幼馴染と入学準備
紅茶をおかわりすること二回。
少し早めのおやつとしてお茶請けも出してもらい、早苗さんと会話を楽しみながら優雅なティータイムを過ごしていた。
隣に座る幼馴染の“木葉 莟”さんも、どういう経緯で僕が高校に通うことになったのか丁寧に説明すれば、落ち着いて話ができるくらいには冷静になれたようだ。
「でも、本当にびっくりしちゃったよ。まさか彼方ちゃんが高校に通うだなんて」
「あはは。似たようなことを母さんとあかねにも言われたよ。僕としても一世一代の大決心だったけどね」
この男女比がおかしくなってしまった世界で、男の僕が共学校に通うというのは、肉食獣の檻にか弱い小動物を放つようなものだとしっかり理解はしている。
それでも僕はそうすることを選んだのだから、そこに後悔とか不安とかはない……というわけでもないけれど、少なくとも多少は楽しみにしているのだ。
「それに、行くのが同じ北之園学院だなんて」
「うん。それは僕もびっくりした」
まあ、聞いた時には驚いたけれど、県内でも有名な学校だと言うし、そういう偶然もあるのかもしれない。
「僕は男だから簡単に入学が決まったけど、莟はちゃんと試験に合格したんだよね?すごいなぁ」
僕もそれなりにできる方ではあると思うけれど、前世でも普通の高校にしか入れなかったし、実力でレベルの高い学校に受かった彼女は間違いなく才女であると言えるだろう。
とすると、僕はこの春から通う高校にとても頼りになる友人を手に入れたということになるわけだ。
「うーん、私は家から近くて自分のレベルにあった高校ならどこでもいいと思って受けただけだから、そんなに褒められることでもないと思うよ?」
肩から前に垂らしたおさげを指で弄りながらはにかむ幼馴染は、照れ隠しなのか僕から目線を外してティーカップを手に取った。
少しだけ頬を朱に染めた彼女の横顔には、はっきりと「褒められて嬉しい」と書いてあるので、これからも折を見て彼女のことはべた褒めしたいと思う。
「そう言えば、彼方ちゃんは準備大丈夫なの?もう入学式まであまり日もないけど」
あ。そうだった。
母さんにパンフレットを貰った翌日には北之園学院に行くことを決めたのはいいのだけれど、制服やら鞄やら、準備するものが多くて今日も鬱々としていたんだった。
「あー……正直間に合うかどうか微妙ってところかなぁ。一応、制服とか鞄とか教科書とか、最低限のものは注文してあるし、筆記用具なんかは以前から使っているものでもいいだろうし……すぐに困ることにはならないだろうけど、それ以外は何が必要なのかもわからないんだよね」
自身が前世で学生であった頃の記憶はあるものの、遥か昔過ぎて、細かなことなど何一つ覚えていないというのが正直なところだ。
余分に必要でないものまで用意するつもりはないけれど、何が必要になるのか想像もできないから困っているというわけだ。
「体操服とか、そういうのは?」
「授業で使うものは、多分大丈夫だと思うよ……多分」
そこはかとなく不安は残るが、最低限の準備は済んでいるはずである。
「じゃあ、ブレザーの下に着るカーディガンかセーターか、これから暑くなってきた時にシャツの下に着るインナーとかは?」
「あー、そういうのは全く用意できてないや……考えもしなかった」
インナーくらいならば普段着ているTシャツでも良さそうだが、カーディガンだのセーターだのは完全に抜け落ちていた。
本格的に使う時期からは外れているかもしれないが、春とは言えまだまだ気温が低い日も多いし、早めに用意しておくのもいいかもしれない。
「あとは……」
「え?まだあるの?」
いくら僕が学校に行くのが初めてだと言っても、そこまで色々必要だったろうか?
