さんてえな誰だい(引用註:苦沙彌の言)」「牧山男爵さ」と迷亭はいよ〳〵眞面目である。主人(引用註:苦沙彌)が何か云はうとして云はぬ先に、鼻子は急に向き直つて迷亭の方を見る。迷亭は大島紬に
―――数段落省略―――
……「その方が男爵でいらつしやるんですか」と細君(引用註:苦沙彌の妻)が不思議さうに尋ねる。「誰がです(引用註:迷亭の言)」「その
おさらいをすると、この引用部の前段で、迷亭は自分の伯父が牧山男爵であると
僕はここで、迷亭が鼻子へのブラフに用いた「牧山男爵」のモデルこそ、牧野伸顯ではなかろうかと近代文学館の展示を見ていて思った。確か、何かでそういう解説を読んだことがある気がしたのである。
ところが、この原稿を書くに際して調べてみると、年代的にそれはありえないことが判明した。牧野は最終的には伯爵まで
更によくよく調べてみたところ、明治時代の華族には、「牧野」の氏を有する人物が吉田健一の祖父以外にも五名ほど存在することが判った。田邊藩、長岡藩、小諸藩など、いずれの牧野氏も元藩主か、その子息である。
もしかしたら、『吾輩は猫である』の「牧山男爵」は、これら大名華族の誰かをモデルにしたものかも知れず、僕がかつて読んだ気がする解説にもそのように書かれていたのかも知れないが、今となっては、忘却の彼方で確かめることができない。
「吉田健一展」に関しては、まだまだ色々と書きたいことがあるが、今日はこの辺でいったんお仕舞にして置こう。
はなはだ竜頭蛇尾の感があるが、後日気が向いたら続きをご披露することとしたい。
<了>
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