3 新人たちと事業本部長

 新しい年を迎えて二週間、座学の研修を終えた新人たちが一気に事務所に配属される。今朝、メールをチェックしていたら、社内報の原稿作成依頼が本体の広報部から来ていた。どこから情報を得たのか、成田の輸出課に新入社員が配属されることを知っている様子で、今後の経営戦略の柱となっている貨物部門の人材育成をアピールするため、現場の臨場感あるレポートをお願いします。とのことだった。教育期間が終わるまで、不定期連載するらしい。いかにも本体の広報部が考えそうなことではあったが、彼らが現場の新人配属まで把握しているとは思えない。誰かの指示があってのことだろう。おそらく事業本部長だと思うが。

 目の前で楽しそうに雑談している新人たちは、三月に専門学校を卒業後そのまま入社するらしい。要するにまだ身分は学生ということだ。インターンシップのようなものかもしれないが、当然、学生気分に満ち溢れていて、年長の先輩や上司がピリピリしているのを感じる。一度のシフト当たり二人の新人の面倒をみるのがインストラクターの仕事で、今日は、桃井と新人二人、丸本と新人二人、俺と新人二人、水瀬さんと新人二人、それに藤嶋、というシフトが組まれている。残り二人の新人は受付業務を山近さんに指導してもらっているようだ。

 電話が鳴る。各インストラクターからブリーフィングを受けていた新人たちは、皆顔を見合わせて様子をうかがっていた。三コールを過ぎたところで藤嶋が電話を取る。新人たちが安堵したような表情で、またインストラクターの話に耳を傾けようとしたとき、

「電話は三コールまでに取る!」

祖父江さんの声はよく通る。別の島の誰かが「お、始まったぞ」と言っているのが聞こえた。祖父江さんは教育担当のリーダーだ。

「この受話器はビーチフラッグだと思って! 電話に出なかったらいつまで経っても慣れないよ! 新人で大目に見てもらえるうちにミスしといた方がいいんだから、そのチャンスを逃したら損だよ!」

祖父江さんに視線が集中している。

「返事!」

「……はい!」

 新人たちの返事を聞くと、祖父江さんは貨物便担当の島へ去っていく。こうやって引き締めてくれる人が居ると、個々のインストラクターは言いにくいことをいちいち言わずに済んで助かる。今日の俺の担当便はJFK(ニューヨーク、ジョン・F・ケネディ)、TPE(台湾桃園)、BKK(バンコク)で、アジアをそれぞれトレーニーにやってもらうことにした。今日は特に面倒なこともなく、トラブルもなかったが、当然新人の作業スピードは遅いので、半分以上を俺が引き取って作業することになった。キリのいいところで休憩に送り出すと、トレーニーが残した大量の仕事を、普段より短い時間で捌く地獄タイムがやってくる。各々、自分のトレーニーを休憩に行かせたようで、インストラクターが無言でタイピングしたり電卓を叩いたりする音だけが響いていた。

「今日は弁当持って帰って、家で食べるしかないなあ……」

丸本が悲しそうに言う。グルメな丸本は以前から手作り弁当を持参していて、一緒に住んでいる彼女の弁当も作っているらしい。大盛サイズの弁当ジャーは、味噌汁も一緒に持ってこられる保温タイプで、山盛りのおかずと合わせると、もはやここは丸本の家なのではないかというくらい豪勢な食事になるが、ここ数カ月の業務量の増加に伴い、弁当を持参しなくなっている。年始の閑散期で弁当が復活したようだったが、また忙しくなってきた。隣の桃井が口を開く。

「ねえ、初日からこれってやばくない? しかも今まだ正月引きずってて貨物の量少ないのに、これで通常営業に戻ったらあたし達、もう家に帰れないよ」

同意を求めるようにこちらを振り向くので、一応目を合わせて

「そうだなー、早く皆に一人前になってもらうしかないなー」

と返事をした。桃井は「いや無理でしょ」と言いつつ電卓を高速で叩いている。電卓を叩きながら会話をするなんて俺にはできないので、桃井は電卓の天才なのだと思う。そう考えると、今いつも一緒に働いているメンバーにはそれぞれ得意なことがあるなと気づいた。丸本は物の教え方が明快でわかりやすいし、水瀬さんは危険物の知識が豊富、山近さんはコミュニケーション能力が抜群だ。藤嶋は……、一生懸命頑張っているところがいいと思う。

