高校進学へ向けて
お風呂を上がってしばらく。
夕飯として並べられた数々の絶品料理を胃に納め、母さんやあかねと取り留めのない会話をしながら、ふと家で働いているメイドさん達について聞いてみることにした。
「そういえば、家で働いているメイドさん達って何人くらいいるの?玄関で出迎えてもらった時に見た限りだと10人以上はいるみたいだったけど」
「そうねぇ……確か今は30人くらいだったかしら?」
なんと。
大勢いるとは思っていたが、30人も働いているのか。
「正確には32人ね。先月警備の人が新しく2人入ったから、それで32人になったはずだよ?」
32人か。
母さんよりもあかねの方が正確に把握しているのは謎だが、しっかり者のあかねなら不思議ではないか。
それにしてもそんなに大勢いるとなると、全員の名前を覚えるのも一苦労だな。
「うーん」
「どうしたの?お兄ちゃん」
雇い主側であるからには名前くらい把握しておくのが筋だとは思うのだが、僕の頭ではいい方法が思い浮かばない。
ここは自他共に認める完璧美少女である妹の力を借りてみるのも一興だろうか。
まあ、兄としてはちょっと情けなくはあるが。
「いや、メイドさん達の名前も把握しないままにしておくのは流石に申し訳ないなって思ったんだけど、32人もいるんじゃ全員覚えるのに時間がかかりそうだなって」
いい方法はないだろうかとあかねに聞いてみると、少しだけ考えた後にあっさりと答えを出してくれた。
「じゃあ、今度から皆には名札でもつけてもらう?用意しないとだけど、一人一人と会って名前を覚えていくよりはずっと効果的だと思うよ」
さすが完璧最強美少女妹あかねだ。
簡単に思いついたようだが、僕はそんなこと全く考えもしなかった。
精々が名前と姿を一致させるために挨拶回りでもするかくらいの、下らない考えしか浮かばなかったのだから、妹と比べて自分の出来の悪さを痛感してしまう。
「おぉ!それだ、あかね!それなら僕がしっかり覚えるまで誰が誰だかわからないなんて状況はなくなる!」
「お兄ちゃんの役に立てたなら良かったけど、急にメイドさんの名前覚えたいなんて本当にお兄ちゃんは変わったよねぇ」
あ。
あかねの完璧なアドバイスに思わず浮かれてしまったが、事を急ぎすぎてしまったか?
僕ら家族に良くしてくれるメイドさん達の名前を把握しておきたいと思ったのは本心からだが、以前の彼方君からすれば考えられないような行動であると今更ながらに思い至った。
「そうねぇ……お母さんはかなちゃんが優しくなってくれてとっても嬉しいけれど、もしかなちゃんが無理してそう振舞ってくれているというなら、そんなに頑張る必要はないのよ?」
「そうだよ!もちろんわたしだってお兄ちゃんが優しいのは嬉しいけど、何か我慢したり苦しんでまですることはないと思う!」
う、うーむ。
どうやら二人とも、僕がかなり無理をしてこういう風にしていると勘違いしてくれているようだが、どう弁明するべきか。
僕は無理などしていないし、皆と仲良く暮らしていきたいとまで考えているのだが、この世界の男としては、それはかなり無理をしてもできるかどうかといったものであるというのも理解している。
「あー、えっと……その、まあ……」
さて、どう答えたものだろうか。
真剣に僕のことを心配している二人には非常に申し訳ないが、単純に無理をしていないと答えるだけでは納得してもらえないだろうし、かと言ってその理由を正直に説明するとしたら、僕が別世界の進藤 彼方の生まれ変わりだから女性に偏見が無いと打ち明けることになってしまうため、それはできない。
誤魔化すにしてもかなり無理のあるものになってしまいそうだが、この際仕方がないと諦めるべきか。
このまま嘘を吐き続けるのも辛いが、この二人を心配させ続けるというのはもっと辛い。
それならば、兎に角自分が無理をしているわけではないことだけをしっかり納得してもらえばいいだろう。
……正直に打ち明けるのは、僕としてもまだ少し怖いのだ。
「えーっと……二人が心配してくれるのは有難いんだけど、僕は別に無理しているわけではないよ。本当に嫌なことだったらそもそも我慢なんかできないし」
