第2話 筋肉じゃ空は飛べない
筋肉痛に泣かされて学校を休んだ俺は、昨日のリザルト画面に出たアドバイスを思い出していた。
「カロリーをしっかり取って体重を増やせって言われてたな」
俺は元来食が細いほうだ。体重を増やそうとして大盛りのごはんを食べようとしたこともあったが、1日でギブアップしてしまった。
俺は身長180センチで、体重は55キロ。BMIは16.98と痩せすぎの判定だ。
とりあえず標準体重までは近づけたいよな。そう思って、標準体重の仲間入りができる体重を探ると、60キロが最低ラインらしい。
そうなると、当面の目標は体重プラス5キロか……
しかし、その5キロは一体どの程度食べれば増やせるのか。
これも調べてみると、大体7000キロカロリー程度で1キロ増えることが分かった。
つまり俺は35000キロカロリーを余分に取らないといけないということになる。
なんだその果てしない量…… 家にあった菓子パンの表示カロリーが1個350キロカロリー、つまり100個以上余計に食べろって?
その後もネットで次々と情報を仕入れる。
基礎代謝についてや食事回数など、調べれば調べるほど体重を増やす方法を知ることができた。
こうなってくると俺の向上心は止まらなかった。昨日の筋トレをやりきったときに久々に味わった達成感、さらに食事を頑張ることで、より経験値が得られるのではないかという期待に胸が踊った。
その勢いのまま、俺は筋肉痛で痛む脚を引きずりながら近所のコンビニへ行った。
カロリーの高いスイーツや飲み物をよく吟味して買い込む。
ここまで食べ物を真剣に選んだのは初めてだった。そして買った生クリームたっぷりのスイーツを、砂糖たっぷりのジュースで流し込む。
体がカロリーを摂取していっているのを感じる。さあ俺の体よ、肥えろ!
――数時間後
俺が馬鹿だった。いきなり甘いものを勢いよく流し込んだ俺は、腹痛とだるさに襲われていた。
「くそ……これじゃ晩飯が一口も喉を通らないぞ。夜食べられなけりゃ本末転倒だろ俺……」
結局その日は涙を流しながら夕食を胃に押し込んだ。食事の方法は少し考えなきゃだな。そう思って筋肉痛の脚で重たいお腹をなんとか支えながら、今日もアルクロにログインした。
おそらく、今日のレベルアップメニューでチュートリアル終了、オンライン空間に移動できるようになるはず。昨日同様に端末からメニューを表示する。
2日目メニュー
・シットアップ 10回
・レッグレイズ 10回
・プランク 30秒
・ロシアンツイスト 20回
各3セット 開始前後にストレッチ
「はあーーー。やっぱり今日もひたすら筋トレだよなぁ」
このメニューを乗り越えた先に達成感が待っていることはもう知っている。けれど、始める前は憂鬱な気持ちにも襲われるのが人間というものだろう。
「とりあえず。チュートリアルを早く終わらせよう。頑張れ自分!」
声に出して自分を奮い立たせて筋トレを開始する。しかし、メニュー見る限り今日はお腹ばかり……
久々によく食べた状態でお腹中心のメニュー持ってくるとか悪魔かこのゲームは。
また今日も、文字通り歯を食いしばりながら筋トレに励む。
「いぃぃいいいうっ!!!!」 レッグレイズで変な声が出る、今までの筋トレメニュー(といっても2日目だけど)で一番きつい。
大量の汗をかきながら、プランクで全身をプルプル震えさせ、ロシアンツイストで呼吸困難になりながら、俺は今日もなんとか筋トレを乗り切った。
今日も…………今日も死なずにやりきれた……
倒れ込んだ俺の前にリザルト画面が表示される。
Exp +500 Lv.2→Lv.3
チュートリアル終了です。おめでとうございます!