「どうした? 難しそうな顔して。エラー出た?」

書類を運びながら祖父江さんが声をかけてきた。

「いや、何でもないです」

「そう、ならよかった。なんかあったら言ってね。新人たちのことも」

そう言って肩を叩くと、受付の方に去っていく。年齢は一歳しか変わらないのに、頼れる姉さん感がすごい。祖父江さんが居ると安心感がある。

 午後二時を回ったころ、新人が休憩から戻ってくると、作業を一度止めてブリーフィングを行う。今日わからなかったこと、難しかったことなどを聞いて、それに答えていると、事務所の奥が少しざわついているのに気づいた。程なくして、佐原さんがスーツ姿のおじさんを連れて事務所の中央まで歩いてきた。責任者席に座っていた浜島さんも慌てて立ち上がりお辞儀している。事業本部長だ。

「はい、皆さんちょっと注目してください、東田事業本部長が視察に来られました」

そう言うと佐原さんは、事業本部長の方を見る。多分染めているのだろう、撫でつけられた真っ黒な髪と、脂ぎった褐色の肌がテカテカと光っていて、目じりの下がった顔は一見、人がよさそうに見えるが髪と同じく腹の中も真っ黒な人間だ。この会社の人間ではなく、俺と同じく本体から出向してきている。身分は天と地ほど違うが。事業本部長は周囲を見回して何度か頷くと、話し始めた。

「今日は新入社員の現場初日ということで、皆さんどうしてるかなと思って見に来ました。これからの貨物部門の拡大に欠かせない貴重な人財、財産の財、の方の『人財』ですから、期待しています、頑張ってください」

突然現場にやってきて挨拶をされても、と困惑の雰囲気が漂っていたが、本人は満足そうにしていて、新人がぽかんとする中、事務所のどこからか、ぱらぱらと拍手が起こり、仕方なく皆手を叩いて挨拶に応える。新人一人ひとりに「やあ、頑張ってる?」「期待してるからね」などと声掛けすると、また佐原さんに付き添われて去っていった。

「なんだか、どこかの大統領の訪問かよって感じでしたね」

斜め前に座っている少年が笑いながら言う。水瀬さんも少し笑いながら

「ちょっと、お前声でかいよ」

と注意した。森村は水瀬さんのトレーニーの一人で、どことなく雰囲気が水瀬さんに似ている。現場初日であるにもかかわらず、無線にも積極的に対応して、電話も一番取っていた。

事業本部長の訪問で現場は少し混乱したものの、引き続きブリーフィングを行ってトレーニーたちを定時で帰宅させた。インストラクターの俺たちの前にはまだどっさり仕事が残っていたが、午後便が始まるため、皆揃って事務所の端っこの、普段誰も使っていない机に移動する。國井さんが端っこに座ってインターネットのニュースを眺めていた。それを見て、社内報の記事執筆を思い出す。


 午後便で徐々に事務所が騒がしくなってくる中、受付で山近さんの「きゃー」という歓声が上がった。なにごとかと思っていると、手を振りながらスーツ姿の女性が現れた。

「皆、おつかれさま!」

太陽のような笑顔で紙袋からお菓子を取り出している。大きく平べったい箱の包装紙には大阪土産、と書いてあった。

「楠木さん!」

國井さんを除いて、その場にいた全員の声が重なった。それは驚きと嬉しさに溢れた声で、つい立ち上がってしまうようなものだった。

「え!? どうしたんですか? 出張で来たんですか?」

丸本が訊ねる。いつもおっとりしているのに、こんなに興奮した様子なのはめずらしい。

「そうなの。今日は成田で会議があったから、久しぶりに皆の顔も見たいと思って」

自らお土産を開けて、個別包装されたマドレーヌを一つずつ皆の机に置いてくれる。机に散らばる書類を見ると、困ったような顔で小さくため息をついた。

「見たところ休憩行けてなさそうだから、皆お菓子食べて元気出して!」

両手でグーを作って励ます姿が懐かしい。

「今日こっち泊まるんですか? 皆でごはん行きましょうよ~」

桃井が懇願するように訊くが、楠木さんは残念そうな笑顔で

「それが夕方の便で関空に戻らないといけないの」

と返事しながら國井さんにもマドレーヌを渡している。國井さんはぼそりと「おう、ありがとうございます」と言いつつ受け取った。

「ちょっと他の皆にも挨拶してくるね」

小さく手を振ると、祖父江さんのところへ向かった。水瀬さんはマドレーヌを食べながら

「楠木さん、少しふっくらして顔色もよくなってたな」

とつぶやいた。

 

