6 弁当犯張り込み作戦
昨日の言いつけ通りに水瀬さん、森村、俺の三人分の生姜焼き弁当を買って出勤している。いつもは派手な黄色のレジ袋なのだが、三つ買ったら少しだけ高級感のある紙袋に入れてくれた。弁当の数でグレードが決まるのだろうか。空はどんよりと重苦しく曇っていて、霧雨が身体中にまとわりつき、傘を差しても大して意味がない。せめて弁当が濡れないようにしようと両手で前に抱えて歩いていると、生姜焼きのいい匂いが鼻腔をくすぐった。今日は絶対にこれを食べてやる。そう誓うと、仕事にも気合が入る気がした。
弁当休憩室の冷蔵庫に入れ、更衣室で制服に着替えると、事務所に向かった。もうすぐ午後一時、午前中の便と午後の便それぞれの担当が混ざり合う時間帯だ。
「あ、宗方さん」
午前担当だった桃井が声をかけてきた。なんだかずいぶん久しぶりに話した気がする。最近は午前勤務に桃井と丸本がほぼ固定化されていて、午後は俺と藤嶋と森村がほぼ固定。とは言ってもだいたい午前組は残業しているので、事務所に居れば顔くらいは見るが、仕事に追われているとなかなか話す機会もない。ちなみに水瀬さんは午前午後のどちらでもなく不規則な勤務を強いられている。
「おー、桃井、元気してる?」
「まあ、ぼちぼちかなー」
「午前中はどうだった?」
桃井の席に散らばる書類に目をやりながら訊ねる。今日も嵐が吹き荒れたようだと予想がつく。
「もうさー、うちのトレーニーがバカだからさ、今日も残業確定だよー、ほんとにあいつらさあ」
事務所の真ん中で人目を憚らず愚痴大会が始まる。それでも今ここにトレーニーが居ないということは、桃井が仕事を引き取ってトレーニーを休憩に行かせているということだ。バンバン机を叩きながら怒っている桃井だが、情に厚いタイプなので、なんだかんだトレーニーのことも可愛がっている気がする。一方、俺のトレーニーたちはといえば、今日は二人とも休むという連絡が入っていた。相田は昨日の残業が響いたのか、黄さんはトラブルで疲れてしまったのか、理由はいずれも体調不良だったので、詳しい理由はわからない。とにかく今日は気楽な独り身で仕事ができる。ということは休憩にも行けて弁当も食える。二人には悪いがラッキーと言えばラッキーだった。
「――ってわけ、ちょっと、宗方さん聞いてる?」
「え、ああ、うん、まあでもそれは桃井のことを信頼して頼ってる証拠だって」
「え、そうかな……だといいけど」
話を聞いていなかったので、適当に相槌を打ったらクリーンヒットしたようだった。愚痴も一段落したようだし、自分の担当便を確認しに行く。
「えーと、今日俺は、HKG(香港)、BKK(バンコク)HNL(ホノルル)か」
「お疲れさまです」
隣に森村が立っていた。なんだかいつになく活き活きしている気がする。
「お疲れ、弁当買ってきたよ、森村と水瀬さんの分も」
「ほんとですか? ありがとうございます」
笑顔の森村の向こう側にもう一人が現れた。
「おつかれぇええああ」
あくびをしながら登場した水瀬さんは、おそらく昨日も徹夜作業だったのだろう。俺は午前二時くらいに退社したが、その後も水瀬さんは残業していた。
「あれ、水瀬さん、泣いてるんですか」
「あくびしたからだよ、俺涙腺弱いから」
ぎろりと俺を見ると、制服の肘の内側で目をゴシゴシ拭っている。
「弁当買ってきた?」
「もちろんですよ、全部で三人分、あとでお金もらいますから」
「サンクス! 楽しみだなー」
水瀬さんは、にこにこしながら自分とトレーニーたちの担当便を確認する。森村が自分の便の確認を終えると俺、森村、水瀬さんの順で横に並んで席に着く。森村が話を切り出した。
「今日の計画ですが」
「なんかわくわくしてきたな」
水瀬さんが身を乗り出してくる。森村はコホン、と咳ばらいをして
「まず俺が、さっさとサンフランの出発準備を終わらせます。貨物情報を見た限り、今日はトラブルになりそうなものもなく、貨物量も通常通りなので、いけると思います。台北は出発まで時間が空いているので、これもなんとかなるでしょう」
「ほうほーう」
水瀬さんが腕組みして大げさに頷く。
