EP.29 空木 恵那
招かねざる訪問者であった【MSPO】のクロベとシェリルだったが、引き換えに有益な情報ももたらしてくれた。
僕らが日本へ渡航する為、ポーツマス海軍基地に向かおうとしていることを伝えたところ、クロベは【AOO】経験者だと言う。試しに【AOO】の知り合いに通信をしてみたところ、現在ポーツマス海軍基地に日本船籍の友人が停泊しているとのことだった。
クロベは早速現在の英国の危機的状況を伝え、日本への渡航を交渉してみる。
「――というわけで、何としても日本へ向かいたいんだ。協力してくれないか?」
――お前の話は分かった。俺たちも今の英国の状況を危惧していたんだ。いずれにしろ、英国を離れるつもりではあった」
「じゃあ、お願いできるんだな!?」
――ああ、ただし自警団側が【AOO】管轄の海軍基地に、パンデミックが原因で渡航禁止要求をしてきている。【AOO】側も海の自由を守る為、要求を突っぱねているが、状況は逼迫している。こちらへ来るなら急いでくれ」
やはりパンデミックは、あらゆる方面に大きな影響を与えているようだ。このままここで立ち往生していたら、軍港も閉鎖されていよいよ手詰まりになってしまう。
先日知り合った自警団の隊長、ロキシーに相談してみてはどうかという意見も出た。だが僕らが逃亡者を匿っていることと、立場上彼女を困らせるだけだという結論に至り、一旦見送りになる。
夜も更けて、結論が出ないままその日の議論は棚上げとなり、次の日へと持ち越された。
とても静かな夜だった。戒厳令が敷かれているせいで人の行き来はなく、ハイドパーク内は神秘的なんて言葉が思いつくほど静寂の中になった。
僕らVRMMOゲーマーだって、夜になったら寝るようにしている。そう言う目安がないと、ゲーム内では体内時計が狂っちゃうからね。リアルに戻れない今は特にそうだ。
警戒の為、いつも僕はジークのコックピットで寝るようにしていた。後ろの席では、最近僕をSP代わりにしてくれているミズキが、気持ち良さそうに涎を垂らしている。
「ZZZ……SPなんだから……死んでも私を……守りなさい……ZZZ……」
「寝てる時くらい休ませろよ。ブラックアイドルめ……」
ミズキが一緒にいるせいで、僕の安眠は確実に妨げられていた。昼間色々あったから、特にこの日は不安で寝付けなかった。
「ちょこっと、夜風にでもあたってくるか」
僕はジークを降りて、夜の静寂とした湖畔をあてもなく歩き始めた。緊迫した状況ではあったが、最近は一人になれる時間も少なかったので、一人きりでこの静けさの中にいるのがとても心地よかった。
五分くらい歩き、流石に遠くに行き過ぎるのは危険だと思って戻ろうとする。
「なんだ? ……誰かいるのか?」
湖畔にかかる桟橋に人影が見えた。どうやら女性のようだ。もっと早く分かりそうなものだったけど、いつもとは違った雰囲気に気付くのが少し遅れてしまった。
「あれ……エナさん……?」
いつも何があっても暗い顔は見せないエナさんであったが、今夜ばかりは遠目にも憂いを帯びているように見えた。これは声を掛けていいものなのか?
「……!? そこにいるの、タタラ君?」
「いや……あの……ちょっと通りかかっただけで……」
「調度いいや、眠れなかったの。良かったら、こっちへ来なよ!」
ちょっと異様な雰囲気に若干抵抗はあった。だけど、特に断れる理由もない。とりあえず、エナさんから呼ばれるがまま僕は桟橋へと進んだ。
エナさんは桟橋の先に立ってこちらを見ていた。その涼し気で端正な横顔を月明りが照らし、ただでさえ美しい彼女がより妖艶に見える。
イングランドには、アーサー王が湖の女神から聖剣貰ったなんて言い伝えがあるけど、彼女を湖の女神って言っても名前負けしない気さえするよ。まあ、イングランドの女神にしては顔立ちが和風過ぎる気もするけどね。
「どうしたんです? そんな浮かない顔して?」
「タタラ君こそどうしたの? まさか、お姉さんを慰めにでも来てくれたのかな?」
僕が質問を投げかけると、エナさんはいつもの調子でお道化て見せる。やれやれ、これはどう接したらいいものか。下手をすれば、変な地雷を踏みかねないぞ。
「茶化さないで下さいよ……本当に眠れなくて、夜風にあたっていただけです」
「なーんだ、残念。ちょっとお姉さん期待しちゃったよ」
「また揶揄って……。見た感じ元気なさそうだったから、ちょっと気になってました。元気そうでなによりみたいですね……」
エナさんは心なしか、無理矢理明るく見せている気がした。それがまた強がっているみたいで、不自然に感じられる。僕はあえて件の話に触れる。
