入学式と新たな出会い②

 いやー、あれだけ家の皆に「気を付けろ」と言われていたにも関わらず、結局大騒ぎになってしまった。

 今僕たちは、大勢の女子生徒に揉みくちゃにされてしまったおかげで、折角着てきた制服がズタボロになってしまった為(主に僕の制服)、職員室にて教員の方に事情を説明してきた帰りである。

 本来であれば所属するクラスを昇降口前で確認してこなければならないのだが、状況的に不可能だったのでそれも教えてもらってきたというわけだ。


「でも良かったね!私達三人とも同じクラスだって!」


 そう。そうなのである。

 僕たち三人というのは、僕と莟と、僕に声を掛けてくれた女子の三人のことだ。


「あー、えーっと……良かった……のかな?」


 一先ず周りに他の生徒の姿も見えず、落ち着いたはいいものの、先程から物凄い怨みのこもったような視線を背後から感じているわけだけれど、これで「三人一緒で良かったねっ!」と屈託なく言える莟は天然なのか狙ってやっているのか……。


「……あー……」


 いやー、気まずいったらないんだけれど、このままにしておくのもなんだか嫌なので、取り敢えず自己紹介ぐらいは済ませておこうと心を決めて、彼女に向き直った。


「その……改めまして、僕は進藤彼方。君にとっては嫌な奴かもしれないけれど、これから同じクラスメイトになるわけだし、少しでもいいから仲良くしてもらえると嬉しいな」


 僕が振り返った時には少し驚かせてしまったようだけれど、自己紹介自体はしっかりと聞き入れてくれたようだ。相変わらず表情は厳しいままだったけれども。


「私は木葉莟。彼方ちゃんとは幼馴染なのだけど、私とも仲良くしてもらえたら嬉しいな」


 僕に倣って莟も自己紹介をする。

 常にニコニコと朗らかな雰囲気の莟がいてくれるおかげで、なんとかこの場も最悪の空気、とまではなっていないので非常に助かっている。

 まあ、先程はこの幼馴染のおかげで大変な目に遭ってしまったような気もするが。


「…………平沢 雫。さっきは、その、悪かったわね……。あんな風に突然つっかかった私も悪かったわ」


 視線を彷徨わせながらたどたどしくも謝罪してくれた彼女は、恥ずかしさからなのか若干頬を染めているものの、微かに頭まで下げてくれたので、これで仲直りということだろう。

 濡れ羽色とでも言うのか、とても艶のある長い黒髪を揺らす彼女は正しく眉目秀麗で、その強気な性格を表したかのような切れ長の目の奥に光る瞳はまるで黒曜石のように輝いている。


「――あ、いや、君がそう思うのも無理はないというか……」


 一瞬彼女の姿に見惚れてしまい、うまく言葉が出てこなかったけれど、なんとかそれだけ口にしてみれば酷く情けないものになってしまった。彼女が一方的に悪いわけではもちろんないので、なんとか否定しようと思ったのだが、どうにも中途半端なものに。


「で、でもね!」


 続けて僕も悪かったと告げる前に、彼女が再び口を開いた。


「貴方のことをみ、認めたわけじゃないわ!私は卑怯な真似をする男のことが大っ嫌いなのよ!」


 ビシィッ!と音が聞こえてきそうなほど見事な姿勢で僕を指差し、腰に手を当てて踏ん反り返っている彼女は、やはりその美しい瞳でこちらを睨みつけながらそう言った。

 ……うーむ。

 まあ、嫌われるのは仕方がないとは思うけれど、ここまで敵視されてしまっては手の施しようもないだろう。

 ここはなるべく今後波風を立てないように大人しく引き下がっておくのが無難だろうか。


「えっと、うん。無理に仲良くなろうとは僕も思っていないから、残念だけれどこれ以上君を説得することは諦めるよ。でも、あんまりに目障りなようなら言って欲しい。クラスを替えたりは難しいかもしれないけれど、何かしら上手く対応してもらえるように学校にも相談してみるから」


 いくら僕が友達が欲しいと願っていても、出会う人全員と仲良くなれるとは流石に思っていない。中にはこうして僕のような人間は受け付けないというような人だって当然いるはずで。


「だから、安心して……というのもおかしいかもしれないけれど、平沢さんも、できれば僕のことは無視するようにしてもらえると助かるかな……?」


 そうした場合には、お互い不干渉を貫くのが最も賢い人付き合いだと僕は思う。

 特に学校生活で同じクラスのクラスメイトともなれば、行事などで最低限係わらなければならない場面も出てくるだろう。そういった時にお互いに適切な距離を保っていれば、周りの無関係な人達にも迷惑をかけずに済む場合が多い。