「お二人はトレーニーが居ると思うので、すぐには休憩に行けません。なので、まずは俺が早めの休憩に行って見張りをします」
俺が手を挙げて発言を求めると、森村から「どうぞ」と許可が下りた。
「俺、今日トレーニー二人とも休みだから、すぐに休憩行けそうだし、弁当食べたいんだけど」
「ダメです」
真顔で顔を横に振る森村。
「昨日も言いましたが、國井さんは宗方さんが弁当の持ち主だと気づいています。宗方さんがいたら弁当には手を付けないでしょう。それに宗方さん、弁当を食べてしまったら、罠が張れなくなるじゃないですか。弁当食べるのはあとです」
「あ、そっか」
弁当への執念で大前提を忘れていた。水瀬さんがバカにしたように指を差して笑ってくる。森村は水瀬さんの方を向くと、
「水瀬さんはトレーニーが担当する便の出発準備が整って落ち着き次第、休憩室に来てください」
もう一度手を挙げると、森村から発言許可が出た。
「別にいいんだけどさ、水瀬さんが休憩室に行かなきゃいけない理由ってなに?」
森村がフンと鼻を鳴らして、まるでこの質問を待っていたかのように答える。
「それはですね、俺が一人で休憩室に居ると、國井さんも警戒すると思うんです。圧がすごいですからね、俺は。國井さんに余計なプレッシャーを与えてしまうでしょう。そもそも國井さんは俺のことを怖れているフシもあります。以前、座学で藤嶋さんが話しているときに、國井さんがイビキかいてうたた寝しているのを指摘してからです。でも水瀬さんと一緒に居て、バカみたいな話をしているフリでもしていれば、國井さんも油断して犯行におよぶだろう、というのが狙いであり、水瀬さんが必要な理由です」
「バカみたいな話?」
水瀬さんが聞き返すが森村はスルーした。
「すごく早口だったから、よくわかんないんだけど、要するに、水瀬さんと一緒に休憩してバカ話をしたい、そういうこと?」
「え、なにを聞いてたんですか宗方さん、そうじゃないですよ! だから――」
「わかったわかった、んじゃ俺はどうすればいいの?」
ムキになるのが面白いのでもう少しからかいたかったが、森村はプライドが高いタイプなので、これ以上はやめておいた。
「宗方さんは、事務所で待機してください。俺が合図をしたら、休憩室に登場する流れです」
「了解了解、えーと、んじゃあ、まあとりあえず仕事しよっか」
俺の方を向いて話している森村と水瀬さんはまだ気づいていないようだが、責任者席の浜島さんがずっと俺たちを見ているので、慌てて仕事に取り掛かることにした。
午後四時四十五分ごろ、有言実行の森村は、トラブルもなくサンフランの準備を終わらせ、休憩室に向かう。休憩に行くことを伝えると、浜島さんに
「え? もう? 早すぎない?」
と言われていたが
「行けるときに行っておきたいので」
と答えると、浜島さんも
「確かにそうね」
と納得していた。俺は浜島さんの死角になる位置に携帯を置いて、森村、水瀬さんと俺の三人のチャットを表示させていた。水瀬さんはトレーニーが担当する上海便が少し炎上気味で、対応に追われているようだった。ブブブ、と携帯が鳴る。
『潜入成功、休憩室には誰もいない どうぞ』
森村からだった。いきなりスパイみたいな口調になってかわいいなこいつ、と思いながら事務所の端に目を向けると、國井さんはいつものようにパソコンに向かって微動だにしていない。ネットニュースでも見ているのだろう。
『國井さん、インターネット中 どーぞ』
と送信した。
『了解』
と森村。水瀬さんが俺の方を見て
「なにこのやり取り」
とやや失笑気味に言う。
『水瀬さん、失笑 どーぞ』
と送信する。
『??? どういうことですか?』
と急に素に戻る森村。
『ごめん、なんでもない』
と水瀬さん。
「ちょっと、宗方くん?」
水瀬さんに叱られた。と送信しようとしたがやめた。
「すみません、森村意外と子供だなと思って。ついからかっちゃいました」
軽く頭を下げて自分の仕事をする。実はあまりふざけている状況でもなく、今日はトレーニーがいなくて本当にラッキーだったな、と思うくらい面倒くさいことになっていた。LAXは危険物のオンパレードで、それぞれ隔離が必要な上に、普段なかなかお目にかからない種類の危険物も含まれている。幸い、危険物のチェックは午前中に終わっていて、担当者の署名欄には山近さんの印鑑が押してあった。