 次の日、空がやや白み始めた時間に、送迎のタクシーから降りて眠い目を擦り歩いていると、事務所の入り口で、駐車場から歩いてきた水瀬さんに会った。水瀬さんは車通勤しているのでタクシー送迎は使わない。羨ましいと思う反面、自分だったら居眠りしてしまいそうだとも思う。

「おはようございます、眠いですね」

「おはよう、うん、眠いし寒いね」

自動ドアを通り抜けると、暖房の効いた、そして人の気配がある空気に包まれた。昨夜も浜島さんは徹夜だったようで、こちらに気づくと「おはよう」と言った。かすれているのか声が出ていなかったが、口の動きを見る限りそう言ったと思う。階段を上がって廊下を歩いていると、更衣室から制服に着替えた新人たちが数人出てきた。へらへらと笑っている姿を見ると、若さを感じる。水瀬さんと俺の存在に気づくと、慌てて挨拶をして通り過ぎていった。まるで廊下で上級生に遭遇して挨拶する下級生のようで、いよいよ事務所の学校化が顕著になってきたなと思う。更衣室に入ると、まだ何人かが着替えているところで、こちらが挨拶すると挨拶が返って来た。

「水瀬さん、今日もよろしくお願いします」

森村は、てきぱきとした口調でそう言うと、他の新人と一緒に出ていった。昨日、皆と〆作業をしながら聞いた話によると、森村は新人では一人だけ、最初から最後まで担当便の作業を終わらせたそうだ。提出したフライトレコードのチェックでも、浜島さんから一切修正箇所を指摘されなかったと聞いた。水瀬さんの隣の席で作業していた丸本曰く「水瀬さんのコピーみたい」らしい。

 着替えて事務所に降りると、祖父江さんが浜島さんから引継ぎを受けていた。今日午前の責任者は祖父江さんらしい。浜島さんは疲れ切った様子で引継ぎを終えると体を引きずるようにして帰宅していった。心なしかキューティクルの輝きが鈍っているように見えた。

 午前六時の業務開始を前に、既に全員が席について担当便の作業を始めている。各自の席には担当便の貨物情報の詳細が印刷されたリストと、電卓、ホッチキスなどの備品が揃えて置かれていた。

「お、これ誰が配ってくれたの?」

水瀬さんがホッチキスを手に取って言う。桃井があくびをしながら

「藤嶋でぇす」

と返事をした。今日は眉毛がなく、マスクをしている。昨日の業務が堪えたのは俺だけではなかったようで、丸本も昨夜は弁当を作れなかったと嘆いていた。

「そっか、サンキュー藤嶋」

水瀬さんはさほど疲れた様子もない。やはり数々の修羅場をくぐり抜けてきた人間は、この業務に体が順応するのか、それとも環境に選ばれた者だけが残ることができるのか。いずれにしても元気そうでなによりだ。声をかけられた藤嶋は微笑んで「いえいえ」と首を振っている。

 太陽がすっかり昇ったころ、電話も無線も休むことなく鳴り響いていた。昨日に比べると新人たちは積極的に電話に出るようになっていたが、それでもほとんどを森村と藤嶋が取っていた。また電話が鳴る。

「藤嶋さん、電話出なくていいよ! これも練習だから」

責任者席に座った祖父江さんにそう言われると、藤嶋は伸ばした手を引っ込める。一瞬、新人たちの間に走る、緊張感というか抵抗感のようなものを感じた。自分もそうだったのかもしれないが、学生はこんなに無遠慮に眉根を寄せたりするものだっただろうか。藤嶋の代わりに電話に出たのはやはり森村だった。俺は自分のトレーニーたちに笑顔を向けて「次は頑張って出てみようか」などと優しい大人を演じているのだった。