なるべく嘘は吐きたくないが、本当のことも言えないというのはいつでも苦しいものだ。
「僕は変わったのかもしれないけれど、それは決して何かを我慢する為でも、何かに苦しんでいるからでもないっていうのだけは間違いないから、そんなに心配しなくて大丈夫だよ」
これで納得してくれるといいのだが。
嘘も言っていないが、真実を明かしてもいない。
自分でも卑怯だとは思うが、今はまだこれだけで納得してもらうほかない。
「……そう。かなちゃんがそう言うなら、お母さんはこれ以上何も言わないわ。でも、もしいつか辛くなったら、その時は遠慮せずに何でも話してちょうだいね?」
「そう、だね。お兄ちゃんが無理してないなら、わたしももう何も言わないよ」
……良かった。
苦しい弁明だと思ってはいたが、どうにかこれで納得はしてもらえたようだ。
「ありがとう、二人とも。心配ばっかりかけちゃってるけど、僕ももう高校生なんだし、もっとしっかりしなくちゃだよね」
情けないことだが、自分が嘘や隠し事に向いているとはとても思えないので、そういったことはなるべく避けたいというのが本音だ。
前世の頃から腹芸が必要になるような状況をなるべく避けてきたというのもあるし、特に家族間では一つも隠し事などできなかったという若干苦い思い出もあったりする。
母や妹に言わせると、“悩み事や隠し事を抱えている時は、何も言わずとも顔にはっきりと出ているのですぐにわかる”だそうだ。
年齢を重ねようが一人暮らしをして実家から離れようが、一目顔を合わせればその時に悩んでいることをピタリと言い当てられる、というのは、驚くのももちろんだが少し怖くもあった。
今目の前にいる母や妹に同じことができるとは限らないが、それ程わかりやすい顔をしているらしい僕では、そう長いこと隠し通せるものでもないだろう。
遅かれ早かれ真実を打ち明けることになりそうではあるので、その時に向けて今の内から覚悟しておかなければ。
「そういえば、お兄ちゃんが高校に通うっていう話はどこまで進んだの?」
一人うんうんと頭を悩ませていると、ふと、あかねがそんな事を聞いてきた。
「学校の話?それは――」
まだ相談してから日も経っていないし、それ程進んでいないと思う。
と、続けようとした時、静かに食後のお茶を楽しんでいた母が口を開いた。
「その話だったら、もういくつか候補になっていた学校には話を通してあるけれど、どこも是非にってお返事がすぐに来たから、かなちゃんがどこにするか選んでくれればそれで決まるわよ?」
「そうなんだ!その候補になってる高校ってどこなの?」
「入学案内と校内紹介のパンフレットがたくさん送られてきているから、それを見て決めてもいいかもね?」
「見よう見よう!」
当事者であるはずの僕を置いて、どんどんと話が進んでいく。
母さんはすでに席を立ってパンフレットらを取りに行ったようだし、あかねは飲み物の追加をメイドさんに頼んでいる。
「……え?まだ相談して二日しか経ってないのにそんなに進んでるの?」
現状を飲み込めていないのは僕だけのようだが、こんなに簡単に話が進んでしまうものなのだろうか?
僕が簡単に調べた限りでは、確かに日本だけでなく、世界中で男女間の溝を埋めるための活動が盛んに行われているようだが、それだけで僕のような一般市民が言い出した我が儘を、こんな短期間で叶えてしまえるものなのか?
「これが送られてきたパンフレットよ~」
母さんが戻ってくると、その胸にはそれなりに厚みのある束が抱えられていた。
あれ、何校とかじゃなくて何十校とか候補あるんじゃないか?
「いくつか県内の高校に打診しただけなのに、どこから聞きつけてきたのか県外の高校からもたくさん送られてきちゃってねぇ。いい機会だし、色々見てみるのもいいかもしれないわね」
ドサッとテーブルの上に広げられたパンフレット達を見てみれば、確かにその殆どは県外の高校のものばかりだった。
というか、北海道とか沖縄とか……いやこれ、日本以外からも来てないか?
