9通目
第26話 主人たち、帰ってくるってよ!
アヤの予想はまさかのヒットで、あの日の翌日に速達で王都邸から手紙が届いた。
どうやら予定を切り上げて、1週間早くこっちに着くという事らしい。
それを聞いて、屋敷中が色めき立った。
幾ら「主人が居なくても仕事はある」とはいえ、やはり主人が居た方が仕事に張り合いが出るというものだ。
それはきっとこの屋敷に居る全員が感じていた事だろうから、この喜びようも頷ける。
しかしただ喜んでばかりもいられない。
主人を迎える準備をしなければならないという事で、ここ2、3日は実に慌ただしい日々だった。
そして昨日、一騎の早馬がついに『一行は翌日に到着する予定』という報せを持ってきたので到着は十中八九今日である。
因みにその早馬に乗っていた先輩兵が、その報せとは別にユンに紙切れを持ってきた。
送り主は例に漏れずゼルゼンらしいが、宛名も送り主の名前も無いどころか封筒にさえ入っていない。
二つ折りにされたその紙を開くと、一言だけ。
――――
とりあえずセシリアには何も被害が無かったから心配するな。
――――
明らかな走り書きでそう書かれていた。
読み終わった後に、早馬の乗り手が「俺が出る前に慌てて持ってきてな」と言って笑っていた事を思い出す。
どうやら笑ってしまうほどの急ぎようだったらしい。
走っている文字や封筒にさえ入っていない紙切れからも、その慌てようが良く分かる。
それを見て、ユンは「らしいな」と笑ってしまった。
ゼルゼンは、あれでいて律義な奴だ。
それは「手が疲れた」と書きながらも、結局は約束通りに手紙を送ってくれていた事からもよく分かる。
今回のコレにしたって、「多分前の手紙で気を揉んでるだろうから、一日でも早く伝えておいた方が良いだろう」と思っての事だろう。
セシリアに心配が無いのにこうして早く帰途についたという事はやはりセシリアが何かやらかしたという事なのだろうし、予定より一週間も出発が早まったのなら王都でも忙しかっただろう。
手紙が書けなくても無理はなく、また私事で執事が主人に影響を与える訳にはいかないので、例え手紙を書く時間があったとしても出しに行く時間は無かった筈だ。
そんな中でのこの紙切れは、おそらく彼の立場で出来た最大限の配慮だった筈である。
この紙切れについてはもう、昨日の内に全員に伝達済みだ。
(今日の朝会った時は、ノルテノも顔色が大分良くなっていたしな)
それを見た時、少しでも早く教えてくれたゼルゼンの配慮は間違っていなかったとユンは安堵したものだ。
どうやらここ数日セシリアへの心配からあまり眠れていなかったようだったので、本当に何よりである。
という訳で、今日帰ってくる筈のセシリアを心穏やかに待てる――筈だったのだが。
「……ダメだ、やっぱり気になって仕方がない」
訓練場には、どうしても門の方をしきりに確認してしまうユンの姿があった。
チラ見しては「集中しろよ?」と先輩兵士のリルディに怒られる。
しかし仕方が無いのである、だって顔が勝手にそっちを向くのだ。
そんな状態だったから、門の向こうからやってくる豆粒ほどの大きさの騎士に気が付いたのは、やはりユンが最初だった。
ちょうどいい具合に、休憩時間の入ってすぐの事だった。
だからユンはタッとその馬の方へと駆け出していく。
走りながら目を凝らし、「やっぱり」と確信する。
騎手は今回、主人達の護衛要員として彼らと共に王都へと発った筈の人だった。
「明日到着する」と告げに来た早馬と同じく、主人が帰ってくる直前にも早馬を出す。
これは使用人たちが出迎える準備をする為の早馬であり、到着した後主人たちにはすぐに心地よく休んでもらうための措置でもある。
それは何事も「体で覚える派」のユンでさえ知っている、貴族家使用人にとっての常識だ。
自分が走り、相手もこっちに向かって走ってくる。
必然的に両者の間の距離は詰まるが、はやる気持ちがほんの少しの時間さえ惜しくさせた。
「お帰りなさーい! 旦那様達、もう帰ってくるんですかー?!」
堪えきれなくなって思わず大きな声でそう聞いた。
すると気付いたあちらもこちらに向かって同じように声を上げてくれる。
「後15分といった所だー!」
口に片手を添えてそう叫んだ先輩兵士に、口角が独りでに上がってしまう。
朝からずっとソワソワしていた。
しかし今は、ウズウズして堪らない。
居ても立っても居られない。
何かをしていないと落ち着かない。
だから。
「なら俺が屋敷に伝えてくるよー! 先に馬戻して休んでてー!」
今にも走り出したい気持ちを、走り出すべき仕事に置き換える。
それは確かにユン自身にとってのメリットがある提案だったが、同時に相手にも十分利のある提案だった。
彼はここまで2週間、馬に乗って旅をしてきた。
今回は取り立てて大きな危険には遭遇しなかったし、強行軍でもない余裕を持った旅だった。
しかし、そうは言っても仕事である。
道中ずっと警戒はしていたし、そもそも馬に何時間も乗っているだけで体力は消耗する。
この2週間の道のりは、小さな疲労を積み重ねたものだった。
幸いにももうここは敷地内だ。
使用人達に主人の帰還予定を伝言するくらいならまだ見習いのユンに任せても問題無いし、どちらにしても馬を一旦馬房に戻してから屋敷の中に行く必要がある。
自分が任された仕事だから流石に『他人に投げっぱなし』という訳にはいかないが、馬房に行って戻ってくる間にユンが上手く伝言出来ていなければ、その時に改めて自分の仕事をすればいい。
などという逡巡が先輩兵の中であった事など全く知らない見習いは。
「じゃぁ頼むわ!」
満面の笑みで任された仕事に嬉しそうに「分かった!」と答えたのだった。
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