 隣で静かに話を聞いてくれている莟を見ると、彼女も残念そうな表情でこちらを窺っている。

 まあ、僕としてもなるべく多くの人と仲良くしたいと思っていたのは本音だけれど、初対面でここまで嫌われてしまっているとなると、コミュ障陰キャであるところの僕にはどうしようもないだろう。

 こちらを窺いながらも口を出してこないということは、恐らく莟もそう感じているに違いない。


「それじゃあ、僕たちはこれで。お互いにこれから上手くやっていこうね」


 最後に軽く頭を下げて振り返る。

 あまりに僕があっさりと引き下がったものだから、平沢さんもあっけにとられているようだったけれど、これ以上何か言い募ったところで困惑させてしまうだけだろうし、大人しく莟と自分のクラスへと向かうことにする。

 隣を歩きながらそっと僕の腕を撫でる莟は、何も言わないけれどきっと僕を慰めてくれているのだろう。つくづく優しくて僕には勿体ない幼馴染だと思う。


「…………ぁ?えっ!?ち、ちょっと!?そ、そこまでしてほしいなんて私言ってないわよね!?」


 職員室から真っ直ぐ伸びる廊下を一つ曲がり、一年生の教室がある四階へと繋がる階段を目指して歩いていると、背後から何か声が聞こえてきたような気もするが、もしかしたら平沢さんが我慢していた僕への文句を吐き出しているのかもしれない。

 微かに聞こえてきた叫び声?を聞き流して、生徒数1500人を抱える途轍もなく広い校舎を優しい幼馴染と共に歩くのだった。



 教室に辿り着いた後。

 先程の昇降口前での騒ぎを知っているクラスメイトも多いようで、僕と莟が姿を現した途端に注目を浴びることになってしまった。

 こういう事態を避ける為に色々とシミュレーションもしたのだけれど、最初の最初の段階で全て台無しである。

 黒板に書かれている座席順に従って自分の席に着くと、鞄を置く間もなくクラスメイト達に取り囲まれてしまった。


「し、進藤君!その、さっき外で言っていたことって、本当なの……?」


「私も友達にしてもらえる!?」


「進藤君って本当に男の子なの?めちゃくちゃ痩せてるね!」


「はぁ……はぁ……進藤様、私を踏んでいただけませんか……?」


 ソワソワとしながらも僕に興味津々といった様子で口々に質問が飛んでくる。

 ……なんか変なのも混じっていたような気もするけど聞き間違いかな?


「あー、えっと、友達が欲しいって思ってるのは本当だし、これから仲良くしてもらえるならとっても嬉しいけど……」


 取り敢えず無難な答えだけを返したはずなのに、それを聞いたクラスメイト達は「キャ――!」と黄色い声を上げて大喜びしている。

 こうして実際に家族や近しい女性意外と交流してみると、ああまで皆が心配してくるのにも納得がいく。

 僕の一挙一動で大袈裟と思える程のリアクションが返ってくるのを見ると、一つ二つ僕が間違えるだけでとんでもないことになってしまうだろうということは想像に難くない。


「あ、あはは……」


 流石に先程昇降口前で起こった騒ぎのように揉みくちゃにされるようなことはなさそうだけど、それも恐らく僕の受け答え次第ではどうなるかわからないんだろうなぁ。

 引き攣る頬を隠すことも出来ず、できることならこれ以上何も起こらないように祈るばかりだ。




「はーい!皆さん席に着いてくださーい!」


 どうにかこうにか周りを囲むクラスメイト達の質問攻めに対応していると、恐らく担任の先生だろう教員の女性が入室してきた。

 その声を合図に、名残惜しそうではあるものの僕を取り囲んでいた包囲網は瓦解し、其々の席へと戻っていった。


「これから入学式を行いますので、皆さん一度廊下に出て出席番号順に並んでくださいね~。入学式の後はこの教室で一時間ほどHR、自己紹介などを済ませてから下校となります。私語などは慎んで、速やかに行動してくださいね~」


 席順がそのまま出席番号順となっている為、廊下側に席のある生徒から順番に席を立って教室を出ていく。具体的な指示がなくとも整然と行動する様を見ていると、さすが県内でもトップクラスの進学校に合格した人達だなぁと素直に感心する。

 まあ、先程の醜態……というか、騒々しい姿を見ている分親近感が薄れるということはなかったけれども。


「あぁ、進藤君は先生と一緒に来てください。入学式の中で男子代表として挨拶をしてもらいますので、打ち合わせ……という程でもないんですが、少しだけお話がありますので~」


 ……ん?