 昨日来ていたメールの内容を反芻していた。『この会社の俺』ではなく『本体の社員である俺』に来ていたメールだ。部門の拡大に伴う人員拡充は喫緊の課題で、計画の遅延が許されない中、『人財』の教育が急ピッチで進められている。入社した人間の離職は何よりも避けなくてはならないことで、それを肝に銘じて業務に当たるよう、事業本部長からお達しのメールがきていたというわけだ。こういった情報は前線で働く『この会社の』俺の同期や先輩には共有されておらず、そういった会社の姿勢に俺は少なからず疑問を持っていた。

「ZA855便香港、ローコンさんどうぞ、輸出貨物です」

藤嶋が無線で呼びかけると、すかさず別の声が入ってくる。

「ブレイクします、ZA815便北京……」

旅客の担当者が割りこんでくる。その後も延々とやり取りが続いていた。

「割り込まれちゃいましたね、はは、電話します」

誰に言うでもなく、苦笑いしながら受話器を取る藤嶋に「ドンマイ」と水瀬さんが声をかけた。

 やきもきする気持ちを抑えてトレーニーたちの仕事を見守り、これ以上は時間切れというタイミングで休憩に送り出すと、また残務処理が始まる。導火線がだいぶ縮まった状態の爆弾を渡されるようなもので、自分一人で作業できたときが、いかに楽だったかを痛感する。これはむしろ俺たちインストラクターのトレーニングなのではないかと思うほどだ。今日も休憩には行けそうにないので、昨日、共有テーブルに置いてあった楠木さんからのお土産を一つもらおうと席を立った。同じ考えだったのか、桃井もテーブルに来ていた。

「あれ、お土産は?」

訊ねる俺に向かって、首を傾げて両腕を挙げるポーズで応える桃井。昨日楠木さんが両手の紙袋一杯に持ってきてくれていたのに、もう影も形もない。でも、考えてみれば大所帯だしそんなもんか、と思っていると、会話を聞いていたらしい山近さんが近づいてきて、小声で言う。

「……あのね、私昨日見たんだけど、國井さんが箱ごと二つ持って帰ってたよ」

桃井と俺の視線が事務所の端に向かう。後ろ姿を見る限り、今日もネットニュースを見ているようだった。

「まじか」

思わず声が出た。桃井は相当怒っているようで

「あのじじい!」

と大きな声で言う。

「桃井ちゃん! 聞こえるよ!」

「いっちょ前にメガネから紐なんか垂らして!」

「メガネは関係ないと思うよ!」

山近さんになだめられつつも、よほど腹が立ったのか桃井はその後も事務所の端を睨んで悪態をついていた。仕方ないので自分の席に戻ると、受話器に手を当てた藤嶋が

「宗方さん、昨日HNL(ホノルル)担当しました?」

と訊いてきた。

「いや、やってないよ、俺昨日、早番だったし、ていうか一緒に居たじゃん」

「あ、そっか、すみません、じゃあ大丈夫です。」

そう言うと、また受話器に向かって話し始めた藤嶋を見て、俺は驚いた。

「I'm sorry, but the staff who was in charge of the flight to Honolulu yesterday hasn't arrived at the office yet today, so may I check the situation with them as soon as they arrive and call you again?」

丸本も作業の手を止めて、目をぱちくりさせている。藤嶋はその後、二言三言やり取りをして「Thank you!」と言うと笑顔で受話器を置いた。一瞬の間を空けて、水瀬さんが

「え! 藤嶋英語喋れんの? すげーじゃん!」

と拍手するので、周りに居た俺たちもつられて拍手してしまう。パチパチと鳴り響く音に、遠くで書類を捌く同僚たちが何事か、とこちらを振り向いた。藤嶋は照れくさそうな笑顔で「いえいえ、少しだけです」と謙遜している。藤嶋がこんなに話せるとは知らず、いつだったかキャシー対応の英語を教えた自分を思い出して、俺はめちゃくちゃ恥ずかしくなった。