「別にあなたの過去なんて詮索しようとは思ってませんよ。誰にだって言いたくもない過去の一つや二つあるってもんでしょ?」
「ああ、やっぱりそのことね。別に隠すつもりはないんだよ。あの時の私がいたから、今の私がいるわけなんだし……」
あんまり他人のことには関心のない僕だったが、曲りなりにも死線を一緒に潜り抜けてきた人だ。自分でも不思議なくらい無関心ではいられなかった。
僕らは桟橋の先で横に並んで、二人で湖の対岸を見つめていた。水面に映った月が穏やかに揺れ、エナさんは儚げに微笑する。
これは僕が知ってる女剣士エナではなく、空木 恵那という一人の女性の話だ。
「私ね……昔は凄く嫌な奴だったんだ――」
空木 恵那は地方都市の剣術道場の長女として生まれた。幼い頃より文武両道、容姿端麗だった彼女は、厳格な両親の元英才教育を受けて育った。負けず嫌いで、喧嘩で男の子を負かしてしまうような女の子だったらしい。
高校生になる頃には、地元の名門高校で剣道部主将としてインターハイに出場するなど、輝かしい成績を残す。しかし、試合中の腕の怪我が原因で、彼女の選手生命は突然絶たれてしまう。
一生剣を握れないような怪我ではなかったが、それまでの人生の大半を剣道に費やしてきた彼女にとっては、人生を揺るがすような大きな挫折であった。
そこで手持無沙汰になってしまった彼女を夢中にしたのが、当時サービスが開始されたばかりの【MSPO】だった。その仮想世界では、怪我をしている彼女であっても自由自在に剣を振ることができた。歓喜した彼女は、夢半ばで絶たれてしまったインターハイ優勝という目標をその舞台で実現しようと思ったんだ。
女剣士エナとなった空木 恵那は、当時実力派だったプレイヤーたちとギルド『石薔薇の血盟団』を結成し、イベントの攻略数、ボスの討伐数、対ギルド戦での勝利数などあらゆる分野で前人未到の記録を打ち立て、【MSPO】黎明期の伝説となった。
エナさん自身もその圧倒的な戦闘力から“真紅の鬼神”と呼ばれ、他の多くのプレイヤーから憧憬と畏怖を抱かれていた。正に順風満帆、彼女は【MSPO】で天下を取り、絶頂にいるかと思われた。
「でもね……私負けず嫌いだったから、もうこれ以上走れないってくらい、ギルドのみんなを走らせちゃったの――」
最強が故の代償。当然ギルドへの入団者は数多くいたが、エナさんの方針について行けず、退団する者が跡を絶たなかった。他の既存ギルドメンバーもエナさんのやり方に意見をするが、負けず嫌いで完璧主義者の彼女は絶対に譲らない。彼女の独善的なやり方に対する反感は、いつしか既存のギルドメンバーと彼女の間にも、埋めることのできない大きな軋轢を生み出していた。
「そしたらさ、私ハブられちゃったみたいなの……かっこ悪いよね」
それはある日突然起こった。ギルドの命運をかけた高難易度のダンジョン攻略時、ダンジョン主との戦いを前に全てのギルドメンバーが、示し合わせたかのように戦闘をボイコットして消え去ったのだ。
エナさんが気付いた時にはもう遅かった。彼女は絶望と焦燥の中、一人きりで必死にダンジョン主と戦うが、ついに力尽きてしまった。この出来事は大きな話題となり、間もなく『石薔薇の血盟団』は解散した。
全て無駄だった。他のメンバーたちから見放され、自分の全てを注いだギルドも解散。圧倒的な喪失感の中、エナさんが【MSPO】をやめるのは時間の問題だった。
そんなある日のことだった。彼女は街角でへたり込んでいる冴えない少女と出会った。最初は酷いコミュ症で会話にもならず、話ができたと思ったら、片手では数えられないほどのギルドを干されたと打ち明けてきたんだ。
エナさんは呆気に取られてしまう。その女の子は、かつて自分が見下していた取るに足らない人間そのものだった。しかし、何をやらせても人並みにできないそのどんくさい女の子は、どんなに救いようのない境遇であろうと、決して諦めていなかった。
彼女がそれでも【MSPO】を続ける理由を聞いたところ、「誰かの役に立ちたい」、「誰かと一緒にいたい」、「誰かと一緒に笑いたい」……ただそれだけだった。
「考えてみたらさ……私は自分が強くなることと、自分が一番になることばかり考えてて、ギルドの仲間たちが何を思っているかなんて、考えたこともなかったの……」
彼女がそう気づいた時、いくらギルドを干されても直向きに頑張っているその女の子が、愛おしくてしょうがなかった。「この子と一緒にいたい」、「この子を笑顔にさせたい」、「この子ともう一度頑張りたい」……。彼女は初めて他者の為に行動したいと思った。