 そろそろ自分も席を立とうかというタイミングでそんなことを言われた。


「僕が、挨拶?ですか?」


「はい~。あっ、原稿はこちらで用意してありますから、安心してくださいねぇ~」


 え。いや、そういうことではなく。

 挨拶云々はこの際置いておくとして、男子代表とか聞こえたけどこの学校にいる男子って僕だけだよな?

 取り敢えず、訳は分からないままだが大人しく先生のそばまで行くと、彼女はうんうんと頷いてまだ教室内に残っている生徒へ向けて口を開いた。


「それじゃあ、全員揃ったら体育館まで移動してください。入場はクラスごとになりますので、それまでには先生もそちらに合流しますから、入り口の前で待機していてくださいね~」


 「はい」という、残った生徒たちの返事を聞いて満足そうに一度頷いた先生は、「それじゃあ、行きましょうか」と言って歩き出した。

 廊下に出てみると、他のクラスの生徒たちも廊下に出て並び始めており、先生の後ろを歩きながらチラチラと様子を窺ってみると、どこのクラスも騒いでいるような生徒はおらず大人しいものだった。

 自分の学生時代を思い返してみても、これほどしっかりした生徒たちというか高校生は身近に妹くらいしかいなかったので、正直驚いてしまっている。

 多少居心地の悪さを感じつつ、特に先生との会話もないままに廊下を歩いていると、“進路指導室”と書かれたプレートのかかる教室へと迎え入れられた。


「……突然のことで驚かせてしまったかしら~?」


 そう言いながら申し訳なさそうな表情で苦笑している先生は、「とりあえずこちらにかけてください」と、中央にある長机に並べられた椅子を引いてくれた。

 一応「失礼します」とだけ言って座らせてもらうと、彼女は向かいにある椅子へと腰掛ける。

 改めて彼女のことを観察してみると、非常に幼い見た目をしているというかなんというか。

 少し癖のあるクルクルとした髪や、その小さな顔には大きすぎるのではと思う程主張の激しい黒縁の眼鏡に、これまた小さな背丈が相まって、スーツを着ていなければ年上だとはとても思えない。


「まあ、そうですね……。何も聞かされてなかったですし、正直驚いてます」


「うふふ。ごめんなさいね~?」


 言葉では謝ってくれているものの、少し嬉しそうにもしている先生。両手を口元に当てて頻りに笑い声を漏らしている。

 楽しそうにしてくれているのは結構なのだが、こちらとしては本題である僕の入学式での挨拶について物凄く気になっているわけで。申し訳ないけれどお話を先にお願いしたい所存である。


「それでその、挨拶というのは?原稿があるとのことでしたが」


「あ、あら。ごめんなさい、そうだったわね」


 「うふふ」と笑いながらも、どこに隠し持っていたのか、スッと僕の前へと封筒を差し出してくる。


「内容は大して難しいものでもないけれど、これから進藤君が一緒に勉強をする仲間だっていう事を改めて他の生徒へと表明しておかないと、色々誤解も生まれてしまいそうですからね~」


 相変わらずのほほんとした穏やかな調子で話す先生。

 子供にあやされているような妙な錯覚を覚えるが、「読んでみる?」と言ってくれたので遠慮なくお言葉に甘えさせてもらうことに。


“新入生男子代表 進藤 彼方”


 そんな一文から始まるこの挨拶文は、時候の挨拶やお決まりっぽそうな小難しい言い回しを使いつつ、内容的には確かに難しいことなどない、“これから一緒に勉強していきましょう。なので過度なスキンシップは控えてくださいね”みたいな内容を長ったらしく言い募るものになっている。


「……これって、もしかしなくても……?」


 ある程度内容を理解すれば、どうしてこのように何の知らせもなく突然僕が挨拶するようなことになったのかがわかってくる。

 少しだけ困ったような表情を浮かべた先生は、小さくコクリと頷いた。


「まあ、私達教師側でも、どこかでトラブルは起こってしまうかも……という話はしていたのですが……」


 そうだよなぁ。

 何もトラブルなど起きず、全校生徒が順風満帆な学生生活を送れるのが理想なのはもちろんだけれど、そんなことは有り得ないというのはわかっている。トラブルだって大小、ピンからキリまでその内容も変わってくるだろうし、最初から最後まで決まったプログラムで動くロボットじゃないんだから、多少の衝突や問題が発生するのは自然なことだろう。