「祖父江さん、ちょっとよろしいですか?」

藤嶋は責任者席に行くと、さっきの電話の内容について説明し始める。

「なるほど……、台北から成田経由の貨物のダメージについての問い合わせってわけね。多分、昨日輸入がダメージレコード記録してるとは思うけど、あとは私の方で引き取ってやり取りする。ありがとね、藤嶋。やるじゃん」

いつもクールな祖父江さんが、めずらしく笑顔で人を褒めている。藤嶋は見たことないくらい嬉しそうな顔で飛び跳ねるのを我慢するようにして自席に戻ってきた。共有テーブルから帰ってきた桃井が、何が起きたのかわからずきょろきょろしている。その手にはマドレーヌの箱があった。

「え、なに? 藤嶋が大活躍? すごいじゃん、はいマドレーヌあげる」

そう言うと箱からマドレーヌを一つ取って、藤嶋に渡す。藤嶋だけではなく休憩に行けていないその場にいた全員に配り歩く。

「どうしたの、それ」

俺が訊くと、桃井は

「國井さん問い詰めたら、引き出しに隠してた一箱くれた」

と言いつつ、残りを別の島の同僚に持って行った。

 休憩から戻ってきた新人たちへのブリーフィングを終わらせ、定時に帰宅させると今日もまた事務所の隅で残業タイムが始まる。國井さんと桃井が同じ島に居ることに、少し不安があったが、俺の心配をよそに二人とも何も気にしていない様子だ。

「宗方さん、時間大丈夫? 大丈夫じゃなさそうだけど」

突然目の前に現れ話しかけてきた佐原さんを見て一瞬時が止まったが、そういえば今日は面談の日だったのをすっかり忘れていた。

「あ、面談! すみません、ちょっとまだ〆の作業終わってなくて難しいです……」

「あら、そう、それじゃ仕方ないね」

あっさりと背を向ける佐原さんだったが、水瀬さんが呼び止めた。

「俺、余裕あるんで宗方くんの分もらいますよ」

「あら、そう? いいの?」

佐原さんがくるりとこちらを向く。

「いや、申し訳ないんで……」

遠慮する俺に

「大丈夫だって。森村は今日も全部自分で終わらせて帰ったし、今日俺らの担当便、軽かったから」

自分の席から身を乗り出して書類一式を引き取ってくれる。

「じゃあ……、すみませんがよろしくお願いします。ありがとうございます」

「うん、気にしなくていいよ。頑張って」

水瀬さんに軽く頭を下げて、佐原さんのあとに続いた。

 事務所の奥にあるミーティングルームは薄暗く、佐原さんが

「暗いねえ!」

とブラインドを全開にする。日が射しこんできて眩しかったが、薄暗いよりかはましだった。コの字型に配置された机の角の部分に座ると、斜めに向かい合って面談が始まる。最近の仕事ぶりについての評価を聞かされたり、やや横道にそれた世間話などをしたりしていると、徐々に日が傾き西日が強くなってきた。

「で、なんか困ってることとかある?」

本来であれば出向者である自分は、管理部門にいる同じ出向元の上司との面談だけしかないのだが、毎日の仕事を一緒にしてないと相談しづらいこともあるだろうから、と佐原さんは面談の機会を設けてくれている。一見つかみどころがなくてサバサバしているが、子会社プロパー社員、本体や他のグループ会社からの出向者、派遣社員とそれぞれの面倒をしっかりみてくれる佐原さんを俺は信頼している。

「そうですね、忙しすぎますかね」

率直な意見を、やや冗談めかした口調で言ってみたが、佐原さんは真剣そうな顔で

「そうよねえ、わかる」

と頬に手を当てて、考え込む仕草をした。

「あと二十人、半年で教育するみたいですけど」

佐原さんがこちらをチラリと見る。

「水瀬さんや山近さん、丸本、桃井はこのこと知らないですよね。教育を担っている当事者に重要な情報が共有されないのはおかしいと思うんです」

話し続ける俺に「うん、うん」と相槌を打ちながら、窓の方を見てしかめ面をしている。

「西日が眩しいね」

そう言うと、ブラインドを閉めて部屋の照明をつけた。窓の外が見えなくなると、それだけで外界から遮断された密室のように感じられる。もう一度椅子に腰かけると、佐原さんはため息を一つつく。