「山近さんまじで女神だな……」
書類を見ながら独り言を言うと、携帯がブブブと鳴った。
『山近は女神 ✨』
水瀬さんだ。
『どういうことですか???』
状況がつかめない森村。
『ごめん、こっちの話』
と俺が送信する。
『……了解』
と森村。三点リーダーをわざわざつけているところから、怒りと不満がくみ取れる。
「水瀬さん、森村をからかってんのはどっちですか」
「ごめんごめん、つい」
仕事を続ける。積み付けは順調なので、とりあえず書類を捌きに行くことにした。事務所の端では國井さんの斜向かいの席で午前勤務だった桃井がまだ残業をしている。少し離れたところに同じく午前勤務だった丸本も座っており、〆作業をしているようだった。俺は受付の裏にある棚から書類をどっさりと持ち出して、桃井と國井さんが座る島の端に置くと、そこで捌き始めた。
「桃井、まだ終わらないの?」
話しかけると、桃井はモニタを凝視したまま
「もう少しで終わりそうなんだけど、集中力がもう……切れて……きてる」
文末に行くにしたがって消え入るように答えると、そのまま机にうつぶせになってしまった。
「あ~、いつまで続くのこの教育地獄~」
すでに三カ月近く、桃井や俺などのインストラクターは長時間残業続きだった。多少トレーニーが成長したとはいえ、いまだにトラブルが起きれば尻拭いをし、残った作業は引き受けて定時に帰らせている。ただ最近はトレーニーにも残業してもらわないと回らないくらい、仕事の量が増えていた。先月末で派遣社員が全員契約終了になってしまったのも大きい。予定ではこの時期に新人が全員独り立ちしている皮算用だったのだろう。事業が拡大すればするほど、人手が足りていない現場はどんどん逼迫して、疲弊している。
「いつまで続くんだろうなあ……」
俺はあいまいな返事して、AWBを着地用、保管用などにビリビリとちぎって分けながら、目の前でうつぶせになっている桃井を見た。つむじの少し横に、やや地肌が見えているところがある。これは……、本人は気づいているのだろうか、見なかったことにするしかないか、と考えていると、
「ねえ見て宗方さん、十円ハゲできてんのあたし」
プリン気味になった茶髪をかき分けて見せてきた。
「おお、初めて見た、えーと、十円ハゲとかやばいな」
なんとコメントしていいかわからず、バカ丸出しの感想を言ってしまった。
「まじでやばいよ。あたしの十円ハゲもだけど、丸本も最近すごい痩せてきてるし。前は弁当持ってきて、にこにこしながら食べてたのが、ここのとこ食べてるとこすら見てないからさあ、今日はもうさっさと休憩行ってきなよって言って、私が丸本のトレーニーたちも子守りしつつ、先に休憩行かせた」
やはり桃井は情に厚い。振り向いて丸本の後姿を見る。確かに最近かなりスリムになったと思う。健康的な痩せ方ならいいのだが、頬に影ができるような感じなので少し心配している。
「宗方さんもだいぶ痩せたじゃん、大丈夫? ちゃんと食べてる?」
「まあ、食べたり食べなかったり、かな」
横目で國井さんを見る。ネットを見ているのか、寝ているのかやはり微動だにしないのでわからない。
「あーもういいや、どうせまだヨーロッパ便はシベリアの上でも飛んでるだろうし。焦る必要なんかないよね。頭おかしくなりそうだから休憩行ってくる」
桃井は机の上をほったらかしにして、ふらふらと歩いて行った。一人黙々と書類を捌いているとしばらくして俺の携帯が鳴る。
『桃井さん登場』
森村だ。
『あれ、そういえば水瀬さんは』
そう送信した後で、「あ」と思い、後ろを振り向く。まず目で見て確認だ。事務所内、二十五メートルくらい先に座って作業する水瀬さんが見えた。無線でなにかやり取りしているようで、おそらく休憩どころではない状況なのがわかった。
『自己解決。事務所に居た』
と送信する。そのとき國井さんがスッと、音もなく垂直に立ち上がった。壁の時計に目をやると、午後五時を指している。俺の後ろを通り過ぎたのを確認して、國井さんのパソコンを見ると、電源が切られているのがわかった。