明らかに英語やその他の言語が使われているものが混じっているけれど、この数日に一体何があったんだ。
「お兄ちゃんはどういう高校にしたいとか希望はあるの?」
興味津々といった風にたくさんのパンフレットを手にしたあかねがそう聞いてくれたものの、僕の希望など大したものではない。
「うーん……安全に通えて、安全に学校生活を送れて、問題なく卒業できそうな高校ならどこでもいいと思ってるけど、これだけたくさん候補があると決めるのも大変そうだね」
どういった部活に入りたいだとか、この教科を集中して学びたいとか、そういう特別な動機があるわけではないので、共学であればどこでもいいとすら考えていたのだが、こうも大量に選択肢が用意されてしまうと悩んでしまうのが人情というものだろう。
「…………」
僕の答えを聞いたあかねは、何故か黙り込んで真剣にパンフレットを漁り始めてしまったけれど、何か琴線に触れるようなことを言ってしまったのだろうか?
まあ、あかねも中学二年になるわけだし、自分の進路に興味があるのも当然か。
こうしてたくさんの資料が手元にあるのだから、僕のことなど気にせず自分の進路についての参考にしてもらった方がいいかもしれないな。
「……かなちゃん、その希望が叶えられる高校となると、かなり候補が絞られてしまうことになるけど大丈夫かしら……?」
日本語以外の言語で書かれているパンフレットを弾きながら、自分でも良さそうな学校が無いかと探していると、あかねと同じように黙って選んでいた母さんが急にそんなことを言い出した。
「え?何か難しい条件でもあった?さすがに外国の学校に通うつもりはないから、日本で近場の所ならどこでもいいと思ってたんだけど……」
パンフレットを漁る手を止めて母さんを見ると、より真剣な表情を浮かべて考え込んでいるようだった。
そこまで真剣に考えてもらえて嬉しいのは確かだが、候補が絞られるというのはどういうことだろうか?
「……お母さん、やっぱり安全にってなると、県内の高校じゃないと厳しいと思うんだけど」
「そうねぇ……それでも校内での安全を考えると、どこもイマイチなのよねぇ」
ん?あかねは自分の進路について考えていたんじゃないのか。
母さんと話しているのを聞く限り、どうやらあかねも僕の通う高校を真剣に選んでくれていたようだった。
「公立だと面倒な校則とか柵みたいなものも多いし、やっぱり私立校かしらね」
「そうなると北之園か清稜のどちらかかな?」
「北之園学院と比べると、清稜高校はちょっと遠いわね。せめて車で15分圏内じゃないと、万一の時に対応が遅れてしまいそうだし……」
「北之園って進学校で有名だし、真面目な生徒が多いって聞くけど」
「悪い噂は聞かないわね。地域でのボランティア活動にも積極的だし、嫌々やっているような生徒は見かけないとか」
「陸上部の先輩が何人か北之園に進学したけど、今度校内のことについて聞いてみようか?」
「そうね。実際に通っている生徒に聞かないとわからないこともあるだろうし、お願いしようかしら?あ、でも、かなちゃんが通うことになるかもしれないっていうのは言っちゃだめよ?」
「それはもちろん!そんなことバラしちゃったら本当のことなんて聞けないだろうし、変に噂になっちゃったらお兄ちゃんに迷惑かかっちゃうかもしれないしね」
え?あれ?
なんか僕を置いて通う学校決まりそうになってる?
母さんとあかねで「あーでもない、こうでもない」と盛り上がっているところ大変申し訳ないが、当事者の僕の意見は聞いてもらえないのだろうか?
