第27話 みんなきっと、首を長くして待っていた



 ユンが目指すのは、屋敷内。

 中の使用人たちに主人たちの帰還を伝えなければならないのだが。


(確かあのおっかない筆頭執事は向こうに着いていってるんだったよな……?)


 屋敷に向かって走りながら、ユンは脳内でそう考える。


 誰に伝えれば良いのだろう。

 ぶっちゃけ筆頭執事不在時の代理権力者なんてユンは知らない。

 そもそも屋敷の外で自らの体を鍛えたり、たまに先輩兵士と一緒に門番に立ったりするのが見習い兵士の仕事である。

 いつでも彼が指示を仰ぐ相手は隊長か先輩兵士のどちらかだ。

 屋敷内の序列に興味は更々無い。


 しかしそれが、今正に仇になってしまっていた。


(誰に言えばいいのか分からない……)


 どうしたものか。

 そんな風に思っても、知らないものは知らないのだから考えた所で分かる筈が無い。


 

 しかしこんな時、思考を楽観的な方向にすぐ切り替えられるのが、彼の良いところでもある。


(ま、どうせ屋敷内の誰かに聞けば分かるだろ)


 それよりも、早く報せねば。

 みんな朝からずっと待っていた筈だから。


 そう思えば、走る速度は無意識的に増していく。




 屋敷の外にたどり着いたユンは、屋敷の正面玄関――ではなく、勝手口へと回っていた。


 表の扉は主人達の使う場所。

 そこから出入りできるのは、基本的に主人と主人に追従する使用人たち、客人の出迎えをする際などの、必要に迫られた場合のみだ。


 これも数少ない、ユンが覚えていられる貴族家使用人の常識の内の一つだった。



 裏口から中に入ると、そこは小さな備蓄室になっていた。

 その中を真っ直ぐに通り抜け、ユンは広い廊下へと出る。


 と、ここで幸運が舞い降りた。


「あれ? ユン」


 見知った声がユンの事を呼び止める。

 それに答えて振り返れば、見知った顔のメイド見習いが少し驚いたような顔で立っていた。


「屋敷内に居るなんて珍しいね。どうし――」

「アヤ、セシリア達が帰ってきた!」


 言葉を被せてユンが言う。

 するとアヤはパッと顔を喜色に変えた。

 そしてすぐに踵を返す。


「分かった! 中には私が伝えるよ!」


 その声に、ユンは内心ホッとする。

 

 

 普段なら仕事を中はメイドに徹する、仕事に対しては意外と真面目な所もあるアヤではあるが、どうやら今日は例外のようだった。


 それもその筈、アヤはもちろんセシリアとの友好が深いが、それ以上にその母親である伯爵夫人・クレアリンゼを敬愛している。

 彼女に使えるためにメイドになった彼女だから、そんな人が帰ってくると知ってきっと嬉しいのだろう。


 メイドにしては行き過ぎた憧れをクレアリンゼに抱いているアヤだから、その反応は何だかしっくり来てしまう。



 メイド服の裾を翻しながら走り出すアヤを、ユンは少し呆れ気味に眺めていた。

 先ほどまでの自分の喜び具合を完全に棚に上げている状態だ。

 何事も、人は自分自身の事には中々鈍感になる。


 と、たった数歩歩いたところで、アヤがピタリと立ち止まった。

 思わず小首を傾げると、困り顔の彼女が振り返ってこう告げる。


「ところでさ、ユン。サボってた事は内緒にしておいてあげるから、人の目が無い今のうちに早く訓練に戻った方が――」

「ちゃんと休憩時間だわっ!」


 食い気味でそう反論をすれば、アヤは驚いた顔になる。

 

「えっ、そうなの?」

「そうだよ! ってか、そんな事はいいから、はよ行けっ!」


 シッシッと手を振って、アヤを追い払ってやると、彼女はハッとした顔になり「そうだ、こんな事に構ってる暇はない!」と言い捨てながら、今度こそ本当に上司の元へと走っていく。


「『こんな事』って失礼な……」


 そもそも自分で言い出しておいてこの言い草だ、ヒドイったらありゃしない。




 しかし彼女は、仕事は出来るメイドだった。


 ユンの視界から消えてほんの数秒後、遠くの方で慌ただしい物音が立ち始める。

 おそらくアヤが伝えたのだろう。


 

 それを合図にするように、ユンも「さて」と気を取り直す。


「出迎えるか」


 ユンが見習いとして伯爵家で働き始めて5年と少し。

 セシリアは今回が初めてだが、主人たちが出かけるのは毎年の事である。

 だからユンは既に何度も使用人たちが、一体どうやって主人達を出迎えるのかを知っている。


 手の離せない使用人以外は大体みんな、ただ「お帰り」と伝える為に屋敷の正面扉の前で主人の帰りを待つのである。


 むろん、仕事をしに来る者も居るのはいる。

 が、少なくともユンは前者なのでただ出迎えの為の人垣になるためだけに、正面扉の前に回るのだ。



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