「宗方さんはよくわかってると思うけど、いろんな立場の人が働いてるでしょう、ここ。丸本さんや桃井さんはどうかわからないけど、水瀬さんなんかは状況を十分理解してるみたいだから、いろいろ考えることがあるんだろうねえ」

水瀬さんに俺が情報を共有していることを察している口ぶりだった。

「最初はあと三人いた自分の同期も、今は丸本と桃井しか残っていないですし、藤嶋の代に至っては藤嶋しか残っていません。この状況で新人を入れてもまた同じことになるんじゃないでしょうか」

「でも、人が足りてないから忙しいのは確かでしょ? だったら人員を拡充するのは理にかなってるよね。だから教育が必要なの」

そう言われると、その通りなのだが、何か解決策がある気がしていた。

「例えば、関空で教育を引き取ってもらうことはできないんでしょうか」

佐原さんは目を細めて、口をつぐんだ。離陸する飛行機のエンジンの音が聞こえる。事務所ではまた何かトラブルがあったようで走り回る足音がここまで響いてきた。

「問題は東田事業本部長ですか?」

俺の問いかけに、佐原さんはまた、ため息をついた。

「宗方さんの気持ちはよくわかるし、そこまで考えてくれて私としてはありがたいけど、楠木さんのことも知ってるでしょう。今は目の前の仕事に集中することだけ考えなさい」

俺の目をじっと見たあと、佐原さんは時計を見る。

「もうこんな時間か、次、祖父江さんと面談の予定だから今日はここまでにしましょう」

広げたメモ用のノートを閉じて、ミーティングルームのドアを開け放った。一気に事務所の喧騒が流れ込んでくる。佐原さんに一礼して通路に出た。責任者席に座っていた祖父江さんに声をかけると、小走りでミーティングルームの方へ向かって行く。午後便の担当者たちが忙しなく動き回るのを横目に、念のため事務所の端の島に戻ってみると、早番の担当者はもう誰も残っておらず、安心した。


 正午過ぎの陽射しがあたたかい。春の訪れを知らせるような陽気で、日向を歩けばそれなりに暑い。駅から事務所に向かって歩いてると、前方に新人たちの群れが目に入った。距離を詰めて声をかけるほど仲がいいわけでもなく、かといって別のルートを遠回りすると遅刻してしまう。結局、一定の距離を保ったまま観察し続けることになった。追跡すること数分、角を曲がると信号の青が点滅していたので反射的に駆け出してしまう。その結果新人の群れとの距離がかなり詰まってしまった。歩く速度を落としつつ距離を空けていると会話が耳に入ってきた。

「今日も責任者そうちょうらしいよ」

「まじかよ、うぜー」

(そうちょう……?)

少しずつ遠ざかる群れを見ながら、そうちょうの意味を考える。南中時刻を少し過ぎた陽射しが首筋に刺さっている今、早朝ではない。そして今日の午後シフトの責任者は祖父江さんであることを踏まえると、そうちょうというのは、『総長』もしくは『曹長』だろう。前者はレディース的な意味で、後者は軍隊的な意味で。いずれにしても悪口だなと気づく間に、新人の群れとの距離はずいぶん離れていた。

 更衣室で制服に着替えて事務所に入ると、俺に気づいた桃井が手招きする。連絡事項が張り付けてある掲示板の前に立つと、桃井が

「ねえねえ、祖父江さん異動だって。やばくない?」

と興奮気味に話しかけてくる。

「ただでさえベテラン足りてないのに馬鹿じゃないの?」

桃井の怒りもごもっともだと思う。例に漏れず俺は事前に情報を知らされていたが、どんな経緯での決定なのかは知らない。ただ現場には不信感が募るだけだった。ベテランが抜ける一方、新人の教育はまだまだ続いている。

「はい皆さっさと仕事始めなー」

祖父江さんの声が響くと、立ち話していた新人たちが、返事もせずに席についた。

「あいつら、そろそろしばいた方がいいんじゃないの?」

桃井が苦々しそうに言う。最近元気がない祖父江さんに反比例するように、桃井のヤンキー度が上がってきている気がする。単純にストレスが溜まっているのもあるのかもしれないが、よく考えれば桃井もまだ二十一歳で新人たちとは一歳しか変わらない。歳が近い分、学生気分の新人たちに苛立つのかもしれない。