「かなちゃんは本当に安全かどうか以外に希望は無いのよね?」
「えっ?う、うん。まあ、そうだけど……」
「だったら北之園学院か清稜高校のどっちかに絞り込んで考えていいかもね。どっちもレベルは高いから、後から何かしたいことが見つかってもなんとかなると思うし!」
目の前に広がる大量の資料達を尻目に、たった二校の資料が僕の前に差し出された。
いや、早く決まるのはいいことだと思うが、この二校に絞られてしまったのはどういう理由からなのだろうか。
「かなちゃんが安全に学校に通うとしたら、家から送迎するしか方法がないのよ。いくら近くの高校を選んだとしても、かなちゃん一人で通学なんてしたらどんな事件に巻き込まれるかわからないもの」
「それに、校内で安全に過ごせる学校ってなると、それなりのレベル以上の落ち着いた学校じゃないと無理だしね。それでもお兄ちゃんがいざ通うことに決まったら、改めてしっかり話し合わないと学校全体で大混乱になっちゃうと思うよ?」
うん。二人とも説明してくれてありがとう。
それにしても、想像していたよりもだいぶ大事になってしまいそうな気がするのは気のせいだろうか。
僕も男が共学校に通うということがどういうことなのかというのは調べてわかったつもりになっていたのだが、どうやら全くわかっていなかったようだ。
「その、男が共学に通うのって、そんなに難しいことなの……?」
「うーん、かなちゃんが言う“安全”がどこまでのものなのかはわからないけれど、万全を期すならやっぱりお家でお勉強した方がいいってなるのは間違いないわねぇ」
な、なるほど。
二人で話し合っているのを黙って聞いていることしかできなかったが、あれだけ真剣に考えていたにも係わらず、男が学校に通う上で絶対的な安全を確保することはできないらしい。
いや、もちろん、欠片ほどの危険が全く存在しないなどあり得ないことなのは重々承知の上だが、恐らく母さんが言っているのは“最低限の安全”を守れるようにするくらいしかできない、ということだと思う。
要は、外に出る以上何か事件に巻き込まれる可能性を排除できないのだから、安全に拘るのならば家にいるのが一番いいということだ。
前世の世界で当たり前に感じていたことが、こちらの世界では全く通用しないというのはこれだけに限ったことではないが、こんなことぐらいで、と毎度感じてしまうことにも少し疲れてきた。
「……やっぱり、僕は学校に行ったりしない方がいいのかな……?」
いい加減うんざりしてしまう。
男であるというだけでこんなにも生きづらい世界なのに、ここで第二の人生を謳歌しようとした僕は無謀だったのかもしれない。
青春云々も、こんなに家族に迷惑をかけてまで叶えたいわけではないし、諦めて別の方法を探してもいいかもしれない。
「――お兄ちゃんが諦める必要なんてないよ!」
「……え?」
青い春を求めて高校に入学するなど高望みだったのかと考えていると、いつの間にか隣に来ていたあかねが僕の肩に手を置いて、力強くそう言った。
「お兄ちゃんの考えていることくらい顔を見ればわかるよ?わたしたちに迷惑かけるくらいなら諦めようとか、そんなところでしょ?」
マジか。
やっぱり僕ってわかりやすい奴だったのか。
「かなちゃんはこれまでだって色々我慢してくれていたんだから、こうやって自分がしたいことを言ってくれてお母さん嬉しいくらいなのよ?」
正面に座って優しく微笑んでいる母さんにも、僕が考えていることなどお見通しのようだ。
そうと言っているわけではないけれど、気にする必要はないと、そういうことだろう。
「でも、これまで通りに家で勉強してた方が、二人も余計な心配しなくて済むんじゃない?」
そう僕が聞くと、二人は顔を見合わせた後に、呆れたとでも言いたそうな表情で顔を横に振った。
「お兄ちゃん。わたしたちがお兄ちゃんを心配しないことなんて一つもないんだよ?」
「そうよ?だって、お家で勉強することになったとしても、この間みたいに倒れたりしちゃうんじゃないかとか、学校に行かせてあげられないお母さんが嫌になって家出しちゃわないかとか、心配になるのは当然のことよ」
「うんうん」と当然のように頷きあっている二人だが、それはそれでちょっとおかしい気がするのは勘違いではないと思う。
僕が何をしていても心配なのは変わらないということなのだろうが、ちょっと過保護がすぎるのではないだろうか。
「だから、お兄ちゃんは何も気にしないでやりたいことをやっていいんだよ!」
めちゃくちゃいい笑顔で励ましてくれるあかねに、どういう表情で応えてあげればいいのかわからず、曖昧にありがとうとだけ伝え、改めてどちらの学校にするのかよく考えてみると言い残して自室へ戻らせてもらう。
まあ、二人が言うように、ここで変に遠慮してしまっては、お互いに後悔を残す結果になりそうなので、遠慮なく甘えさせてもらうのはいいとして。
改めて僕が家族にどれ程大切に思われているのかを知ることができたのは、収穫でもあり、また一つ抱えることになった悩みの種でもあるなと、自室へと向かう廊下の途中で溜息と共に吐き出すことになるのであった。
………………………………………………………………………………………………
ここまでお読みいただきありがとうございます。
作者です。
今回は、読者の皆様に聞いてみたいことができましたので、あとがきのような形でこちらへと書かせていただきました。
内容に関しては、作者の近況ノートの方に、【男女比 第九話の更新と、10000PV突破のお知らせ】という表題で投稿してありますので、お時間のある方はそちらをご一読いただければと思います。
お手数ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします。
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