第6話 ユンが一番不安なのは
5年前、使用人達のための『お仕事ツアー』というものを、セシリアが主催した。
その催し中の屋敷内移動時に、それは起きてしまったのである。
「俺が前方不注意のせいでぶつかった、あの相手がそいつの親だっていうのかよ」
「うん多分」
実際には、ただの「前方不注意」だなんていう可愛らしいものではなかった。
しかしそれによって被りそうになった被害も、決して可愛らしいものではない。
俺はその時、危うく『不敬罪』で殺されそうになっていた。
それを助けたのがセシリアで、彼女はその後、まさにそのせいで面倒極まりない目の付けられ方をした。
その時の当事者は、主に俺とセシリアだけだったが、それでもここに居る全員が、権力による命の危険を肌で感じたことだろう。
だからみんな「あの時の」と言われれば、それを思い出して青くなる。
しかし相手があの時の家ならば、だ。
「あれ? そういえば確かあの時に持ち上がった婚約話、その相手が二番目の息子だったんじゃぁ……」
「まぁご当主様の手腕で今まで、その話ものらりくらりと躱してるらしいけど」
「えっと……つまりセシリア様は、婚約話が持ち上がってた相手から嫌がらせされたって事? あっちが申し込んできた事なのに?」
ノルテノが「分からない」と言いたげに大きく首を傾げている。
そんな彼女に、難しい顔のメリアが「もしかしたら本人は嫌だったのかも?」と答えると、今度はグリムがクツクツと笑い出す。
「もしくは、貴族界ではドレス汚しが求愛行動なのかも?」
「そんな求愛があるかよアホか」
「分からないでしょ、それともユンは『絶対にない』なんて言える?」
「ぐっ!!」
確かに言い切る材料は無い。
が、セシリアが起こっているんだから、嫌がらせなんじゃないだろうか。
(否、ちょっと待てよ? 確かセシリアは相手方との婚約をすごく嫌がっていたな。じゃぁ求愛されたのが嫌で意趣返しするっていう可能性も……?)
そんな事を考え始めてしまったら一層頭が混乱してきて、てんやわんやだ。
「……意味分かんねぇ。なぁ結局どういう事だ?」
「さぁ?」
「でもまぁ問題はそこよりも、そういう相手だっていうなら猶更『波乱の予感しかしない』っていう所なんじゃない?」
「確かにそうだな」
そんな言葉を最後にして、面々はそろって黙りこくった。
各々に、遠い目をしていたり、ため息を吐いていたり、心配にソワソワとしていたり。
様々な反応があったものの、結局の所全員がセシリアに対して何かしら思うところがあるのは同じだろう。
俺もまたそうである。
因みに俺の心配は、変なことに巻き込まれた結果、セシリアが何か身体的なヘマをしないだろうかという事にある。
ぶっちゃけ俺は、セシリアが自らの意思でしようと思っていることに関しては、特に心配していない。
アイツは俺なんかよりも、ずっと頭が良くて行動力もある。
やるならきっと徹底的にやるだろうし、そこに穴があるなんて想像は全く出来ない。
それよりも、それを行う過程で転んだり、溢したり、怪我したり。
殊「溢す」に至っては一通目の手紙ですでに前科も存在しているのだから猶更だ。
まぁしかし。
(あの世話焼きでセシリア限定で予測上手なゼルゼンが側に居るんだし、流石に取り返しの付かないような事にはならないだろうけど……)
そんな風に考える事でユンは、自身の不安を宥めにかかる。
そもそもゼルゼンは、執事になりたかったのではなく「セシリアをフォローする立ち位置がたまたま執事だったから」という理由でその道を目指したヤツだった。
だからこそ「一刻も早くセシリアの隣に」というモチベーションで日々頑張り、間違いなく伯爵家最大のハードルである筆頭執事・マルクからの厳しい教えを乗り越えて、セシリアの社交界デビューギリギリというこのタイミングで『一人前』に滑り込んだのだ。
今はユン達が、見習い期間5年目の年。
他がどうなのかを彼自身は知らないが、他の大人たちが言う所では、この家は他家よりも一人前を名乗るためのハードルが高く設定してあるらしい。
それ故に未熟な者が表に出る事もなく、結果として他家の貴族に粗相を働くリスクも減る。
それを大人たちは喜んでいる。
そんな中、ゼルゼンの「見習い期間5年で一人前」という実績は、この家では早い出世になるらしい。
つまりアイツには、ちゃんと実力がある。
少なくとも粗相する事は無く、セシリアをフォローできるに違いない。
まぁ本人は、もうすでに諦めモードな訳なのだけれど。
その辺に何やら言いしれない不安を感じるユンではあるが、次の手紙が来るのはまた2,3週間後くらいだろう。
それまでは訓練に勤しむしかない。
気にはなるが、手紙を読む事で抱えさせられた心労は、他の面々とこの件を共有することで少し薄れたような気もする。
ユンとしては、とりあえずそれでミッションコンプリートである。
きっと次はいい知らせが来る。
そう思って気を落ち着かせ、次の手紙をユンは待つ。
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