「まあまあ、新人は貴重な『人・財』だからさ。堪えよう」

釈然としない様子の桃井をなだめつつ、自分の席につく。今日も二人のトレーニーの仕事を見守った。バンコク、フランクフルト、仁川を担当している俺のトレーニーは、相田と黄さんだ。なぜ黄さんは呼び捨てではないのかと言えば、俺よりも五つ年上、三十歳だからだ。相田はのんびりしていて、よく言えばおおらか、悪くいえば雑。ミスを連発する。黄さんはせっかちな性格で、仕事は早いがミスを連発する。要するに二人とも仕事があまりできず、成長も芳しくない。それはすなわちインストラクターとしての俺の指導に問題があったのではないか、と考えている。

「宗方さん、これ確認お願いします」

相田が計算したフランクフルトのシートを手に取る。彼の字は独特な形をしていて、数字の見分けがつきづらいため、1と7と9の書き分けから指導した。指導の効果は出ているようで、文字の書き分けは完璧だったが、計算は間違っている。

「これ、多分コンテナの重量、計算に入れてないでしょ、やり直して」

シートを突き返すと、今度は黄さんの計算を確認する。計算は合っているが、三時間後の出発で貨物量が少ないインチョン便だった。

「うん、計算は合ってますけど、先に貨物が多くて出発時間の早いバンコクをやりましょうか。昨日も言いましたが、もう僕は一便も引き取らずに二人でやってもらいますから」

そう伝えて、書類を捌きに行こうと立ち上がったところで、黄さんが

「そういえば、今日事務所来るとき、宗方さん僕たちの後ろ歩いてましたよね」

と笑いながら言ってきた。

「気づいてましたよ、なんで声かけてくれないんですか?」

相田も続ける。

「へー、気づいてたんだー」

それだけ返事をして、俺は席を離れた。便ごとにAWBが仕分けされた棚で、書類を捌く作業をしていると、隣に森村がやってきた。作業している棚を見る限り、今日はロンドンを担当しているようだ。

「森村、書類捌いてて大丈夫なの? 俺やっとくけど」

そう話しかけると、

「いや、大丈夫です。俺の便はもう計算も終わってるんで」

なんとも頼もしい。水瀬さんの指導がいいのか、それとも森村の実力なのか、いずれにしても新人でとびぬけて仕事ができるのが森村だった。

「そう言えば、宗方さんって水瀬さんと仲いいですよね」

手を動かしながら会話を続ける。

「まあ、仲よくしてもらってるというか、面倒見てもらってるというか」

年下の水瀬さんに面倒を見てもらっているというのも、なんだかおかしな話だが、実際水瀬さんは俺にとって師匠のような存在だった。

「そうなんですね、水瀬さんってパートナー居るんですか?」

「いや、聞いたことないけど、そういえば、あんまそういう話はしないな」

実際に聞いたことがなかったが、そういえばどうなんだろう、と考える。

「そうですか、宗方さんが知らないんだったら誰も知らなそうですね」

テキパキと書類を捌きながらこちらを見て笑った。近くに置いてある無線が鳴る。

「ZA305便ロンドンヒースロー輸出貨物さーん、搬出担当です」

森村が無線を手に取った。

「はい、輸出貨物です」

「あ、搬出担当ですけど――」

ピッと音が鳴って無線が途切れる、その後も音が鳴り続けてなかなか繋がらない。やっとつながったと思ったら

「ブレイクします、ZA805便バンコク――」

旅客に割り込まれる。すると森村は無線のボタンを連打して再度無線を繋げると

「ブレイクしないでください。ロンドンヒースロー搬出担当さんどうぞ、輸出貨物です」

と割り込み返した。あちこちに置いてある無線から流れるこのやりとりを聞いて、事務所内で笑いが起こる。

用件を聞いて無線を充電器に戻すと、森村は自分の席に戻って作業を続けた。

「森村つえーなー」

と誰かが言うのが聞こえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る