EP.28 パンデミック

 エナさんとミズキに酷い目に合わされた後、僕は逃げるようにハイドパーク内の林の中へと入った。

 結果は散々だったけど、今日は頑張り過ぎていい加減疲れたよ。少しくらい一人で休んでも、ばちは当たらないよな。

 僕が木陰に座って項垂れていると、近くの草むらでガサガサと何かが物音を立てていた。



 「なんだ! もしかしてモンスターか?」



 無防備であった僕に一瞬緊張が走る。だがそいつが出てくると、取り越し苦労だったことに胸を撫で下ろした。

 草むらから出てきたのは、少し変わった羽と尻尾を持ったヒヨコちゃんだったんだ。その愛らしい姿に、荒んでいた僕の心が癒されるってもんだ。



 「おい、ちび、こっち来いよ」



 僕が手招きすると、そのヒヨコちゃんは警戒する様子もなく僕の元へと寄ってきた。ずいぶん人なれしているようだ。餌付けでもされているのかな?

 僕がそいつの顔を人差し指で撫でまわすと、とても気持ち良さそうにしていた。モンスターなんて言っても、可愛い奴もいるんじゃないか。



 「はあー、そろそろ行かないと怒られるからな……じゃあな、ちび」



 僕はそのヒヨコちゃんとの別れを惜しみつつも、またエナさんやミズキに小言を言われると思い、元いた場所へと引き返す。

 何だか滅茶苦茶癒されたよ。気分がいつもよりフワフワしてら。最初はただ気分が高揚しているだけかと思ったんだけど、そのうち意識が朦朧としてきて、呼吸も苦しくなってきた。



 「頭がクラクラするな……やっぱり疲れが溜まっているんだ」



 放っておけばそのうち治るものと思っていた。しかし、僕がエナさんたちの元まで戻って来た頃には、症状は更に悪化していて、酷い倦怠感と吐き気を催すほどになっていた。

 ボディーガード代わりだった僕が勝手に離れたことに、ミズキが突っかかってきていたが、最早そんなものに答えている余裕はない。



 「あ、タタラさん、ちょっと揶揄ったからって勝手にどっか行かないでって……え!?」

 「た、タタラ君!? 一体どうしたの?」



 二人の元へ辿り着くと、僕はもう耐えきれずにその場に倒れ込んでしまった。あー、気持ち悪い。もう何もする気にならないよ。

 仰向けになって目を回してる僕を見て、エナさんはハッとしたのか、後から駆け寄って来た飛燕に慌てて指示をする。



 「飛燕ちゃん! ごめんね、すぐにヒカリちゃんを呼んできて! どこかで毒をもらったみたい。このままじゃまずい!」

 「わ、わかった! すぐに連れてくるから!」

 「それとミズキちゃん、あまりタタラ君に近づかないで! 伝染性の毒を持ってるモンスターもいるから!」

 「カイ! 念の為、解毒の薬草の用意も――」



 僕のせいでメンバーたちはてんやわんやだった。僕は消えゆく意識の中で、もし無事に復活したとしても、また怒られるんだろうな……と思って複雑な気分だった。



 そして僕は間もなく意識を失った。昏睡状態ってやつさ。勿論ゲームの中だから、毒か病気が原因で本当に死ぬわけじゃない。僕は何もない真っ暗な空間で、一人立ち尽くしていた。

 長いこと【TSO】をやっていたけど、こんな斬新なゲームオーバーなんてのは聞いたことがないな。別にリアルでの死じゃないんだから、畳の上で皆に囲まれて……なんて誰も望んじゃいないけどさ。

 でもこうなったら仕方がない。僕にはどうにもできないんだからな。アカウント破損は厳しいけど、いくらなんでも死にはしないだろ。この奇妙な同盟も自然消滅、僕もようやくお役御免てやつさ。





 「――タ……タタラ君!」



 「――兄ちゃん!!」



 「――タタラさん!!」



 「――タタラ!!!」



 「――タタラ君、しっかりして!!」



 何だようるさいな。人がせっかく気持ちよく覚悟を決めたところだって言うのに、余計な雑音を入れやがって。ん? そう言えば、やけに意識がはっきりしてるな。吐き気も倦怠感もないし。



 「……あ、あれ? 僕死んでないの?」

 「た……タタラ君!? ……ひ、ひぐ……わーん!!」



 不意に目を覚ましたら僕は皆に囲まれていて、ヤドカリちゃんがいきなり泣きながら抱き着いてきた。何が何やらだよ。僕が呆けていると、エナさんがホッとした様子で問い掛けてくる。