「色々あるよ!ハンカチとタオルは大丈夫としても、男の子だったら身だしなみを整えるのだって大変なんだし、ボディーシートとフェイスシートとか、制汗スプレー、乳液、化粧水、鏡に櫛に……」
「ちょちょちょ!ちょっと待って!」
ほとんど何のことを言っているのかわからなかったけれど、僕が使ったことが無いような物ばかりを挙げられていたのは間違いない。
「そ、そういうのって、女の子が使うもので、男はそこまで気を遣ったりしないでしょ?」
鏡や制汗スプレーくらいなら持っている男性も珍しくはないだろうが、化粧水とかナントカシートなんて持ち歩く男なんているのか?
そういったことを気にする男性もいなくはないだろうが、少なくとも僕の周りにそういうものを常備している男性はいなかった。
「そりゃあ、女の子だって使うけど……って、もしかして、彼方ちゃんてお肌の手入れとかしてないの……?」
……僕が肌のお手入れ?
肌の手入れに気を遣う人間だったら、頭をこんなにボサボサの状態で放っておくわけがないと思うのだが。
「う、うん。朝とお風呂に入る時に顔を洗うくらい?」
「噓でしょ……」
一体何がそんなにショックなのか、愕然とした表情で肩を落とした幼馴染は、小さく「信じられない……」と呟いて項垂れてしまった。
何か変なことでも言ってしまったのだろうか?
こちらの世界に来てからというもの、こういった女性の機微に疎い僕では理解できないような反応を返されることが度々ある。
どうしたものか、何とか機嫌を直してもらえないだろうかと頭を悩ませていると、静かに控えてくれいた早苗さんが、いつの間にか莟の傍まで来て肩に手を添えていた。
「木葉様、残念ながら彼方様のおっしゃっていることは事実です」
え?励ますんじゃないの?
ゆっくりと莟の両肩に手をやり、真剣な表情で何を言うのかと思いきや、早苗さんの口から飛び出したのは思いもよらないものだった。
「そ、そんなっ!?じゃあ、何のお手入れもしていないのに、あんな綺麗な肌を保っているって言うんですか……?」
案の定というか何というか、それを聞いた莟は更にショックを受けてしまったようで、狼狽具合に拍車がかかっている。
「……はい。加えて申し上げるとすれば、御髪のお手入れも特別なことはされておられません」
何が早苗さんをそうさせているのかはわからないが、真剣な眼差しで莟に言い聞かせるように語りかけている。
「――まさか!?」
確かにこの髪だって特別なことをしていないけれど、そんなに驚くようなことなのだろうか。
二人のやり取りを見ている限り、まるで僕が異常であるかのように感じてしまう。
「……お使いになられているシャンプーは、量産品のお買い得な物のみでございます……」
「――っ!」
莟の驚きで見開かれた瞳から、キラリと光る雫が零れた。
納得がいかない、とでも言うように首を振る莟に向かって、力なく頷くしかない様子の早苗さん。
二人の発する絶望と諦観のオーラは、これまでの人生を振り返ってのものか、それともこれからの未来に向けられたものなのか。
……一体僕は何を見せられているのだろうか。
とうとう莟の隣に腰を下ろした早苗さんと莟の二人は、如何に僕が理不尽であるか喧々諤々に言い募っている。
やれ「反則だ」、「チートだ」と盛り上がっているけれど、ここに口を挟もうものなら集中砲火を浴びそうなので、なるべく察知されないように縮こまって時間が過ぎるのを待つことにする。
都合何杯目かの紅茶はやっぱり冷めていたけれど、存在感を限りなく薄くしている僕にとっては丁度良い温度だった。
「……二人とも、もう満足した?」
「「ごめんなさい……」」
僕を放って盛り上がっていた二人は、しばらくすると満足したのか、ソファーの隅で縮こまっていた僕に気が付くと慌てて謝ってきた。
僕としては除け者にされていたので多少寂しさはあったものの、然程気にしていないので謝ってもらわなくてもいいのだが、申し訳なさそうにしている二人を見て、ここは大人しく謝られておこうと二人の謝罪を受け入れた。