 ただ。


「――まさか、入学式前にそんなトラブルが起こってしまうとは、こちらとしても些か予想外だったかしらね~」


 そう。

 トラブルが起きるにしたって、何も登校初日から起きなくたっていいだろうという話だ。

 恐らく今朝の騒動があったおかげで、急遽僕が入学式で挨拶することが決まったのだろう。

 これから僕を含めた新入生や、上級生達、教員の全てがこの北之園学院という箱の中で同じ時間を共有していくわけだ。今後後輩が入ってくることだって決まっているし、少なくとも三年間という決められた期間は、“北之園学院生”という同じ枠組みの中に嵌め込まれる。


「その、すみませんでした。僕もなるべく問題を起こさないよう気を付けてはいるつもりなんですが……」


「あら。いいのよ~。今回に関しては完全に進藤君が巻き込まれちゃった側だもの」


 一応改めて謝罪はしておく。

 僕としても自分が全て悪いとは思っていないけれど、平沢さんのように僕のことをよく思っていない生徒だっているはずだと事前にわかっていたのだ。にも係わらず、まあ大丈夫だろうと油断していたのは間違いない。平沢さんに悪意があったのか、僕を貶めてやろうという意図があったのかはわからないけれど、あのタイミングで偶然僕を見かけて辛抱できずに思わず声を掛けた可能性だって十分あるわけだし。

 重要なのは、この挨拶文にも書かれている通り、“僕は皆とは学友で、節度を持って仲良くしたいと思っています”という意志表明を、全校生徒に改めて周知してもらうということだ。


「……もしかしてこれ、先生が考えてくれたんですか?」


 頭を下げた拍子に、体面に座っていた先生によしよしされてしまったので、気恥ずかしさを堪えて話題を変える。


「ええ、そうよ~。ここで何もしないよりかは幾分かましだと思ったのだけれど、余計なお世話だったかしら~?」


 頭を撫でる手を止めて、こちらをニコニコと笑顔を浮かべながら窺っている彼女を見るに、恐らく僕は揶揄われているのだろうな。

 見た目小学生にしか見えない美幼女に揶揄われるというのも、中々刺激てk……屈辱的ではあるが、相手は一応教師だし、大人しく否定しておく。


「……いえ、とてもありがたいです。本当に。正直僕も、これからどうなるんだろうって混乱していましたから」


「あら、そう?なら良かったわ~」


 これまたニコニコと笑顔を深めた先生に、小さく「ご迷惑をおかけします」と感謝の気持ちを込めて頭を下げる。

 これから、恐らく、と前置かなくても僕が一番迷惑を掛けることになるのは間違いない。

 それは僕がどんなに気を付けていても変わらないだろう。何せ僕は、ここでは完全に異物なのだ。


「まあ、先生も教師ですからね~。可愛い生徒であるあなたのことを考えるのは当然ですから~」


 やはり何でもない事のようにのほほんと言ってくれる先生だけれど、これがいつまで続くかはわからない。ある日突然限界を迎えて、冷たく当たられるようになっても不思議ではないのだ。先生だって人間だし。


「そ・れ・にぃ~」


 なんとか問題を最小限に抑えて、先生の負担にならない様にしなくてはなと考えていると、何やら意味深な眼差しでこちらを見ながら口を開いた先生。

 自身の唇の前に人差し指を当て、「これから思いっきり揶揄いますよ~」という様な表情をしているが、何を言うつもりなのだろうか。


「私としては、進藤君みたいな可愛い男の子の担任になれて役得だな~って思う部分もありますしね~。これからよろしくお願いしますね?色々と♡」


 ……。

 …………っは。

 あぶね。何だこの人可愛すぎるだろ。

 「うふふ♡」と先程と変わらず笑みを浮かべてはいるものの、どこか妖艶な雰囲気を醸し出している先生。その仕草と見た目の幼さとのギャップが激しすぎて、一瞬この世のものとは思えないような色気を感じてしまった。


「あ、あはは……お、お手柔らかに、お願いし、ます」


 なんとかそれだけ絞り出すように呟いて視線を逸らす。

 これ以上まともに先生と向き合っていたら、登校初日で僕は犯罪者になってしまう可能性すら感じていた。


「あらら。意外と恥ずかしがり屋さんなんです~?戦後で初の共学校男子生徒の進藤君が、これくらいのことで動揺してはいけないのではありませんか~?」


 あー、やっぱり思いっきり揶揄われてるなこれーと思いながらも、耐性の全くない僕ではどう反応していいかもわからず、ただひたすらに照れているのをなんとか誤魔化そうとするだけで精一杯だ。

 さっきから僕のほっぺをツンツンしている先生は本当に楽しそうで、どうやら僕はこれから少なくとも一年はこの人に頭が上がらないのだろうなと、がっかりしたような諦めたような心境で、しばらくなすがままに身を任せることしかできなかった。

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