EP.38 イングリッシュ・ローズ

 ロキシーこと、ロクサーヌ・ヴィクトリア・グラストンベリーはイングランドの貴族階級の家に長女として生を受けた。

 小さな頃から両親を困らせるほどの理屈屋で、小柄で可愛らしい容姿とは対照的に女性的なもの、女性らしさだとかいったものには一切関心を示さなかった。

 代わりに彼女が興味を抱いたのは、戦車や戦闘機、戦艦といった大きな力を持つものだった。図鑑やテレビ、軍の施設の近くでそれらを見る度、彼女は興奮した。いかなるものも寄せ付けない強大な力に夢中になった。

 そんなお世辞にも普通とは言えない変わり者の女の子が、同年代の子供たちと、ましてや女の子と仲良くなるはずもなく、彼女はいつも孤独の中にいた。

 勿論両親や周囲の大人たちは彼女の行く末を心配したが、当の彼女にとってはそんなこと取るに足らない問題であった。同年代の友人と遊ぶよりも、退役軍人であった祖父の話を聞いている方が数倍楽しかったのだ。



 とは言え、単なる少女であったロクサーヌを満足させるような力など、現実には手に入るはずもない。そんな時彼女が出会ったのが【TSO】だった。

 今までの自分が知っていたどんな兵器とも異なるリアルなロボット同士の戦闘に彼女は惹かれた。機体のカスタムやテクニック次第で、強大な力を得られることに彼女は興奮を覚えたんだ。

 大きな力で無双できるゲームなんていくらでもあるかもしれない。ただ、幼い頃から戦車や戦闘機といった強大な鉄の力に夢中であった彼女には、金属の巨人であるTSに何か親和性を感じたのだろう。集団行動が苦手だった彼女にとって、やり方によっては一人で極められるというのも魅力的であった。



 後に『鋼鉄の処女』と呼ばれることとなる彼女も、最初から強かったわけではない。強大な力に憧れた彼女は、一般的なTSよりも大きい重TSを好んで使った。パワーこそあるものの機動性に劣り、敵の的になり易い機体での戦いは容易ではなかった。散々手痛い敗戦を味わい、質の悪いギルドからはカモにされることもあった。それでも彼女は一人で戦うことを諦めず、ギルド加入の誘いも全て断ったのだ。

 やがて彼女は周囲から変わり者と見られるようになるが、それでもパイロットとしては極めて非凡な才能を持っていた。それだけではない。メカニックとしての造詣も深く、一人で戦うことを突き詰めて寝る間を惜しんでTSをカスタムし続けた。

 第三者から見れば、敢えて茨の道を歩んでいるように見えたかもしれない。それでも彼女は楽しかった。彼女にとっては、ただ己の好奇心を探求しているだけのことだったからだ。

 【TSO】を生んだロボット大国日本にも興味を持ち、日本文化や剣術などを独学で学んだりもした。それがやがて、エーデルワイスの剣術スキルの高さに繋がることとなったわけだ。



 ――一人で戦うということ。それには、誰も手出しのできない大きな力が必要だった。屈強な男たちも震えあがるような大きな力が……。



 そしてロキシーの行き着いた答えが、攻防一体の花びらを持つ重TS、エーデルワイスであった。

 度重なる戦闘と改良を繰り返し、単体でのプレーながらどんどんランクを上げていくロキシー。いつしかただの変わり者であった少女は、周囲から一目も二目もおかれるSランクのブリキ乗りとなっていた。

 一対一での決闘は勿論のこと、同時に複数機を相手にすることも、ロキシーは全く苦にしなくなっていた。その比類なき強さ、猟奇的とも言える戦闘スタイル、そして群れることを嫌う孤高の存在は、全てのブリキ乗りたちに畏怖の念を抱かせる。世界に七体しかいないSS級TSに認定されるには、最早十分過ぎる実力だった。そして仕上げは、世界中のTSギルドを震え上がらせた英国屈指の巨大TSギルド五十機の単独撃破だ。

 彼女の夢は叶った。彼女はこのブリキの巨人の世界で、最強に近い強大な力と名誉を手に入れたんだ。彼女は満足であった。そして退屈であった。少なくとも英国にはもう彼女の敵はいなかったんだ。世界に目を向ければ、まだ見ぬSS級TSの猛者たちが確かにいた。しかし、もう好き好んで彼女と戦おうとするブリキ乗りはいなかった。ほとんどのSS級TSは大ギルドのマスターであり、ギルドを背負ったSS級のブリキ乗りたちは、ギルドの名誉と勢力均衡を保つためにSS級同士の戦闘を避けたのだ。