『國井さん、移動開始』
と送信する。
『了解』
森村から返ってきた。まだ水瀬さんは取り込み中のようなので、森村一人でのミッション遂行だ。
『グッドラック森村』
と送信。
数分後、携帯が鳴る。なにか進捗があったのかと思って見ると
『桃井さんに話しかけられている』
と森村。
『いいじゃん、仲良くしなよ』
と返すと
『ものすごい勢いで國井さんの悪口を言っている、じじい、寝てねえで働け、と』
と森村。思わず笑ってしまう。続けて
『このままでは二人が遭逢してしまう、どうすれば』
森村が焦っているのが目に浮かんだ。よく遭逢なんて言葉知ってるな、と感心していると、森村が被せてくる。
『國井さんが来た、桃井さんに気味悪がられてるいる』
乱れている森村の文章から、なにかが起きているのは間違いなさそうだ。
『落ち着け、どうした』
と、水瀬さん。一応チャットを見ているようだ。
『桃井さんに「國井さんが来ますからちょっと静かに」と伝えた直後に國井さんが休憩室に侵入。桃井さんが、「え、森村なんでわかったの……怖……」と引いている』
向こうの方からアーッハッハと笑い声が聞こえる、水瀬さんだ。携帯はブーブー鳴り続けている。
『國井さん、冷蔵庫を開けて固まる』
『國井さん、まだ制服のまま』
『國井さん、冷蔵庫から何も取らずに閉める』
森村の連投の後、しばらく携帯は沈黙した。気になるので様子をうかがうことにする。
『森村どうした?』
『ちょっと待ってくださう』
何かが起きている。とはいえ、俺が休憩室に行くことは森村参謀に禁じられているので、できることは特にない。ただ目の前の書類を捌き続けることのみに集中する。十部ほどのAWBを処理したところで、携帯が鳴った。
『宗方くん、BKKのローコンから電話』
振り向くと、水瀬さんが手を挙げている。急いで席に戻った。
「はい、バンコク担当です。なにかありましたか?」
受話器を取って呼びかけると、若い女性の困惑した声で
「機長からNOTOCに不備があるって言われたんですけど」
と言われる。NOTOCは危険物について機長に報告するための書類だ。
「え? どこですか?」
今日はいくつか分類区分が違うものを載せてたから、そのせいか? と思いつつ書類を見ていると、
「三枚目の上から二つ目、機長曰くこの危険物は旅客機には載せられなくて、貨物専用機じゃないと載せられないってことなんですが……」
とのことだった。普段あまり見ない危険物なので、そう言われると正直自信がなかった。危険物チェックの時点で山近さんが見過ごしていたという可能性もないことはない。とはいえ、自分の担当便である以上、NOTOCの作成時に再確認するべきだった。壁に掛かる時計を見る。時間はない。落ち着け、落ち着け……。そう思うほど、頭が働かなくなってくる。受話器を耳にあてて、NOTOCを見つめていると、水瀬さんがトントンと指で机を叩く。顔を上げると
「電話代わって」
と言われた。保留ボタンを押して頭を下げると、水瀬さんは少し笑って電話を代わってくれた。「はい、はい」と事情を聞いた後、水瀬さんは受話器を一度置いて事務所の奥の棚に走っていくと、危険物について記載された分厚い冊子を持ってきてページをめくる。目的のページを開いて、記載されている表を指で追いながら
「うん、やっぱ大丈夫ですね。機長には1・4じゃなくて1・4Sですから、って伝えてください。はい、どうもー」
そう伝えて受話器を置く。パタン、と冊子を閉じると水瀬さんは
「戻してきてもらっていい? あそこの左の棚の二段目、空いてるとこ」
と俺に手渡してきた。今度からはあそこに置いてあるこの冊子を見たらいいよ、という意味だ。
「ありがとうございました!」
お礼を言って冊子を戻しに行く。水瀬さんにはこうやって何度助けてもらったかわからないし、山近さんのチェックも間違っていなかった。思わず天井を見上げる。自分が先輩たちのように仕事をできるようになるイメージがまったく湧かない。自分の未熟さにため息をつきながら席に戻ると、携帯が鳴る。そういえば森村のことをすっかり忘れていた。未読のメッセージがたまっている。