「気にしなくて大丈夫だよ。原因は僕みたいだしね」
「「うぅっ……」」
一応笑顔で返してはいるのだが、そう簡単に二人の罪悪感は晴れないようだ。二人して先程の僕の様に肩を縮こまらせて顔を伏せている。
うーん、こういう状況は苦手なのだけれど、このままにしておくわけにもいかないしなぁ。
話題を変えるなりなんなりして空気を変えよう。
「あ、あー、そういえば、そろそろ髪を切りたいと思ってたんだけど、その、二人はどんな髪型がいいと思う?」
さっきまで僕の髪の話をしてたんだから、全然話が変わってないじゃないかと思われただろうが、僕もそう思う。
しかし、思い付いたのがこれしかなかったのだから、仕方ないと諦めてほしい。僕もそうする。
だが、この話をしたのは思いの外悪くなかったようで、先程まで下を向いていた二人の視線は、キョトンとした表情ではあったが、僕へと向けられていた。
「さ、さすがに長くなりすぎちゃったからね……前髪とか邪魔な時あるし、でも僕そういうの詳しくないから、二人のおススメがあれば聞いてみたいなって」
まあ、髪を切ろうと思っていたのは本当だし、センスの欠片もない僕が自分だけで決めるより、誰かのアドバイスが欲しいと思っていたのも本当だ。
苦し紛れに口から出た話題ではあるが、いい機会なのでこのまま二人に決めてもらおう。
そんな僕に問いかけられた二人はと言えば、お互いに顔を見合わせて小さな声で相談し始めていた。
気を取り直してくれたのは良いけれど、また僕を除け者にしていることに気付いているのかな?
僕も大概温厚な人間だとは思っているけれど、そろそろ拗ねるよ?
「その、彼方ちゃんて結構大事に髪伸ばしてたと思うんだけど、そんなあっさり切っちゃっても大丈夫なの?」
相談が終わったのか、どこか遠慮がちに莟がそう聞いてきたけれど、さっき言ったように、僕にはそういった拘りはない。
髪を伸ばしていたのも、「なんかかっこいいかも」くらいのものだし、前世で揶揄われてしまった時には心底後悔したくらいだし。
「うん。心機一転するにはちょうど良さそうだからね」
髪を切ることにそう大した理由など必要ないと思っているからね。
むしろこういう機会でもない限り、めんどくさくてそのままにしてしまいそうだし。
「それで、特にこういう髪型にしたいとか、そういうのも無いの?」
ふむ。
いくら前世では枯れた男だったとは言え、今は思春期真っ盛りの(間もなく)高校生(になる予定の)男子だ。
しかも、これから青春を謳歌しようと考えているのだから、ここは多少格好をつけてもいいかもしれない。
「うーん、できれば格好良いやつがいいけど、どういうのが僕に似合うのかわからないから、できれば二人に教えてほしいかな?」
そうしていくつかの質疑応答を経て、聞きたいことがなくなったのか、二人はふむふむと神妙な顔で頷きあっている。
「それでは彼方様、特定の理容師や美容師などの指名は無く、髪型に関しても我々にお任せいただけるということでよろしいですか?」
「え?う、うん。まあ、知り合いにそういう人もいないし、行きつけのお店も無いし、お任せしちゃってもいいならその方が助かるかな?」
相当に真剣な様子で最後と思われる確認をされたけれど、そこまで気負ってもらわなくても良かったのだが。
軽い気持ちでアドバイスを求めたはずなのに、いつの間にか今後の人生を左右するとでも言うような面持ちで、真剣に考え込む二人を見ていると、少しだけ早まってしまったかもしれないという気がしてくる。
再び小声で相談を再開した二人は、ようやく話がまとまったのか決意に満ちた表情でこちらへ向き直った。
「彼方ちゃん。早苗さんと相談したんだけど、髪型を変えるなら、もう一つだけ聞いておかなきゃいけないことがあるの。とっても重要なこと」
「う、うん?」
なんだろう。
たかが髪型を変えるくらいで大袈裟な、と思わなくもないが、二人に頼ってしまっている手前無碍にもできない。
この世界で男性が髪を切ることには特別な意味があったりする、のか?