結局エナさんは、レベルの低いその子に合わせる為、これまで培ってきた自身のジョブを一新させ、その子とギルドを作ることを選んだ。勿論、それで生まれたのが『ハッピーファウンドグローリー』ってわけだ。
「ヒカリちゃんはね、いつも私に助けられたって言ってくれるけど、本当はね……私があの子に助けられたんだよ……」
薄暗くてあまりよく見えなかったけど、あの時エナさんの涼しげな目元には、薄っすらと涙が浮かんでいた。あのコミュ症ポンコツ少女が、エナさんみたいな人の人生観を変えちゃうんだから、全くもって世の中っていうのは不思議なものだ。
冗談みたいな名前のギルドだけど、僕が思ってる以上に固い絆で結ばれているんだな。とりあえず今言えるのは、僕が出会ったのが、かつての鬼みたいにおっかないエナさんじゃなくて本当に良かったってことだ。
「タタラ君は、やっぱり今でも一人でいた方がいいと思う?」
「そうですね……エナさんたちと一緒にいたから何とかなってるのも事実だし、あなたがギルドを大切にしてる気持ちも分かります。だけど、個人的にはみんなで傷を舐め合ってるみたいで、僕はそういうの好きじゃないです」
「それはタタラ君の考え方だから、否定はしないよ。でもね……君は人間嫌いだけど、本当は誰よりも人から愛されたいと願っているはずだよ」
エナさんの口ぶりが変わった。流石に傷の舐め合いは言い過ぎだったかな。それにしても、自分が過去のトラウマを洗いざらい話したから、今度は僕の過去でも話せってか? いきなり僕の心にズカズカ踏み込んでくるエナさんに、僕も少々苛立ちを感じていた。
「よく分かりませんが、僕を悲劇の主人公に仕立て上げようとしても、何にも出てきやしませんよ?」
「私には分かるよ。君と二回も一つになったんだから。君は酷くへそ曲がりな皮肉屋だけど、本当は凄く優しい男の子なんだって。タタラ君……だからみんな君のことが好きなんだよ!」
この誤解を招きかねない言葉で、彼女の言っていることがただの推測なわけでも、ましてや僕を揶揄う為のデタラメなどでもないことが分かった。彼女は僕の心を覗いていたんだ。あのモードチェンジにはこんな落とし穴があったなんてね。
勿論、エナさんは僕の深層心理を徹頭徹尾全て把握してたわけじゃない。僕と彼女の意識接続の際、意思の断片をお互いに拾ってしまうんだ。おそらく僕がそれを意識してなかったのは、エナさんにしろヤドカリちゃんにしろ、目の前の行動に嘘がなかったからだと思う。
いやいや、それにしても言われてる僕自身だって、そんな恥ずかしいことを深層心理に持っているなんて考えたくもない。本当に調子狂っちゃうよ。
「例えそうだとしても、僕はあなたたちとは違います。魔が差してそんなことを考えることもあるかもしれませんが、基本的にこのままの人間なんです。買い被り過ぎです」
「強情だね……君は。まるで昔の誰かを見てるみたい……!? ……タタラ君、何か来る!!」
正直エナさんと話しているのが苦痛になってきていたから、思わぬ助け舟かと思った。しかし、僕のそんな甘い考えとは裏腹に、本当の招かねざるお客さんが来てしまったんだ。
湖の対岸でライトが光り、TSらしき機影が数機周囲を探索しているよだ。先頭の一機が周囲に聞えるように声明を流した。
――我々は自警団所属のTSである。公園内にテロリストが逃げ込んだ可能性がある。園内にいるプレイヤーへ早急の捜査協力を要請する。代表者は出頭されたし」
ハイドパーク内に入って来たのは、確認できるだけでヴェスパ五機。言わんこっちゃない。クロベとシェリルの追っ手だった。
エナさんは戸惑いながらも、すぐに冷静さを取り戻して僕に指示を出す。
「タタラ君、すぐにみんなに知らせて! 二人には絶対に出てきちゃダメだって! 私が時間を稼ぐから!」
「わ、分かりました。大丈夫ですか、エナさんは?」
「大丈夫だよ! ボロを出さなきゃ、簡単にはばれないはずだから!」
僕はエナさんと別れて、ジークがあった場所に走り出した。付近の小さな小屋ではミズキ以外の仲間たちも休んでいる。とにかく早く知らせなきゃ。
皆の元へ急ぎながらも、僕はどこかこの状況を軽視していたのかもしれない。たまたまファンタジーゲームの連中と一緒にいた僕は、気付いていなかったんだ。
パンデミックという目に見えない恐怖に支配された人間の狂気を……自らの正義の為ならどんな手段でも正当化してしまう人間の傲慢さを。
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