『國井さん、弁当を手に取る』
『持ち去った!』
『桃井さんが突撃』
『國井さん退散』
『水瀬さん来る前に解決しちゃいました』
『ところで水瀬さんいつ休憩くるんですか?』
『あれ、水瀬さんひょっとして忙しいですか? 俺、戻って手伝いましょうか?』
『桃井さんと弁当食べました』
最新のメッセージまで追いついたところ、なにがどうなったかわからないが、桃井が突撃して解決したらしい。その後、ローコンから再度の連絡はなく、バンコク便は無事に飛び立って行った。
仕事が少し落ち着いたころを見計らって水瀬さんと一緒に休憩室に入ると、L字型に配置されたソファに座ってテレビを見ている森村と桃井がこちらを振り向く。水瀬さんは冷蔵庫に直行すると、生姜焼き弁当を取り出した。
「ほんとにいいの?」
念のため、という感じで俺に聞いてくる。
「もちろんですよ、それは水瀬さんので、俺のは桃井の腹の中なんで」
そう言って桃井を見ると、
「だって森村が食べていいって言ったんだもん」
と悪びれる様子はない。森村の方を見ると、
「桃井さんのおかげで問題が解決したんだからいいじゃないですか」
とこちらもあっけらかんとした様子。
「じゃあ、森村名探偵から、事の顛末を語っていただきましょうかね」
俺の今日の晩飯である自販機で買ってきたコーンスープをテーブルに置いて、ソファに座ると森村の方を向く。レンジで弁当を温めながら、水瀬さんも森村に注目している。桃井は興味が無いようでテレビを眺めていた。
「わかりました。まず國井さんが入ってくる前、桃井さんがあまりに激しく國井さんの悪口を言うので、なんとか黙らせないといけないと思いました。なので、今から國井さんが入ってきますから黙ってください。と桃井さんに伝えたのですが、その直後、本当に國井さんが入ってきたので、桃井さんは心底気味悪がっていました」
テレビから目を逸らさずに、桃井が横から会話に入ってくる。
「いやあれはまじできもかった。森村、國井さんにGPSつけてんのかと思ったもん」
「うん、確かになにも知らなかったらビビるかも」
桃井に同意しつつ水瀬さんが弁当をレンジから取り出し、俺の隣に座る。生姜焼きの匂いが無慈悲に俺の胃を刺激した。森村が続ける。
「その後、國井さんは一度冷蔵庫を開けたのですが、数秒間、中を見つめたまま静止して、冷蔵庫を閉めると去っていきました。おそらく、三つ弁当が並んでいたので混乱してしまったのだと思います」
「なんで混乱するの?」
水瀬さんが訊ねると、
「どれが宗方さんの弁当かわからなかったからです。いつもは一つしか入っていない生姜焼き弁当が三つ並んでいるわけで」
「國井さん、俺の弁当一本釣りかよ」
「國井さんはロボットみたいな人なので、イレギュラーなことには弱いんです。だから一度冷蔵庫を閉めて、去って行った。俺はこの時点で作戦は失敗したと思いました」
また桃井が横から入ってくる。
「國井さんが出て行ったあとに、森村があたしに事情を話してきたんだけど、正直なんでそんなまどろっこしいことしてんだろ、と思った。はい、先生続きどうぞ」
バカにされたと思ったのか森村が少しムッとする。
「それでまた、しばらく桃井さんから國井さんの悪口を聞いていたんですが、ふと気づいたんです。犯人は現場に戻る、って言うじゃないですか。だからもう一度國井さんは来るんじゃないかと思いました」
「犯人は現場に戻るって、実際に犯罪をした後のことなんじゃなかったっけ?」
箸で生姜焼きを持ち上げながら水瀬さんが質問したが、森村はスルーして話を続ける。プライドが高いのだ。
「だから、弁当を二つ冷蔵庫から取り出して、桃井さんと食べました」
「え、何で? 何でそこで食べるにつながるの?」
俺の質問する様子が必死だったのか、森村は答えてくれた。
「國井さんがもう一回戻ってきても、弁当が三つのままだったらまた手を出さずに諦めるかもしれないからです。はじめから囮用の宗方さんの弁当だけわかりやすいところに置いて、俺達のは隠しておくべきでした」