 「タタラ君……無事で良かったよ。ヒカリちゃんの魔法で解毒できたから良かったけど、もう少しで危ないところだったんだよ! 何かのモンスターにでも襲われたの?」

 「……そう言えば、モンスターって言うほどの奴じゃないけど、少し変わった可愛いヒヨコちゃんを触りましたね……」

 「もう……それってベビーコカトリスだよ! 見た目は可愛いけど、伝染性の猛毒があるんだから! 親鳥なら即死してたよ!」



 まさかあんなに可愛い奴が、そんな猛毒を持っていたなんてね。うちのミズキみたいなものか。無知ってのは恐ろしいもんだ。

 僕が起き上がっても、相変わらずヤドカリちゃんは僕の胸に顔を埋めて泣いていた。おいおい、せっかくソウヤと仲直りさせたのに、そんなことされたらまた喧嘩になるぞ。僕の苦労が本当の意味で水泡に帰しちゃうってもんだ。



 「いい加減離れてくれよ。僕のジャケットが涙と鼻水でぐちょぐちょになっちまう……」



 僕はあえてつっけんどんな態度で、ヤドカリちゃんを引き離そうとする。すると、彼女は涙と鼻水を垂らしながら、彼女らしからぬ表情で僕を睨みつけたんだ。うわー、嫌な予感。



 「た……タタラ君の……馬鹿! あ、アンポンタン! えーと……へそ曲がり! ど……ドジ間抜け! 本当に……死んじゃうかと……思ったじゃない!! 制裁……制裁です!」

 「い、痛! ちょっ! 悪かったってば! あ、危ないから!!」



 ヤドカリちゃんはおもちゃみたいなステッキで、僕を泣きながらポカポカと殴ってきたんだ。こんなに感情を露わにする子だったかな? 懐かれるってのも、やはり考えものだ。

 しかも、周りの奴らときたら、僕がヤドカリちゃんから制裁を受けているのを、へらへら笑いながら見てやがるんだ。早く止めろっての。


 

 「タタラ君、みんな心配したんだからね! これに懲りたら、軽率な単独行動は控えてね!」

 「タタラさん、僕を最後まで守ってくれるって言ったじゃないですか。もし勝手に死んだりしたら、とても良くないことが起きるかも……なんてね(テヘ!)」

 「兄ちゃん、ヒカリは泣き虫なんだからさ、あんまり泣かすなよな」

 「フン、エナさんに手を出す奴は俺が許さない。……だが、エナさんを悲しませる奴は万死に値する。覚えておけ……」

 「制裁……制裁です!」


 

 全く、なんて酷い日だ。僕は堪らず立ち上がってヤドカリちゃんから逃げ出した。まあ、唯一の救いはこの子が飛燕じゃなかったってことくらいだな。



 「そう言えば、飛燕はどこだ? あ……いた」

 


 足の遅いヤドカリちゃんをあっさり振り切ると、前方の木陰に飛燕が後ろ向きに立っているのが見えた。僕が死にそうだった時に、こいつはこんなとこで何やってんだ?



 「おい、お前こんなところで……」

 「な……た、タタラ!?」



 飛燕は酷く驚いた様子で、自分の腕で顔をごしごしと擦ってから振返る。必死に誤魔化そうとしていたけど、彼女は酷く泣き腫らした顔をしていた。

 タンスの角に小指をぶつけたってわけでもなさそうだし、まさかパーティー1の乱暴者のこいつがね。流石に申しわけなかったので、少しだけ謝ろうかと思った。



 「えーと……その、悪かったよ。お前にも心配かけたな……」

 「……馬鹿」



 相変わらず愛想もへったくれもない返答だったけど、彼女は照れ隠ししながらも安心した様子で微笑した。不覚ながら、ちょっとドキッとしちゃったよ。ギャップっていうのは恐ろしいもんだね。

 一見こいつは無口で無愛想な乱暴者だ。だが、一緒にいれば嫌でも分っちまう。本当は不器用なだけで、こっちが恥ずかしくなっちゃうくらい仲間思いな奴なんだよな。案外好きになった相手には尽くしてくれるのかもしれないね。浮気でもしたら、殴り殺されるだろうけど。



 こうして僕のヒヨコちゃん騒動は、大事には至らずに解決したわけだ。まさかこの伝染性の毒ってのが、この後英国中を混乱の渦に巻き込むなんて、誰が想像したことだろう。


 ★

 

