入学準備と幼馴染?
――退院して三日。
週末ということもあり、間もなく訪れる春休みに浮かれる学生達や、新生活を控えてこれからに期待と不安で一杯の新社会人達、そうでなくとも、春の芽吹きと共に齎される新しい出会いに胸を膨らませる人々など、この時期は皆どこかそわそわとした心持ちで過ごしているだろうと思う。
「彼方様、ご友人がご挨拶に来られておりますが、すぐにお会いになりますか?」
僕はと言えばそんな浮ついた気持ちなど微塵もなく、自分で選んだ高校へ入学することで発生しそうなトラブルを想像したり、あまりにも準備しなければならない物や事が多すぎたりで鬱々とした気分になってしまい、誰の目から見ても陰気オーラを立ち昇らせていることだろう。
そんな僕に来客の報告をしてくれている彼女は、胸に【
「……僕に、友人?」
「はい。
その、“木葉”という名前に聞き覚えなど全くないわけだが、この家で働いて長い早苗さんが僕の友人だと言うからには間違いないのだろう。
「もう客間に案内してくれてるの?」
「ええ。お待たせするにも玄関先ではまだ寒うございますから」
楚々とした雰囲気と、黒く艶やかな長い髪、その穏やかで古風とも取れる口調の彼女は、正に大和撫子といった女性なのだが、制服として着ているメイド服がフリルたっぷりの可愛らしいものになっているおかげで、近寄り難さのようなものは感じない。
一体誰の趣味なのかはわからないが、素晴らしいセンスであると賞賛を送りたい。
雰囲気が若干僕の部屋にあったショタメイドの着ていたものと似ているような気もするが、まあ、気のせいだろう。
「ありがとう。じゃあ、客間まで案内してもらってもいい?まだ全部の部屋を覚えきれてなくてさ」
「かしこまりました。彼方様であればどの様なご要望にもお応えいたしますので、何でもお申し付け下さい。ご遠慮されてしまいますと、逆に悲しくなってしまいますから」
優しくにこりと微笑む早苗さんは、時々こんな世界でなければ世の男たちが絶対に放っておかないような殺し文句で以て、僕の心臓を握りつぶそうとしてくるので油断ならない。
今だってそうだが、毎回勘違いしそうになってしまうような台詞を恥ずかしげもなくサラッと言うものだから、僕の顔が赤くなっていることをバレない様にするのが大変なのだ。
「あ、あはは……ありがとう。いつも助かるよ……」
僕より少し背の高い早苗さんに見られないよう、前髪で顔を隠すように俯いてお礼をしておく。
僕のこの長い髪も、できれば高校へ入学するまでにはサッパリさせたいものだけれど、こういう場面に遭遇すると不思議と便利なものなので、惜しくも感じてしまっていたりするのだが。
客間へと向かう廊下の途中、これから会うことになる“木葉”なる人物について早苗さんにそれとなく聞いてみたところ、どうやら僕の幼馴染というやつらしい。
年齢は僕と同じ16歳で、物心つく以前から家族ぐるみで交流があるらしい。
今日も、入院中は遠慮してお見舞いに来れなかった分、こうして退院をお祝いに来てくれたのだとか。
とても優しい少女とのことだが、残念ながら“僕”には面識がない。
初対面であるにも係わらず、生来の知己であるかのように振舞わねばならぬというのは、どういった拷問なのであろうか。
「木葉様、お待たせいたしました。彼方様をお連れ致しました」
客間と廊下を隔てる扉の前でそう告げる早苗さんの背中を、僕は内心ビクビクしながら見守っていたわけだが、その扉が開かれた先に待っていたのは、性懲りもなくとんでもない美少女だった。
「彼方ちゃん、お邪魔してます。無事に退院できたみたいで、私も安心したよ」
ふわりと笑う彼女は、そう言ってソファーから一度立ち上がると、こちらへ向かって歩いてきた。
髪色は明るいが、決して派手というわけではない。解けば背中の半ばまでありそうな長さの綺麗な髪を、ゆるく編んで肩から前へと垂らしている。
表情は穏やかで、髪色と同じく明るい印象の瞳と、面識のない僕でもすぐに判るほどに優しい人柄を表したような顔の可愛らしい少女だ。
「あ、ありがとう……その、
何と呼べばいいかもわからなかったので、こうして退院祝いに来てくれたことを鑑みるに、仲は良かったのだろうと殆ど憶測で名前呼びにしてみたのだが、どうやらそう的外れというわけではなかったらしい。
「お礼なんて。それに、ちゃんなんてつけずに、いつもみたいに呼び捨てでいいよ?」
こちらへ来て僕の手を取るこの美少女を、以前の僕は呼び捨てにしていたらしいが、そんな畏れ多いことをしてしまっても良いものなのだろうか?