画面にはレベルアップと、チュートリアル終了を告げるメッセージが浮かび上がっていた。
「おしきたぁぁぁあああああーー!!」
ここまでゲームでチュートリアルを達成して嬉しかったことはないぞ。
喜びを噛み締めながら何度も小さくガッツポーズをしていると、「オンライン空間に遷移しますか?」というメッセージが浮かんできた。
「やっと本格的にアルクロの世界を見られる…… 疲れはすごいけど行くか」
「Yes」を選択すると、緑色に光るワープホールの光がひときわ強くなった。その輪に近づくと、体がゆっくりとその中に吸い込まれていく。
オンライン空間は、白一色で無機質だったチュートリアル空間とはうって変わり、中世風の美しいレンガ作りの建物が立ち並ぶ美しい街並みが広がっていた。
街の奥の方には真っ白で巨大な城が建っていたり、空中には大小様々な島々も浮かんでいる。様々なジョブの人達が楽しそうにあたりを歩いていた。これぞ異世界、といったような空間に自然と胸が高鳴る。
「おうおう! そこにいんのはボディビルダーの細川くんじゃないかーい?」
しかし、俺の浮かれた気持ちは、聞き覚えのある乱暴者の声に一瞬にしてかき消された。声の主は俺をボディビルダーにした元凶、熊澤だった。
「随分オンライン空間に来るのが遅かったなぁ? もしかして自分の肉体に見とれちゃってたのかな? なんたってボディビルダーだもんな!!」
そう言って仲間と大声で笑う。聞いているだけで不快になる下品な声だ。
「ああ、そうそう。俺はドラゴンナイトのジョブにしたんだよ」
熊澤がそう言って指笛を鳴らすと、すぐに黒いドラゴンが空中から現れた。
熊澤が呼び寄せたドラゴンは鋭い眼光と牙を持ち、体長はゆうに10メートルを超すような巨大さだった。
呼び寄せたドラゴンを撫でながら熊澤はニヤニヤしながら上空に浮かぶひとつの島を指差した。
「俺ら、今からそこの島でモンスター狩りすんのよ。経験値の高いやつがいるって情報があったからさ。せっかくだからお前も一緒に行く?」
そこまで聞いて取り巻きの二人がこらえきれずに声を出して笑い始める。
「あ、でもお前ボディビルダーじゃ飛べないか! こんなファンタジーの世界でボディビルダーだもんな。残念だなぁー!」
そう言ってひとしきり笑った後、熊澤は龍にまたがる。
「じゃあな、ヒョロヒョロボディビルダーくん!」
そう言ってまた下品な笑いを振りまきながら、奴らは空中に飛び去っていった。
「こんなファンタジーの世界でボディビルダー、か」
筋トレの達成感と自分しかいない空間で薄れていたものの、その言葉を言われると周りの景色が途端に嫌になる。
本当だったら俺だって魔法を使ってほうきで空を飛んだり、攻撃魔法でモンスターを討伐して楽しむはずだったんだ。
それなのに今の俺にできることは鍛えてレベルを上げることだけ。空を飛ぶことすらできない。
大きなため息をついて座り込む。熊澤の言葉が鋭い針のように心に突き刺さる。ついさっきまで心おどっていたこの空間にいることがつらくなっていた。
ログアウトしようと腕に巻かれた端末を操作していると、ふいに後ろから声が聞こえた。
「あの、細川くん。大丈夫?」
熊澤の攻撃的な声とは対照的な、こちらを気遣うような優しい声の主は、クラス委員長、星山のどかだった。
星山はいつも笑顔でみんなに優しいクラスの人気者だ。
胸元にかかる艶のあるセミロングの黒髪にぱっちりとした飴色の瞳で、学年の中でもかなりモテると聞いたことがある。
あまり大きな声では言えないが、俺も実は彼女に陰ながら好意を持っていたりした。
「星山さん!?」
「ごめんね。本当はもうちょっと早く出てきて熊澤くんを止めてあげれられればよかったんだけど……あのドラゴンの迫力でちょっと怖くなっちゃって」
しゅんとしながら星山が謝ってくる。
「いいんだ、星山さんは関係ないし。それに俺、もうこのゲームやめようと思ってるし。ボディビルダーじゃ空も飛べないだろうしね」
もうこんな惨めな思いはごめんだ。精一杯の強がりで、なんとか力なく笑って俺は星山にそう告げた。
「そっか……」
俺の落ち込みように、かける言葉を失ったように星山がうつむく。好きな人をそんな顔にさせてしまっている自分がさらに嫌になる。
「それじゃ、また」
星山に別れを告げて、俺は再び端末に手を伸ばした。
「ちょっとまって!!」
星山の慌てた声とともに、ログアウトしようと伸ばした右手が柔らかで温かな感触に包まれる。
一瞬何が起こったか分からなかった。
よく見ると星山が俺の手を握っていることに気づいた。
「うわぁぁああ!!」
気づいた途端に全身に熱がこみ上げた。動揺した俺は変な声を出して星山の手を振りほどいてしまった。
俺の予想外の反応に、「ごめん!」と慌てながらも星山は続ける。
「ほら、ここはゲームの空間だから、現実では不可能でもここなら可能なこともいっぱいあると思うんだ!」
「ここなら可能なこと?」
星山の意外な発言に、俺ははっとさせられた。
ボディビルダーというジョブや、筋トレというレベルアップ方法で考えもしなかったけれど、もしかしてこのジョブもなにかファンタジーの要素をもっているかもしれない。
そうだ、可能性は0じゃない。このジョブを選んだ人をネットですら見たことがないし、自分もまだまだ未開拓なのだ。何かしら付加価値がある可能性も十分ある。
「うん。それを探してからでもやめるのは遅くないと思うんだ。私もなにかあったら助けになるからさ!」
「それじゃ星山さんに迷惑かけちゃうから」
「いいのいいの。私はゆっくりこの世界を楽しもうと思ってたから。あんまりせかせかするともったいない気がしちゃって。ここでたまたま会ったのも何かの縁かなって思うし、私も手伝うから一緒に色々探っていこ?」
星山はいつもクラスで見せている元気いっぱいの笑顔でそう言った。
「それじゃ、そういうことなら……」恥ずかしくなり、うつむいて答えた俺の顔を、星山がしゃがんでニコニコしながら覗き込む。
その仕草を見てさらに恥ずかしくなって、今度は頬どころか耳の先まで熱くなっているのを感じる。そんな俺に星山が右手を差し出す。
「よろしくね、細川くん!」
恥ずかしさで目を合わせられないままだったけれど、俺は今度こそ差し出された手をしっかり握り返した。
空はまだ飛べないし、飛べるようになるかは分からないけど、完全に俺の気持ちは気持ちは上の空だった。
こうなったら、絶対筋肉で不可能を可能にしてやる! そう決意を固めるのであった。
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