「その……彼方ちゃん、ま、前髪はどうするつもりなの……?」
「……え?」
前髪?どうするつもりも何も、切ろうと思ったのも前髪が邪魔だと感じたからなわけで。短くするという選択肢以外ないと思っていたのだけれど。
「どうするって、もちろん切るつもりだけど?」
「あ、違うの。切るのは切るんだけど、どれくらい切るのかなって……も、もしかして、だけど。その、顔が見えるくらい……とか?」
どこまで切るかと言われれば、邪魔にならないくらいとしか考えていなかった。
現在の様に鼻まで隠れる程の長さは流石に長いけど、思い切り過ぎておでこが丸見えになってしまうのも少し嫌だ。
いい塩梅がわからないけれど、取りあえず目に入らないようにしてもらえれば十分かな。
あ、あと洗う時に手間がかからないくらいになれば言うことなしだ。
大体自分の中でどうしたいのかが決まったのでそう伝えると、二人は苦虫を嚙み潰したような表情になって黙り込んでしまった。
「あ、あれ?僕、何か変なこと言った?」
「いえ、彼方様は何も。ただ、これは少しまずいことになるかもしれません……」
まずいことって……。
なんだか自分が思っていたのとは全然違う方向に話がねじれ飛んでいってしまっているような。
全く話の流れについていけてないけれど、僕だけがわかっていない何かがあるのだろうか。
「早苗さん。これはもう、千鶴さんにも相談しておいた方が……」
「そう、かもしれませんね。最早我々の手に負える案件では……」
え?えぇ?
思いつめたようにそう話す二人を見る限り、冗談ではないようだけれど、一体何がどうしたらそうなってしまうのだろうか。
「ふ、二人とも、ちょっと僕の髪を切るくらいで大袈裟じゃない?そこまで話を大きくしなくても、切った後で報告したって何も言われたりしないと思うよ?」
慌てて二人にそう言ってみたものの、呆れたように小さく息を吐いた莟によってすぐさま否定されてしまった。
「彼方ちゃんは気軽に髪型を変えようって思っただけかもしれないけど、それが周りの女の子たちにどういう影響を与えるかわかってないんだと思うよ」
周りに与える影響?
僕が髪を切ることで何か変わるとは思えないんだけど……。
「彼方様は自己評価が甘すぎるところがございます。ご自身の持つ魅力に関してキチンと理解なさった方がよろしいかと」
「え、えぇ……?」
早苗さんにまで厳しい口調で窘められてしまった。
いつも穏やかで優しい人なだけに、普段とのギャップでより怖く見えるというかなんというか。
とにかく、僕の考えが甘いせいで、二人はこうして苦言を呈してくれているわけか。
「一度、千鶴さんやあかねちゃんも一緒に話し合った方がいいかもしれないね」
「はい。私もここまで彼方様が無防備とは思いもしませんでした」
あれよあれよという間に家族会議の開催が決まってしまった。
正直何が何やらな状態だけれど、僕が認識できていない何かがあって、それによってこうして二人に心配をされてしまっているというのはわかった。
この世界では貴重な男である、という以外に僕に価値があるわけでもあるまいに、高々髪を切ろうとしたくらいでここまで大事にされてしまうと困惑の方が大きくなってしまうが、もしかしたらこういうところに僕の認識の甘さがあるのかもしれない。
手早くスマホで母さんやあかねに連絡をする二人を見ながら、僕に欠けているものとは何かを考え始めていた
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