いや、脳内でおかしな言い訳をしても意味はないとわかっているのだが、どうにも僕の周りに現れる女性たちは、誰も彼も容姿端麗と言っても過言ではないどころか、
僕も毎度毎度懲りもせずにパニくって、存在しない造語を作ってしまうくらいなのだから始末に負えない。
「それで、それから体調は大丈夫なの?また悪くなったりしてないよね?」
自然にソファーまで導かれ、これまた自然に隣り合って座ることになってしまったが、彼女の表情を見る限りでは、いつもこうしていたかの様に、さも当然と言った顔で僕のことを気遣ってくれているので、まあ、成り行きに任せてしまおうと思う。
心臓にはとてつもなく悪いが、気分が悪いわけではないのでね。
「それは、うん。大丈夫。家族も、家で働いてくれている人たちも皆気遣ってくれているから、逆に申し訳ないくらいだよ」
すぐ傍から感じるいい香りが鼻腔を擽り、正直今すぐにでも席を立って正面のソファーに席を移したいくらいだったりするが、不自然なことをして変に思われてしまうと面倒なことになりそうなので、グッと我慢して質問に答える。
「なら良かった。彼方ちゃんは何でも抱え込んじゃうから、辛くても我慢してたりしないか心配だったんだけど、もう大丈夫そうだね」
客間の隅で早苗さんが用意してくれた紅茶が僕たちの前に差し出され、湯気の立つカップを眺めながら彼女の言葉を聞いていると、若干不思議な言い回しをしているのが気になった。
“もう”大丈夫、というのはどういう意味だろうか?
「もう?」
わからなかったので素直に聞いてみる。
こういう時に遠回しにしようとすると、望む答えが得られないことがままあるのだ。
「うん。今日会ってみてわかったけど、彼方ちゃんの雰囲気がすごく良くなってるから、あかねちゃんから聞いていたことに間違いないんだなって」
「……あかねから何か聞いてたの?」
家族ぐるみの付き合いならば、あかねとも仲が良いというのは不思議ではないが、僕について何か話していたりしたのだろうか。
「うん!あかねちゃんが“お兄ちゃんがすっごく優しくなった”って言ってて、気になって詳しく聞いてみたら、彼方ちゃんがまるで別人みたいに周りに気を遣ったり、頭を撫でてくれたり、話しかけても嫌な顔したりしないって、すごく喜んでた」
「あ……そ、そうなんだ……あはは……」
あれ?これもう僕が本当に別人だって若干バレてないか?