 それから『鋼鉄の処女』が姿を現す機会はめっきり減った。それでも彼女の残した伝説は色褪せることなく、むしろそのミステリアスな存在は今も輝きを増し続けている。



 ――私のようになりたかったと言っていたな、タタラ……」



 飛燕の圧倒的な一撃を喰らったエーデルワイスは、攻防一体の花びらを全て失い、ボロボロになりながらも大剣を引きずるようにしてこちらへ向かってゆっくりと進み始めた。



 ――有象無象のひしめくこの世界で、孤高であり続けること……それには誰よりも強い大きな力が必要だ。そしてもう一つ、強くある為には常に強い好敵手が必要だ。お前たちのようにな!!」

 「もうやめろ、ロキシー! 君は一人でよく戦った!! このまま続ければ、今度こそ死ぬぞ!!」

 「無駄だよ、タタラ。あいつの気迫はまだ死んでない! 躊躇えば、こっちがやられるよ!」

 ――もう勝ったつもりか? 私をこんなに夢中にさせておいて酷いじゃないか! タタラ……私も君と同じだよ。強敵と戦って倒れるのであれば、それも本望だ!! 行くぞ!!!」



 黄昏色の空を背負い、最後の力を振り絞って突撃してくるエーデルワイス。もうこの戦いは、どちらかが力尽きるまで決して終わることがないと思われた。

 僕も飛燕もロキシーのその姿には、最早敵味方の境界を越えて好意すら抱いている。だけど僕らも絶対に負けるわけにはいかない。僕らの拳と彼女の剣……ついに決着の時だった。

 僅か数十メートルに迫ったファイタージークとエーデルワイスの間に、楔を打ち込むように砲弾が着弾をした。僕らは慌てて着弾地点から距離をとり、真剣勝負に水を差されたことにロキシーは激昂する。



 ――誰だ!!? この勝負を邪魔する者は、味方であれ容赦はしないぞ!!」

 「クソ! 敵の新手か!?」



 本来は戦闘禁止区域の為、僕らは敵の接近に気付かなかった。だが、僕らはそいつが誰であったのかをすぐに知ることとなる。

 ヴェスパを中心とする漆黒にカラーリングされた数十機のTS集団、そしてその中心にいたのは、ジェット戦闘機のような流線型で前衛的なフォルムの黒いTSだった。


 

 ――よー、久しいな『鋼鉄の処女』……ずいぶん楽しそうなことしてんじゃねーか! 俺たちも混ぜてくれよ」

 ――ほう、懐かしい機体だ。グラスゴーの狼どもが一体何の用かな? 現在緊急時につき自警団を通じ、相互不可侵協定を結んでいたはずだが?」

 ――貴族階級のお姫さんは、本当におめでたいねー。そんな口約束、誰がクソ真面目に守るって言うんだよ?」



 ずいぶんと荒々しいDOQな雰囲気の男が通信に入って来た。ロキシーは顔馴染みのようだが、とても仲の良い友人の再会といった感じではなかった。

 僕は突然現れたあいつらと、通信に割り込んできた声の主に戦慄する。それと同時に、数年前に世界を騒がせたあの事件を思い出していた。 



 「“グラスゴーの狼”って、じゃあ、あの隊長機が……!?」

 「タタラ……あいつら一体何者なの?」

 「スコットランドを拠点にする悪名高いTSギルド、『モーターウルフ』だ。そしてギルドマスターのジェレミーは、英国でもう一機のSSランクTS『マッドゲイザー』のパイロット……狂犬と呼ばれた男だ」 

 


 おいおい、冗談じゃない。『鋼鉄の処女』一機だけでも、こっちはこんなに苦労してんだ。その上、『モーターウルフ』とかもう馬鹿じゃないのか?

 だが、話はそう単純なわけじゃなさそうだ。英国に二体だけしか存在しないSSランクTS同士には、並々ならぬ因縁があったんだ。



 ――こっちはよー、一度ギルドを潰されてから、てめーを地面に這いつくばらせる日が来るのをずっと待ってたんだよ。SS級と呼ばれるようにまでなってな!」

 ――相変わらずのようだな。だが今は貴様の相手をしてる暇はない。テロリストが逮捕され、パンデミックが終わればいくらでも相手をしてやる。それまで待っていろ!!」



 ロキシーがそう窘めると、ジェレミーは抑えていたものを開放するように下卑た大笑いをする。ロキシーは眉をひそめた。



 ――冗談を言ったつもりはないが、狂犬の貴様にはそう聞えたのかな?」

 ――……へへっ!! まだ気付いてねーのかよ? 【MSPO】の奴らが感染毒を広めてるってほら話をよー?」

 ――聞き捨てならんな? 貴様、何か今回のパンデミックの件に関わっているのか?」

 ――さーてね、てめーにそんな心配している余裕はあるのかな? 自警団の本部はお前が留守の間に、別動隊が押さえに向かった。これでイングランドは俺たちのもんだ!」

 ――……!?」



 どうやら、奴らの狙いはロキシーのようだ。僕らにとっては、これはある意味チャンスなのかもしれない。しかしこのやり取りを聞いていて、僕も飛燕もとてもそんな風には思えなかった。

