妹とメイド達②
自室の片付けを無事に終えると、時間は夕刻に差し掛かろうかというところまできていた。
あの後、部屋の近くを通りかかったメイドさん(佳奈美さんという明るめの茶髪をアップに纏めた美人さんだった)にゴミ袋をいくらか出してもらい、妹のあかねと二人では到底今日中に終えることができそうになかったので、数人の応援を手配してもらってようやくといったところだった。
「想像以上に時間がかかってしまった……」
「あはは……まさかクローゼットの中までぎっしりとは思わなかったもんね」
本来であればゆっくりと部屋で休んでいるはずだったのに、想定外の大掃除をしなければならなくなったおかげで疲労はピークに達している。
ポスターやらフィギュアやら、部屋を賑やかしていた者たちがいなくなったことで、幾分か広く感じる部屋に変わらず鎮座するベッドにあかねと並んで腰掛け、お互いに労いあう。
「ちょっと荷物の片付けをお願いするだけのつもりだったのに、本格的な大掃除をさせることになっちゃってごめんな……?」
「ぇうっ!?お、おおお、お兄ちゃん!?」
隣にいるあかねの頭が丁度いい高さにあるので、自然と頭を撫でながら謝ると、真っ赤になりながら俯いてしまった。
僕としてはこれくらいのスキンシップであれば、お互いに自然にできるようになりたいものなのだが、あかねの様子を見る限りではまだまだ時間がかかりそうだ。
誰が見ても文句なしに容姿の整っているあかねに比べて、髪は伸ばしっぱなしのボサボサで、病的なまでに色白でひょろい陰キャ男子である僕にちょっと頭を撫でられただけで、ここまで照れたりオーバーリアクションしてしまうというのも、何というか度し難くも歪んだ世界であるなと思う。
「……えへへ」
頬をリンゴの様に紅くしたあかねも、しばらく撫で続けていると少しは慣れてきたようで、笑顔を浮かべて僕にされるがままにされている。
話で聞いただけなので詳細はわからないままだが、僕たち家族の間には確かに溝のようなものが存在している。
それは誰の所為でもなく、この世界にある男性を家族に持つ殆どの家庭に例外なく存在している問題なのだ。
僕は決してできた人間などではないが、前世でもそうであったように、自分の家族が寂しそうにしていてそれを放っておけるほど無神経でもない。
この手の届く範囲であれば、僕にできる全てで以て幸せにしたいと思うのは傲慢なのだろうか。
とかなんとか、柄にもなく真面目に考え込んでいると、控えめにノックの音が響き、先程手伝ってくれたメイドさんの内の一人、真奈美さんが顔を出した。
「彼方様、あかね様、間もなくお夕飯の準備が整いますが、お先にお風呂を済ませてしまわれては如何でしょうか?」
もうそんな時間になったのか。
時計を見やると時刻は既に18時を回っていた。
「真奈美さん、わざわざありがとう。折角だから僕はそうさせてもらおうかな?あかねはどうする?」
「わ、わたしはご飯の後でいいかな……!今からお風呂に入ったらすぐに逆上せちゃいそうだし……」
おっと。調子に乗って撫ですぎたかな?
首まで真っ赤に染めたあかねは、恥ずかしそうにしながらも嫌ではなかったようで、笑顔で真奈美さんへそう答えていた。
「かしこまりました。それでは千鶴様にもそのようにお伝えいたしますので、お好きなタイミングで食堂までお越しください」
「う、うん。そうさせてもらうよ」
「失礼いたします」と丁寧なお辞儀をして部屋を出ていく真奈美さんを見送り、いい加減あかねの頭から手を離すと、夕飯まで部屋で休むと告げてあかねも自室へと戻っていった。
それにしても“食堂”ときたか……。
色々と規格外な実家に驚いてきたけれど、最早普通の民家ではないと考えても良さそうだ。
いや、普通の民家にメイドさんが複数いることなどないのだから、何を今更という感じではある。
しかし、前世では普通の庶民どころか多少貧しい思いを経験してきた僕からすると、受け入れるのにも時間が必要であると理解してほしい。
「目が覚めたら若返っていて、過去に来たと思ったら男女比のおかしくなった異世界で、別人のように美人になった母と妹と、家に帰ってみれば目の飛び出るような豪邸と大勢のメイドさんが待っていた……」
改めて振り返ってみると、一体何の冗談だと言いたくなるような状況であることがわかる。
よくもまあ平気な顔して過ごせているなと思われるかもしれないが、全然平気な顔などできていないから安心してほしい。
毎日のように口から飛び出しそうになる心臓を、必死で抑えているのだから誉めてほしいくらいだ。
「――けどまあ、今は取りあえずお風呂だな!」
僕を取り巻く環境が激変したことに違いはないが、一般人で小市民の僕には手に余る事態であることもまた事実だ。
なので、この混乱した脳内の様々な悩みは未来の僕が解決してくれると信じて、丸投げすることにした。
頑張れ。未来の僕。