「え、ていうかそれじゃ、あのチャットで弁当食べたってのめちゃくちゃ事後報告じゃん、一言相談してくれたら、『弁当出すだけだして隠しとけ、食うな』って言ったんだけど、え?」
そう言う俺を制止するように手のひらを向けて、森村が続ける。
「まあ、細かいことは気にしても仕方ないじゃないですか。重要なのはここからです。休憩室のドアが開くと、スーツに着替えた國井さんが入ってきました。弁当をおいしく食べている俺たちの方をチラ見したので、おそらく彼の中のイレギュラーな事象はここで解決しました。たまたま今日あった二つは俺と桃井さんの弁当だった、と納得したのでしょう。冷蔵庫を開けると、さも当然のように残りの弁当を持ち去ろうとします。そこで桃井さんが突撃しました」
「突撃って、具体的になに?」
ソースがついた千切りキャベツを口の端につけて言う水瀬さんは、もう弁当を半分ほど食べていた。まだあと二切れ生姜焼きが残っているのが見える。桃井が質問に答えた。
「立ち上がって、國井さんに近づいて、『それ、國井さんのじゃないですよね』って言いました」
思っていたよりも全然ソフトな突撃で少し期待はずれだった。森村が続ける。
「そしたら國井さん、『いや、私の弁当ですよ。昼食にしようと買ってきたけど食欲がなかったので冷蔵庫に入れておいたんです』って反論してきました。すると桃井さんが声を荒げて『じゃあ裏見てみなよ!』って言いました。水瀬さん、弁当の裏見てみてください」
水瀬さんが食べかけの弁当を持ち上げて底面の裏を覗き込む。生姜焼きがあと一枚残っているのが見えた。
「あ、むなかたって書いてある」
俺も隣から覗き込んだ。ひらがなでむなかた、と書いてあった。森村の字だろうか。思ったよりもへたくそだった。
「それは桃井さんのアイデアです。國井さんが一回居なくなったときに、桃井さんがマッキーで書いてました」
マッキーと聞いて、水瀬さんが少し嫌そうな顔でご飯をかき分け、箱に裏写りしてないかを確認していた。桃井が俺の方を向く。
「てか宗方さんさあ、これまで何度も盗られてるのに、自分の弁当に名前書いてなかったの?」
あらためて言われてはっとする。
「書いて、なかった……」
「そんなの初歩の初歩だよ、あたしの家だと名前書いてないのはプリンでもアイスでも勝手に食べられちゃうよ。うち大家族だからさあ。こないだなんて弟たちが三連プリンを食べた食べないで揉めてたから結局あたしがコンビニ行って追加で買ってくることになってほんとに食べ物の恨みってのは――」
「エー、コホンコホン!」
森村が咳ばらいでカットインして話をもどす。
「まあ、それで國井さんは観念して弁当を置くと、さっさと帰っていきました」
「弁当泥棒しようとしたこと指摘されて、國井さんなんか言ってなかったの?」
弁当を綺麗に平らげた水瀬さんが訊く。森村が少し呆れたように笑いながら答える。
「間違えた、おかしいな? って言ってました。あと、名前が見えるところに書いてあれば手に取らなかった、って」
「ほんと往生際悪いなー、あのじじい。ほんとにGPSつけてやろうかな」
桃井はどんどん口が悪くなっている気がする。
「まあでもこれで、さすがに國井さんも弁当泥棒止めるんじゃない?」
そう言う水瀬さんに
「そうですね、これで問題解決したし、弁当もしっかり食べて、残業も捗りそうです」
と笑顔の森村。俺はぬるくなったコーンスープを流し込む。コーンスープは、うまい。つけっぱなしになっているテレビのニュース番組で、特集が始まった。空港が映っている。俺たちと似た制服を着た人たちが登場して、インタビューを受けていた。
「あれ、これ成田じゃん、いつ取材されたの?」
組んでいた足を直して、桃井が身を乗り出す。忙しそうに走り回るグランドスタッフや、安全性について語る整備士が登場するのを、俺たちは四人揃って無言で、なにかを期待しながら見ていた特集だったが、旅客部門や整備部門の紹介だけで終わってしまった。
「はい、結局貨物は出てこない~♪」
水瀬さんは歌うように言うと、空の弁当箱をゴミ箱に投げ捨て、休憩室を出ていく。
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