記元節
「記元節」
この表題の文字を見てはっと漱石を思い出した人もあろう。
その人は
明治四十二年の一月から三月にかけて朝日新聞に連載された夏目漱石の『永日小品』という
これを読んだのが何時だったか。恐らく高校か大学の頃だろうが、僕は今まで「記元節」という書き方もあるのだ位に漠然と思っていた。「紀」にも「記」にも「しるす」という意味があり、「紀元」とは、元年とか始まりの元を記すことなので「記元節」と書く例もあるのだろう、その程度に考えていた。
しかし、今回この原稿を書く上で、辞書やweb検索に当たってみたのだが、「記元節」という言葉は、漱石のこの作品関連のものしか見つけることができなかった。したがって、件の先生の言が真実なのかどうかは分からない。
もとより漱石もその真偽については何も語っておらず、子供だった自身の行為を「下等な心持がしてならない」「あれが爺むさい福田先生でなくつて、みんなの怖がつてゐた校長先生であればよかつたと思はない事はない」と評して締めくくっている。
思うに、その「下等な心持」というのは、子供の頃の自分のみを嫌厭しているのではあるまい。大人になった漱石自身、今その小品を書いている漱石自身に、子供の頃の己の厭な部分――衒学、自己顕示、強きに怯え弱きに乗じる心性など――が今に至るまで連綿と命脈を保っていることを思い、嫌気が差したのではなかろうか。
そうした醜悪な自分というのは、普段は理性のみならず、共感や同情といった良性の情緒によっても抑え込まれている。しかし、何かあるとすぐに悪性のものがむっくりと頭を持ち上げるものである。――慢心した時、或いは逆に、余裕がなく切羽詰まった時など。
頭を上げるのが己の肚の中だけであればまだよいのだが、時には他者に対する言葉や行為として表に出てくることもある。そんな自身の言動を、後になって、その時とは全く別の心境となっている自身が厭悪し、愧じるのである。
僕も実に思い当たる。衒学、自己顕示、強きに怯え弱きに乗じる心性、その他の煩悩――
ところで、僕はその爺むさい福田先生のことが気の毒でならず、ずっと気になっているのだが、僕の知る限り漱石のその他の作品で見かけた事はない。恐らく、実在の人物なのであろうが、どのような人生を送られたのだろうか。
そうした記録にも記憶にも残らぬ人というのが、人間の大半なのである。
誰しもが親は二人、祖父母は四人、曾祖父母は八人、要するに、n代前の先祖の人数は二のn乗(2^n)となる。また、n代前までの先祖の人数の総計は(2^2-1)×2の計算式で表される。
これで計算すると、十代
いや、もしかすると、将来的には、ビッグデータとして記録が残って行くのかも知れない。それはそれで怖ろしい気がする。
さて、今年は紀元二千六百八十二年。この元初まで遡ると、一体ご先祖様がどれほど増えるのか気が遠くなる。
いずれにしても、今から二千六百八十一年前の今日、
何となれば、右記のご先祖様の人数から類推するに、僕のご先祖様のどなたかは、一系の聖上とされる方々の血筋に繋がっているに違いないからである。
それは、僕だけではなく、先祖の中に日本人が一人でもいる人には、誰でも当てはまるのではないだろうか。
僕らの遺伝子の中には、福田先生はもとより、土蜘蛛や長髄彥に繋がるものも、きっとあるに相違ない。
<了>
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