 僕らと雌雄を決しようとしていたロキシーは、溜息を吐くと覚悟を決めたように踵を返した。



 ――やれやれ……どうやら我々は乗せられていたようだ。悪いがタタラ、この勝負預けさせてもらう」

 「ロキシー、お前、まさか一人であいつらと戦うつもりなのか!? そんな状態で無茶だ!」

 ――タタラ……まだ私のようになりたいと思っているのなら、覚悟しておくことだ。私は孤高である為、己の力を示す為、様々な相手と戦い捻じ伏せてきた。私を恨む者、妬む者も数多い。孤高とは、そんな者共にただ一人で対峙し、戦い続けることだ!!」



 エーデルワイスは大剣クレイモアの剣先をマッドゲイザーに向けると、スラスターをフルスロットルにして斬りこんで行く。

 僕は悔しくてならなかった。自分は助かるかもしれない。だけどあの『鋼鉄の処女』を……ロキシーをみすみすあんな奴なんかにやらせたくなんてなかった。



 ――タタラ、急げ! あいつは無関係の者だろうと、誰だって牙を剥く狂犬だ。仲間と日本に行くのだろう!?」

 「待ってくれ、ロキシー!! お前も一緒に逃げるんだ!!」

 ――すまんな、タタラ。だが余計なお世話だ。これは私怨……私の戦いだ。こんな出会いでなければ、君とはいい友人になれたと思うよ。また会おう!!!!」



 エーデルワイスが進む先からは、凄まじい砲撃が降り注いでくる。既にエーデルワイスの絶対防御は崩壊し、本来の力の半分も出すことはできないだろう。それでも一歩も引かない彼女に、ジェレミーは狂ったように歓喜する。



 ――嬉しいじゃねーか!!! 万が一お前に逃げられでもしたら、どうしようかと思ったぜ!!」

 ――舐めるな!! 私はロキシー……ロクサーヌ・ヴィクトリア・グラストンベリー!! 逃げも隠れもしない!!!!!」



 ロキシーは砲撃の嵐の中を、ジグザグに軌道修正しながら敵のど真ん中に突っ込んで行く。最低限の被弾を受けながらも、エーデルワイスは鬼気迫る勢いで漆黒のTSたちを次々に薙ぎ払った。

 そんな彼女を心配そうに見つめる僕に、飛燕は溜息を吐きながら言った。



 「タタラ、あいつを助けたいんでしょ? だったら私も一緒に戦うよ」

 「そ、そんなこと! お前だってロキシーとの戦いで相当疲弊しているはずだ。今度こそやられるぞ!!」

 「私はあんたを連れ帰るまで絶対に死なないよ!」



 何だかんだ言っても、僕と飛燕の意志は一つだった。しかし僕らが駆け出そうとする頃には、既にエーデルワイスは脚部に相当の被弾を受け、地面に手を付いていたんだ。ジェレミーが不敵に笑う。



 ――ようやくこの時が来たぜ。お前を地面に這いつくばらせられるこの時がよー」

 「ろ、ロキシー!!!!」



 コックピットには既にマッドゲイザーのライフルが向けられていた。飛燕と言えども、もう間に合わない。僕が決して見たくなかった『鋼鉄の処女』の最後が、いよいよ目の前に迫っていた。



 ――くっ……ここまでか。さっさとやるがいい!!!」

 ――ああん? 簡単には殺さねーよ!! 長年の怨みだ、たっぷりおもちゃにして、嬲り殺してやるよー!!」

 


 ――一人で戦うということ。それには、誰も手出しのできない大きな力が必要だった。

 『光栄ある孤立』などと言えば聞こえはいいが、彼女の言う通り、孤高であり続けるには大きな代償が必要だった。全てのものにただ一人で対峙し、戦い続けること……。彼女はその先にあるこんな終わり方を、もしかしたら予期していたのかもしれない。

 一人でありたかった者への運命の悪戯。良くも悪くも、僕はそれに全てを狂わされてしまった。偶然でも必然でもいい、願わくば彼女にも、『鋼鉄の処女』にもそんな運命の悪戯を。



 ――なんだ、砲撃か!? どこのどいつだ!!」



 死角からのいきなりの砲撃を受け、マッドゲイザーのライフルが爆発する。驚いたジェレミーが後退すると、激しい砲撃と共に銃剣を構えたスカイブルーのヴェスパたちが怒涛の勢いで突撃してくる。