すっかり片付いたクローゼットの中から部屋着を選び出し、そういえばお風呂がどこにあるかわからないままだったと慌ててメイドさんを探し始めるのだった。
「――ひっ……ろいなぁ……」
無事にメイドさんに風呂まで案内してもらい、脱衣所に入った時点で察してはいたが、家の風呂はとんでもなく豪華なものだった。
「ライオンの口からお湯が出てる風呂なんて本当に存在してたのか……」
床に張られたタイルは滑りにくい上に若干柔らかい素材でできているのか、万が一転倒したとしても大きな怪我をしないような作りになっているし、こんなにあっても使う人間がいないだろってくらいシャワーとカランが備えられているし、室内風呂のはずなのに、観葉植物や細かな内装のおかげで南国の海岸にいるかのような素晴らしい空間になっている。
「しかもこれ、男湯だから実質僕専用ってことじゃないか」
そう。
これだけのお風呂が男女別になっているというのだからもう笑うしかない。
以前の彼方君がそう要求したのか、はたまた母さんが気を遣ってそうしたのかはわからないが、どちらにせよ僕がそれだけ大事にされているということだろう。
「……高校に入学出来たら親孝行頑張ろう」
僕がどんなに頑張ったところでこの百分の一も返すことはできないかもしれないが、与えられるだけというのも納まりが悪い。
まあ、何をどうやってというのは見当もつかないけれど、母や妹の望むものであれば何でも差し出せるくらいの覚悟でやればどうにかなる……なるといいなぁ。
「――ふぅ~」
しっかりと体を洗った後、僕一人に対して広すぎる浴槽に足を思い切り伸ばして沈み込む。
入院中は入浴の度に誰かしら浴室へ乱入してきて大変だったから、こうやって安心してお風呂に入れるというのは大変ありがたい。
最初は家でも同じようなことがあるんじゃないかと多少警戒していたものの、しばらくしてもこうして誰も入ってこないということは、そんな非常識な人間は家にはいないということだろう。
「豪華すぎるとは思うけど、家でこんな贅沢ができるってのもいいなぁ~」
前世で済んでいた安いアパートの風呂とは比べるのも烏滸がましいというか何というか。
毎年家族で行っていた旅行先の豪華なホテルや旅館にあるような大浴場と遜色ない、と言うのが一番わかりやすいかもしれない。
「この風呂に慣れてしまうのもなんか怖い気がするな……」
退院して帰宅してからというもの、この世界の進藤 彼方がどれ程恵まれた環境にいるのかまざまざと見せつけられて、圧倒されっぱなしである。
これからここで暮らしていけば徐々に慣れてはくると思うけれど、それが当然と傲慢な人間になってしまうのではないか、多少危機感も感じてしまう。
前世で短くない人生を経験しているからこそ、恵まれた人間がどのように堕ちていくのかも把握しているわけで。
「しっかり自戒して、家族への感謝を忘れないようにしなければ……!」
甘えた人間にならないようにと気を引き締め、そろそろ逆上せてしまいそうだったので湯から上がる。
頭の上に載せていたタオルで軽く体の水気を拭い、脱衣所へと向かうと、すりガラス状になった引き戸の向こうに人影のようなものが一瞬見えた。
「……?」
……まさかな。
頼りなくはあるが、体を拭いた小さなタオルで大事な部分を隠し、耳を澄ませて引き戸へと近づいていく。
「…………あれ?見間違いだったかな?」
しばらく耳を澄ませて人の気配を探ってみたものの、脱衣所に誰かがいるような感じはしなかった。
一瞬とは言え確かに人影のようなものを見たと思うのだが……。
「誰かいたりしますかー……?」
念の為声をかけながらゆっくりと引き戸を滑らせてみるが、脱衣所を見渡せるようになっても誰の姿も見つけることはできなかった。
ふむ。どうやら勘違いだったようだ。
「あはは……。警戒しすぎて過剰に反応しすぎちゃったかな」
浴室と脱衣所を隔てる引き戸のすぐ脇に用意されているバスタオルを手に取り、しっかりと水気を拭う。
無駄に浮き出てしまった冷や汗も一緒に拭い終わり、着替えを載せた棚まで行くと、風呂に入る前に着ていた衣類が残らず消えていた。
着替えはそのままになっているということは、洗濯するのにメイドさんが持って行ってくれたのだろうか。
「何も言わなくても何でもしてもらえるというのは、やっぱり贅沢だよな」
前世での長い一人暮らしを思い出して、洗濯や掃除の面倒さに辟易としていたものだと一人ごちる。
部屋着に着替え、髪を乾かすのには時間がかかりそうだったので、これまた用意されていたフェイスタオルで軽く纏めておく。床を濡らすことのないようにしておけば乾かすのは後でもいいだろう。
最後に、使ったタオル類を三台ほど並んだ洗面台の横にある“使用済みタオル入れ”と書かれた籠へと投げ入れ、鍵を開けて脱衣所を後にした。
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