一度直接母さんやあかねに近いことを言われた時には、なんとか誤魔化せたと思っていたのだが、こうして当人以外に話が伝わっていることを考えると、全く誤魔化せていなかったのではと不安になる。
そんな僕の内心など知る由もない幼馴染は、優しく僕の手を取って、続きを話し始めた。
「それで、その話を聞いた時には私もつい喜んじゃったんだけど、もしかしたら彼方ちゃんが気を遣いすぎて、無理して周りを喜ばせようとしてるんじゃないかって勝手に疑っちゃったりして……でも、今日実際に会ってみて、こうして手を握ったり、私と隣り合って座ってても嫌そうじゃないのを見たら、本当に彼方ちゃんが変わったんだってわかったの」
どうやら僕は知らない内に試されていたらしい。
まあ、幼い頃から知っている人間が、入院を機に人が変わったかのように振舞い始めたと聞けば、心配になるのも当然か。
それも仲の良い幼馴染ともなればその気持ちもより強くなるのだろう。
黙って探りを入れられていたことに不快感を覚えないわけではないが、こうして事情がわかれば僕のことを心配してそうしてくれたことなのだと納得できる。
「なんか僕、色んな人に心配してもらってばっかりだな」
入院中も、退院してからも、家族を始めメイドさん達や周りにいる人達には心配ばかりかけてしまって、心底頭が上がらない。
それは以前の彼方君の頃からそうであったのだろうが、それを知ってそうならないように心掛けていたにも係わらず、こうして幼馴染にまで心配されてしまっていたのだと思うと、少しやるせない。
「それは皆彼方ちゃんのことが大好きだからだよ。大切な人を心配しない人なんていないもん」
そう言って、僕に向けてにっこり笑う幼馴染は、まるでそうすることが当然というように、優しく僕を励ましてくれた。
僕にとっては今日初めて会った人だけれど、きっとこの“進藤 彼方”にとって“木葉 莟”という幼馴染は、とても大切な、掛け替えのない友人だったのだろうと、なんとなくわかった気がする。
「ありがとう、莟。僕も、僕にとって大切な人を悲しませたりしないように、これから頑張るよ」
僕を心から案じてくれる気持ちが嬉しくて、思わず手を握り返してしまったけれど、大丈夫だったろうか。
急に馴れ馴れしくしすぎてしまったのではと、少し不安になりながら彼女の様子を窺う。
「彼方ちゃん……」
……うん。
何度もそう思ってきたけれど、やっぱり僕は懲りない奴らしい。
僕が握り返した手を潤んだ瞳で見つめる彼女は、感動か喜びかはわからないが、言葉を詰まらせてそれ以上話すことができなくなってしまったようだ。
こうして度々人を感激させてしまっている僕だけれど、別にわざとそうしているわけではない。
その時その時で正直な気持ちを伝えているだけで、相手に感動してもらおうだなんて思ったことなど一度もないのだ。
「そ、そう言えば、莟は高校ってどこに行くんだっけ?もうすぐ入学式だけど、どんな準備してるの?」
少し無理があるかもしれないが、気を取り直して話題を変えることにする。
僕も正に高校入学の準備をしているところなので、何か参考になるかもしれないしね。
「あ……えっと、私は北之園学院ってところに行くんだけど、殆ど準備は終わってるよ。必要そうな小物をいくつか買い足そうかなって思ってるくらい」
「へえ!僕も丁度北之園学院に行くことが決まったところなんだ。まさか同じ学校だなんて思わなかったから驚いたよ」
なんと。
今日できた幼馴染は、この春から同じ学校に通う学友になるらしい。
あまりにも出来すぎな気もしなくもないが、誰も知っている人間のいないところに通うよりは、多少顔見知りがいてくれた方が何かと安心できるので、ここは素直に喜んでおこう。
「へぇ~、彼方ちゃんも北之園にねぇ~…………って、えぇぇぇぇっ!?」
突然可愛い顔には似つかわしくない悲鳴じみた大声をあげ、目を見開いたまま微動だにしなくなってしまった幼馴染。
どうやら僕が同じ学校に行くのが相当驚きだったみたいだけれど、あかねに聞いたりしていなかったのだろうか。
さっき僕のことをあかねと話したと言っていたので、てっきりもう知っているものだと思って喋ってしまったが、もし知らなかったのであればこの驚きようも仕方が無いか。
「ご、ごめん、莟。もうあかねから聞いてるものだと思ったんだけど、もしかして知らなかった?」
一応確認はしてみるが、殆ど意味はないかもしれない。
知っていてあのリアクションができるなら、彼女は女優だろうがタレントだろうがその道で十分食べていける才能があると思う。
「う、うん……今、初めて知ったよ……」
辛抱強く待つこと数分。
ようやく再起動した彼女は、絞り出すようにそれだけ言うと、驚きに固まっていた表情をゆっくりと戻していった。
「驚かせるつもりはなかったんだけど……その、ホントごめん……」
わざとではないとは言え、美少女にあのようなリアクションをさせてしまった事に対して素直に謝罪する。
実に見事なリアクションだったけれど、そんなことを褒められて喜ぶ女性はそういないだろう。
未だにショックから立ち直れていない彼女を見る限り、もうしばらく時間をおかなければまともに会話もできそうにないし、申し訳ないがすっかり冷めてしまった紅茶のおかわりを早苗さんに頼んで、ゆっくり待たせてもらおうかな。
それはそれとして、さっきの出来事で
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