 スタイリッシュな青一色のTSに率いられたそのTS部隊は、見事な統率でエーデルワイスを取り囲んでいた『モーターウルフ』を蹴散らしてみせた。

 あいつを、あの青い機体を忘れるわけがない。彼らは傷ついたエーデルワイスを今度は守るように取り囲み、後退した『モーターウルフ』へ銃を向ける。


 

 「あ、あれはランブレッタ? クワイエットプリーストか!?」

 ――ジョン・ウォーカーか……。自警団にも参加していないお前が何の用だ? 私の戦いに手を出さないでもらおう!」

 ――フン……相変わらず、可愛げのない女だ。俺たちとてお前には手痛い思いをさせられた身、色々と思うところはある。だがな……」



 既に傷だらけであったエーデルワイスの純白の機体は、燃え上がるような夕焼け色に染まり、この運命の悪戯を不思議そうに見上げているようだった。

 


 ――『鋼鉄の処女』は俺たちの……イングランドの誇りだ。あんな薄汚い犬どもに、簡単に負けられては困る」



 それは全くもって彼女の望んだことではなかった。ロキシーの信条と相反するように、損傷しているエーデルワイスを取り囲んだクワイエットプリースト。ランブレッタは颯爽とマッドゲイザーを指さし、宣戦を布告する。



 ――そこまでだ、グラスゴーの野良犬ども! 貴様らなどに『鋼鉄の処女』はやらせん!」

 ――ああん? 誰かと思えば、SSランクの成り損ないのジョン・ウォーカー君じゃねーか! てめーごときがでしゃばっても、無駄死にするだけだぜー?」



 せせら笑うようにジェレミーが答える。そうだ、数こそ対等になったとは言え、相手はほとんど無傷のSSランクだ。如何にジョン・ウォーカーでも、勝ち目がないのは明らかだった。



 ――下がれ、ジョン・ウォーカー! お前らと心中など真平御免だ!」



 この後に及んでもロキシーはこの助太刀を拒絶している。しかし、それも想定内といった感じのジョン・ウォーカーは微動だにしない。

 すると、突然『モーターウルフ』の後方で大きな爆発音がする。突然の攻撃にジェレミーはがなりたて、ジョン・ウォーカーが不敵に言い放つ。



 ――後方から攻撃だと!? まだ新手がいやがるってゆーのか?」

 ――残念だが、確かに我々だけで“狂犬”は退治しかねるだろう。だがな……」



 先程爆発音があった方向より激しい砲撃が始まり、地平の彼方より無数のTSが姿を現した。あれは一つのギルド部隊じゃない。機体からカラーリングまで多種多様なTSの混成部隊だ。その機体数は、数十……いや、軽く数百に上った。



 「あ、あれは……『レインボー』に『デス・パレード』、『レッドスネイク』……みんな英国の名立たるSランクTSばかりじゃないか!?」



 最早英国中の有名なTSの見本市だった。圧巻の光景に流石のロキシーも困惑を隠せず、ジョン・ウォーカーに訝し気に聞いた。



 ――ジョン・ウォーカー、あれもお前の手回しなのか? よくもあんなに集めたものだ……」

 ――勘違いしてもらっては困るな。確かに情報は流したが、一癖も二癖もあるブリキ乗りばかりだ。あんな自分勝手な連中をまとめることなどできない。皆貴様の為に集まったんだよ……」

 ――意味が分からない……。皆過去に私に敗れた者ばかりだ。狂犬ジェレミーのように私を怨みこそすれ、助ける義理などないはずだ!」

 ――だからだよ。奴らにとっても、貴様は……『鋼鉄の処女』は自分たちの誇りなのだ」



 英国屈指のTSたちが、次々に展開して『モーターウルフ』を取り囲んで行く。様々な声が入り乱れた通信はとても聞き取れたものじゃなかったが、皆一様に『鋼鉄の処女』への思いに満ちていた。



 ――なんとしても『鋼鉄の処女』を……エーデルワイスを死守する!!」

 ――絶対に『鋼鉄の処女』はやらせない!!」

 ――負けるなー!!!」

 ――『鋼鉄の処女』を倒すのは俺だ! あんな奴なんぞにやらせない!!」

 ――卑劣な犬どもを一匹も逃がすな!」

 ――あんたはこんなところで負けちゃダメなんだよ!!!」

 ――『鋼鉄の処女』に貸しを作るチャンスだぜ!」

 ――女王様は黙って見てな!」



 それは偶然なんかじゃない。全て彼女が築きあげてきたものだった。彼女がこだわり続けた孤高は……『鋼鉄の処女』は最早彼女一人のものではなかったんだ。

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