 イングランド各都市に警報のサイレンと共に戒厳令が敷かれ、自警団によって都市封鎖が行われたのは明くる日のことだった。

 僕らはその日にロンドンを出るつもりであったが、許可のない移動は制限されてハイドパークから出ることができなくなってしまったんだ。

 何でも、正体不明な伝染病が発生しており、既にリバプールやマンチェスターでは多数の死者が報告されているっていう話らしい。勿論ゲームの中に病原菌やウイルスなどいるわけがない。ただ、同じような症状で人がバタバタと死んでいくことに、疑心暗鬼になっているプレイヤーたちは恐怖した。

 話によると、【TSO】プレイヤーが感染した場合の症状が一番重篤化し易く、死亡率もその他のゲームプレイヤーと比べたら段違いだそうだ。元々僕ら【TSO】プレイヤーは、TSがあってなんぼだ。僕を見てれば分かるだろ? 生身のときの体力なんてあってないようなものなんだ。

 始末に負えないのは、自警団の大多数を占めていたのは【TSO】プレイヤーだってこと。元々強大な戦闘能力があって、統率とかが好きな奴らの集まりだったから、適材適所だったんだ。

 致死率五割以上という得体の知れない謎の伝染病に、ブリキ乗りたちは恐怖し、少数の他ゲームプレイヤーたちの意見は黙殺された。



 僕らはと言えば、ヒヨコちゃん騒動もあったので、エナさんは早くからモンスターが持っている伝染性の毒が原因ではないかと気付いていた。だからと言って、僕らが自警団をどうこうできるってもんじゃない。僕らはこのまま事態の収束を待つことにした。



 あと一歩のところで身動きの取れなくなってしまった僕らの元に、ある夜、闇に紛れて二人の【MSPO】プレイヤーがやって来た。何でも、彼らはマンチェスターから逃げてきたとのことで、僕らのキャンプ地に匿って欲しいと頼み込んできたんだ。



 「お願いですから匿って下さい! 感染毒を広めてるって濡れ衣を着せられて、自警団のTSに追われているんです!」

 「私たちは何もしてないんです! それなのにギルド仲間はみんな捕まって……」



 彼らは剣士のクロベと魔法使いシェリルの二人組で、大らかで素朴な日本人男性と、赤毛で大人びたアイルランド人女性の多国籍ギルドのメンバーだった。

 何でも、マンチェスターで自警団に事実無根の嫌疑をかけられ、ロンドンまで命からがら逃げてきたらしい。ロンドン近郊まで逃げてきた際、ハイドパークに【MSPO】のパーティーがキャンプを張っていると聞きつけ、藁をも縋るような思いで保護を求めてきたって話だ。

 気の毒ではあるが、こちらにとっては迷惑な厄介者が来たとしか思えない。まあ、こんな招かねざる客であろうと、うちの聖母様は二つ返事でOKしちゃうんだろうね。無駄だと分かっていたから、僕はあえて何も言わなかった。



 「それは大変だったね。私はギルドマスターのエナ。とりあえず、ほとぼりが冷めるまでゆっくりしていって!」

 「エナ……もしかしてあなたは!?」



 不意に剣士のクロベが何かに気付いたようで、晴れやかな顔で歓喜する。



 「間違いない! あなたは『石薔薇の血盟団』にいらしたエナさんですね!?」

 「え……ええ……まあ……」



 何やら変な空気になった。歓喜するクロベとは裏腹に、それまで愛想の良かったエナさんの表情が露骨に曇ったんだ。それに気付かず、クロベは興奮気味で話を続けた。



 「やっぱりそうか! お会いできて光栄です! いやー、古くからやってる【MSPO】プレイヤーにとっては、ギルド『石薔薇の血盟団』とあなた……“真紅の鬼神”と言えば、皆の憧れでしたからね!」

 「そんなこと……昔のことだよ……」

 「かく言う自分も、あなたのファンだったんですよ! ギルドが解散したって聞いた時は、本当に悲しかったんです! それが、こんなところでお会いできるなんて!! それに鬼神なんて言われてるから、てっきりおっかない人と思ってましたが、まさかこんなに綺麗でお優しい女性だったなんて!!!」

 「ちょっとクロベ、興奮しすぎ! エナさんも困ってるじゃない!」



 空気の読めないクロベをシェリルが窘めた。クロベもやっと自分が鼻息を荒くしていたのに気付き、非礼を詫びる。

 しなしながら、僕としてはエナさんのあまり喜ばしくない過去ってのが、無性に気になるところであった。まあ、この空気じゃ聞けないよね。

 それはそうとして、やはりこの逃亡者二人を招き入れてしまったことが、この後大きな波紋を呼ぶことになるんだ。

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